魔装機神ヴェネフィルディア   作:深雪ソーマ

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第二十三話 封印庫の底

 封印庫跡の内部調査は、その日のうちには行われなかった。

 

 石台の輪を断った直後の空間は、見た目こそ静かでも、まだ術式の残り火みたいなものが漂っていたからだ。王城術官が一晩かけて外周を安定させ、ようやく翌朝になってから、別働隊にも立ち入りが許された。

 

 封印庫跡の入口は、昨日見た時よりもずっと古びて見えた。

 

 輪が張られていた時は、そこだけ妙に暗さが濃く、何かが息を潜めているような気配があった。だが、いまは違う。もちろん安心できる空気ではない。けれど少なくとも、“こちらを見返してくる感じ”は薄れていた。

 

「昨日のうちに入りたかった?」

 

 入口脇で封印の確認をしていたセレニアが、ちらりとこちらを見る。

 

「入りたくはない」

 

 水湊が答えると、エリシアがすぐ横で鼻を鳴らした。

 

「嘘。ちょっとは気になってたでしょ」

 

「気にはなるけど、入りたいとは違うだろ」

 

「同じようなものじゃない?」

 

「違う」

 

 そのやり取りを聞きながら、ベルトラン教授が少しだけ笑った。

 

「入る前に言い合う元気があるなら十分だ」

 

 今日は教授も来ていた。封印庫跡の内部となれば、さすがに王城側も現場へ出すらしい。アッシュとレオンは外周側の確認を終え、すでに入口の前に立っている。リシュアは術式板を抱え、いつもより少しだけ顔が硬かった。

 

 それも当然だろう。

 

 封印庫跡という名前だけで重いのに、その周囲に黒い楔が打たれ、綻びの輪まで作られていたのだ。中に何もありませんでした、で済むはずがない。

 

「では開けるわよ」

 

 セレニアの声で、全員の空気が少し引き締まる。

 

 入口を塞いでいた封印板は、半ば崩れていた。そこへ王城式の解錠術が幾重にも重なっている。昨日のうちに応急の固定は終わっていたらしく、今日は最後の封じだけを外せばいいらしい。

 

 光が走り、石板の継ぎ目が淡く浮かぶ。

 

 ごり、と鈍い音がして、扉が内側へわずかにずれた。

 

 そこから漏れてきた空気は、思っていたより冷たくなかった。

 

 乾いている。

 長く閉ざされていた紙と石の匂いがした。

 

「……牢じゃないな」

 

 思わず漏らすと、教授がうなずく。

 

「そもそも封印庫という名前が少し誤解を招くのだよ。何かを閉じ込めるための牢ではなく、扱いの難しいものを一時的に収める術庫の類だ」

 

「もっと早く言ってくれ」

 

「聞かれとらんからな」

 

 その返しに、少しだけ肩の力が抜けた。

 

 中は、想像していたより広かった。

 

 地下室というより、石造りの保管庫だ。左右の壁に沿って棚の跡があり、奥には低い台座が三つ並んでいる。床には円形の刻印が薄く残り、ところどころ欠けていた。古い魔力灯はもう死んでいるが、持ち込んだ灯りで照らせば構造は十分見て取れる。

 

「荒らされてるわね」

 

 エリシアがすぐに言った。

 

 たしかに、そう見える。

 

 崩れた棚。割れた箱。床に散った黒ずんだ破片。時間で朽ちたにしては、傷み方に偏りがある。

 

 レオンがしゃがみ込み、床の擦れ跡を指先でなぞる。

 

「昔の崩れ方じゃないな。新しい」

 

 アッシュも頷いた。

 

「少なくとも、一度は人が入ってる」

 

 その言葉に、室内の空気がわずかに変わる。

 

 楔を打っただけではない。

 中にも誰かが入っている。

 

 水湊は入口の近くから一歩ずつ奥へ進んだ。胸の奥の冷たい灯は静かなままだが、完全に無関心というわけでもない。封印庫跡へ入ってから、ヴェネフィスの気配はずっと薄く近い。

