魔装機神ヴェネフィルディア   作:深雪ソーマ

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第十話 白銀機、再び

 朝食は、思っていたよりまともだった。

 

 温かいスープに、固めのパン。薄く焼いた卵料理に、刻んだ香草の匂いが混じっている。豪華ではない。けれど、保護区画という言葉から想像していたものより、ずっと普通の食事だった。

 

「……ちゃんとしてるな」

 

 つい漏らすと、足元の影が揺れた。

 

 ナインが顔だけ出して、水湊の手元を覗き込む。

 

『毒でも入ってると思った?』

 

「そこまでは思ってない」

 

『でも、ちょっとは警戒したでしょ』

 

「した」

 

 否定しても見透かされるので、素直に認める。

 

 ナインはくすりと笑う気配を見せ、すぐに影へ潜り直した。食べ物そのものには興味が薄いらしい。匂いだけ嗅いで満足したのか、小さな白い耳だけが影の縁に残っている。

 

 静かな朝だった。

 

 昨夜までの慌ただしさが嘘みたいに、部屋の中には食器の触れ合う小さな音しかない。だが、その静けさが完全に穏やかかといえば、そうでもなかった。高い位置の窓の外では人の気配が動き、扉の向こうには見張りがいる。落ち着いてはいるが、自由ではない。

 

 保護区画という名前が、そのまま空気になっている。

 

 食事を終えた頃、扉が二度叩かれた。

 

「入るわよ」

 

 返事を待つより少し早く、エリシアが顔を出す。今日は巡察用の装備ではなく、王城側での勤務に合わせたらしい、落ち着いた色の軍服に近い服装だった。もっとも、髪の色も目つきも変わらないので、雰囲気まで柔らかくなるわけではない。

 

 その後ろにセレニアもいる。こちらは昨日よりさらにきっちりした格好で、術官としての顔を前面に出していた。

 

「準備はいい?」

 

「一応」

 

「一応、じゃ困るのよね」

 

 エリシアは部屋へ入るなり、壁際の椅子に軽く手をかけた。

 

 セレニアは扉を閉め、まっすぐ水湊を見る。

 

「今日は三つ。保護区画内の行動範囲確認。王城術官側との初顔合わせ。最後に、ヴェネフィルディアの再召喚確認」

 

 最後の一つだけで、今日の重みがだいたいわかった。

 

「公開で?」

 

 水湊が聞くと、セレニアは首を横に振る。

 

「完全公開ではないわ。けれど、見るべき人間には見せる。軍、術官、整備、王城中枢の関係者。昨日の件で、もう“見せないまま置いておく”段階ではなくなったの」

 

 それはそうだろう。

 

 街道で現れ、市場で戦い、王の前でも話をした。しかも高位精霊の気配まで示している。誰にも見せないまま保護区画へしまっておける存在では、もうない。

 

「……了解」

 

 立ち上がると、ナインが影の中から這い出してきた。

 

『忙しい朝だね』

 

「おまえは本当に他人事だな」

 

『半分はそうだし』

 

 相変わらずの調子だったが、その軽さがありがたい。

 

 部屋を出ると、保護区画の空気は昨夜より少しだけ明るかった。壁の魔力灯が夜用の落ち着いた色から、朝らしい白みのある光へ切り替わっているせいだろう。石造りの回廊に、その光が均一に落ちている。

 

 歩きながら、エリシアが横目で言った。

 

「まず言っておくけど、ここでの生活は“軟禁”って言われても否定しにくいわよ」

 

「ずいぶん率直だな」

 

「変に期待させる方が面倒でしょ」

 

 そこは、たしかにその通りだった。

 

「でも、ただ閉じ込める場所でもない」

 

 今度はセレニアが引き継ぐ。

 

「ここは、客人、参考人、術官預かり、要監視対象、いろいろ入る区画よ。王城の内側に入れるには早い、でも外に出しておくには危うい。そういう者を一度受け止める場所」

 

「俺向きだな」

 

「笑えない話だけどね」

 

