魔装機神ヴェネフィルディア   作:深雪ソーマ

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第二十話 裏手の火種

 別働隊としての初任務は、思っていたより早く来た。

 

 翌々日の夕刻。

 水湊が保護区画の資料室で、旧流路の図面を半ば睨むように眺めていた時だった。

 

 扉が二度叩かれ、返事をするより先にエリシアが顔を出す。

 

「来たわよ」

 

「何が」

 

「任務」

 

 それだけで十分だった。

 

 水湊は机の上の紙を閉じる。足元の影が揺れて、ナインが小さく尻尾を動かした。

 

『早かったね』

 

「早い方が嫌な予感しかしないな」

 

『それはいつもだよ』

 

 まったく慰めにならない。

 

 作戦室へ入ると、もう全員揃っていた。アッシュ、リシュア、レオン、エリシア。長机の上には王都南西部の地図が広げられ、その一角に赤い印が三つ打たれている。

 

 アッシュがすぐに本題へ入った。

 

「南西の旧搬送路だ。観測班が小規模な揺らぎを二件拾った」

 

「西側の続きか?」

 

「続きというより、同じ手口の疑いだ」

 

 答えたのはレオンだった。

 

「人目の少ない古い路線。しかも、今夜は表で少し派手な動きがある」

 

 その言い方で、水湊は察した。

 

「陽動か」

 

「その可能性が高い」

 

 アッシュが頷く。

 

「表で目を引く動きがあれば、裏の異常は見落とされやすい。西でやられかけたばかりだ。同じ轍は踏まん」

 

 机上の地図へ目を落とす。

 

 旧搬送路は、王都外縁から資材搬入に使われていた古い通路らしい。いまは半ば放棄され、点検も最低限になっている。こういう場所は、たしかに何かを仕込むには都合がいい。

 

 セレニアはいない。代わりにリシュアが術式板を示した。

 

「反応はまだ弱いです。裂け目と言い切るには早い。ただ、二点が近すぎます」

 

「偶然で済ませにくい、ってことか」

 

「そういうこと」

 

 エリシアが壁に寄りかかったまま言う。

 

「今回は最初から別働隊案件。主戦線の増援は期待しないで」

 

「期待してないよ」

 

「ならよし」

 

 水湊は地図を見ながら尋ねた。

 

「目的は?」

 

 アッシュが短く答える。

 

「確認、封鎖、必要なら回収」

 

「回収?」

 

「西で見つけたような楔があるなら、今度は持ち帰る」

 

 それはつまり、西側より一歩踏み込むということだ。

 

 下手をすれば開く。

 だが、放置すれば広がる。

 だから今度は、見て終わりではない。

 

 レオンが低く言う。

 

「二点同時に出てるのが厄介だ。片方が囮の可能性もある」

 

「分かれるのか」

 

「いや、まだ分けない」

 

 アッシュが先に切った。

 

「最初は全員で南側へ入る。様子を見てから切る」

 

 その判断は妥当だった。

 

 初動で人数を割ると、片方が本命だった時に困る。別働隊は少数だ。少数である以上、最初の寄せ方を間違えたくない。

 

 水湊は頷いた。

 

「了解」

 

 出動は日が落ちてからになった。

 

 王都の夜は、昼より静かだ。だが静かなだけで、眠っているわけではない。灯りは消えず、兵は巡回し、どこかで魔力灯の交換作業が行われている気配もある。その足元を、別働隊は目立たぬよう外縁寄りへ進んだ。

 

 南西の旧搬送路は、思っていたより荒れていた。

 

 幅の広い石路の両脇に、崩れた荷揚げ台や倉庫跡が並ぶ。使われなくなって久しいのだろう。石の継ぎ目には土が溜まり、ところどころ雑草のような地底植物が根を張っていた。

 

「こういう場所、ほんと好きよね」

 

 エリシアが周囲を見回しながら言う。

 

「誰が」

 

「綻びを作る連中がよ。目が届きにくくて、人が寄らない」

 

「否定できないな」

 

 水湊はそう返しつつ、意識を少しだけ開いた。

 

 冷たいざらつきは、まだ遠い。

 だが、何もないわけではない。

 

 ナインが影の中で小さく言う。

 

『左の方が気になる』

 

「俺もだ」

 

 前を歩いていたアッシュが振り向く。

 

「何かあるか」

 

「左の脇道。まだ薄いけど、空気が嫌だ」

 

 それだけで全員の動きが変わる。レオンが先行し、リシュアが術式糸を解く準備に入る。エリシアは兵二人へ手短に位置を指示した。

 

 こういう時、話が早いのは助かる。

 

 脇道の先には、半ば崩れた搬入口があった。石の門柱だけが残り、その奥に短い通路が続いている。床には古い車輪の跡のような溝が刻まれたままだ。

 

 水湊は入口の手前で足を止めた。

 

「ここだな」

 

 レオンが一歩横に並ぶ。

 

「見えるか」

 

「見えるほどはっきりじゃない。でも、近い」

 

