魔装機神ヴェネフィルディア   作:深雪ソーマ

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第二十一話 黒い楔

 回収した楔は、そのまま王城の術官区画へ運び込まれた。

 

 布で二重に包み、その上から簡易封印をかける。たかが手のひらに収まる程度の大きさなのに、扱いだけは妙に大げさだった。もっとも、西側で見た感触を思えば、それでも足りない気がする。

 

「そんなに厳重にするのか」

 

 水湊が言うと、隣を歩くリシュアが真面目な顔で頷いた。

 

「正体がわからない以上は、これでもまだ軽い方です」

 

「軽い方、ね……」

 

「嫌な言い方ですけど、嫌なものですから」

 

 そこは否定できなかった。

 

 術官区画の奥にある検証室は、旧貯水路跡の報告会に使った部屋より、さらに閉ざされた印象があった。壁と床には細かな術式が刻まれ、中央の石台を囲むように測定柱が立っている。ひとたび封鎖すれば、外から中の気配すら拾いにくくなる類の部屋だろう。

 

 中にはすでにベルトラン教授とセレニア、それに王城付きの術官が二人いた。アッシュとエリシア、レオンも一緒だ。こうして顔が揃うと、別働隊だの暫定編成だのと呼んでいても、実際にはずいぶん深いところまで踏み込んでいるのだとわかる。

 

「置いて」

 

 セレニアに言われ、水湊は石台の上へ包みをそっと置いた。

 

 術官の一人が、封印を解く前に何重か確認の術式を走らせる。石台の周囲に淡い輪が浮かび、楔の輪郭だけを切り取るように光が走った。

 

「反応は」

 

 アッシュが聞く。

 

「静かです」

 

 術官はそう答えたが、表情は渋い。

 

「静かすぎますね」

 

 ベルトラン教授が小さく頷く。

 

「うむ。悪い術具ほど、こういう顔をする」

 

 顔、という言い方は少し変だが、意味はわかる。大きく暴れるものより、黙って沈んでいるものの方が厄介だ。

 

 封印布が一枚ずつ外される。

 

 最後に黒ずんだ本体が姿を見せた。

 

 近くで見ると、やはり石とも金属とも違う。光を吸うような黒さの表面に、細かい筋がいくつも走っている。人工物だとは思う。だが、王城の術具とも、軍の装備とも、まるで雰囲気が違った。

 

「……気持ち悪いな」

 

 水湊が漏らすと、エリシアがすぐに言った。

 

「それは同感」

 

「見た目の話じゃないわよね」

 

 セレニアの言葉に、水湊は頷く。

 

「ああ。見てると、奥歯の裏がざらつく感じがする」

 

「言いたいことはわかる」

 

 エリシアが嫌そうに顔をしかめた。

 

 レオンは腕を組んだまま石台を見つめている。

 

「西で拾った時より濃く見えるな」

 

「仕込みが新しいからかもしれません」

 

 リシュアが答える。

 

「劣化が少ない」

 

 そこで、ベルトラン教授が杖の先を楔へ向けた。

 

「さて。まずは形を見る」

 

 教授の声が少しだけ低くなる。さっきまでの柔らかい空気が、研究者の顔に切り替わったのがわかった。

 

「水湊君、おぬしが触った時の感触を、思い出せるだけ話してくれ」

 

 問われ、水湊は少し考える。

 

「硬かったです。ただ、物として硬いっていうより、継ぎ目に噛み込んでる硬さだった」

 

「ふむ」

 

「そこにあるだけじゃなくて、無理やり押し込んで固定してる感じでした」

 

「術具としては、楔という見立てでほぼ間違いないな」

 

 教授はそう言って、術官へ合図する。

 

 細い光が何本も石台の上へ降り、楔の表面をなぞるように走った。黒い表面の筋が、その時だけ鈍く浮き上がる。

 

「文字ではない、か」

 

 セレニアが目を細める。

 

