魔装機神ヴェネフィルディア   作:深雪ソーマ

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第二十五話 第三祭祀路

 南外縁第三祭祀路へ向かったのは、日付が変わる少し前だった。

 

 王都の南側は、北や西と比べると人の気配が薄い。古い礼式用の通路がいくつも埋もれていて、いま使われている道は限られているらしい。灯りの届かない石壁のあいだを進んでいると、王城のすぐ近くにいるはずなのに、別の街へ迷い込んだような気分になる。

 

「嫌な静けさね」

 

 先を歩きながら、エリシアが小さく言った。

 

「最近ずっとそれだな」

 

「最近ずっと嫌だからでしょ」

 

 返しが早い。

 

 けれど声は低く、さすがに余裕たっぷりという感じではなかった。

 

 第三祭祀路の入口は、崩れた石廊の奥にあった。

 

 半分埋まった階段。その先を塞ぐように、大きな封鎖石板がはめ込まれている。高さは人の背丈ほど、幅もかなりある。古い時代のものらしく、表面には擦り切れた刻印が残っていた。

 

 だが、水湊の目を引いたのは刻印ではなかった。

 

 石板の右下。縁のあたりに、新しい傷がある。

 

「……こじ開けようとしたな」

 

 水湊がそう言うと、レオンがしゃがみ込んで傷をなぞった。

 

「浅いが、新しい」

 

「今夜の振動はこれかもしれん」

 

 アッシュが周囲へ目を走らせる。

 

「人の気配は?」

 

 兵が首を横に振った。

 

「少なくとも、この場には残っていません」

 

 逃げたのか、終えて去ったのか。どちらにしても気分のいい話ではない。

 

 リシュアが術式板を石板へ向ける。淡い光が流れ、すぐに顔をしかめた。

 

「封鎖そのものはまだ生きています。ただ……」

 

「ただ?」

 

「下で別の反応があります。古い封印とは噛み合っていません」

 

 水湊も石板の前へ立ち、意識を少しだけ沈めた。

 

 ある。

 

 はっきりと。

 

 石板そのものじゃない。その向こう側、階段の先のどこかに、細くて嫌な筋が下りている。

 

「下だな」

 

 アッシュが横へ並ぶ。

 

「開いてるか」

 

「いや、そこまではいってない。でも、放っておくとまずい」

 

 言いながら、自分の声が少し固くなっているのがわかった。

 

 旧貯水路跡とも、西側とも、封印庫跡とも違う。ここはもっと近い。綻びの先が、最初から“道”として作られている感じがある。

 

『これ、通路だよ』

 

 ナインが影の中で言った。

 

「わかる」

 

『綻びっていうより、通れるように揃えようとしてる』

 

 その言葉が、妙に腑に落ちる。

 

 破れ目ではない。

 入口でもない。

 もっとはっきり、通路だ。

 

 ベルトラン教授が石板の刻印を見上げた。

 

「第三祭祀路は、昔は儀式用の搬送路でもあった。封鎖されておるとはいえ、構造そのものは残っておるはずだ」

 

「残ってるから狙われた、ってことか」

 

「そう考えるのが自然じゃろうな」

 

 エリシアが石板の傷を見て、眉を寄せた。

 

「これ、外からこじっただけじゃない気がする」

 

「どういう意味だ」

 

 レオンが聞き返すと、彼女は傷の下を指差した。

 

「こっちは外。でも、そのすぐ脇の欠け方、内側から押されたみたいに見えない?」

 

 全員が一度、黙った。

 

 水湊はあらためて石板へ意識を向ける。

 

 外からこじ開けた跡。

 だが、それだけじゃない。

 石板の向こう側にも、押し返したような鈍い歪みがある。

 

「……あるな」

 

 思わず漏れる。

 

「向こう側からも力がかかってる」

 

 アッシュの目が細くなった。

 

「開けようとした奴が二ついた、ってことか」

 

「人と向こう側、かもしれませんね」

 

 リシュアの声が少しだけ硬い。

 

 ぞっとしない話だった。

 

 石板一枚を挟んで、こっちと向こうの両方から力がかかっていた。そう考えると、今夜の地鳴りみたいな振動も説明がつく。

 

 セレニアがいない代わりに、教授がその場で決めた。

 

「石板は大きく開けるな。綻びが走っておるなら、扉ごと動かすのは危険だ。まずは隙間を作って、中を読む」

 

