空洞と火の粉   作:狐族だいすき坊や

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常冬

 傷の手当てをしてもらった後、フォフォが極めて控えめに膝枕をせがんできた。

 断る資格は僕にない。何とか正座をしたあと、フォフォは恐る恐る膝の上に頭を載せてきた。まだ体躯が幼いとはいえ重量感はそれなりにあって長くは続けられないなと思った。そんな僕の思いとは裏腹に、次第にフォフォの身動ぎする間隔が広くなり、最終的に彼女は眠りに落ちた。

 僕の脚もそろそろ限界に近かったので、フォフォを起こさないようゆっくりと頭の下に手を差し込もうとした、その時。

 

「下ろすのか?」

 

 唸るような低い声が空気を振動させた。

 

「耐えろよ」

 

 シッポは言いながら、部屋の中をふよふよと舞い始めた。

 言う通りに手を引っ込めると、彼は鼻を鳴らして他所を向いた。

 

「それでいい」

「……いつまでだ」

「ああ?」

 

 僕の問いに、シッポは心底面倒くさそうに溜息を吐いた。

 

「てめぇに訊け」

 

***

 

 約束の日が来た。

 その日は朝からフォフォの様子がおかしく、ぼうっと壁を見つめていたり、床の木目を何度も指でなぞったり、僕のことを無言で凝視してきたりと挙動不審だった。理由は分かっている。だから問い質しはしなかったし、フォフォも何かを言ったりすることはなかった。

 あの日以来、僕たちの間に会話という会話は一切生まれていない。

 

「そろそろ」

 

 僕がそう言うと、居間で正座をしていたフォフォはすくっと立ち上がり、ハンガーから外套を取って僕に着せてくれた。それから僕の手を取って、廊下の先と僕の足元を交互に確認しながら玄関へと導く。几帳面に並べて置かれた靴に足を入れると、フォフォはすかさずしゃがんで靴紐を結んだ。僕が視線を前へ向けると、フォフォは鍵を開錠して扉を開けた。

 

 外の冷気が肌を刺すなか、僕たちは手を繋いで通りを歩いた。

 羅浮は大宇宙を航行する巨大な船であるが、ここでは何千年も昔に先祖たちが飛び立った故郷の季節を再現し、終わりのない長生に節目を与えている。今は冬と呼ばれる季節だった。

 

「段差です」

 

 道行く人々は揃って厚着をし、ベンチに座った狐族の男女は体を密着させて暖を取っている。茶館のテラスでは子供を膝に乗せた若い夫婦が向かい合って談笑している。巡回中の兵士に少女が菓子を差し出し、受け取った彼は少し乱暴に少女の頭を撫で回した。

 

「紙コップが落ちて──」

「フォフォ」

 

 フォフォが肩を震わせた。

 

「ありがとう」

「……」

 

 手を握る力が強くなった。

 僕も同じくらいの強さで握り返した。

 

 そして、そのまま僕たちは約束の場所へと足を踏み入れた。

 交易が盛んで賑わいのある星槎海──ではなく、流雲渡しと呼ばれるコンテナの積み下ろしが行われる区域。そこでルアンと待ち合わせていた。

 本来であれば関係者以外の立ち入りは厳に禁止されているが、十王司における僕の権限では、ありもしない事案をでっちあげ、捜査目的での立ち入り許可を得ることなど容易い。

 

「フォフォ、手を離して」

「え」

「警備員に怪しまれたくない」

「あ……すみません」

 

 僕たちは出入り口へ向かい、警備員に立ち入り許可証を提示して堂々とゲートを潜り抜けた。角を曲がり警備員の姿が見えなくなるとフォフォが少しずつ身を寄せてきたので、僕は右手を差し出して彼女の小さな手を迎えた。

 

 それなりに長い距離を歩いた。

 2つ目の階段を下りて直進すると、目の前に大きな広場が現れた。

 見渡すと、その端には作業員用の休憩所と思しき建物が建っている。

 そして、その横に並ぶように設置されたベンチにルアンが腰かけているのに気付いた。

 

「っ……」

 

 息を呑むフォフォ。

 僕はフォフォの手を引いてルアンへ近づいた。

 彼女は最初から僕たちの方を見ていて、何もせずじっと眺めていたようだった。

 

「答えは決まったようですね」

「ああ」

 

 ルアンは僕の隣に視線を向けた。

 フォフォの手の力がぎゅっと強まる。

 

「そうですか……」

 

 上から下へと、ルアンは視線を舐めるように動かした。

 

「フォフォさん、でしたか」

「……」

 

 視線が僕たちの手の辺りで止まる。

 

「二週間前、彼からは元教官とその生徒という関係だと聞いたのですが」

 

 ルアンは僕を見た。それから再びフォフォへ。

 

「随分と仲睦まじいようですね」

「……あまり怖がらせるな」

 

 ルアンは一瞬だけ僕を見て視線を手元に落とした。

 フォフォの手はまだ小刻みに震えている。

 

 しばらく沈黙が続く。

 広場の向こうで作業員たちが資材を運ぶ音がしている。風が通り抜けるたびに、積み上げられたコンテナが低く唸る。

 

「三百年」

「っ」

 

 ルアンの一言にフォフォはハッと顔を上げた。

 ルアンは視線を上げずに、膝の上で指を組んだまま続けた。

 

「三百年という時間は、貴女が一生を終えるには十分な時間です。しかし私たちにとっては──」

「やめて」

 

 周囲に低い声が響いた。

 フォフォの声とは思えないほど、低かった。

 フォフォは俯いたまま、繋いだ手とは逆の手を自分の外套の裾に当てていた。指先が布地を掴んでいる。耳がぺたんと伏せていた。

 

「そうですか」

 

