魔装機神ヴェネフィルディア   作:深雪ソーマ

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第二十二話 封印庫跡

 旧工房区画へ入ったのは、翌朝だった。

 

 王都の外縁にありながら、そこだけ時間の流れが違うように見えた。崩れた石壁、半ば埋もれた搬入口、屋根を失った工房跡。人の手が引いてから長いのだろう。金属の匂いも油の匂いも、もう薄い。代わりに残っているのは、乾いた石と古い魔力の澱みだけだった。

 

「思ってたより広いな」

 

 水湊があたりを見回すと、レオンが前を向いたまま答えた。

 

「昔は南外縁の工房が集まってた場所だ。いまはほとんど使われてない」

 

「使われてない場所ばっかりね、最近」

 

 エリシアがぼやく。

 

「目が届きにくいんだから、向こうからすれば使いやすいんでしょ」

 

 言っていることはもっともだった。

 

 別働隊は最初から二手に分かれていた。アッシュとレオンが外周寄りを押さえ、エリシアと兵が西側の通路を見張る。水湊はリシュアと一緒に、工房区画の中央から封印庫跡へ近づく役目になった。

 

 上から見れば古い建物が並んでいるだけだ。だが、地図に落とした綻びの位置と照らすと、そこには妙な偏りがある。偶然荒れているのではなく、何かを避けるように、あるいは囲うように傷が並んでいる。

 

『嫌な静かさだね』

 

 足元の影から、ナインが言った。

 

「わかる」

 

 水湊も小さく頷く。

 

 西側の監視線は風が鳴っていた。旧貯水路跡は水の匂いが濃かった。だがここは違う。静かすぎる。音がないというより、何かが息を潜めているような静けさだった。

 

 工房跡を二つ抜けたところで、水湊は足を止めた。

 

「……ある」

 

 リシュアがすぐに術式板を向ける。

 

「反応、出ていますか」

 

「弱いけど、まっすぐじゃない」

 

 前方の石畳を見つめる。

 

 綻びそのものは細い。だが、それが一本で走っている感じではなかった。途中でわずかに折れ、古い建物の角をかすめ、また別の方向へ向かっている。

 

「道なりじゃないな」

 

 水湊が呟くと、リシュアも術式板を見ながら頷いた。

 

「確かに、流路に沿うなら少し不自然です」

 

「誘導してるのかも」

 

 その可能性は高かった。

 

 自然に薄くなった場所へ楔を打つのではなく、綻びる向きそのものを少しずつずらしている。そう考えると、いままでの点と線も少し見え方が変わる。

 

 前方に、半ば崩れた石造りの通路があった。柱だけ残った門の先に、地面が少しだけ落ち込んでいる。工房区画のさらに奥、封印庫跡へ下るための古い搬送路らしい。

 

 水湊はそこで、胸の奥が小さくざらつくのを感じた。

 

 近い。

 

 旧搬送路の時より、はっきりしている。

 

「この先だ」

 

「封印庫跡に近づいています」

 

 リシュアが周囲を見回し、小さく息を吐いた。

 

「嫌な意味で、わかりやすいですね」

 

「わかりやすいのは助かるけどな」

 

「その先が助かるかは別です」

 

 ずいぶん正しい返しだった。

 

 通路を下ると、空気が変わった。ひんやりしているのに、澄んではいない。古い術式が長く眠った場所にだけある、乾いた重さが残っている。

 

 やがて、広くも狭くもない奇妙な空間へ出た。

 

 石壁に囲まれた中庭のような場所だった。中央には円形の石台があり、その向こうに半地下の入口が見える。封印庫跡とは、おそらくあれだ。

 

 だが、水湊の目を引いたのは建物ではなかった。

 

 石台の周囲に、黒ずんだ杭が三本、等間隔に打たれている。

 

「……またか」

 

 思わず声が漏れる。

 

 リシュアの表情も変わった。

 

「三本……」

 

 西で抜いた楔とよく似ている。形も、大きさも、表面の黒さも。ただ、今回は隠されてもいなければ、ひびの奥に差し込まれてもいない。むしろ見せるように置かれていた。

 

「罠か」

 

 水湊が言うと、リシュアは首を横に振る。

 

「見せ札、かもしれません」

 

 その可能性の方が高そうだった。

 

 見つけてほしいわけではない。だが、見つけられることを前提に置いてある。そんな嫌らしさがある。

 

 アッシュたちを呼ぶため、リシュアが通信符を走らせる。その間に、水湊は石台の周囲へ意識を向けた。

 

 三本の楔。

 その間を、細い綻びが結んでいる。

 

 線というより、輪だ。

 

「囲ってるな……」

 

 自分でもはっきりわかる形だった。

 

