第三祭祀路から持ち帰ったものは、三つあった。
黒い楔が三本。
身元不明の死体が一つ。
そして、祭祀路の奥にまだ何かが続いているという、あまり嬉しくない確信。
そのうち、いちばん先に片づけられたのは死体の方だった。
片づけられた、という言い方が正しいのかは少し怪しい。だが少なくとも、楔や綻びと違って、人間の方は王城にも手順がある。衣服、持ち物、身体の傷、魔力痕。ひと通りの確認は、術官ではなく軍と文官が主になって進めていく。
水湊たちは、その結果を待つ側だった。
翌日の昼過ぎ、別働隊はまた王城外縁の作戦室へ呼ばれた。
もう何度も入っている部屋だが、入るたび空気が違う。今日は机の上に、楔の封印箱が三つ並び、その脇に紙束が積まれていた。アッシュは壁際で腕を組み、レオンは窓もない石壁を見ながら何か考えている。エリシアは椅子に腰掛けているが、完全に休んでいる顔ではない。
「来たわね」
セレニアが机上の紙を整えながら言う。
「結果、出たわよ」
「どっちが先だ」
水湊が聞くと、セレニアは一枚目の紙を持ち上げた。
「死体の方から」
その言い方で、少しだけ身構える。
「身元は?」
「王城の人間じゃない。軍籍もなし。ラングラン正規の術官でもない」
そこまでは予想通りだった。
「ただ、まったくの流れ者というわけでもなさそう」
セレニアは紙を机の中央へ置く。
「衣服の繊維、持ち物の加工、魔力の癖。どれも南外縁の工房筋に近い。今は潰れた小工房か、そこから流れた者の可能性が高い」
「雇われか」
レオンが低く言う。
「おそらくね」
セレニアは頷く。
「問題は、何に雇われていたか」
そこへ、アッシュが別の紙を一枚差し出した。
「懐から出た札片だ」
見ると、何かの印らしきものが途中まで削られている。完全には読めない。だが、消しきれてもいない。
「故意に削ってるな」
水湊が言うと、アッシュは短く返す。
「そうだ。所属を隠したいが、急いでいて処理が甘い」
エリシアが椅子にもたれたまま言う。
「雑なのか、焦ってたのか」
「両方かもしれん」
レオンの声は乾いていた。
死んだ男ひとりから、全部がわかるわけじゃない。だが少なくとも、ただ偶然巻き込まれた誰かではない。何かのために送り込まれ、途中で捨てられた駒だ。
その事実だけで十分に嫌だった。
セレニアは紙束を脇へ避け、今度は楔の箱を指先で叩いた。
「次。本題ね」
箱はすでに一度開けられているらしかった。封印布の上から、新しい術式が重ねられている。扱いが変わったということだろう。
「三本とも、西側と旧搬送路で回収したものと同系統だった」
「やっぱりか」
水湊が言うと、ベルトラン教授がそこで口を開いた。
「ただし、まったく同じではない」
教授は箱の一つを開き、黒い楔を石台の上へ転がした。
近くで見ると、表面の筋が前のものより細かい。刻印ではない。だが、粗い傷とも違う。
「西側のものは“押し込む”ための形だった。今回の三本は、そこに“揃える”ための癖が加わっておる」
「揃える?」
水湊が聞き返す。
教授は石台の上へ三本を並べた。
「輪を組むためだよ。一本だけでは綻びを保つ。三本揃うと、綻び同士の間に向きが生まれる」
リシュアがすぐに術式板を重ねる。三本の楔の上に細い光が走り、淡い三角が浮かび上がった。
「祭祀路で見たのと同じ反応です」
「つまり」
エリシアが眉を寄せる。
「向こう、最初から三本一組で使い分けてるってこと?」
「そう考えた方が自然ね」
セレニアが答えた。
「楔はただ刺せばいいわけじゃない。場所を選び、向きを揃え、綻びの流れを一定方向へ寄せている」
水湊はその三角を見ながら、小さく息を吐く。
壊すためではない。
散らすためでもない。
寄せて、揃えて、通せる形に近づけている。
そこまでくれば、もうだいぶはっきりしている。
「やっぱり、“道”を作ってるんだな」
思わずそう口にすると、教授が静かに頷いた。
