魔装機神ヴェネフィルディア   作:深雪ソーマ

14 / 35
第十二話 裂け目の前で

 王城の講義室は、思っていたよりずっと地味だった。

 

 石を積んだだけの横長の部屋に、飾り気はほとんどない。前には黒板代わりの板があり、その脇に術式投影盤が据えられている。学校の教室に似ていなくもないが、流れている空気はまるで違った。ここで扱うのは知識だけではなく、王城が抱えている面倒そのものなのだろう。

 

 水湊が入ると、前にはベルトラン教授とセレニアが立っていた。エリシアは少し後ろの席に腰を下ろしている。付き添いというより、最後まで目を離すつもりがない顔だ。

 

「座りたまえ」

 

 教授に促され、水湊は前列の端へ腰を下ろした。足元の影に、ナインの気配が沈んでいる。

 

 机の上には、薄い冊子が三冊置かれていた。表紙には王城術官局の印。開いてみると、地図や術式図、それに見慣れない分類表が並んでいる。

 

「今日は理屈を全部叩き込むつもりはない」

 

 ベルトラン教授はそう言って、板に三つの言葉を書いた。

 

 位相揺らぎ

 境界薄化

 裂け目

 

「王城では、空間異常を大きくこの三段階で見ておる」

 

 杖の先が、最初の言葉を軽く叩く。

 

「位相揺らぎはもっとも軽い。視界の端がぶれる、空気の流れが不自然になる、魔力の筋が乱れる。自然に収まることも多い」

 

 次に、二つ目。

 

「境界薄化。ここからが厄介だ。異常がその場に残り始める。見た目には何もなくとも、同じ場所で歪みが繰り返されるようになる」

 

 最後に、三つ目。

 

「裂け目。向こう側がこちらへ食い込んだ状態だな。敵性存在が出るのも、位相汚染が起きるのも、ここまで進んでからだ」

 

 水湊は冊子へ目を落とした。

 

 街道で感じたざらつき。市場で見た空間の裂け方。あの時はただ嫌な感覚として受け取っていたものが、こうして言葉になると少しだけ輪郭を持つ。

 

「普通の魔装機は、どこまで対処できるんです」

 

 問いかけると、答えたのはセレニアだった。

 

「裂け目から出てきた敵を倒すこと自体はできるわ。けれど、裂け目そのものへ触るのは難しい。閉じる方がずっと厄介なの」

 

「だから、俺たちが要る」

 

「そういうこと」

 

 セレニアは投影盤に手をかざした。淡い光が立ち上がり、立体の図が空中に浮かぶ。地下水路の断面図らしきものの上に、細い線が何本も重なり、ところどころが赤く滲んでいた。

 

「これが旧貯水路跡。今朝方、観測班が拾った異常よ」

 

 赤い滲みは、点のように散ってはいなかった。古い流路に沿って、じわじわと広がっている。

 

「水路沿いか」

 

「ええ。最近はこういう傾向が多い。水脈、古い坑道、使われなくなった術式線路。昔、何かが流れていた跡ほど、境界が薄くなりやすい」

 

 セレニアはそこで水湊を見た。

 

「あなたも、そういう場所の違和感は拾いやすいはずよ」

 

 拾いやすい、という言い方はたぶん正しい。正しいが、まだ自分の感覚として馴染んではいない。意識しなくても景色の継ぎ目がざらついて見えるのは、便利というより落ち着かないものだった。

 

 後ろからエリシアが口を挟む。

 

「街道でいきなり当たりを引いたわけじゃなかったのね」

 

「運だけではあるまいな」

 

 教授が穏やかに頷く。

 

「もっとも、再現性はまだわからん。だからこそ現場へ出る」

 

 講義はそこから、もう少し現実的な話へ移った。

 

 裂け目が出た時、王城術官がまず何を確認するか。軍はどう動くか。避難路はどの順で開くか。誰が封鎖を担当し、誰が敵を押さえ、誰が後始末に回るのか。

 

 思っていた以上に細かい。

 

 戦うだけでは終わらない。街の中で起きる以上、守ることも、封じることも、住民を逃がすことも全部込みだ。市場であれほど慌ただしかった理由が、ようやく少しわかった気がした。

 

「つまり、勝手に先走るなってことだな」

 

 水湊がぼそりと漏らすと、エリシアがすぐに反応した。

 

「そう。やっとそこまで来た?」

 

「最初からわかってるよ」

 

「わかってる人は言われないの」

 

 言い返したかったが、言い返せるだけの材料がなかった。

 

 講義が一段落した頃には、外の時間も少し移っていた。空がないから昼は見えない。それでも王城の灯りや人の動きで、時間が進んでいるのはなんとなくわかる。

 

 部屋を出ると、廊下の壁にもたれるようにしてアッシュが待っていた。

 

「終わったか」

 

「一応」

 

