魔装機神ヴェネフィルディア   作:深雪ソーマ

15 / 35
第十三話 旧貯水路跡

 出動は、まだ街の灯りが眠たげに揺れている時間だった。

 

 王城外縁の門を抜けるころには、ラ・ギアスらしい青白い明るさが石畳にうっすら落ちていた。空のない世界だから、夜明けそのものは見えない。それでも、街の空気が少しずつ動き始める気配で、朝はちゃんとわかる。

 

 随行は昨日聞いた通りだった。

 

 アッシュ。エリシア。術官のリシュア。兵が二名。そこに水湊が加わる。

 

 ヴェネフィルディアはまだ呼んでいない。必要なら現地で召喚する。今日はその判断も含めての任務だった。

 

「眠そうね」

 

 石段を下りながら、エリシアが横目で言った。

 

「眠いよ」

 

「言い切るのね」

 

「隠しても消えないだろ」

 

「まあ、それはそう」

 

 軽口の形にはなっていたが、声の奥には少し張りがある。エリシアも、気楽というわけではないのだろう。

 

 水湊の足元では、影が静かに揺れていた。ナインは姿を見せていないが、気配はいつもよりはっきりしている。

 

『水の匂いがする』

 

 頭の奥に落ちてきた声に、水湊は小さく息を吸った。

 

 たしかに、湿った匂いが混じっていた。街中とは違う。古い石と、長く動いていない水路の匂いだ。

 

 旧貯水路跡は、王都の北寄りに残された古い施設だと聞いていた。いまはほとんど使われていないが、地下水脈と繋がる流路だけは残っているらしい。そういう、昔何かが流れていた場所に、最近は位相異常が出やすい。王城術官局の見立てはそうだった。

 

 街を外れてからは早かった。

 

 建物が少しずつ疎らになり、石の道が古びたものへ変わっていく。やがて前方に、半分崩れた円形の石造建築が見えてきた。井戸と貯水槽を合わせたような形で、壁面には古いラングラン文字らしきものが刻まれている。

 

「ここか」

 

 水湊が呟くと、先頭を歩いていたアッシュが短く頷いた。

 

「ああ。旧貯水路跡の第一槽だ」

 

 現地には、すでに先行の観測班が二人来ていた。簡易結界の杭が打たれ、細い術式糸が貯水槽の周囲に巡らされている。大騒ぎにはなっていない。だが、その静けさがかえって現場の緊張を際立たせていた。

 

「お待ちしていました」

 

 観測班の術官がリシュアへ一礼する。

 

「変化は?」

 

「三刻前より、わずかに進行しています。まだ裂け目までは至っていません。ただ、槽底右側の歪みが少し広がりました」

 

 報告を聞きながら、アッシュが水湊を見る。

 

「おまえも見ろ」

 

 水湊は黙って頷いた。

 

 崩れかけた石段を下り、貯水槽の縁へ寄る。中はほとんど空だ。底に浅く水が残り、壁のひびには青白い苔が張りついている。見た目だけなら、ただ古びた施設にしか見えない。

 

 けれど、意識を少しずらした瞬間、景色の奥行きが不自然に揺れた。

 

 槽底の右側。石壁と床の継ぎ目。そのあたりだけ、空間が薄い。

 

 薄いというより、そこだけ世界の布地が擦り切れているような感じだった。

 

「……あるな」

 

 思わず低く漏れる。

 

 エリシアがすぐに反応した。

 

「どこ」

 

「右奥。壁際から床にかけて」

 

 観測班の一人が持っていた術式板を確かめる。

 

「中心は一致しています」

 

 だが水湊は、そのまま槽底を見つめていた。

 

「いや……そこだけじゃない」

 

 アッシュの眉がわずかに動く。

 

「どう見える」

 

 水湊は少し言葉を選んだ。

 

「一番濃いのはそこだ。でも、そこだけが傷んでる感じじゃない。もっと細いほころびが伸びてる」

 

「どっちへ」

 

 リシュアが問う。

 

「外の流路側だと思う。底を沿って続いてる」

 

 観測班の二人が顔を見合わせた。リシュアはすぐに結界糸の位置を見直し、何枚かの符を張り替える。術式が淡く脈打った。

 

「こちらの測定では、中心以外はまだ薄いですね」

 

「薄いけど、ある」

 

 水湊はそう言い切った。

 

 その瞬間、足元の影が揺れ、白銀の小狐が半身だけ現れた。ナインは槽の中をじっと見下ろしている。

 

『うん。点じゃない』

 

 水湊は短く通す。

 

「ナインも同じだってさ」

 

 エリシアが小さく息を吐いた。

 

「ほんとに便利ね」

 

『聞こえてるけど』

 

「聞こえて困ることは言ってないわよ」

 

 軽口だったが、それで少しだけ空気がゆるむ。

 

 アッシュはすぐに判断した。

 

「リシュア、外周も見ろ。流路の出口側まで広げる」

 

「はい」

 

「観測班は追跡に切り替えろ」

 

 二人が散る。エリシアも兵を連れて外周へ向かった。現場の空気が一気に動き始めた、その直後だった。

 

 槽底の水面が、ふっと震えた。

 

 風ではない。誰も触れていないのに、水だけが一拍遅れて揺れる。

 

 水湊の背筋に冷たいものが走った。

 

『水湊』

 

 ナインの声が低くなる。

 

『ここ、開きかけてる』

 

 その言葉で意味は足りた。石床の継ぎ目、その下で、何かが裏返りかけている。

 

 アッシュが一歩前へ出る。

 

「召喚は?」

 

「待ってくれ」

 

 水湊は反射的に言った。

 

「まだ全部は要らない」

 

 言ってから、アッシュの視線を受ける。

 