 

『右の奥、気になる』

 

 ナインが影の中で言う。

 

 水湊はそちらを見る。

 

 右奥の棚は半分崩れていたが、その下の床に、丸い跡が残っていた。何か箱のようなものを長く置いていたような痕だ。そこだけ周囲より色が薄い。

 

「ここ、何か置いてあったな」

 

 そう言うと、リシュアがすぐに術式板を向ける。

 

「残滓があります」

 

「残滓って?」

 

「術式の名残です。かなり薄いですが、保管用の固定術に近いですね」

 

 ベルトラン教授が近寄って、床の跡を見下ろす。

 

「箱型の保管具だろうな。大きさからして、武装ではなく術具か記録板の類か」

 

「持ち出されたってことか」

 

 水湊の問いに、教授はすぐには答えなかった。

 

 代わりに、奥の台座の方へ視線を向ける。

 

「そちらも見てみよう」

 

 台座は三つあった。

 

 左は空。中央は表面が割れ、右は半分だけ焼けたように黒ずんでいる。

 

 そして中央の台座の上にだけ、奇妙な痕が残っていた。

 

 円環状の溝。

 その中心に、細い柱でも立っていたような跡。

 

 水湊はそれを見た瞬間、妙に背筋が冷えた。

 

「……これ」

 

 理由はすぐに言えなかった。けれど、その形には見覚えがある気がした。いや、正確には、ヴェネフィルディアの背部フレームや、局所接続の時に開く光輪と、どこか遠くで響き合っている感じがしたのだ。

 

 セレニアが気づく。

 

「どうしたの」

 

「似てる」

 

「何に?」

 

「うまく言えないけど……門の形に」

 

 その言葉で、教授とセレニアの顔つきが少し変わった。

 

「門、か」

 

 ベルトラン教授が静かに繰り返す。

 

 リシュアはすぐに台座へ術式板を向けた。

 

「中心部の残留反応、他と違います。固定や封印というより、座標指定に近い……?」

 

「あり得るわね」

 

 セレニアが低く言う。

 

「古い時代の保管庫なら、単に閉じるだけじゃなく、別位相隔離の術具を扱っていてもおかしくない」

 

 水湊は教授を見る。

 

「つまり?」

 

「この封印庫跡は、“危ないものをしまっていた場所”というより、“境界に関わる術具を保管していた場所”だった可能性がある」

 

 その一言は重かった。

 

 牢ではない。

 保管庫だ。

 しかも境界に関わるものを扱う場所。

 

 なら、ここが狙われた理由も少し見えてくる。

 

「壊すためじゃなくて、利用するためか」

 

 レオンの低い声に、アッシュが短く頷いた。

 

「その方が筋は通る」

 

 エリシアが眉を寄せる。

 

「でも、何を持っていったの?」

 

 それが一番大きい。

 

 右奥の棚から持ち出された箱。

 中央台座の上から消えている、円環状の術具らしきもの。

 どちらか一つか、あるいは両方か。

 

 水湊は中央台座の前へしゃがみ込んだ。

 

 目を閉じて、意識を少しだけ沈める。

 

 冷たい灯。

 乾いた空気。

 その下に、かすかな残り香のような気配。

 

 ずっと昔のものだ。

 でも完全には消えていない。

 

 そこへ、短い意志が落ちてきた。

 

 空。

 

 ヴェネフィスだった。

 

「……もうない」

 

 思わず口にすると、エリシアが怪訝そうに振り向く。

 

「何が?」

 

「ここにあったもの。たぶん、もうずっと前に中身はない」

 

 自分でも少し曖昧な言い方だと思ったが、それ以上の言葉が出てこない。

 

 教授はすぐに否定しなかった。

 

「ふむ」

 

「最近抜かれた感じじゃない。台だけ残ってる」

 

 そう言いながら、水湊は右奥の床跡にも目を向けた。

 

「でも、あっちは違う気がする」

 

「棚の跡の方か」

 

 アッシュが聞く。

 