「局所接続だな」

 

 アッシュが言う。

 

 水湊は頷いた。

 

「やる」

 

 石板の前へ進み、右手を開く。

 

「同調《シンク》――局所接続」

 

 白銀の光輪が静かに開く。

 

 ヴェネフィルディアの右腕部だけが現れ、石板の縁へそっと触れた。押し開けるのではなく、継ぎ目の位相を一段ずらす。噛み込んだ歯車を、わずかに浮かせるような感覚だった。

 

 ご、と鈍い音がして、石板の縁に指一本分ほどの隙間が生まれる。

 

 冷たい空気が、そこから流れ出た。

 

 水湊は目を細める。

 

 暗い。

 けれど、何も見えないわけじゃない。

 

 階段が下へ続いている。その途中、三段目あたりに何かが倒れていた。

 

「……人か?」

 

 エリシアが身を乗り出しかけ、アッシュが手で制した。

 

「まだ近づくな」

 

 水湊は隙間へ意識を通す。

 

 倒れているのは人だった。外套を着た男。手には短い鉄具のようなものを持ったまま、階段の途中で崩れている。動かない。

 

「死んでる」

 

 水湊が低く言う。

 

 リシュアが息を呑む。

 

「下で何があったんですか……」

 

「まだある」

 

 水湊はさらに眉を寄せた。

 

 男の死体だけじゃない。その先、もっと下の方に黒い筋が見える。楔だ。一本ではない。左右の壁際に二本、階段の先に一つ。三角を作るように打たれている。

 

「また輪だ」

 

 アッシュが舌打ちした。

 

「数は」

 

「見える範囲で三本」

 

「中心は?」

 

 その問いに、水湊は少し黙った。

 

 見えにくい。

 だが、階段の先の床に、黒い穴のような暗さが沈んでいる。

 

「……まだ小さい。でも、ある」

 

 その瞬間、ナインがぴんと耳を立てた。

 

『来る』

 

 言葉と同時だった。

 

 石板の向こう、階段の先の暗がりがふっと揺れ、黒い影が這い上がってくる。

 

「閉じるな!」

 

 アッシュの声が飛ぶ。

 

 水湊は石板の隙間を保ったまま、白銀の腕を一段奥へ滑らせた。隙間から飛び出しかけた黒い影を、横から叩き潰す。

 

 ぐしゃりと嫌な音がして、影が散る。

 

 だが一体では終わらない。階段の下から、同じような黒い靄が二つ、三つと持ち上がってくる。

 

「数、少し多い!」

 

 エリシアが魔術を走らせる。細い光が隙間を抜け、階段口で影を裂いた。レオンも横から石板の隙間越しに短剣を差し込み、上がってきたものを払う。

 

 派手には戦えない。

 通路が狭すぎる。

 

 その窮屈さが、逆に嫌だった。

 

「水湊!」

 

 アッシュが叫ぶ。

 

「下まで見えるか!」

 

「無理だ!」

 

 この隙間では足りない。だが広げすぎれば、一気に流れ込む。

 

 胸の奥へ強い意志が落ちた。

 

 断て。

 

 ヴェネフィスだった。

 

 水湊は息を吸う。

 

「石板はそのまま! 下の輪を切る!」

 

「できるのか!」

 

「やるしかない!」

 

 局所接続のままでは届かない。

 だが全身を出す場所でもない。

 なら、もう一段だけ深く繋ぐ。

 

「同調《シンク》――中位接続」

 

 空気が震えた。

 

 白銀の腕に加え、肩口から背部フレームの一部までが石板の前に現れる。狭い通路の入口で、ヴェネフィルディアの輪郭が半ばだけこちらへ噛み合った。

 

 圧が強い。

 

 石板の隙間の向こうまで、空気が張りつめる。

 

 水湊はそのまま、階段の先の見えない三角へ意識を伸ばした。

 

 楔そのものじゃない。

 楔同士を繋いでいる見えない線。

 それを先に切る。

 

 黒い影がもう一度這い上がってくる。エリシアの光がそれを裂き、レオンが二体目を落とす。そのわずかな隙に、水湊は白銀の指先を見えない綻びへ滑らせた。

 

「――そこだ」

 

 空気の奥で、小さく何かが裂ける。

 

 一つ。

 

 影の動きがわずかに鈍る。

 

「続けろ!」

 