 中央の石台を、三本の楔と綻びで囲っている。そこへさらに封印庫跡の入口が重なっているのだから、意味がないはずがない。

 

 ナインが低く言う。

 

『真ん中、触っちゃ駄目』

 

「言われなくてもわかる」

 

『いや、水湊、たまにやるから』

 

「しないって」

 

 そう返したところで、背後から足音が近づく。

 

 アッシュとレオン、それにエリシアたちだった。

 

 現場を見たアッシュは、すぐには口を開かなかった。石台、楔、封印庫跡の入口。その三つを順に見て、ようやく低く言う。

 

「露骨だな」

 

「そうね」

 

 エリシアも顔をしかめる。

 

「ここまでくると、隠す気がないっていうか……」

 

「こっちに見せる段階に入ったんだろう」

 

 レオンの声は静かだったが、重かった。

 

 水湊は石台を見たまま言う。

 

「三本が繋がってる。輪になってる」

 

「中心は?」

 

 アッシュの問いに、水湊は首を横に振った。

 

「まだ見きれない。けど、封印庫跡と重なってるのは間違いない」

 

 リシュアが術式板を広げる。淡い反応が輪の形に浮かび、その中央だけが少し暗く沈んでいた。

 

「封印そのものを破るというより……」

 

「封印の上から境界を薄くしてるのかもしれないわね」

 

 エリシアの言葉を、リシュアが引き取るように続ける。

 

 水湊はゆっくり息を吐く。

 

 嫌な発想だが、筋は通る。

 古い封印がある場所なら、もともと境界や術式の継ぎ目が集中している。そこへ外から綻びを重ねれば、壊すのではなく“ずらす”ことができるかもしれない。

 

 ベルトラン教授がこの場にいないのが、逆に惜しかった。たぶんこの構図を見たら、嫌そうな顔をしながら喜ぶ。

 

「どうする?」

 

 エリシアがアッシュを見る。

 

 アッシュは即答しなかった。

 

 それだけ、この場が重いということだろう。

 

「一本ずつ抜くのは危ない」

 

 やがて水湊が言った。

 

 全員の視線が向く。

 

「輪ができてる。一本でも雑に外したら、中心に寄る」

 

「寄る?」

 

 レオンが聞き返す。

 

「力が、だよ。西側の時みたいに一点を押さえるだけじゃ済まない」

 

 水湊は石台の中央を見つめた。

 

 まだ開いてはいない。

 けれど、向こう側へ手をかける“口”がそこにできかけている。そんな感じがする。

 

 胸の奥へ意識を沈める。

 

 冷たい灯は、いつもより近かった。

 

 そして、短い意志が落ちてくる。

 

 断て。

 

 ヴェネフィスだった。

 

 水湊は思わず目を見開く。

 

 いままでの警告や制止とは違う。はっきりとした方針だった。

 

「……切るしかない」

 

「何をだ」

 

 アッシュが問う。

 

「輪そのものを。一本ずつじゃなくて、繋がりを先に断つ」

 

 リシュアがすぐに反応した。

 

「可能ですか」

 

「やってみるしかない」

 

 全身召喚までは要らない。

 けれど、局所接続だけでは足りない気がした。

 

 水湊は石台の手前へ進み、息を整える。

 

「水湊」

 

 エリシアの声が飛ぶ。

 

「無茶はしないでよ」

 

「したくてするわけじゃない」

 

「そこが心配なのよ」

 

 返しながらも、その声に少しだけ肩の力が抜ける。

 

 アッシュが短く言う。

 

「やるなら、一度で決めろ。長引かせるな」

 

「わかってる」

 

 水湊は右手を開いた。

 

「同調《シンク》――中位接続」

 

 空気が震えた。

 

 今度は右腕だけではない。白銀の上半身の一部と、背部フレームの輪郭までが狭間から噛み合うように現れる。ヴェネフィルディアの全身ではない。だが、局所接続より一段深い。

 

 圧が強い。

 

 石台の周囲の空気までぴんと張りつめる。

 

 水湊は白銀の腕を、輪を作る綻びの一か所へ向けた。

 

 斬るのではない。

 繋がりだけを、切る。

 

 難しい。だが、感覚としてはわかる。楔そのものではなく、その間に張られた見えない糸へ触れる。

 

「……そこだ」

 

 白銀の指先が、見えない綻びを横からなぞる。

 

 次の瞬間、空気が裂けるような小さな音がした。

 

 一本、切れた。

 

 同時に、残る二本の楔が鈍く震える。

 

「続けます!」

 

 リシュアが術式糸を走らせ、揺れた輪の外側を押さえる。レオンとエリシアも石台の左右へ開き、何かが噴き出した時に備える。

 

