魔装機神ヴェネフィルディア   作:深雪ソーマ

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第一話 白い場所で、ひとつ選ぶ

 死んだのだと理解したのは、ずいぶん遅れてからだった。

 

 痛みはなかった。恐怖も、思っていたほどではない。むしろ妙に静かで、自分だけが世界から半歩外れたような感覚の方が強かった。

 

 目を開けると、そこは白かった。

 

 本当に、白いだけの場所だった。

 

 床も壁も空もない。ただ果てのない白が広がっていて、その中に自分だけが立っている。立っているはずなのに、足の裏には重さが曖昧で、自分がどこまで身体を持っているのかも少し怪しい。

 

「……これ、死後の世界ってやつか」

 

『そう考えてもらって差し支えありません』

 

 返事は、背後から聞こえた。

 

 水湊が振り向くと、そこには一人の男が立っていた。黒い服を着た、年齢不詳の男だ。若く見えなくもないし、ひどく老成しているようにも見える。顔立ちは整っているのに、視線を外すと印象が薄れる。不思議な存在感だった。

 

 いかにも神です、という仰々しさはない。けれど、人間ではないのだろうと直感できる何かがあった。

 

「そういう……人?」

 

『人ではありませんが、いまはその認識で十分です』

 

「便利な言い方だな」

 

『ええ。便利でしょう』

 

 水湊は思わず鼻で笑いかけて、途中でやめた。笑っていい場面なのか、自分でもよくわからなかったからだ。

 

 最後に覚えているのは、夜の道路と、強い光と、身体が浮くような衝撃だった。そこから先の記憶はない。つまり、そういうことなのだろう。

 

「で、俺は死んで、ここにいる」

 

『はい』

 

「じゃあ、これから裁かれるとか?」

 

『その予定はありません』

 

「意外と軽いな……」

 

 男――神は少しだけ目を細めた。

 

『あなたは死にました。ですが、そのまま終わらせるには少し惜しい縁がありました。ですから、ひとつ選択肢を用意しました』

 

 その言葉で、水湊はようやくこの状況の“本題”を察した。

 

 都合のいい話には、都合のいい裏がある。そういうものだ。少なくとも、自分の知っている物語ではたいていそうだった。

 

「もう一回、生きるとか?」

 

『ええ』

 

「代わりに何をしろって?」

 

『特別な使命を課すつもりはありません。ただし、行き先はこちらでいくつか用意します。あなたにはそれを選ぶ権利がある』

 

 神が指先を軽く動かした。

 

 白い空間のあちこちに、透明な板のようなものが浮かび上がる。いや、板ではない。窓だ。世界の断片が、その向こうに映っていた。

 

 剣と魔法の国。荒れた大地を巨大兵器が進む戦場。未来都市。見たことのない空。知っている作品に似た世界もあれば、まったく心当たりのない景色もある。

 

 どれも現実ではない。けれど、どれも現実になり得る場所としてそこにあった。

 

「……選べって、また雑だな」

 

『慎重に調整はしています』

 

「そうは見えないけど」

 

『見えないようにしています』

 

 開き直ったような返答に、水湊は肩を落とした。

 

 だが実際、選択肢を前にすると妙な高揚があった。怖さはある。あるが、それ以上に、ただの現実では終わらないという予感が胸の奥をざわつかせる。

 

 視線が自然とひとつの窓に吸い寄せられた。

 

 巨大な地下世界。石造りの街並み。魔法。精霊。魔装機。

 

 白い機体が一瞬だけその奥を過ぎる。

 

 ラ・ギアス。

 

 魔装機神の世界。

 

 水湊はしばらく黙って、その景色を見つめた。

 

『気になりますか』

 

「まあ……そりゃ」

 

『あまり生存性の高い世界ではありません。戦乱も多い。政治も複雑です。独自の文化圏でもあります』

 

「ロボットがいる」

 

『います』

 

「精霊もいる」

 

『います』

 

「魔法もある」

 

『あります』

 

 水湊は小さく息を吐いた。

 

 安全そうな世界を選ぶべきなのかもしれない。もっと穏やかに暮らせる場所も、探せばあるのだろう。けれど、どこまで考えても、視線はそこから離れなかった。

 

 結局、自分はそういう人間なのだ。

 

「……ラ・ギアスで」

 

 口に出した途端、胸の奥の何かが静かに決まる。

 