「ああ。あっちは“持ち出された”感じがする。こっちは“もともともう空だった”っていうか……」

 

 言いながら、自分でも少し整理がついてくる。

 

 封印庫跡には、もともと境界に関わる術具があった。

 だが中央台座のものは、かなり前の段階で失われている。

 その後になって、最近誰かが入り、別の何か――少なくとも箱の一つは持ち出した。

 

 セレニアが静かに言う。

 

「二段階ね」

 

「古い喪失と、新しい侵入」

 

 リシュアが頷く。

 

「記録を洗い直す必要があります」

 

 ベルトラン教授は台座の前で、しばらく黙っていた。やがて、ぽつりと言う。

 

「嫌な仮説が一つある」

 

 誰も軽くは促さない。

 教授はそういう時、たいてい当たりたくない筋を引いてくる。

 

「聞こうか」

 

 アッシュが言うと、教授は小さく息を吐いた。

 

「昔ここにあったものは、境界を渡るための門そのものではない。だが、“門を組むための核”だったのかもしれん」

 

 室内が静まる。

 

 水湊はゆっくり顔を上げた。

 

「核?」

 

「うむ。単体で世界を越えるような代物ではない。だが、座標を噛ませ、境界を薄くし、通り道を安定させるための要石だ」

 

 それは、いままで見てきた黒い楔の使い方と、妙に噛み合った。

 

 綻びを作る。

 綻びを繋ぐ。

 輪を作る。

 そして最後に、どこかを“通せる形”にする。

 

「向こうは、それを探してた?」

 

 水湊の問いに、教授は首を横に振る。

 

「探していた、とは限らん。もう失われているならな。だが、ここがどういう場所だったかを知った上で、代わりのやり方を試している可能性はある」

 

「黒い楔で無理やり再現する、ってことか」

 

 レオンの声は低かった。

 

「粗いがな」

 

 教授は頷く。

 

「粗い。危うい。だが、通り道を作るという目的だけなら、理屈としては通る」

 

 エリシアが顔をしかめる。

 

「通したいものがあるってこと?」

 

 その問いには、誰もすぐに答えなかった。

 

 水湊は封印庫跡の中央を見つめる。

 

 黒い楔。

 境界を薄くする輪。

 封印庫跡の上に重ねられた綻び。

 

 全部をまとめると、一つの方向を向き始める。

 

 ――開けたいのだ。

 

 何かを。

 どこかを。

 

 ラ・ギアスの内側へ押し込むのか、外へ抜けるのか、そこまではまだわからない。けれど、少なくとも“壊すだけ”ではない。

 

『水湊』

 

 ナインが言う。

 

『ここ、終わってないよ』

 

「わかってる」

 

『まだ入口なんだと思う』

 

 その通りだろう。

 

 アッシュが封印庫跡の入口へ目を向けたまま言った。

 

「今日は内部の記録を回収する。術官は残滓の採取。レオンは外周をもう一度見ろ。ここへ近づく線が他にもあるかもしれん」

 

「了解」

 

 レオンは短く答える。

 

 リシュアとセレニアは、崩れた棚の残骸と床跡の測定に移った。エリシアは兵と一緒に入口の確保へ向かう。

 

 その間、水湊は中央台座の前からしばらく動けなかった。

 

 ここがただの保管庫じゃなかったこと。

 向こうが境界に関わる場所を狙っていること。

 そして、その先がもしかすると“外”へ繋がっているかもしれないこと。

 

 全部が一本に繋がるには、まだ少し足りない。

 けれど、足りないからこそ不気味だ。

 

 ヴェネフィスはもう何も言わない。

 

 だが、水湊にはわかった。

 いま相手にしているのは、裂け目や綻びそのものではない。

 それを使って、どこかへ道を通そうとしている意志だ。

 

 水湊はゆっくり立ち上がった。

 

 封印庫跡の空気は、もう昨日ほど重くない。

 けれど、その軽さが安心には繋がらなかった。

 

 むしろ、次の一手を考えるために静まっているように感じた。

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