 そう言いながらも、彼女の口調は極端に冷たくなかった。

 

 案内された先々を見ていくうちに、水湊にもその言葉の意味が少しずつわかってくる。

 

 保護区画には個室だけでなく、小規模な訓練室、医務室、資料閲覧室、魔力測定用の小部屋まで揃っていた。単に閉じ込めるための施設ではない。管理しながら生活させ、必要なら調べ、必要なら鍛え、必要なら使う。そういう場所なのだ。

 

『完全に“王城案件”だね』

 

 ナインが言う。

 

「なりたくてなったわけじゃないんだけどな」

 

『なっちゃったものは仕方ない』

 

 軽い。

 

 だが、いまはそれくらいがちょうどよかった。

 

 最初の顔合わせは、小さな会議室で行われた。

 

 中にはすでに数人が集まっている。ベルトラン教授、年配の術官が二人、軍の技術士官らしい男が一人、それに書記役が二人。人数は多くないが、顔ぶれを見るだけで“必要な人間だけが呼ばれている”のがわかった。

 

 水湊が入ると、視線が一斉に向く。

 

 露骨に敵意を向けられているわけではない。だが、どの目も鋭かった。未知の存在を見る目だ。ただし昨夜までとは違って、完全な疑い一色でもない。少なくとも、“観察する価値がある”とは見なされているのだろう。

 

「久遠水湊です」

 

 先に名乗ると、ベルトラン教授が小さく頷く。

 

「うむ。昨夜は慌ただしかったからな。今朝は少し落ち着いて確認しよう」

 

 年配の術官の一人が、机上の書類に目を落としたまま口を開く。

 

「まず確認したいのは三点です。あなた自身の認識。ファミリアの独立性。そして精霊感応の範囲」

 

 水湊は椅子に座り、順に答えていった。

 

 どこまで話すか迷うところはある。だが、誤魔化してもたぶん長くはもたない。だったら、わかることだけを飾らずに言う方がまだましだった。

 

 自分が異邦人であること。

 神の場でラ・ギアスを選んだこと。

 空間属性と精霊感応を与えられたこと。

 ナインが自分の精神とプラーナから生じたファミリアであること。

 ヴェネフィスの意志は“聞こえる”というより、意味として流れ込むこと。

 

 質問は細かかったが、想定外ではない。

 

「そのファミリアは常時顕現しているのですか」

 

「いや、普段は影に潜んでる」

 

「主の命令がなくても独自判断で動く?」

 

「かなり動くと思う」

 

 その瞬間、ナインが影から顔を出した。

 

『かなり、って言い方だと少し雑じゃない?』

 

 水湊は思わず小さく息を吐き、通訳する。

 

「今のは、“その言い方は少し雑だ”だそうです」

 

 会議室の空気が、そこでほんの少しだけ緩んだ。

 

 ベルトラン教授が、面白そうに目を細める。

 

「なるほど。ファミリアらしい」

 

 緊張感が消えたわけではない。だが、完全な異物として距離を置かれているだけでもなくなってきているのがわかった。

 

 やり取りが一段落したところで、セレニアが静かに告げる。

 

「では次。再召喚確認へ移ります」

 

 場所を移されたのは、保護区画のさらに奥にある訓練中庭だった。

 

 地下世界に空はないが、中庭と呼ぶのにふさわしい広さはある。床には強化石材が敷かれ、その周囲を術式柱が何重にも囲んでいる。壁際には観覧用の回廊が設けられ、そこに少数の人影が並んでいた。

 

 軍士官。王城術官。整備担当。

 完全公開ではない。だが、見るべき人間は確かに集められている。

 

「緊張してる?」

 

 エリシアが聞く。

 

「してる」

 

「素直ね」

 

「隠しても意味ないだろ」

 

「それもそう」

 

 彼女はそう言って、ほんの少しだけ表情を緩めた。

 

 水湊は中庭の中央へ進み、足を止める。

 

 周囲の術式柱が低く鳴るように震えている。空間固定と結界補助だろう。召喚時に余計な歪みが広がらないよう、かなり念入りに準備されているのが伝わってきた。

 