 旧貯水路跡のように地の下へ染みる感じではない。

 西側監視線のように風に混じる感じでもない。

 もっと狭い場所に、無理やり押し込めたような歪み方だった。

 

「……奥だ」

 

 水湊がそう言うと、リシュアの術式板にも反応が出た。

 

「拾えました。小さいですが、確かにあります」

 

「一つか?」

 

 アッシュの問いに、水湊は首を振る。

 

「いや……待て」

 

 通路の奥だけではない。もっと手前にも、かすかな違和感がある。一本ではない。間隔を空けて、二か所。

 

「二つある」

 

 その瞬間、エリシアが短く舌打ちした。

 

「やっぱり」

 

 レオンがすぐに周囲へ目を走らせる。

 

「片方が目印、片方が本命か」

 

「逆かもしれない」

 

 水湊は眉を寄せたまま言う。

 

「こっちは、まだ判断しにくい」

 

 アッシュが即座に決めた。

 

「分ける。エリシア、兵一名と入口側。リシュアは水湊と奥。レオンは私と外周」

 

「了解」

 

 散るのが早い。

 

 別働隊として決まったばかりなのに、動きそのものはすでに形になり始めていた。

 

 水湊はリシュアと一緒に通路の奥へ進む。足音が石壁に小さく反響する。狭い。ヴェネフィルディアの全身を出す場所ではないと、入った瞬間にわかった。

 

「さっきの二つ、はっきりわかりますか」

 

 リシュアが小声で聞く。

 

「奥の方が濃い。手前は薄いけど、嫌な感じがする」

 

「繋がっていますか」

 

「……たぶん」

 

 言い切れない。だが、別物でもない気がした。

 

 通路の最奥は、小さな荷置き場のような空間になっていた。壁が一部崩れ、古い木箱の破片が積もっている。その床のひび割れの一か所だけ、妙に暗く見えた。

 

 見た目の暗さではない。

 そこだけ、光が沈む。

 

「ここだ」

 

 水湊がしゃがみ込む。

 

 リシュアも術式板を床へ向けた。

 

「反応、上がってます」

 

 水湊はゆっくり息を吸った。

 

 ある。

 間違いなく、ある。

 

 しかも今度は西側の時のような“向こうへ開きかけている遠さ”ではなく、もっと手触りが近い。誰かが境界の継ぎ目へ、何かを押し込んで固定しようとしている感じだった。

 

「楔だな」

 

 思わず口にすると、リシュアが顔を上げる。

 

「触れますか」

 

「触るだけなら」

 

「抜くのは」

 

「まだ危ない」

 

 その返事をした直後、耳の奥で小さな音がした。

 

 外だ。

 

 アッシュたちのいる方角から、短い金属音が響く。

 

 リシュアの表情が変わる。

 

「入口側で何か――」

 

「囮だ」

 

 水湊は反射的に言った。

 

 その言葉とほとんど同時に、床のひびの奥で何かが脈打つ。

 

「っ、来る」

 

 水湊は右手をかざした。

 

「同調《シンク》――局所接続」

 

 白銀の光輪が開き、ヴェネフィルディアの右腕部だけが現れる。狭い空間に白銀の装甲が差し込まれ、それだけで空気がぴんと張る。

 

 水湊はその指先をひび割れの縁へ合わせた。

 

 押さえる。

 まだ抜かない。

 まず、開かせない。

 

 黒い靄が一瞬だけにじみかけ、そこで止まった。

 

「持ちこたえてる……」

 

 リシュアが息を詰める。

 

 その瞬間、外からエリシアの声が飛んできた。

 

「水湊! そっちが本命! こっちはただの撒き餌!」

 

「やっぱりか!」

 

 返しながら、水湊はひびの奥へ意識を沈める。

 

 楔そのものは小さい。

 だが、その刺さり方が悪い。

 無理に抜けば、一気に噛み合わせが崩れる。

 

 胸の奥へ、短い意志が落ちてきた。

 

 まだだ。

 

 ヴェネフィスだった。

 

 水湊は小さく息を吐く。

 

「リシュア、固定できるか」

 

「時間をもらえれば」

 

「どれくらい」

 

「三十秒」

 

「長いな」

 

「短くします」

 

 その返しに、少しだけ笑いそうになった。

 

 けれど、その三十秒が長いのも事実だ。

 

 外ではもう足音が近づいてくる。アッシュとレオン、それにエリシアたちも戻ってくるのだろう。

 

 水湊は局所接続を保ったまま、慎重に力を調整する。強く押さえればいいわけじゃない。少しでも噛み合わせを間違えると、そのまま開く。

 

『左に少し』

 

 ナインが言う。

 

「わかってる」

 

『いや、わかってない。もうちょいだけ』

 

「細かいな」

 

『細かいのは得意なんで』

 

 その助言に従い、白銀の指先をほんのわずかにずらす。

 

 すると、ひびの奥のざらつきが少しだけおとなしくなった。

 

「いまです」

 