「一応では困る」

 

「みんな同じこと言うな」

 

 ぼやくと、アッシュは気にした様子もなく歩き出した。ついて来い、ということらしい。

 

 廊下を並んで歩きながら、彼は短く告げる。

 

「旧貯水路跡への出動は明朝だ。夜明け前に動く」

 

「随伴は?」

 

「私、エリシア、術官一名、兵二名。そこにおまえ」

 

 昨日聞いた通りの編成だった。

 

「ヴェネフィルディアは現地判断。最初から出すとは限らん」

 

「その方が助かる」

 

 水湊がそう返すと、アッシュはわずかに目を細めた。

 

「理由は」

 

「必要もないのに出したら、向こうもこっちも緊張するだろ」

 

「……悪くない」

 

 それだけ言って、彼は少し黙った。

 

「旧貯水路跡は狭い。大部隊では動きづらい。今回は討伐任務ではなく、観測と封鎖の予行だと思え。戦うことになるなら、それはその時だ」

 

 市場とは違う。

 

 あの時は、すでに裂けていた。敵もいた。止めるしかなかった。

 だが今度は違う。開く前のものを見る。そこにどう触れるかを試す。

 

「変な感じがしたら言え」

 

 アッシュが前を向いたまま言う。

 

「勘でもかまわん。理屈は後からつける」

 

「外したら?」

 

「外したら一つ潰れるだけだ」

 

 その言い方に、少しだけ笑いそうになった。

 

 軍人らしい。使えるなら拾うし、外れたら外れで終わらせる。そこに変な遠慮がないぶん、かえってやりやすい。

 

 夕方から夜にかけては、また別の意味で慌ただしかった。

 

 渡された資料を読み、保護区画内の通行許可の区分を覚え、王城の中で口にしていいことと悪いことを頭に入れる。異邦人であることは共有されている。けれど、その経緯までは外へ出さない。王城中枢止まり。そこははっきり線が引かれていた。

 

 水湊としても、その方が助かる。

 

 毎回、神の話から始めたいわけではない。いまこの場所で必要なのは、そこではないのだろう。

 

 部屋へ戻るころには、さすがに肩が重かった。

 

「……思ったより面倒だな」

 

 寝台へ腰を下ろすと、影の中からナインが這い出した。

 

『今さら?』

 

「今さらだよ」

 

『でもまあ、王城っぽいよね。雑にしない代わりに、全部拾う感じ』

 

 その言い方が妙にしっくりくる。

 

 雑にはしない。

 だが甘くもない。

 保護するなら管理するし、使うなら把握する。

 王城のやり方は、だいたいそんな感じだった。

 

 水湊は高い位置の窓を見上げた。外は見えない。ただ、壁の向こうで王城の夜が静かに息をしているだけだ。

 

「なあ、ナイン」

 

『うん』

 

「旧貯水路跡、どう思う」

 

 ナインはすぐには答えなかった。少しだけ首を傾げ、それからゆっくり言う。

 

『嫌な感じはする。でも市場みたいな荒れ方じゃない』

 

「静かだってことか」

 

『うん。暴れる前に、下で広がってる感じ』

 

 ぞっとしない言い方だった。

 

 けれど、たぶんそういうことなのだろう。目に見えてからでは遅いものが、あそこではもうじわじわ進んでいる。

 

 水湊は目を閉じ、胸の奥へ意識を沈めた。

 

 冷たい灯は、変わらずそこにある。

 

 しばらくそうしていると、短い感覚がひとつ落ちてきた。

 

 見る。

 

 ヴェネフィスだった。

 それだけで十分だった。

 戦えでも、断てでもない。

 まず見ろ。

 そう言われた気がした。

 

「……わかった」

 

『いまの、ヴェネフィス?』

 

「ああ。相変わらず短いけどな」

 

『でも、前よりは少し伝わるようになってる』

 

 言われてみれば、その通りだった。

 

 最初は、ただ圧が落ちてくるだけだった。

 いまも長く語るわけではない。けれど、必要な時に届く意志は、少しずつ輪郭を持ち始めている。

 

 それを信頼と呼ぶには、まだ早い。

 それでも、ただ試されるばかりの距離ではなくなってきている気はした。

 

 水湊は寝台へ横になった。

 

 明日は旧貯水路跡。

 裂け目になる前の異常を見る。

 それが、自分にとって初めての「戦うためだけじゃない任務」になる。

 

 王城のやり方はややこしい。けれど、そのややこしさの中で、自分がどこに立つのかも少しずつ見えてきていた。

 

 異邦人。

 王城管理下。

 位相異常対応の特務協力者。

 

 呼び方はどうでもいい。

 明日、自分が何を見て、どう動くかの方がずっと大事だ。

 

 そう思いながら目を閉じると、遠い場所で白銀の輪郭が静かに立っていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。