「おそらくな」
室内が少し静まる。
言葉にすると、輪郭が濃くなる。濃くなるほど、現実味が増す。
アッシュが机上の地図をこちらへ回した。
「旧貯水路跡、西側監視線、旧搬送路、封印庫跡、第三祭祀路。これらを結ぶと、王都外縁の南半分に偏る」
「最初から狙いを絞ってたのね」
エリシアが言う。
「そうだろうな」
アッシュの返しは短い。
「偶然にしては手が揃いすぎている」
レオンが地図の南寄りを指先でなぞる。
「しかも、祭祀路のさらに先にも古い通路がある」
そこで、水湊は顔を上げた。
「まだあるのか」
「ある」
レオンは頷く。
「南外縁の古い祭祀路は、地下で二本に枝分かれしている。一つは昨日の第三祭祀路。もう一つは、もっと深いところで旧神殿跡へ繋がる」
聞いた瞬間、胸の奥が少しざらついた。
旧神殿跡。
それだけで、碌でもない気配しかしない。
ナインが影の中で呟く。
『やっぱり下に行くんだ』
「行きたくないな」
『でも行くんでしょ』
「だろうな」
そこへ、リシュアが術式板から顔を上げた。
「もう一つ、気になることがあります」
全員の視線が向く。
「楔そのものの術式です。王城式でも軍式でもないのは変わりません。ただ……」
「ただ?」
セレニアが促す。
「基礎の組み方に、古い祭祀術の癖があります」
その言葉は重かった。
ベルトラン教授がすぐに食いつく。
「断言できるか」
「断言までは」
リシュアは慎重だった。
「でも、王城の正規術式より、古い礼式術や奉納術に近いです。実用術というより、“場を整えて何かを通す”ための組み方に見える」
「祭祀路と噛み合うわね」
セレニアが言う。
アッシュは無言のまま、地図の南端を見つめている。考えている時の顔だ。だいたい、そういう時の結論は面倒な方へ寄る。
「つまり何だ」
水湊は地図へ視線を落としたまま聞く。
「向こうは昔の場所と昔の術を拾って、そこへ今の綻びを重ねてるってことか」
「そう考えるのがいちばん筋が通る」
教授が答えた。
エリシアが嫌そうに顔をしかめる。
「ほんと、正面から来ないわね」
「正面から来るなら楽なんだがな」
アッシュの返しは乾いていた。
そこへ、作戦室の扉が二度叩かれた。
文官が一人、急ぎ足で入ってくる。顔つきだけで、あまり嬉しくない報告だとわかった。
「失礼します。南外縁の見回り班より」
「言え」
アッシュが促す。
「第三祭祀路のさらに南、旧神殿跡方面で、小規模な地揺れと光の乱れが確認されました」
言い終わるより先に、レオンが舌打ちした。
「早いな」
「こちらの動きに気づいた、というより……」
文官は少し迷ってから続けた。
「向こうも、何かを急いでいるように見えます」
その言葉に、水湊はさっき自分が言ったことを思い出した。
向こうも止まれない。
こっちが追っているからだけじゃなく、向こうにも向こうの都合がある。
その仮説は、どうやら外れていないらしい。
セレニアが立ち上がる。
「場所は旧神殿跡寄りね」
「はい」
「距離は?」
「第三祭祀路から地下側を通れば、半刻ほどかと」
レオンが地図を巻き取った。
「行くしかないな」
「行くしかないわね」
エリシアも立ち上がる。ぼやく割には、動きは早い。
アッシュは最後に一度だけ、石台の上の黒い楔を見た。
「これで敵のやり方は見えた。次は、何を通そうとしているかだ」
その一言が、やけに重く響いた。
道を作っている。
場所を揃えている。
昔の術と、今の綻びを繋いでいる。
なら、その先は一つしかない。
何かを通すためだ。
人か。
力か。
もっと別の何かか。
まだわからない。
だが、旧神殿跡へ行けば、少なくともその輪郭はもう一歩はっきりするだろう。
水湊は立ち上がり、無意識に胸の奥へ意識を向けた。
冷たい灯は、静かに近い。
ヴェネフィスは何も言わない。
だが、その沈黙はもう、ただ遠いだけのものではなかった。