 水湊は額に汗をにじませながら、二本目へ意識を向けた。

 

 重い。

 

 さっきより明らかに抵抗が強い。

 

『急いで』

 

 ナインが言う。

 

『真ん中、起きる』

 

 ぞっとしない言い方だが、意味は伝わる。

 

 石台の中央、封印庫跡の入口の前。そこに沈んでいた暗さが、ほんのわずかに持ち上がり始めている。

 

「二本目――!」

 

 水湊は息を詰め、一気に綻びを断った。

 

 今度はもっとはっきり音がした。

 

 石を擦るような、嫌な音だ。

 

 残る一本の楔が大きく震え、中央から黒い靄が一瞬だけ噴きかける。

 

「来る!」

 

 エリシアの叫びと同時に光が走る。兵たちも前へ出て、レオンが脇から靄を叩き散らす。アッシュは一歩も引かず、石台の前で構えを崩さない。

 

「最後だ、水湊!」

 

「言われなくても!」

 

 水湊は唇を噛み、最後の一本へ白銀の腕を向ける。

 

 ここで終わらせる。

 そう思った瞬間、胸の奥の灯が強く揺れた。

 

 いま。

 

 ヴェネフィスの意志が落ちる。

 

 水湊は最後の綻びを、横から一息に断ち切った。

 

 ぶつり、と今度こそはっきりした音が響く。

 

 三本の楔が同時に力を失い、石台の周囲に張りついていた見えない輪が、音もなく崩れた。

 

 次の瞬間、中央から噴きかけていた黒い靄も、急に行き場を失ったように散っていく。

 

 静かになった。

 

 あまりにも急に。

 

 誰もすぐには動かなかった。

 

 先に息を吐いたのはリシュアだった。

 

「……落ちました」

 

 術式板の反応も、さっきまでとは別物だった。まだ残滓はある。だが、あの嫌な輪は消えている。

 

 エリシアが肩を落とす。

 

「心臓に悪いわね、ほんと」

 

「毎回言ってる気がする」

 

 水湊が言うと、彼女はすぐに睨んだ。

 

「毎回悪いからでしょ」

 

 そこは否定できなかった。

 

 アッシュが石台へ近づき、一本だけ残った楔の欠片を足先で裏返す。

 

 黒い表面はもう、ただの汚れた石みたいに見えた。

 

「輪を作っていたのか」

 

「たぶん」

 

 水湊は中位接続を解きながら頷く。

 

「封印庫跡の上から、境界をずらすための枠みたいなものだった」

 

「壊すんじゃなくて、歪める」

 

 レオンが低く言う。

 

「やり方がいやらしいな」

 

 その言葉が、いちばんしっくりきた。

 

 壊すだけなら、もっと派手にやる。

 だが相手はそうしない。気づかれにくく、見落としやすく、時間をかけて綻ばせようとしている。

 

 正面から戦う敵ではない。

 だからこそ厄介だ。

 

 水湊は封印庫跡の入口へ目を向けた。

 

 さっきまでそこにあった嫌な暗さは、かなり薄れていた。完全に消えたわけではないが、少なくとも“開きかけた口”のような気配はもうない。

 

『いまは大丈夫』

 

 ナインが言う。

 

「いまは、か」

 

『うん。いまはね』

 

 その答えが、妙に現実的だった。

 

 完全解決ではない。

 ただ、一手潰しただけ。

 そういう段階なのだろう。

 

 アッシュが周囲を見回す。

 

「今日はここまでだ。封印庫跡そのものの調査は王城術官に回す。こっちは外周の確認と、楔の残滓を拾う」

 

「やること多いわね」

 

 エリシアがぼやく。

 

「減ったと思うなよ」

 

 アッシュの返しは相変わらず容赦がない。

 

 けれど、そのやり取りに少しだけ笑いが混じるくらいには、現場の空気も緩んでいた。

 

 別働隊として、少なくとも今日は役目を果たしたのだ。

 

 水湊は小さく息を吐く。

 

 封印庫跡。

 黒い楔。

 境界をずらす輪。

 

 敵の手口が、また一段はっきりした。

 それは進展でもあり、同時に、もっと大きな面倒の入口でもある。

 

 胸の奥で、冷たい灯が静かに沈む。

 

 ヴェネフィスは何も言わない。

 だが、さっきの“断て”だけで十分だった。

 

 あれはたぶん、この戦い方の輪郭そのものだ。

 

 サイバスターが風を切って正面の敵を払うなら、ヴェネフィルディアは綻びの輪を断つ。

 同じ世界を守るとしても、役目は違う。

 

 そう思うと、不思議と少しだけ肩の力が抜けた。

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