魔装機神ヴェネフィルディア   作:深雪ソーマ

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第十六話 噂の風の魔装機神

 その名を、聞き間違えるはずがなかった。

 

 王城外縁の食堂は、昼にはまだ少し早く、席もまばらだった。水湊は木の盆を持って空いた卓につき、ようやく一息ついたところだった。今日の昼は、豆を煮込んだ濃いめのスープに平たいパン、それに塩気の強い干し肉が少し。豪華ではないが、手は抜かれていない。

 

 匙を入れかけたその時、斜め後ろの卓から声が落ちてきた。

 

「……また風の魔装機神が出たらしい」

 

 手が止まった。

 

 顔を向けるほど露骨に聞き耳を立てるつもりはない。けれど、意識まで逸らせるほど器用でもなかった。

 

「西寄りだって話だぞ」

 

「じゃあ操者も一緒か」

 

「そうだろ。あれが単独で飛ぶわけでもない」

 

 風の魔装機神。

 

 その言い回しだけで十分だった。

 

 サイバスター。

 マサキ・アンドー。

 

 神の前でラ・ギアスを選んだ時から、その名は水湊の中にあった。知らないはずがない。この世界を選んだ理由の一つと言っていい。けれど同時に、水湊は最初から思っていた。ここは、自分の知っている物語と同じであって、同じではないかもしれない、と。

 

 ヴェネフィルディアがある時点で、もう違う。

 

『顔に出てる』

 

 足元の影から、ナインがぼそりと言う。

 

「出してない」

 

『出てるよ』

 

 自信満々だった。

 

 その時、向かいの席に盆が置かれた。

 

「隠しごとが下手ね」

 

 エリシアだった。

 

 いつもの調子で当然のように腰を下ろし、スープの匂いを一度だけ確かめてから、水湊を見た。

 

「聞こえたんでしょ」

 

「まあな」

 

「でしょうね」

 

 そこで彼女は少しだけ声を落とした。

 

「風の魔装機神の話」

 

 水湊は少し黙ってから頷いた。

 

「サイバスターだろ」

 

 エリシアの眉が、わずかに動く。

 

「即答なのね」

 

「知らない方が変だ」

 

 それは本音だった。

 

 異邦人だから知らない、という方がむしろ不自然だ。少なくとも水湊は、最初から知っている。知っているからこそ、口を滑らせすぎないようにしているだけだ。

 

「……なるほどね」

 

 エリシアはそれ以上そこを掘らなかった。

 

 王城側も、もう把握しているのだろう。水湊が“何も知らずに落ちてきた”わけではないことくらいは。

 

「で、何があったんだ」

 

 水湊が聞くと、エリシアは匙でスープをひと混ぜしてから答えた。

 

「大きな戦闘があったわけじゃない。西寄りの監視線で、風の魔装機神が出たって報告が流れただけ」

 

「だけ、って顔じゃないだろ」

 

「それはそう」

 

 あっさり認めた。

 

「ただ、厄介なのは戦闘そのものじゃないの。王城が気にしてるのは、その前後で拾われた別の異常よ」

 

 そこで、水湊は少しだけ目を細めた。

 

「裂け目絡みか」

 

「可能性の話だけどね」

 

 エリシアは匙を置いた。

 

「西側の監視線で、妙な揺らぎが拾われてる。まだはっきり裂け目って言い切れる段階じゃない。でも、王城は無関係だと思ってない」

 

 そこまで聞けば十分だった。

 

 サイバスターが動いた。

 その近辺で、別種の異常がある。

 王城がそれを水湊側の案件として見始めている。

 

 話の筋としてはわかりやすい。だが、だからこそ厄介でもある。

 

「おまえ、変な気を回さないでよ」

 

 エリシアがじっとこちらを見る。

 

「何だよ、急に」

 

「“マサキがいるなら”とか、“サイバスターが動いたなら”とか、そういうので前のめりにならないこと」

 

 まっすぐだった。

 

 水湊は思わず苦笑する。

 

「そんな顔してるか?」

 

「少し」

 

「少しか」

 

「かなり、とは言わないであげる」

 

 たぶん、だいぶ出ていたのだろう。

 

 けれど、そこを誤魔化す気にもなれなかった。水湊にとってマサキとサイバスターは、この世界を選ぶ理由の一部だったのだから。

 

「……気にはなるよ」

 

 素直にそう言うと、エリシアは少しだけ目を細めた。

 

「でしょうね」

 

「でも、だからって割り込むつもりはない」

 

 それも本心だった。

 

 知っている。気になる。会えばたぶん、思うところはある。

 けれど、それと勝手に踏み込むことは別だ。

 

「いまのところ、俺の役目はそっちじゃないだろ」

 

 エリシアは数秒だけ黙り、それから小さく息を吐いた。

 

「そこを自分でわかってるならいいわ」

 

 その返事には、少しだけ安堵が混じっていた。

 

「王城の中には、サイバスターとヴェネフィルディアを並べたがる人もいる。でも、現場を見てる人間はそう見ない」

 

「役目が違うからか」

 

「それもあるし、動き方からして別物よ」

 

 彼女は指先で卓を軽く叩いた。

 

「サイバスターがどれだけすごくても、王都の下を這う綻びを読むための機体じゃない。逆に、あんたのヴェネフィルディアはそういうところでこそ厄介なくらい噛む」

 

 それはその通りだった。

 

 比べるものではない。

 王城が先に線を引いたのも、たぶん正しかったのだろう。

 

 その時、食堂の入口の方で空気が動いた。

 

 兵が二人、さりげなく道を空ける。そこへ入ってきたのは、アッシュだった。いつも通りの無駄のない足取りで、まっすぐこちらへ来る。

 