「そこにする。たぶん、一番後悔しない」

 

 神は一度だけ瞬きし、それから穏やかに頷いた。

 

『では、行き先をラ・ギアスに確定します』

 

 他の窓が消え、地下世界の光景だけが残る。

 

 それを見ているうちに、水湊は妙な実感を覚え始めていた。まだ行ってもいないのに、そこがもう“次の世界”になっている感覚だ。

 

『ただし、そのまま放り込むわけにはいきません』

 

 神の声が少しだけ硬くなる。

 

『ラ・ギアスは異邦人に優しい世界ではない。言葉、知識、立場、戦う力。そのどれもないまま送れば、長くは持たないでしょう』

 

「つまり、何かはくれるんだ」

 

『最低限の足場は与えます』

 

 神の指先が水湊の胸元へ向いた。

 

『まず、高いプラーナ。魔装機神級の機体と繋がれるだけの素養を』

 

 見えない何かが、胸の中心へ落ちた気がした。熱ではない。だが内側にもうひとつ灯がともるような感覚がある。

 

『次に、空間属性への親和性。あなたは世界を渡る素地が強い。その資質を、使える形へ整えます』

 

「世界を渡る、って……やっぱりそういう前提なんだな」

 

『可能性は高いでしょう』

 

 それもまた、胸の奥へ沈む。

 

 次は冷たかった。冷たいのに嫌ではない。目に見えない水の膜が、骨の内側へ沿うように広がっていく。

 

『そして、精霊感応』

 

 その一言だけで、白い空間がわずかに揺らいだ。

 

『精霊や精霊機の意志を、意味として受け取る資質です。万能ではない。ですが、おそらくあなたには必要になる』

 

 今度は痛みに近い刺激が走った。

 

 視界の端で、何かの輪郭が増える。白い空間は変わらないはずなのに、見えていなかった“薄い継ぎ目”がそこかしこに現れる。空気の流れでも物の形でもない。ただ、世界が重なっている感じだけが増した。

 

 水湊は思わずこめかみを押さえた。

 

「っ……これ、慣れるのか」

 

『慣れるでしょう。たぶん』

 

「神様が“たぶん”って言うなよ……」

 

 抗議した声に、神は特に悪びれなかった。

 

『最後に、足元をひとつ』

 

 神の足元から、静かに影が広がる。

 

 白しかない場所に生まれた黒は、それだけで異様だった。水湊が見ている前で、その影は膨らみ、小さな獣の形を取っていく。

 

 先に現れたのは、白い耳だった。

 

 続いて小さな顔。細い四肢。青白い目。影の中から這い出してきたのは、雪ではなく銀でできたような、小さな狐だった。

 

 白銀の小狐は、水湊を見上げたまま瞬きひとつしない。

 

「……狐?」

 

『あなたの精神、無意識、プラーナの一部を切り出して実体化させたファミリアです』

 

「すごい説明をさらっと言うな……」

 

 小狐は神の説明など知ったことかと言わんばかりに、水湊へ近づき、足元を一周してから影の中へ半分だけ沈んだ。

 

『主人の認識と性質を反映します。高い知能を持ち、機体補助、精神的支援、戦闘支援を担うでしょう』

 

「つまり相棒か」

 

『そう理解して構いません』

 

 小狐が足元の影から顔だけ覗かせる。白いのに影に馴染んでいるのが、妙に不思議だった。

 

『名前は、あなたが』

 

「いま決めるのか」

 

『いま決めます』

 

 雑だな、と水湊は思ったが、しゃがみ込んで小狐と目を合わせる。

 

 小さい。だが幼い感じはない。むしろ最初から完成された存在が、ただ小さく顕れているような違和感がある。白銀の毛並みの向こうに、かすかな残像のような尾の重なりが見えた気がした。

 

 一つではない。ほんの一瞬だけ、複数に見えた。

 

「……ナイン」

 

 思いつくより先に口に出していた。

 

 小狐の耳がぴくりと動く。

 

『安直ですね』

 

「うるさいな」

 

 神に言い返すと、小狐――ナインはようやく一度だけ目を細めた。嫌がってはいないらしい。

 

『では、その名で固定します』

 

「便利なシステムだな……」

 

 ぼやいた水湊の言葉を最後まで聞かず、神は今度は別の方角へ視線を向けた。

 

 白い空間の奥に、細い裂け目が走る。

 