 アッシュの声に押されるように、二つ目へ意識を向ける。重い。だが、一つ切れた分だけ流れが乱れた。

 

 ナインが言う。

 

『もう少し下。左じゃない、右』

 

「細かいな……!」

 

『そこ外したらやり直しだよ!』

 

 その物言いが妙に現実的で、逆に助かる。

 

 白銀の指先をわずかにずらし、二本目の綻びを断つ。

 

 今度は、もっとはっきり音がした。

 

 石板の向こうで、黒い靄が一度に崩れる。

 

「最後!」

 

 リシュアが叫ぶ。

 

 階段の下の暗がりが、持ち上がりかけている。時間がない。

 

 水湊は息を詰め、最後の線を一気に断ち切った。

 

 ぶつり、と嫌な音が響く。

 

 その直後、黒い影は糸を切られたように崩れ、階段の先の暗さも一段沈んだ。

 

 静かになる。

 

 誰もすぐには動かなかった。

 

 先に口を開いたのはレオンだった。

 

「……いまのうちだな」

 

 アッシュも頷く。

 

「石板をあと少し開ける。中を確認して楔を回収する」

 

「死体もあるしな」

 

 エリシアの声は少し低かった。

 

 さっきまでの影は消えたが、安心はまだ早い。

 

 水湊は中位接続を保ったまま、もう一度石板へ手をかける。今度はさっきより滑らかに動いた。輪が切れたせいか、扉そのものの抵抗も弱くなっている。

 

 人が一人通れる程度まで開いたところで、アッシュが先に入った。続いてレオン、エリシア、リシュア。水湊も白銀の光を散らしながら中へ踏み込む。

 

 階段の途中に倒れていた男は、やはり死んでいた。

 

 顔色は灰色で、目は見開いたまま。外傷は少ない。だが、胸元に黒い筋が走っている。綻びに呑まれかけ、その途中で輪が暴れたのだろう。

 

「こっち側の人間か」

 

 レオンが男の懐を探り、細い札片を抜き取る。

 

「王城の者じゃない。印も消してある」

 

「使い捨てね」

 

 エリシアが嫌そうに言った。

 

 階段の先、床に打たれていた三本の楔は、輪が切れたことでただの黒い杭に戻っていた。だが嫌な気配までは完全に消えていない。

 

 水湊はその一本を見下ろし、小さく息を吐く。

 

「またこれか」

 

「回収はできそう?」

 

 リシュアが聞く。

 

「さっきよりは楽だ」

 

 輪が動いていない今なら、西や旧搬送路の時よりずっとましだ。

 

 アッシュが短く言う。

 

「三本とも持ち帰る。ここで余計なことはするな」

 

「教授なら分解したがるだろうな」

 

 水湊が言うと、エリシアが肩をすくめる。

 

「そのために持って帰るんでしょ」

 

 それもそうだ。

 

 水湊は一本ずつ、慎重に楔を抜いていく。黒い杭は石とも金属ともつかず、触れているだけで指先の感覚が少し鈍くなる。三本目を抜き終えたところで、床の嫌なざらつきがようやく薄れた。

 

 そのまま階段の先へ目を向ける。

 

 通路はさらに下へ続いている。暗い。だが、さっきまでの“口を開けた感じ”はもうない。

 

『まだ先はあるよ』

 

 ナインが言う。

 

「だろうな」

 

『でも、今日はここまででいいと思う』

 

 珍しくまともなことを言う。

 

 水湊がそのまま伝えると、アッシュも短く頷いた。

 

「同感だ。今日は祭祀路の入口を潰しただけで十分だ」

 

 エリシアが死体の方へ目をやる。

 

「こっちは?」

 

「運ぶ」

 

 レオンが答える。

 

「身元が割れれば少しは手がかりになる」

 

 死体、楔三本、祭祀路の内部。

 収穫としては大きい。

 だが、それで終わる話でもない。

 

 水湊は石板の向こう、さらに下へ続く暗がりを見つめた。

 

 向こうはまだある。

 今日は入口で止めた。

 でも、その先に何があるのかまでは見えていない。

 

 胸の奥の冷たい灯が、静かに揺れた。

 

 ヴェネフィスは何も言わない。

 けれど、さっきの“断て”はもう、はっきりこの戦い方になり始めている。

 

 綻びを切る。

 輪を断つ。

 道になる前に止める。

 

 それが、いまの自分の役目なのだろう。

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