 リシュアが術式糸を走らせる。床の周囲に細い光が幾重にも巡り、ひび割れの縁を囲い込んだ。

 

 その直後、アッシュたちが奥へなだれ込む。

 

「状況は」

 

「本命はこっち。入口側は誘導だ」

 

 水湊が言うと、エリシアが顔をしかめた。

 

「ほんとに趣味悪いわね」

 

「抜けるか」

 

 アッシュの問いに、水湊はすぐには頷かなかった。

 

 だが、さっきよりはましだ。術式固定が入ったぶん、楔の周囲が少しだけ見やすい。

 

「……いけるかもしれない」

 

「確実か」

 

「そんなの誰にもわからない」

 

 思わずそう返すと、アッシュは短く頷いた。

 

「正直でいい。なら、おまえの判断でやれ」

 

 その言葉は、思ったより重かった。

 

 現場指揮官がそう言うということは、本当にこちらへ任せたということだ。

 

 水湊はひび割れを見下ろし、胸の奥の冷たい灯へ意識を沈める。

 

 ヴェネフィスは黙っている。

 止める気配はない。

 なら、やるしかない。

 

「少しだけ持ち上げる」

 

 誰にともなく言って、水湊は白銀の指先をひび割れの奥へ滑り込ませた。

 

 触れる。

 

 硬い。

 冷たい。

 形が歪だ。

 

 術具というより、削り出した何かを無理やり噛ませた感じだった。

 

「……抜くぞ」

 

 静かに引く。

 

 途端に、空間がきしむ。

 

 全員の気配が張る。

 

 だが、リシュアの固定が利いている。水湊は焦らず、ほんの少しずつ力をかけた。

 

 やがて、黒ずんだ短い杭のようなものが、ひびの奥から姿を現した。

 

「抜けた!」

 

 エリシアが叫ぶ。

 

 同時に、ひび割れの奥から黒い靄が一度だけ噴きかける。だが水湊はそのまま白銀の腕を押し込み、縁ごと噛み合わせを戻した。

 

 ぶつり、と音がした気がした。

 

 そこで、ようやく静かになる。

 

 全員が数秒、その場で動かなかった。

 

 先に口を開いたのはレオンだった。

 

「……閉じたな」

 

 リシュアが術式板を見て頷く。

 

「はい。完全ではありませんが、少なくともこの場は沈みました」

 

 水湊はゆっくりと局所接続を解く。白銀の腕が薄れて消えると、ようやく肩から力が抜けた。

 

 アッシュが水湊の手元を見る。

 

「それか」

 

 抜き取った楔は、拳に収まる程度の大きさだった。黒く、ざらついた質感で、石とも金属ともつかない。見ているだけで落ち着かない。

 

「王城へ持ち帰る」

 

 アッシュが言う。

 

「絶対に素手で触るなよ」

 

「言われなくても触りたくない」

 

 それは本心だった。

 

 エリシアが入口側を振り返る。

 

「こっちの撒き餌はもう消えてる。やっぱり時間稼ぎだけだったみたい」

 

「手慣れてるな」

 

 レオンが低く言う。

 

「嫌になるくらいにな」

 

 外へ出ると、夜気が少しだけ冷たく感じた。

 

 旧搬送路の静けさは変わらない。だが、さっきまでそこにあった嫌な張りつめ方は、たしかに薄れていた。

 

『取れたね』

 

 ナインが言う。

 

「ギリギリだったけどな」

 

『でも、前よりうまくなってる』

 

「どっちが」

 

『水湊も、ヴェネフィルディアも』

 

 そう言われると、少しだけ考える。

 

 たしかに最初よりは迷わなくなった。局所接続も、押さえ方も、どこまで踏み込んでいいかも。全部が手探りのままだが、それでも前へは進んでいる。

 

 アッシュが歩き出しながら言う。

 

「これで一つはっきりした」

 

「何が」

 

 水湊が聞き返すと、アッシュは振り向かずに答えた。

 

「敵は、こちらが綻びを追い始めたことに気づいている」

 

 その一言で十分だった。

 

 偶然ではない。

 手口を変え、囮を置き、本命を隠した。

 つまり向こうにも意図がある。

 

 レオンも静かに続ける。

 

「しかも、こっちの動きを試してる」

 

「どこまで見えるか、どこで割れるか、か」

 

 エリシアの声は少し低かった。

 

「性格悪いわね、ほんと」

 

 否定する者はいなかった。

 

 王都へ戻る道のりは短かったが、誰もあまり喋らなかった。

 

 別働隊の初任務としては上出来だ。

 囮を見抜き、本命を押さえ、楔も回収した。

 けれど、それで楽になるわけではない。

 

 むしろ逆だ。

 

 向こうがこちらを見ていると、はっきりした。

 それだけで十分に重い。

 

 王城外縁の門が見えてきた時、水湊は手元の布越しに楔の気配を感じた。

 

 小さい。

 けれど、そこに詰まっている嫌なものは、西側の時より濃い気がした。

 

 これはきっと、まだ入口に過ぎない。

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