 胸の奥へ意識を沈める。

 

 冷たい灯が、深いところにある。

 昨日より、少しだけ近い。

 

 呼べば届く。

 そんな確信が、言葉より先にあった。

 

『行ける?』

 

 ナインが問う。

 

「やるしかない」

 

『うん』

 

 水湊は右手を開いた。

 

 息を整える。周囲の視線が集まる。張り詰めた空気の中で、胸の奥の静かな海だけが不思議と揺らがなかった。

 

「召喚《コール》」

 

 声が落ちた瞬間、中庭の中央の空気がはっきりと揺れた。

 

 光ではない。

 まず現れたのは、薄い円環だった。空間の継ぎ目そのものが、幾重にも重なりながら開いていく。そこに夜より深い蒼が覗く。水でも空でもない、次元の狭間そのものとしか言いようのない深さ。

 

 観覧回廊のどこかで、小さく息を呑む音がした。

 

 円環が広がる。

 門になる。

 

 その向こうから、白銀の輪郭がゆっくりとこちらへ噛み合ってくる。

 

 ヴェネフィルディア。

 

 白銀の装甲。鋭いシルエット。門の骨組みを思わせる多層フレーム。昨日の戦闘時のような唐突な現界ではなく、今日はその全貌が順を追って姿を取っていくのが見えた。

 

 最後に双眸へ淡い燐光が灯る。

 

 それだけで、中庭の空気が一気に張り詰めた。

 

 誰も声を出さない。

 ただ見るしかない。

 

 目の前で起きていることが、普通の召喚魔術では片づかないと、その場の全員がわかっていた。

 

 胸の奥へ、静かな圧が落ちる。

 

 よし。

 

 たったそれだけ。

 けれど、たしかにヴェネフィスの意志だった。

 

 水湊はわずかに息を吐く。

 昨日より近い。

 応じ方も、明らかに安定している。

 

「やっぱり、門を介して来るのね……」

 

 回廊から、ベルトラン教授の低い声が落ちる。

 

 書記が慌ただしく筆を走らせ、術官たちは互いに短く確認を交わす。軍士官は黙っているが、その視線はもう“正体不明の危険物”を見るものではなかった。

 

 未知ではある。

 だが、運用を考える対象として見始めている。

 

 セレニアが水湊の横へ来る。

 

「安定しているわ」

 

「昨日よりは、たぶん」

 

「たぶんじゃない。明らかによ」

 

 そこで彼女は少しだけ声を落とした。

 

「王の前で気配を示した影響かしら」

 

 水湊もそう思っていた。

 

 昨日より距離が近い。

 ヴェネフィスの沈黙は変わらないのに、どこか“応じる前提”が生まれているような感覚がある。

 

 エリシアが少し離れた位置からヴェネフィルディアを見上げる。

 

「こうして落ち着いて見ると、本当に変な機体ね」

 

「変って言うなよ」

 

「綺麗だけど、変でしょ」

 

 否定しないらしい。

 

「ラングラン製じゃないのは見ればわかるし、精霊機としても癖が強すぎる。……でも、嫌な感じはしない」

 

 その言葉は、水湊にとって思っていたより大きかった。

 

 未知の機体であることは変わらない。だが、少なくとも現場にいる人間の感覚として、“拒絶したくなる類の異物”ではないのだろう。

 

 そこへ、回廊から別の足音が近づいてきた。

 

 振り向くと、アッシュだった。今日も軍服姿のままで、歩調は落ち着いている。中庭へ降りてくると、まずヴェネフィルディアを見上げ、それから水湊へ視線を移した。

 

「間に合ったか」

 

「見せ物じゃないんだけど」

 

 水湊が言うと、アッシュは少しだけ口元を動かした。

 

「王城管理下の未知の魔装機神級機だ。見せ物で済めば軽い方だ」

 

 正論すぎて返しようがない。

 

 アッシュはヴェネフィルディアの前まで来ると、しばらく黙ってその姿を見上げた。その目は昨日のような“危険かどうか”を測る視線だけではない。もっと実務的な、“これをどう扱うか”を見ている目だった。