 ルアンは調子を一切変えず、僕の方へ向き直った。

 それから彼女は外套の内側に手を差し入れて、折り畳まれた紙切れを取り出し僕へ差し出した。

 

「これは」

「直通の連絡先です」

 

 ルアンは言った。

 

「これからも継続的に視察に訪れます。ただ、時期によっては長期に渡って会えない期間が生じます。不都合があれば連絡してください」

 

 視線が一度だけフォフォへ向いた。

 その際に、少しだけ──本当に僅かに、口の端が上がった。

 

「貴女も含めて支援しましょう」

「……」

「ああ、それと」

 

 ルアンが付け加えるように口を開いた。

 

「フォフォさんが亡くなった際は──」

 

 光が瞬いた。

 緑色の眩い閃光だった。

 次の瞬間には紙の端から細い炎が走っていた。緑色の穏やかな炎だ。それは音もなく紙を端から端へと侵食していった。ルアンが指を離す。紙は地面に落ちる前に燃え尽き、灰になり、崩壊し、風に運ばれてどこかへ消えた。

 横を見ると、フォフォは人差し指と中指を立ててルアン睨んでいた。指の間には札が挟まれている。尻尾がゆらゆらと、いつもより荒っぽく揺れていた。

 

「……帰りましょう」

 

 僕の返事を待たずに、フォフォは僕の手を引いて歩き始めた。

 僕は足を踏み出しながら一度だけ振り返った。

 ルアンはずっとこちらを見ていた。

 

***

 

 フォフォに背中を流してもらって、夕食を作ってもらって、茶を入れてもらって、寝室に連れて行ってもらって、布団を掛けてもらって。

 閉じられた扉の奥で足音が遠ざかっていくのを聞きながら、僕は瞼を閉じた。

 

 眠気はない。

 そもそも、眠るために瞼を閉じたわけではない。

 僕には、今までの、そしてこれからのことを考える時間が必要だった。

 

 カチ、カチと時計の音が響く。

 階下で何か物を落とすような音がした。椅子を引くような音がした。ざばん、とお湯を掛ける音がした。洗濯機を起動する音がした。

 

 僕は耳を塞ごうとして、左腕が挙がらないことに気付いて辞めた。

 代わりに瞼を開けて、暗闇に慣れてきた目で部屋の中を見渡す。いつも通りの光景。満杯の本棚があり、その隣に本が無造作に置いてあり、作業用の机があり、壁際に仕事道具が置いてあり。

 

 視線を動かす。

 棚の上に昔フォフォと並んで撮った写真があり、フォフォの為に書いた指南書の草稿が埃を被ったまま置いてあり、杖が立て掛けてあり。

 

 考えようとして、頭を動かそうとして、結局僕は瞼を閉じた。

 

 ──コン、コン。

 扉をノックする音。

 

「………………あの」

「……フォフォ」

 

 カチャ、と音を立てて扉が開く。

 フォフォは緑色のチェック柄のパジャマを着ていた。

 両手で服の裾を掴み、俯いている。暗闇では尻尾の揺らめきがよく見えた。

 

「……おいで」

「……」

 

 後ろ手で扉を閉じ、顔を下げたまま寄って来るフォフォ。

 ひたり、ひたりと床に裸足の張り付く音がする。

 彼女はベッドの横までやってきて立ち止まった。

 

「おいで」

「……失礼、します」

 

 体を動かしスペースを空けるのと同時に、布団がゆっくりと持ち上げられて外の冷気が入り込んでくる。それと共にフォフォは慎重な様子で身を滑り込ませてきて、僕の左腕に何かが当たるような感触があった。ごそごそと動く気配があり、様子を伺うようにゆっくりと身を寄せて来る。柔い感触が増していく。一人用のベッドでは致し方ない。

 ……いや、そういう話ではないか。

 

 時計の針が時を刻む。

 僕と、もう一人の息遣いが聞こえる。

 窓の外で誰かの話し声が近づき、遠ざかっていく。

 

「フォフォ」

「……はい」

「すまない」

 

 僕は天井を見つめながら言った。

 隣でフォフォが身動ぎして、更に身を寄せて僕の肩に額を載せた。

 

「あ、謝らないでください」

「だが」

「おねがい」

 

 僕は口を噤んだ。

 フォフォが肩に頭を擦り付けてきて、深く息を吸っては吐いた。

 それを何度も繰り返した。

 

「しあわせ……」

「……」

「教官……アタシ、しあわせ」

 

 フォフォに左手を弄ばれる。

 

「僕は」

「……」

「僕は、君の春を」

 

 一本ずつ指が絡めとられる。

 

「奪った、ですか?」

「壊した」

 

 手を握る力が強くなった。

 

「もし……もしも、ですよ」

「……」

「アタシと教官が出会わなくて」

「……」

「いつか、アタシなんかにも優しくしてくれる……男の人と、出会って」

「……」

「恋人になって、デートして、結婚して……子供を」

「……」

「それから、朝ごはんを作って、晩ごはんを作って、それで」

「フォフォ──」

「で、でもっ」

 

 フォフォの頭が肩から離れ、今度は耳元に近づいて来た。

 

「あ、アタシ、そんな未来なんて絶対いや……」

「……」

「教官が……あなたがいいの。あなたと一緒になれないなら……」

 

 僕は頭を動かして、隣にいるフォフォの顔を至近距離で見た。

 とろんとした目付きで、ゆっくりと唇を寄せて来る彼女の顔を。

 僕はそれを、ぼんやりと見ていた。

 

「春なんて、いらない」

 

 瞼を閉じた。

 唇が触れる。離れる。

 

「ずっと、ずっと……冬がいい」

 

 触れて離れる。

 

「永遠に……」

 

 何度も、何度も。

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