「理由は」

 

「ここ、狭いんだよ。今の段階で本体まで出したら、押さえ込む前に余計に揺れるかもしれない」

 

 少しの沈黙のあと、アッシュは短く頷いた。

 

「できる範囲でやれ」

 

 水湊は息を吸った。

 

「同調《シンク》――局所接続」

 

 空気が薄く鳴る。

 

 水湊の前方に小さな光輪が生まれ、その向こうに白銀の装甲が一部だけ覗いた。ヴェネフィルディアの右腕部だけが、狭間とこちらの間に噛み合うように現れる。

 

 観測班の一人が息を呑んだ。

 

「部分顕現……」

 

 説明している余裕はない。

 

 水湊は白銀の指先を槽底へ向けた。触れるというより、位相を合わせる感覚だった。石床の継ぎ目にそっと圧をかけると、ざらついていた感覚がわずかに止まる。

 

 だが、それだけでは足りない。

 

「浅い……」

 

 思わず漏らすと、胸の奥へ短い意志が落ちてきた。

 

 足りぬ。

 

 ヴェネフィスだった。

 

 同時に、ナインが耳を立てる。

 

『下だよ。まだその下に続いてる』

 

 水湊は眉を寄せた。

 

「二重か」

 

「何が見えてる」

 

 アッシュの問いに、水湊はできるだけ早く言葉にした。

 

「表面だけ押さえても駄目だ。下に流れがある。ここを塞いでも、別の場所でまた薄くなる」

 

 リシュアが術式板を覗き込みながら顔を上げた。

 

「反応が広がっています。槽外の旧流路へ続いています」

 

「やっぱりか」

 

 アッシュの声が低く沈む。

 

 市場のように、“ここを止めれば終わる”話ではない。もっと広い。もっと地形に染み込んでいる。

 

 水湊は局所顕現した白銀の腕を通じて、もう一度石床へ感覚を沈めた。

 

 細い。

 けれど、確かに続いている。

 ここから北側へ、古い流路に沿って静かに。

 

「アッシュ」

 

「言え」

 

「ここだけ閉じても意味がない」

 

 水湊は顔を上げた。

 

「今は押さえられる。でも、元を追わないと別の場所でまた出る」

 

 数秒の沈黙。

 

 アッシュは槽底と水湊の顔を見比べ、それから短く決めた。

 

「ここは一時封鎖だ。観測班は流路の追跡を優先。リシュア、記録をまとめろ」

 

「はい」

 

「エリシア!」

 

 外周へ出ていたエリシアが振り返る。

 

「立ち入りを止めろ。水路側も押さえる」

 

「了解」

 

 指示が飛び、現場の空気が一段切り替わった。

 

 討伐ではなく、調査と封鎖。

 この任務の本来の形に戻る。

 

 水湊は局所顕現を維持したまま、慎重に石床の表面をなぞった。完全に閉じるのではなく、表面だけを縫い止める。今はそれで十分だ。無理に押し潰せば、下の流れがどこで噴くかわからない。

 

 やがて水面の震えが収まった。

 

 ざらつきも完全には消えないが、さっきほど露骨ではない。

 

「一時安定しました」

 

 リシュアが告げる。

 

「維持は半日程度が限界かと」

 

「十分だ」

 

 アッシュはそう言い切った。

 

「今日はそれでいい。これ以上は現場でやることじゃない」

 

 たしかにそうだった。

 

 いまここで全部を片づけようとする方が危ない。

 根がある。線がある。

 それがわかっただけでも、今日は十分に重い。

 

 局所顕現を解くと、白銀の腕は音もなく薄れて消えた。

 

 観測班の視線が一気に集まる。完全召喚ではない。それでも十分に異質だったのだろう。

 

 エリシアが戻ってきて、槽の中を見下ろした。

 

「応急処置ね。ほんとに」

 

「それでいい」

 

 アッシュが答える。

 

「今日はそれを見に来た。閉じれば終わる案件じゃないとわかっただけで十分だ」

 

 その言い方に、水湊は少しだけ息を吐いた。

 

 最初から全部を片づけるつもりではなかった。そうわかるだけで、気持ちはだいぶ違う。

 

『嫌だね、こういうの』

 

 ナインが影へ戻りながら言う。

 

『静かなまま広がるやつ、いちばん面倒』

 

「俺もそう思う」

 

 水湊は槽の縁から離れ、外の古びた石畳へ視線を向けた。

 

 朝はもう完全に明けている。王都の方角から、人の動きが少しずつ増えていく気配がある。けれど、その足元で何が進んでいるのかを知っている者は、まだ少ない。

 

 アッシュが近くまで来て、低く言った。

 

「よく拾ったな」

 

「たまたまかもしれない」

 

「二度続けば、軍ではそれを能力と呼ぶ」

 

 妙に軍人らしい言い方だった。

 

 エリシアが小さく息をつく。

 

「これで仕事が減ると思ったのに、逆に増えたじゃない」

 

「おまえの仕事でもあるだろ」

 

「だから嫌なのよ」

 

 そう言いながらも、声の調子は少しだけ軽かった。少なくとも今日は、戦わずに終われる。その事実が現場の空気を少し和らげていた。

 

 だが、水湊の胸の奥には、まだ冷たいざらつきが残っていた。

 

 旧貯水路跡だけでは終わらない。

 あれはたぶん、入口にすぎない。

 

 ヴェネフィスは何も言わない。

 ただ静かに、遠いところで目を開けているような気配だけがある。

 

 そして水湊は、今日ようやくはっきり理解した。

 

 自分が相手にしているのは、裂け目ひとつではない。

 ラ・ギアスの地の下を、静かに広がり始めている何かそのものなのだと。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。