旧貯水路跡の件から二日ほどして、水湊は王城外縁の整備区画へ呼ばれた。
呼び出したのはベルトラン教授だった。
「今日は講義ではないのですか」
工具と魔力灯の匂いが混ざる通路を歩きながら尋ねると、教授は軽く鼻を鳴らした。
「講義のつもりで来てもらってもかまわんよ。だが今日は、少し違う」
前を歩く教授の足取りは、年齢のわりにしっかりしている。杖を持ってはいるが、支えというより癖のようなものらしい。
「違うって?」
「おぬしの機体を、王城側がどう見るか。その整理だな」
その言い方に、水湊は少しだけ眉を寄せた。
どう見るか、というのはつまり、王城内部で話が動いているということだ。旧貯水路跡の件で、ヴェネフィルディアを単なる“使える異物”のまま放ってはおけなくなったのだろう。
案内された先は、訓練中庭ではなく、半ば閉鎖された整備用の広間だった。天井は高く、床には強化石材が敷かれ、周囲に魔力式の測定柱が立っている。格納庫ほど開けてはいないが、個別検証には十分な広さがある。
中にはすでに何人かいた。
セレニア。リシュア。それに王城付の技師らしい男女が二人。さらに、見覚えのある軍服姿――アッシュまでいる。
「えらく揃ってるな」
水湊が言うと、アッシュは腕を組んだまま答えた。
「揃えたんだ。曖昧なまま噂だけ先に歩かれても困る」
噂、という言葉が少し引っかかったが、聞き返す前にセレニアが口を開いた。
「先に言っておくけど、今日は機体をいじり倒すつもりじゃないわ」
「そうしてくれると助かる」
「その代わり、見るべきところは見る」
きっぱりしたものだった。
広間の中央には、すでに術式円が組まれている。水湊はそこへ視線をやり、すぐに意図を察した。
「召喚か」
「全身顕現まで必要かどうかは、出してから考える」
ベルトラン教授がそう言って、書類を一枚持ち上げた。
「王城内で、ヴェネフィルディアの扱いを改めて整理しておく必要がある。あれを何と見なすかで、今後の運用も警戒のされ方も変わるからな」
「何と見なすか、って」
「精霊機なのは間違いない。問題は、どの系統に置くかだ」
水湊はそこでようやく、今日の主題を理解した。
ラ・ギアスでは、機体の分類は単なる名前ではない。属性も、精霊との関係も、そのまま立ち位置になる。ヴェネフィルディアが何者かを整理するのは、王城の都合だけではなく、世界の中での居場所を決めることでもあるのだろう。
『面倒だね』
足元の影から、ナインがぼそりと言う。
「言うなよ。俺もそう思ってる」
『でも、はっきりさせとかないともっと面倒になる』
それも否定できなかった。
水湊は術式円の中央へ進み、息を整える。
「召喚《コール》」
光輪が開き、白銀の輪郭が静かに現れる。
ヴェネフィルディア。
整備広間の中へ立つその姿は、戦闘時よりなおさら異質だった。白銀の装甲は王国工廠製の機体とどこか違う。均整は取れているのに、構造の線が“機械だけで閉じていない”感じがある。背の多層フレームも、翼や推進器というより門の骨組みに近い。
技師の一人が、息を呑んだ。
「やっぱり……近くで見ると印象が変わりますね」
「どう変わる」
アッシュが聞くと、若い技師は少し迷ってから答えた。
「精霊機というより……もっと、境界そのものに近い感じがします」
その表現に、ベルトラン教授が満足げに頷く。
「悪くない」
教授はヴェネフィルディアを見上げたまま続ける。
「四大属性系の精霊機は、どれだけ高位であっても、根の方では世界の理に沿っておる。風は風らしく、炎は炎らしくな。だが、これは少し違う」
「違う、か」
水湊が口にすると、教授は杖先でヴェネフィルディアの足元を示した。