「少なくとも、王城式の刻印じゃないわね」

 

「軍の封術とも違う」

 

 レオンもすぐに言った。

 

 アッシュは黙ったままだったが、その視線は鋭い。

 

 ベルトラン教授が、顎に手を当てた。

 

「こやつ自体が力を生んでいるというより、綻びを維持するための噛ませものだな」

 

「維持?」

 

 水湊が聞き返すと、教授は頷く。

 

「裂け目を開く術具なら、もっと露骨に暴れる。だがこれは違う。境界に生じた薄さを押し広げるというより、その“崩れかけた形”を保つ方に寄っておる」

 

 それは、かなり嫌な話だった。

 

 自然に閉じるはずの傷口へ、わざと薄い刃を差し込んで塞がらなくする。そういう印象に近い。

 

「じゃあ、西側の綻びも」

 

 エリシアが言う。

 

「戦闘で偶然できたものじゃなくて、作って、そこへ差し込んだってこと?」

 

「今のところは、そう見るのが自然じゃろう」

 

 教授の声は静かだった。

 

「ただし、これだけで全部を説明するのは早い。問題は、この楔がどこから来たかだ」

 

 室内が少し静まる。

 

 そこが本題だった。

 

 誰が。

 何のために。

 どうやって。

 

 アッシュが口を開いた。

 

「王城式でも、軍式でもない」

 

「はい」

 

 リシュアが即答する。

 

「少なくとも、私が見てきた術式体系とは噛み合いません。綻びそのものへ合わせて作っている感じが強すぎます」

 

「精霊系でもない、か」

 

 その問いには、ベルトラン教授が少しだけ考えてから答えた。

 

「普通の意味ではな。精霊機が境界へ干渉することはある。だが、こういう“閉じきらぬ傷口を保つための具”を好むものではない」

 

 水湊は石台の上の黒い楔を見つめる。

 

 嫌な気配はある。

 だが、ヴェネフィスと似たものではない。

 

 むしろ逆だ。

 ヴェネフィスが静かに拒んでいるのが、胸の奥の灯から伝わってくる。

 

『好きじゃないみたい』

 

 ナインが言う。

 

「わかるのか」

 

『うん。嫌がってるっていうより、触る価値もないって感じ』

 

 その言い方が、いかにもヴェネフィスらしかった。

 

 水湊がそれをそのまま伝えると、ベルトラン教授が面白そうに眉を上げた。

 

「ほう。それは興味深い」

 

「興味深いで済ませないでほしいんだけど」

 

 エリシアがぼやく。

 

「済ませとらんよ。だが、高位精霊が明確に“同類ではない”と切っておるなら、それだけでも一つの材料だ」

 

 そこへ、別の術官が新しい記録板を持って入ってきた。

 

「失礼します。下水路網との照合結果が出ました」

 

 セレニアがそれを受け取り、ざっと目を通す。次の瞬間、その眉がわずかに動いた。

 

「……そう」

 

「何だ」

 

 アッシュの問いに、セレニアは記録板を机の中央へ置いた。

 

「旧貯水路跡と旧搬送路、それに西側監視線。三点を地図に落とすと、王都外縁の古い流路と接続線の交点に近すぎる」

 

 レオンが一歩寄る。

 

「繋がるのか」

 

「まだ線の途中までは推定よ。でも、偶然と片づけるには厳しい」

 

 リシュアが地図の上へ術式投影を重ねた。

 

 淡い光の線が、王都の外縁をぐるりと回るように浮かび、その一部に旧貯水路跡、西側監視線、旧搬送路が引っかかる。

 

「囲ってる……?」

 

 水湊が思わずそう口にすると、部屋の空気がまた変わる。

 

 完全な円ではない。

 けれど、バラバラに見えた綻びが、ある範囲を縁取るように並び始めている。

 

「あり得るな」

 

 アッシュの声が低くなる。

 

「王都の一部を囲って、何かを起こす準備か」

 

「もしくは、囲った内側を薄くするか」

 