 それはゆっくりと広がり、やがて門のような形を取った。向こう側には、深い蒼が広がっている。海の底に似ているのに、水ではない。夜より暗く、それでいて静かな光が脈打っている。

 

 その奥から、強い圧が届いた。

 

 見ている。

 

 そう感じた瞬間、胸の奥が大きく打つ。

 

『これが最後です』

 

 神の声が、さっきまでより遠く聞こえた。

 

『あなたがラ・ギアスで掴むべき縁。その前段階として、ここでひとつだけ接触を許します』

 

 門の向こうで、何か巨大なものが動いた。

 

 全身は見えない。白銀の輪郭。装甲。門の骨組みめいた背部フレーム。機体――それも、ただの機体ではない。そこにあるだけで、世界の布が引きつるような存在感。

 

 だが本当に水湊の意識を奪ったのは、その奥にいた“意志”の方だった。

 

 静かだ。

 

 薄くて、深くて、冷たい。

 

 押しつけるような暴力性ではなく、こちらの芯まで見通すような鋭さを持つ意志が、門の向こうから差し込んでくる。

 

 言葉ではない。

 

 それでも、水湊には意味がわかった。

 

 選んだのか。

 

 胸の内へ直接落ちてきたその感覚に、思わず息が止まる。

 

『空間の高位精霊、ヴェネフィス』

 

 神が名を告げた。

 

『そして、あれがその器――魔装機神ヴェネフィルディアです』

 

 水湊は門の向こうの白銀機を見上げた。

 

 呼吸ひとつするだけで、胸の灯と空間の冷たさが同時に震える。精霊感応。さっき与えられたばかりのその資質が、否応なくヴェネフィスの存在を拾っているのだとわかった。

 

 再び、意味が落ちる。

 

 まだではない。

 

 この場では与えない。

 

 その二つだけで十分だった。

 

 神が代わりに言葉を継ぐ。

 

『ヴェネフィルディア本体を、いまここであなたへ渡すことはしません。あくまで、資格と接触だけです』

 

「……試されるってことか」

 

『ええ』

 

 門の向こうから、もうひとつ意味が届く。

 

 今度は、より明確だった。

 

 ラ・ギアスで我が器へ辿り着け。

 

 乗りこなしてみせろ。

 

 挑発に近い意思だった。

 

 命令とも、試練とも取れる。優しさはない。だが拒絶でもなかった。

 

 水湊はしばらく黙って、その圧を受け止めた。

 

 最初から全部もらえるわけではない。辿り着き、試され、認められて、はじめて手に入る。そういう話なら、むしろ納得できた。

 

「……わかった」

 

 自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。

 

「そこまで言うなら、見つけて、乗って、使いこなしてみせる」

 

 門の向こうの圧が、ほんのわずかだけ変わる。

 

 笑ったようにも、気に入らなかったようにも感じる。どちらにせよ、こちらの答えは届いたらしい。

 

 ナインが足元の影からぴょこんと顔を出した。

 

『言ったね、水湊』

 

「聞いてたのか」

 

『全部』

 

「なら手伝えよ」

 

『最初からそのつもりだよ』

 

 神が一歩下がる。

 

『準備は終わりました』

 

 白い空間が、ゆっくりと薄れていく。

 

 世界が剥がれる前触れだった。

 

『ラ・ギアスは、あなたにとって始まりの世界になります。生き延びられるかどうかは、あなた次第です』

 

「またそういう言い方する」

 

『事実ですので』

 

 神らしい容赦のなさに、水湊は苦笑した。

 

 だが不思議と、嫌な気はしなかった。優しく送り出されるより、このくらいの方が自分には合っている気がしたからだ。

 

 門の向こうのヴェネフィスは、最後まで何も言わなかった。

 

 ただ、静かな意志だけがそこにある。

 

 辿り着け、と。

 

 証明してみせろ、と。

 

 それだけが、胸の内に焼きついている。

 

「……行くか」

 

 呟くと同時に、足元の白が崩れた。

 

 落ちる感覚はない。世界の輪郭だけが反転し、自分という線がどこか遠くへ引き延ばされる。肩には軽い重み。ナインがいる。胸の奥には灯。骨の内側には空間の冷たさ。

 

 そして、まだ見ぬラ・ギアスのどこかには、白銀の魔装機神が待っている。

 

 そうして久遠水湊は、次の世界へ落ちていった。

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