「おぬしの機体は、力を外へ噴き出すというより、境界そのものへ干渉しておる。間合いを折り、位相をずらし、裂け目に触れ、部分顕現まで行う。これは四大属性の延長では、少し説明がつかん」
リシュアも静かに言葉を重ねる。
「術式反応も独特です。魔力の押し引きというより、座標の噛み合わせに近い。王城式で置き換えるなら、空間属性というより、位相・境界干渉型」
「つまり、珍しいってことだな」
水湊がそうまとめると、セレニアが淡々と返した。
「珍しいどころじゃないわ。少なくとも王城の記録では、そう簡単に同列のものは見つからない」
さらりと言うが、内容は重い。
アッシュはヴェネフィルディアの背部フレームを見上げながら、低く口を開いた。
「軍として困るのは、あれをどこと比べて警戒すればいいのかがまだ定まらんことだ」
「それはどういう意味だ」
「噂が出始めている」
水湊が問い返す前に、エリシアのいない場所でその名が出た。
「風の魔装機神と並べて考える声がな」
その言い方だけで、誰を指しているかはわかった。
サイバスター。
風の魔装機神。
マサキ・アンドーの機体。
この世界で、その存在の重みを知らない者の方が少ないだろう。
水湊は少しだけ顔をしかめた。
「それは困るな」
「だろうな」
アッシュはあっさり同意した。
「こっちも困る。王城も困る。だから今日ここで線を引いておく」
線を引く、という言い方は正しかった。
水湊としても、サイバスターと同列に見られたいわけではない。あちらにはあちらの立ち位置があり、ヴェネフィルディアはそこへ割り込むための機体ではない。
ベルトラン教授が、ふっと目を細めた。
「比べること自体は避けられん。魔装機神級の機体が新たに現れれば、誰でもそう考える」
「でも、同じじゃない」
水湊がそう言うと、教授はうなずいた。
「うむ。同じではない。むしろ、同じだと思う方が危うい」
技師の一人が、恐る恐る口を開く。
「では、どう整理するのが正しいのでしょう」
その問いに、セレニアが少し考えてから答えた。
「四大属性系とは別枠。高位精霊の器ではあるけれど、通常の属性分類では処理しきれない。王城内では当面、“位相・境界干渉型の特殊精霊機”として扱うのが妥当でしょうね」
「長いな」
水湊がぼそりと漏らすと、セレニアは平然と返す。
「略したいなら自分でいい名前を考えて」
「投げるなよ」
「分類名なんて大体こんなものよ」
そのやり取りに、広間の空気がほんの少しだけ和らぐ。
だが、教授はそこで話を終わらせなかった。
「もう一つ重要なのは、ナインの方だ」
その一言で、足元の影が揺れた。白銀の小狐が半身だけ現れ、教授を見上げる。
『私?』
もちろん声は教授には届かない。だが、水湊はそのまま通した。
「ナインが何だって?」
「ハイ・ファミリアの補助運用だ」
教授は冊子を一枚めくった。
「街道でも市場でも、貯水路跡でも、おぬしのファミリアは単なる伝令以上の働きをしておる。座標補助、観測補助、攪乱、誘導。つまり、機体の一部機能を外へ伸ばしておるようなものだ」
水湊は少し黙った。
そう言われると、たしかにそうだ。ナインは単なる使い魔ではない。影に潜んで喋る相棒というだけではなく、ヴェネフィルディアの動きとも深く噛んでいる。
リシュアが術式図を示す。
「特に局所接続との相性が良すぎます。あれは操者だけではなく、ファミリア側の補助がある前提で安定しているように見える」
「つまり、二人で一組ってことか」
「かなり近いわね」
セレニアが答えた。
ナインが小さく鼻を鳴らす。
『もっと感謝してくれてもいいと思うけど』
「してるよ。わりと」
『わりと、かあ』
不満そうだ。