 レオンの言葉はもっと嫌だった。

 

 エリシアが地図を睨む。

 

「冗談じゃないわね」

 

「冗談で済んだら楽なんだがな」

 

 アッシュは短く息を吐いた。

 

 ベルトラン教授が杖の先で、三点の中央寄りを軽く叩く。

 

「ここは何がある」

 

 リシュアがすぐに答える。

 

「王都南外縁の旧工房区画、その北側に古い祭祀路、それから――」

 

 彼は一度言葉を切った。

 

「封印庫跡、です」

 

 その場の空気が、目に見えないところでぴんと張った。

 

 封印庫跡。

 

 王城の人間たちが、その言葉を軽く受け取らないのはすぐにわかった。

 

 水湊はセレニアを見る。

 

「何だ、それ」

 

 答えたのは彼女ではなく、ベルトラン教授だった。

 

「古い時代の術具や記録を、一時的に収めていた施設跡だ。いまは機能しておらん。だが、地脈と術式路が交わる場所にある」

 

「嫌な条件が揃ってるな」

 

「まったくだ」

 

 アッシュが言う。

 

 つまり敵は、意味もなく綻びを作っているわけではない。場所を選んでいる。そして、その選び方には明らかに意図がある。

 

 セレニアが記録板を伏せた。

 

「決まりね」

 

「何がだ」

 

「次の場所よ」

 

 その声は冷静だったが、迷いはなかった。

 

「旧工房区画から封印庫跡周辺まで、王城直轄で一斉確認を入れる。今度は見に行くだけじゃない。最初から“ある前提”で洗うわ」

 

 レオンが頷く。

 

「監視線側からも人を回す」

 

「巡察隊も出すわよ」

 

 エリシアが言う。

 

「今度は撒き餌に付き合ってる暇もなさそうだし」

 

 水湊は石台の上の黒い楔を見つめた。

 

 回収はできた。

 手口も少し見えた。

 だが、それで楽になったわけではない。

 

 むしろ、敵が考えて動いているとわかった分だけ、話は重くなる。

 

 胸の奥の冷たい灯が、静かに揺れた。

 

 ヴェネフィスは何も言わない。

 だが、封印庫跡という言葉が出た時から、少しだけ気配が近い。

 

「……気になるのか」

 

 思わず漏らすと、ナインが影の中で小さく言う。

 

『水湊だけじゃないよ。あっちも見てる』

 

 やはりそうか。

 

 封印庫跡。

 王都外縁を囲う綻び。

 境界に噛ませる黒い楔。

 

 全部が一本に繋がりかけている。

 

 アッシュが最後に、部屋の全員を見回した。

 

「今日はここまでだ。楔の解析は続ける。別働隊は明朝から旧工房区画へ入る」

 

 そこで一拍置く。

 

「次は、おそらく踏み込みになる」

 

 誰も軽くは頷かなかった。

 けれど、否定する者もいない。

 

 ここまで来れば、もう後戻りの話ではないのだろう。

 

 検証室を出たあと、廊下を歩きながらエリシアがぼそりと言った。

 

「回収して終わり、だったらよかったのにね」

 

「そんな簡単なら苦労しないだろ」

 

「わかってるけど、言いたくなる時くらいあるのよ」

 

 それはそうかもしれない。

 

 水湊も少しだけ苦笑する。

 

 別働隊の初任務は成功だった。

 だがその成功が、次の面倒を連れてきた。

 この世界はそういう作りらしい。

 

 足元の影が揺れる。

 

『封印庫跡って、いかにもだね』

 

「いかにもだな」

 

『たぶん、行ったら面倒だよ』

 

「おまえ、最近それしか言ってない気がする」

 

『だって本当にそうなんだもん』

 

 ひどく真っ当な返事だった。

 

 王城の長い廊下の先には、まだ夜の静けさが残っている。けれど、その静けさの下で、次の火種はもう形になり始めているのだろう。

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