 その後ろに、見慣れない男が一人いた。

 

 年は水湊より少し上だろうか。軍服ではないが、王城の文官とも違う。落ち着いた色の外套を羽織り、腰に短剣を提げている。術官の静けさと、外で動く人間の軽さが同居していた。

 

 アッシュは卓の前まで来ると、余計な前置きなく言った。

 

「少し時間をもらう」

 

「昼飯の途中なんだけどな」

 

「食い終わってからでいい」

 

 そう返してから、後ろの男を示した。

 

「レオンだ。西寄りの監視線と、外郭側の連絡路を見ている」

 

 レオンと呼ばれた男は、短く会釈する。

 

「レオン・ヴァルムだ。名前だけでいい」

 

「久遠水湊」

 

 名乗り返すと、レオンの視線がほんの一瞬だけ足元の影に落ちた。ナインの気配に気づいたのか、ただの癖か。それ以上は読めない。

 

 エリシアが先に聞いた。

 

「西寄りってことは、その件?」

 

「その件だ」

 

 アッシュが短く答える。

 

「風の魔装機神が動いた件と、その近辺で拾われた異常。両方が絡む可能性が出た」

 

 食堂の空気が、この卓だけ少し変わる。

 

 大声を出す話ではない。

 けれど、食事のついでに済ませる話でもない。

 

「ここで全部話すつもりはない」

 

 アッシュは最初からそのつもりらしかった。

 

「ただ、一つだけ先に伝えておく」

 

 その視線が水湊へ向く。

 

「王城は、おまえをサイバスターの件に直接出す気はない」

 

 きっぱりした言い方だった。

 

 少しだけ意表を突かれる。

 

「……いいのか?」

 

「何がだ」

 

「王城の中には、並べて見たがるやつもいるんだろ」

 

 エリシアがさっき言っていたことだ。

 

 アッシュは表情ひとつ変えずに答えた。

 

「いる。だから出さない」

 

 筋は通っていた。

 

「同列に見たがる連中へ、余計な餌を撒く必要はない。おまえはおまえの案件で使う」

 

 その言葉で、胸のどこかが少し落ち着いた。

 

 水湊自身も、サイバスターと張り合いたいわけではない。

 むしろ逆だ。

 役目が違うなら、その違うまま立っていたい。

 

 レオンがそこで初めて口を挟んだ。

 

「もっとも、完全に無関係とも言い切れなくなってきた」

 

 静かな声だった。

 

「西の監視線で拾ったのは、戦闘の余波そのものじゃない。もっと薄い、別のほころびだ」

 

 水湊の目が細まる。

 

「裂け目絡みか」

 

「断定はまだ早い」

 

 レオンはそう前置きしてから続けた。

 

「ただ、王城はそう疑っている。だから、おまえにも先に顔を見せておく必要があると判断した」

 

 顔を見せておく。

 

 その言い方に、水湊は少しだけ納得する。

 

 マサキ本人に会わせるとか、主戦線へ混ぜるとか、そういう話ではない。もっと手前だ。西側の監視線と王城側の案件。その間に立つ人間同士で、先に顔を繋いでおく。

 

「今日はそれだけだ」

 

 アッシュが言う。

 

「詳細は別室で話す。飯を食ったら来い」

 

「急だな」

 

「急で済むうちはまだ軽い」

 

 それは、いかにもアッシュらしい物言いだった。

 

 レオンは小さく肩をすくめる。

 

「こっちも、いきなり協力しろとまでは言わない。ただ、報告を見た時に『誰だそれは』から始まるのが面倒なだけだ」

 

 その言い方には少しだけ人間味があった。

 

 完全に固い相手でもなさそうだ。

 

 アッシュが踵を返す。

 

「食い終えたら来い。場所は伝えてある」

 

「わかった」

 

 二人はそれだけで去っていった。入ってきた時と同じで、無駄のない動きだった。

 

 卓に、少しだけ静けさが戻る。

 

 エリシアがスープを飲み干しながら呟く。

 

「思ったより早かったわね」

 

「何が」

 

「風の方の動きと、こっちが繋がるのがよ」

 

 水湊は少し考えてから、苦く笑う。

 

「まあ、そういう世界だろ」

 

 ラ・ギアスを選んだ時から、いつかはそうなると思っていた。

 サイバスターがいて、マサキがいる世界で、自分だけ完全に別の場所に立ち続ける方がむしろ不自然だ。

 

 ただ、その接続が“主役の横に並ぶ形”ではないことに、少しだけ安心している自分もいた。

 

『会う日は近そうだね』

 

 ナインが影の中で言う。

 

「かもな」

 

『嬉しい?』

 

 少しだけ考える。

 

 嬉しい、だけでもない。怖い、だけでもない。

 知っている名前が、現実の向こうから近づいてくる。

 その重みは、思っていたよりずっと生々しい。

 

「……気にはなる」

 

 それが、いま言えるいちばん正直な答えだった。

 

 エリシアが立ち上がる。

 

「じゃ、あんまり変な顔しないうちに行きなさい」

 

「失礼だな」

 

「してるわよ」

 

 そう言って彼女は先に食堂を出ていく。

 

 残された卓で、水湊は冷めかけたスープを飲み干した。

 

 サイバスター。

 マサキ・アンドー。

 その名は最初から知っていた。

 

 知っていたからこそ、軽く扱う気にはなれない。

 そして、知っている話と現実が同じとは限らないことも、もう十分わかっていた。

 

 ここから先、風の魔装機神の話はきっと近づいてくる。

 けれど今はまだ、その横で静かに広がる綻びの方が、水湊の手に触れているものだった。

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