機動戦士ガンダムF91 パン屋の俺が宇宙海賊になって、最推しのヒロインを処刑台から奪い去る話 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
「ねえ、お兄ちゃん。……今の、聞いた?」
Frontier Ⅳ(フロンティア4)の夕暮れ。学校からの帰り道、Reece Arno(リズ・アノー)が急に立ち止まって、空の一点を凝視した。空耳じゃない。微かだが、重力ブロックの継ぎ目から漏れてくるような重低音。
「……ああ。あれはたぶん、熱核ロケットエンジンの噴射音だ」
僕は無意識に、父のLeslie Arno(レズリー・アノー)の書斎で見た軍事資料を思い出していた。宇宙世紀0120年、火星から現れたOldsmobile(オールズモビル)こと火星独立ジオン軍が、最新鋭機を投入して地球連邦軍を翻弄したニュースは記憶に新しい。今、空を震わせているのは、平和なコロニーには不釣り合いな、明らかに戦闘を想定した出力調整の響きだった。
「お兄ちゃんってさ、そういう時だけ、急に『男の子』って感じの顔するよね。……ちょっと、キモい」
リズはジト目で僕を見上げてくるが、制服の袖をギュッと掴んで離さない。この「毒舌と依存」のアンバランスさは、妹という生き物特有の破壊力がある。
「仕方ないだろ。僕の家系は、母さんも父さんも『機械の悲鳴』に敏感なんだ」
そう言いながら歩き出した時だった。
「——シーブック君」
呼び止められて振り返ると、そこには学校の指定ジャージ姿のCecily Fairchild(セシリー・フェアチャイルド)がいた。少し乱れた髪と火照った頬。完璧な令嬢が見せる生活感は、反則に近い萌えの塊だ。
「セシリー……。今の音、君も聞いたのか?」
「ええ。……なんだか、嫌な予感がするの。母様が、急に家を空けることが増えたし……父様のところに出入りする人たちも、みんな軍隊みたいな歩き方をしていて」
セシリーの言う「母」とはナディア・ロナ、「父」とはTheo Fairchild(シオ・フェアチャイルド)のことだ。彼女の周囲に蠢く影は、後にCrossbone Vanguard(クロスボーン・バンガード)の主軸となる私兵軍の足音に他ならない。
「シーブック君。……Strategic Naval Research Institute(サナリィ)にいる、君の母様は、今、何を作っているの?」
母、Monica Arno(モニカ・アノー)が手掛けているのは、Formula 90(F90)とその発展機であるF91だ。
サナリィがこの時期、急激にMSの小型化を推し進めたのは、表面化しつつあったロナ家の私設軍隊に対抗するため、地球連邦軍が「高機動・高出力」かつ「低コスト」な機体を求めたからだ。F90は全高14.8m、出力3160kWを誇る。この出力は、同時期の連邦主力機RGM-89(ジェガン)の1870kWを遥かに凌駕する。
実際の戦闘において、この「小型大出力」は驚異的な加速度を生む。推力重量比が極めて高いため、ベテランパイロットでなければ機体のGに耐えられないほどの性能を秘めているんだ。
「……わからない。でも、母さんは『人間を信じている』って言ってた」
「……人間を、信じる?」
セシリーは自嘲気味に笑った。彼女の瞳の奥に、戦場の幻影が見えた気がした。
「お兄ちゃん、帰ろうよ。セシリーさんも、危ないから送っていくよ」
リズが割って入るように僕とセシリーの間に潜り込んできた。
「ふふ、ありがとう、リズちゃん。でも大丈夫。迎えの車が、あそこに来ているから」
セシリーが指差した先には黒塗りの高級車。傍らに立つ男たちの胸元には、Buch Junk Inc.(ブッホ・ジャンク社)——後のコスモ・バビロニアを象徴する、あの鷲の紋章が輝いていた。
「……じゃあね、シーブック君」
彼女は闇のような車内へ消えていった。
その夜。僕はリビングでリズが焼いたトーストを齧りながら、モニターのニュースを眺めていた。表向きは「火星圏の動乱終結」を伝えているが、その裏では確実に、次世代MSの牙が研がれている。
「……お兄ちゃん、また難しい顔してる。マッサージして」
リズが僕の膝に自分の足を乗せてきた。細くて柔らかな足首。この温かさが続くことを願っていたが、宇宙の闇はもうすぐそこまで来ていた。公式設定の行間に隠された、残酷な前夜祭が幕を開けようとしていたんだ。