マサキたちとの顔合わせが終わったあと、水湊はそのまま解放されなかった。
予想はしていた。
あの場は、ただ挨拶を済ませて終わる空気ではなかったからだ。
王城外縁の廊下を一つ曲がり、さらに奥へ通される。案内されたのは、何度か使っている作戦室だった。壁一面の地図、机の上の記録板、魔力灯の白い光。もう見慣れたはずなのに、ここへ来るたび少しだけ胃が重くなる。
部屋の中には、すでに顔ぶれが揃っていた。
アッシュ、セレニア、エリシア、リシュア、レオン。それに軍務局の文官が一人、王城側の術官が二人。数は多くないが、今日もまた、軽い話ではなさそうだった。
「座れ」
アッシュに促され、水湊は長机の端へ腰を下ろす。
椅子に背を預ける間もなく、セレニアが机上の地図を広げた。
「結論から言うわ」
こういう時の彼女は、だいたい前置きがない。
「西側の件を受けて、王城は裂け目・位相異常案件の専任班を切ることにした」
水湊は一瞬だけ言葉を待った。
専任班。
つまり、場当たり的に人を集めるのではなく、最初から役割を分けて動くということだ。
レオンが地図の西側を指先で押さえる。
「表で大きな戦闘が起きた時、その余波に紛れて別の異常が差し込まれる可能性が出た。そうなると、主戦線を追っている側と、綻びを追う側を分けた方が早い」
「混ぜると遅れる、ってことか」
水湊が聞くと、アッシュが短く頷いた。
「そうだ。片方が敵を抑え、片方が地形と異常を追う。両方を一つの現場でやらせるには、荷が重すぎる」
それはわかる。
サイバスターのような正面戦闘の切り札と、王都の下を這う裂け目を読む役目は、同じ場にあってもやることが違いすぎる。
エリシアが腕を組んだまま言う。
「だから、あんたを軸にした別働隊を作るって話」
言い方がずいぶんあっさりしていた。
だが、内容は重い。
「俺を軸に?」
「嫌なの?」
「嫌っていうか……早いな」
「遅いよりはましでしょ」
そう返しつつも、エリシアの目は少しだけ真面目だった。軽く言ってはいても、彼女自身、この話を軽くは見ていないのだろう。
文官がそこで書類をめくった。
「正式な隊号を与える段階ではありません。現状は王城直轄の暫定編成です」
「呼び方はどうでもいい」
アッシュが言う。
「重要なのは、誰が何をするかだ」
その言葉で、部屋の空気が少し引き締まる。
レオンが先に口を開いた。
「西側監視線の観測と、王都周辺の異常追跡は俺が持つ。外側の巡回線と古い連絡路にも人を回す」
続いてリシュア。
「王城術官側は、観測記録と封鎖術式の維持。現場での結界補助もこちらで担当します」
「巡察隊は?」
水湊が聞くと、エリシアが肩をすくめた。
「私が出るに決まってるでしょ。街道からずっと見てるの、こっちなんだから」
「自分で言うんだな」
「言うわよ。その方が早いもの」
そこは、たしかにそうだった。
誰が橋渡し役になるかで言えば、いまのところエリシア以上に都合のいい人間はいない。
最後に、アッシュの視線が水湊へ向く。
「おまえの役目は三つだ」
短いが、逃がさない言い方だった。
「一つ、異常の先読み。二つ、現場での局所対応。三つ、ヴェネフィルディアを使うかどうかの判断材料を出すこと」
「最後は俺が決めるのか」
「最終判断は現場指揮官だ」
そこははっきりしている。
「だが、おまえの感応と機体の反応がなければ、こちらは何も決められん場面が出る」
それはそうだろう。
旧貯水路跡も、西側監視線も、王城側の観測だけでは見切れなかった。だから水湊がここにいる。
セレニアが補足する。
「勘で全部を回すつもりはないわ。でも、勘にしか見えないものが、すでに二度当たっているのも事実よ」
「三度目からは勘じゃなくて能力扱いってやつか」
水湊が言うと、アッシュがわずかに目を細めた。
「覚えていたか」
「言われたからな」
そこで部屋の空気がほんの少しだけ緩む。
文官が書類を閉じた。
「編成としては五名を基幹とします。現場ごとに兵と術官を追加。基幹は、アッシュ隊長、エリシア巡察官、術官リシュア、監視線担当レオン、そして久遠水湊」
読み上げられると、さすがに実感が出る。
別働隊。
暫定編成。
王城直轄。
肩書きだけ見れば、またひどく面倒なところへ来た気がする。
『似合ってるんじゃない?』
ナインが影の中で言った。
「何がだよ」
『表で派手に戦う隊よりは、こっちの方が』
否定しきれないのが癪だった。
レオンが腕を組んだまま言う。
「勘違いするなよ。これはおまえを信用したって話じゃない」
「わかってる」
