空洞と火の粉 作:狐族だいすき坊や
指定されたレストランの個室へ店員に案内される。
部屋の扉を開けると、先に到着していたルアン・メェイが顔を上げた。
「久しぶりですね」
確かに久しぶりだ。
何年ぶりになるか、すぐには数字が出てこなかった。対面の席に腰を下ろして杖を壁に立て掛けた。過去の記憶と目の前の彼女を照合する。顔立ち、姿勢、声の質。記憶と寸分も違わない。変わらないなと言うと、彼女は少しの間僕を見つめた。
「貴方は少し変わりましたね」
まあ、それはそうだろう。
僕は負傷した左腕を少しだけ持ち上げて見せた。ルアンはそれ以上この話題を掘り下げず、メニューを一冊こちらへ滑らせた。店員が注文を取りに来るまでの間二人とも黙っていた。話題を考えようという気にはならなかった。昔もそういう関係だった。
注文を終えると、ルアンは指を組んでテーブルの上に置いた。
「それで」
本題だな、とすぐに分かった。
「怪我のことは聞きました。魔剣、でしたか」
どこから聞いたのかと訊ねると、彼女は「ルートをいくつか持っています」とだけ答えた。
それ以上は言わなかったし、僕もさして興味が湧かなかった。
「少し見せてください」
ルアンが立ち上がって僕の方に移動してきたので、彼女が見易いように脚を机の下から出した。
個室とはいえ公共の場で服をはだけるのには少し抵抗があったが、だからと言って拒絶すれば、今度は別の角度から妙に断りづらい要求をしてくるのは目に見えていた。ルアンが何かしらの要求をしてくるとき、決まって彼女は幾つもの弾を用意している。
「痛みますか」
いいや、と首を振る。
ところで医療の心得があるのかと訊ねると、研究の過程で自然と培うことになったと答えた。
一通りの触診を終えたらしい彼女は何も言わず唐突に立ち上がり、自分の席へと戻った。
「治せます」
医師も匙を投げた問題に随分あっさりと言ってのけたルアン。
僕はそんな彼女に色々な意味で驚いた。しかし同時に、さすが天才クラブに名を連ねるだけあるなという妙な納得感もあった。
あんな触診程度でそこまで分かるものなんだなと言うと、ルアンは一瞬だけ視線を逸らした。
「いえ、以前同じような症例の被験者に会ったことがあるので」
なるほど、そこで既にある程度の知見は得られているわけだ。
じゃあ今の触診はなんだったんだと訊こうとした矢先に店員が料理を運んできた。
店員が去った後に改めて訊いてみようとしたものの、ルアンが口を開く方が早かった。
要点だけ掻い摘むと、機能を失った部位を切除し、培養によって作成した新たな部位と置き換えるというものだった。聞きながら、思考の隅で小さな違和感が少しずつ主張を大きくしていくのが分かった。説明が終わったあと、それは本当に治療と言えるのかと僕は違和感を言語化した。
「何か問題でもありますか」
新しい部位が完全な適合を達成できるかどうかという問題は一旦脇に置く。それよりも本質的な疑問として、それは極度に発達した義手・義足の類であって、厳密な意味での治療とは言えないのではないか。そういうことを伝えた。
「言葉の定義について疑義を呈しているのですか?」
その言い方で気づいたが、確かにこの問いは本来議論すべき部分と著しく乖離している。
非合理な問いだったので、僕は謝罪した。
「不適切な語彙の使用は極力避けられるべきでしょう。貴方の指摘は正当なものです」
それより、とルアンは言葉を続けた。
「先ほどの発言は撤回します。やはり本質的な部分は変わっていませんね」
そうなのだろうか。
料理に手をつけながら、変わっていない部分と変わっている部分というのは自分では案外分からないものだなと思った。先ほどルアンは「少し変わった」と言った。今度は「変わっていない」と言った。前者は表層的、後者は本質的部分に向けられている。一応矛盾はしない。
「貴方は昔から、本筋から外れた問いを立てる癖がありますね。覚えていますか、研究室で交わした例の議論を」
覚えている。あれは彼女が持ち込んだ研究のリソース配分についての話だった。議論が進む中で僕が用語定義の問題を持ち出し、本題が三時間ほど棚上げになった。彼女は随分と不満そうにしていたように思う。
この話を持ち出したということは、未だに根に持っているのかと訊ねた。
「まさか。既に解消されています」
申し訳ない、と僕は一応謝罪しておいた。
もう気にしていないというのは本当の話だろうが、それはそれとして僕の対応で気に食わない事があれば百年後も二百年後もこの話題を蒸し返すつもりでいるのだろう。これを話すと更に面倒な話題を蒸し返されそうだったので、僕は話を本題に戻した。
具体的には治療の効果とリスクについて訊ねた。ルアンは淀みなく答えた。既に例があること、定着までに一定の期間を要すること、完全な機能回復が見込める確率は高いが保証はできないこと。説明は明快で過不足なかった。
「返事は急ぎません。ただ、引き受けるとなれば準備に時間がかかります。あまり先送りにしても意味がないので二週間以内に教えてください」
二週間以内。ルアンの言葉を頭の中に格納してから僕は料理に箸をつけた。
彼女も同様に食事を始めた。
ふと気になって、最近はどんな研究をしているのかと訊ねた。ルアンは少しの間考えるような間を置いてから答えた。複数のプロジェクトを同時に進行しており、そのうちの一つが生体組織の長期保存と再活性化についての研究ということだった。
今回の治療法もその延長線上にあるらしい。
「貴方の仕事はどうですか」