 

「今日から、おまえの扱いが一段変わる」

 

「もう変わったあとじゃないのか」

 

「昨夜の裁可は暫定だ」

 

 アッシュの声は低く、はっきりしていた。

 

「王の前での確認と、いまの再召喚確認。そこまで揃って、ようやく前提が固まった」

 

「前提?」

 

「おまえが本当に機体を呼べること。機体が安定して応じること。高位精霊の気配が一時的な暴走ではなく、継続した関係として存在すること」

 

 そこまで言ってから、アッシュは水湊を真っ直ぐ見た。

 

「それが確認できた以上、おまえはただの監視対象ではない。王城管理下の特殊案件だ」

 

 その言い方は、少しだけ引っかかった。

 

「特殊案件」

 

「そうだ。軍も術官も、通常の枠では処理できない案件として扱う」

 

 アッシュはそこで中庭の回廊を軽く見回した。

 

「今後、おまえは保護区画の中で訓練を受ける。裂け目対処にも参加する。必要に応じて王城と軍の共同管理下で実地任務にも出る」

 

 昨日の時点ではまだ“どう扱うか”を決めていた。

 だが今日は、もう“どう使うか”の話へ半歩進んでいる。

 

 それがわかって、水湊は小さく息を吐く。

 

「逃げるな、無断召喚するな、勝手に抱え込むな」

 

 横からエリシアが口を挟んだ。

 

「とりあえず、そこからね」

 

「最後のはおまえに言われるのか」

 

「私が言うから意味があるの」

 

 その返しに、思わず少しだけ笑ってしまう。

 

 中庭の張り詰めた空気が、そこでほんのわずかに緩んだ。

 

 ただ、その緩みもすぐに仕事の空気へ戻る。

 

 ベルトラン教授が回廊から声をかけた。

 

「アッシュ隊長、訓練だけでは足りませんぞ」

 

「わかっている」

 

 アッシュはすぐに答えた。

 

「裂け目案件の資料も開示する。王城側と軍側で持っている情報に差がある以上、まずはそこを揃えねばならん」

 

 セレニアが頷く。

 

「術官側の基礎講義も必要ね。位相異常に対する王城式の見方を知らないまま動かれては困るもの」

 

 話がどんどん具体化していく。

 

 水湊は、その流れを聞きながらヴェネフィルディアを見上げた。

 

 白銀の魔装機神は、何も言わずそこにいる。

 だが、ただ無言なのではない。

 遠くない。

 もう昨日までとは違う。

 

 胸の奥で、冷たい灯が静かに揺れる。

 

 始まる。

 

 そんな意味が流れた気がした。

 

 水湊はゆっくりと息を吐く。

 

「……わかった」

 

 アッシュは短く頷いた。

 

「なら、まずは一つずつ覚えろ。王城の中で好き勝手にやれると思うな。だが、使い潰されるとも思うな。少なくとも、いまのところはな」

 

 不器用な言い方だった。

 

 けれど完全な脅しではないと、もうわかるくらいにはアッシュの物言いにも慣れ始めていた。

 

 セレニアが中庭の中央へ一歩進み、周囲へ向けて告げる。

 

「本日の確認はここまで。午後からは保護区画内での行動範囲と、資料閲覧の手続きを進める。久遠水湊の扱いは“王城管理下特殊案件・仮協力者”として統一します」

 

 その宣言で、周囲の空気がひとつ定まった。

 

 完全な歓迎ではない。

 完全な拒絶でもない。

 

 王城の内側で、水湊という存在の置き場所が、ようやく一つ決まったのだ。

 

 ラ・ギアスに来てから、まだ日も浅い。

 だが、ここから先はもっとはっきりと、この世界の仕組みの中へ入っていくことになる。

 

 王城の中で。

 軍と術官の目の中で。

 ヴェネフィルディアとともに。

 

 白銀の機体を見上げる。

 

 静かな灯は、変わらず胸の奥に沈んでいた。

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