「必要だから同じ枠に入れる。それだけだ」
「それでも十分だろ」
そう返すと、レオンは一瞬だけ黙り、それから小さく息を吐いた。
「……まあな」
その返しで、少しだけ人となりが見えた気がした。
不愛想だが、理屈で動く。
アッシュとはまた少し違うが、現場寄りなのは同じだ。
エリシアが水湊を見た。
「で、どうするの?」
「どうするって?」
「嫌なら嫌で、いま言いなさいってこと」
からかいではなかった。
本気で確認している声だった。
水湊は少しだけ考える。
王城に保護され、管理され、使われる。
そこに抵抗がないわけではない。
だが、旧貯水路跡と西側監視線を見た今、知らないふりをして離れられるほど器用でもない。
「……やるよ」
そう答えると、エリシアは一度だけ頷いた。
「ならいい」
それだけだった。
けれど、それで十分だった。
アッシュが地図の中央、王都周辺の印を順に示す。
「しばらくは三方面を並行して追う。旧貯水路跡、西側監視線、それから王城下水路網との照合だ」
「下もやるのか」
「むしろ下が本命かもしれん」
アッシュは淡々と言う。
「旧貯水路跡の線がどこまで繋がっているか、まだ切れていない」
リシュアが記録板を差し出した。
「術式図を重ねた限りでは、王都下層の古い流路と一部が近すぎます。偶然で済ませるには厳しいかと」
ぞっとしない話だった。
王都の下。
人の暮らしの足元。
そこを裂け目の線が這っているかもしれない。
レオンが机上の西側地図を叩く。
「こっちは楔の回収方法を詰める。放っておくのは危険だが、無理に抜けば開く。王城術官だけじゃ足りん」
自然と、全員の視線が水湊へ向く。
水湊は息を吐いた。
「わかったよ。必要なら行く」
「必要だから言ってるのよ」
セレニアの返しは容赦がない。
だが、それくらいでちょうどいいのかもしれない。
会議はそこから、現実的な話に移った。
出動許可の系統。
保護区画からの呼び出し手順。
別働隊への連絡方法。
局所接続を使う際の術官立ち会い。
完全召喚に切り替える判断基準。
派手さはない。
だが、こういう地味な話があるからこそ、別働隊は“思いつきの寄せ集め”ではなくなるのだろう。
ひと通り決まった頃には、魔力灯の色が少し変わっていた。時間が思った以上に流れている。
最後に、アッシュが書類を一枚、水湊の前へ置いた。
「仮運用規定だ。今日から適用する」
見ると、書いてあることは大きくは変わらない。単独行動禁止、現場判断の共有、無断召喚禁止。ただ、その末尾に一行だけ増えていた。
王城直轄別働任務への参加を許可する。
その一行を見た時、不思議と少しだけ現実味が増した。
水湊は書類を置き、顔を上げる。
「これで、俺は正式に裏方ってことか」
「不満?」
エリシアが聞く。
「いや」
水湊は首を振った。
「たぶん、その方が向いてる」
アッシュがわずかに口元を動かす。
「私もそう思う」
「おい」
「冗談ではない」
冗談に聞こえにくいのが、この男の困るところだ。
けれど、その評価を不思議と悪く思わない自分もいた。
サイバスターが正面で風を切るなら、ヴェネフィルディアは綻びの裏へ手をかける。
同じ世界にいて、役目は違う。
それでいい。
会議が終わり、立ち上がったところで、レオンがふと振り向いた。
「明日から忙しくなるぞ」
「今日までは違ったみたいな言い方だな」
「今日までは、まだ前座だ」
その言い方は、少しだけ本気で嫌だった。
だが、嘘でもないのだろう。
西側の楔。
王都地下の線。
そして、まだ姿を見せない“向こう側”。
どれも、これから先の火種だ。
部屋を出ると、廊下の空気が少しひんやりしていた。王城の石壁は、時間を問わず体温を奪う。
『別働隊、だって』
ナインが楽しそうに言う。
「他人事みたいだな」
『半分はそうだし。半分は水湊と一緒だけど』
「どっちだよ」
『両方』
白銀の小狐らしい、曖昧な答えだった。
けれど、水湊は少しだけ笑った。
王城管理下の異邦人。
裂け目案件の専門戦力。
そして、王城直轄の別働隊。
肩書きは増えた。
面倒も増えた。
それでも、いまの自分がどこに立っているのかは、前よりずっとはっきりしていた。
胸の奥で、冷たい灯が静かに揺れる。
ヴェネフィスは何も言わない。
だが、その沈黙が拒絶ではないことくらいは、もうわかる。
だから水湊は、王城の長い廊下を歩きながら、小さく息を吐いた。
ここから先は、きっともう少し忙しくなる。
そしてたぶん、もう少し深いところまで、この世界の綻びに触れていくことになる。