そんなやり取りをしているうちに、水湊の中でも少しずつ整理されていくものがあった。
ヴェネフィルディアは白銀の魔装機神だ。
高位精霊ヴェネフィスの器。
けれど、サイバスターのような四大属性の王道とは少し違う。
むしろ、境界や位相の継ぎ目へ手をかける、別の系統の機体。
そして、それを水湊ひとりで扱っているわけでもない。ナインの補助があり、ヴェネフィスの沈黙があり、その全部が噛み合って、ようやく動いている。
王城側がひとまず別枠で整理したがるのも、当然だった。
「……異端だな」
思わずこぼれた言葉に、アッシュが目を向ける。
「嫌か」
「嫌っていうか、納得したって感じだ」
水湊はヴェネフィルディアを見上げた。
「普通の精霊機として扱うには、たぶん無理がある」
「そうだな」
アッシュは短く頷いた。
「だからこそ、役目も別にする。風の魔装機神と張り合うための札ではなく、王城案件と裂け目対応の要として置く」
そこは、かなり大きかった。
サイバスターとは違う。
別の役目を持つ。
王城も軍も、その線をきちんと引くつもりらしい。
ベルトラン教授が満足げに息を吐く。
「これで少しは騒ぎも落ち着くじゃろう」
「落ち着けばいいけどな」
水湊がそう言うと、セレニアが肩をすくめた。
「噂は消えないわよ。ただ、王城の中で整理がついたというだけ」
「十分だろ」
アッシュが言う。
「曖昧なままよりはずっといい」
たしかにそうだった。
王城の中で、軍の中で、ヴェネフィルディアが“何者か”に名前がつく。
それは管理のためでもあり、同時に、異物として切り捨てないためでもある。
広間の向こうで、測定柱の光が静かに落ち着いていく。ヴェネフィルディアは何も言わず、ただそこに立っている。
けれど、胸の奥の冷たい灯がわずかに揺れた。
嫌がってはいない。
少なくとも、王城の整理に対して大きく反発している感じではない。
むしろ――ほんのわずかに、納得に近い静けさがあった。
『気に入った?』
ナインがぼそりと訊く。
「どうだろうな」
『でも、さっきより機嫌悪くないよ』
「おまえのそういう勘、だいぶ当たるんだよな」
『でしょ』
得意そうな声だった。
ベルトラン教授が書類を閉じる。
「では、王城側の整理としてはこうだな。ヴェネフィルディアは四大属性系魔装機神と同列の分類には置かない。位相・境界干渉型の特殊精霊機。王城管理下の別系統案件として扱う」
技師と術官たちがそれを書き留める。
これで決まりらしい。
水湊はヴェネフィルディアを見上げたまま、小さく息を吐いた。
サイバスターの影に隠れるでもなく、張り合うでもなく、別の立ち位置を持つ。
それは、水湊自身にとっても悪くない整理に思えた。
この世界に来てから、何もかもが突然だった。
けれど少なくとも、いま立っている場所だけは少しずつ固まり始めている。
異邦人。
王城管理下の特殊案件操者。
別系統の魔装機神級機。
肩書きは増える一方だが、曖昧なままよりはましだった。
広間を出る前、アッシュが横に並んで低く言った。
「これでしばらくは、“サイバスターの代わり”みたいな見方は減るだろう」
「最初からそのつもりはないんだけどな」
「周りはそう簡単に放っておかん」
もっともだった。
「だから、先に王城側で線を引いた。おまえも変に張り合うな」
「そのつもりはない」
「ならいい」
それだけ言って、アッシュは先に歩き出す。
水湊はその背を見送り、もう一度だけヴェネフィルディアへ意識を向けた。
白銀の輪郭。
沈黙する高位精霊の器。
風の魔装機神とは違う場所に立つ機体。
その違いが、ようやくこの世界の言葉で整えられたのだと思うと、不思議と少しだけ肩の力が抜けた。