ルアンと別れてから今に至るまでの出来事を適当に掻い摘んで話し、統括部への異動の経緯と現状については少し時間を使って話した。
「教官の経験があるとは知りませんでした」
だいたい四十年近くそういうことをしていた、と答えた。
「弟子を持っていたのですか」
僕が頷くと、ルアンは箸を置いた。
「詳しく聞かせてください」
どの部分を、と訊き返すと「全体的に」と返ってきた。
僕はフォフォについて順を追って話した。冥差として配属されてきた頃のこと、真面目な性格と臆病さが同居していたこと、異例のスピードで判官に昇進したこと。
ルアンは途中で何度か短い質問を挟んだ。「どのような訓練内容でしたか」「昇進の判断基準は」「素質と努力の比率についてはどう評価しますか」──まるで面接を受けている気分だ。そんなに彼女の興味を惹くことになるとは思わなかった。
一通り話し終えると、ルアンは「なるほど」と言って再び箸を取った。
「貴方が誰かの成長を長期間にわたって見届けるとは、少し意外です」
なぜ、と理由を訊ねた。
「以前の貴方は他者に対してあまり能動的な関心を持たなかった印象がありますので」
それは当たっているかもしれない。
ルアンといた頃の自分と今の自分の間にある差異を言葉にするのは難しいが、少なくともフォフォに対しては意識的に関心を持って接してきたつもりだ。教官をやる以上は完全に無関心というわけにもいくまい。
「その弟子は今も近くにいるのですか」
毎日夕食を作りに来ている。最近は昼食も。
そう言うと、ルアンの箸がまた止まった。
「ひとつ訊いてもいいですか」
構わない。
「あの時、私に同行しなかった理由を教えてもらえますか」
理由はあの時伝えた通りだ。
仙舟に残ってやるべき仕事があった。
それだけだ。
「それだけですか」
僕は頷いた。
「そうですか」
ルアンはグラスを口元に運んだ。
食事が終わり席を立つ時になって、彼女は僕の杖を壁から取り上げて無言で渡してきた。
受け取って立ち上がると、彼女は既に踵を返していた。
「二週間以内に」
そう言い残してルアンは個室を出た。
***
帰宅するとフォフォが玄関で出迎えてくれた。
入浴を済ませて居間に戻るとテーブルの上には既に湯呑が二つ並んでいた。向かいに座ったフォフォが両手を膝の上に置いて、少し改まった様子でこちらを見ていた。
「今日は旧知の方と、でしたっけ。どんな方だったんですか……?」
僕は一瞬だけ逡巡した。
どんな人、という問いに対する答えは幾つかある。昔から頭の回転が速く、研究に対して一切の妥協をしない人間だった。変わった習慣があったが概ね話は通じた。学生時代に交際していた。
最後の答えを思い浮かべた時、シッポとの約束が頭に浮かんだ。
フォフォの前でその話をするな、という。
フォフォは首を傾げて僕が言い出すのを待っている。
耳も一緒に傾いている。
少し考えてから僕は言葉を選んだ。
普段は仙舟を離れて活動している腕のいい医師がいる。今日会ったのはその人で、診てもらったところ、後遺症を取り除ける可能性があるという話をした。
これなら問題ないだろう。
「……」
しかし、どういうわけか──フォフォが動かなくなった。
まるで時間ごと止まったような感じだった。湯呑を両手で包んだまま、瞬きもせず、呼吸もしていないように見える。表情は笑顔の直前のどこかで固まっていて、口が少し開いている。
視線だけが動いた。僕の左腕。それから顔。また腕。
何かを確認しようとしているように見えたが、何を確認したいのかは分からなかった。
名前を呼ぶと、フォフォは一度だけ瞬きをした。
「……あ、え?」
治療法については説明を受けている。
機能を失った部位を切除し、培養によって作成した新たな部位と置き換えるというものだ。その医師によれば既に同様の症例での実績があり、完全な機能回復を見込める可能性が高い。定着には一定の期間を要するが、成功すれば今までの職務に復帰できる可能性がある。自ら降格処分を望むというのもおかしな話だが、それに越したことはない。そういう説明を順を追って話した。
フォフォの瞬きの回数が戻ってきたのは話の途中からだ。
両手がいつの間にかテーブルの上に置かれている。
「……そっか」
やがてフォフォは深く息を吸い込んだ。
眉が上がり、目が細くなり、口元に綺麗な弧が浮かんだ。
「よかったです」
フォフォは言った。
「本当に、よかったです。治るんですね」
ああ、本当によかった。
二週間後にもう一度彼女と会う約束をしているので、その時に返事をしようと考えていると付け加えた。
「彼女」
フォフォが繰り返す。
彼女は目を伏せ、それからゆっくり視線を上げて、また笑った。先ほどと同じ笑みだった。いや、先ほどより少しだけ何かが違った。何がとは言えないが。
フォフォは湯呑を傾けて茶を一口飲んだ。
「……もし治らなかったら、どうしますか?」
どうするか。僕は少し考えた。
今の仕事は続けられるだろう。自力で回復する可能性もゼロではない。
とはいえ最悪の場合も考えなければならない。片腕と片脚の感覚が戻らないまま一人で暮らしていくとなると今後も多少の不便は覚悟しなければならない。自炊は引き続き難しいし、急な段差や混雑した道では相変わらず多くのことに気を配らなければならない。
フォフォの厄介になってしまうかもしれないな、と僕は最終的に答えた。
「……」
すると、ゆっくりと、さっきより深い笑みがフォフォの口元に浮かぶ。
「そうですか……そう、なんだ……」
フォフォの尻尾が瞬いた。