魔装機神ヴェネフィルディア   作:深雪ソーマ

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第二十七話 旧神殿跡

 旧神殿跡へ向かったのは、その日のうちだった。

 

 夜が深くなるほど、王都の南外縁は静かになる。人の動きが減るぶん、石壁の間を抜ける風や、遠くの見張り灯の揺れがやけに目についた。別働隊は第三祭祀路の入口から地下へ入り、そのまま南へ伸びる古い通路を進んでいた。

 

 祭祀路の床は、他の搬送路と違って少し幅が広い。

 

 昔は人だけではなく、何かの台座や祭具も通したのだろう。壁のところどころに浅い彫り跡が残っている。だが長い年月で削れ、何を意味していたのかまではもうわからない。

 

「気味が悪いくらい静かね」

 

 先頭寄りを歩くエリシアが、小さな声で言った。

 

「工房区画よりひどいな」

 

 水湊が返すと、レオンが前を向いたまま言う。

 

「神殿跡なんてのは、使われなくなった後がいちばん面倒なんだよ」

 

「経験談か」

 

「嫌な意味でな」

 

 それだけで十分だった。

 

 松明ではなく魔力灯を絞って使っているせいで、通路の先はどこまでも暗い。明るくしすぎれば、遠くからこちらが見える。だから必要最低限。そういう歩き方にも、少しずつ慣れてきた自分が嫌だった。

 

 足元の影で、ナインがぽつりと言う。

 

『前より近い』

 

「何が」

 

『嫌な感じ。祭祀路の入口より、こっちの方がはっきりしてる』

 

 水湊も同じだった。

 

 第三祭祀路では“この先にある”程度だった違和感が、いまはもっと近い。綻びそのものの気配というより、通そうとしている何かの“準備”に近い感じがある。

 

 しばらく進んだところで、通路が左右に分かれた。

 

 左は崩落。右はまだ通れる。だが問題はそこではない。分岐の手前、床の中央に薄い光の筋が走っていた。

 

 リシュアがすぐに足を止める。

 

「術式痕です」

 

 アッシュが短く問う。

 

「新しいか」

 

「ええ。かなり」

 

 水湊もしゃがみ込み、その筋を見た。

 

 王城式ほど整っていない。かといって黒い楔のような露骨な異物感とも違う。もっと雑で、急ごしらえで、けれど“揃えよう”としている意志だけは見える。

 

「試した跡だな」

 

 思わずそう言うと、ベルトラン教授が後ろから頷いた。

 

「おそらくな。通路の安定を測ったか、あるいは座標の噛み合わせを見たか」

 

「成功はしてない」

 

 水湊が続ける。

 

「ここはまだ浅い。途中で切れてる」

 

「だから先へ進んだ、か」

 

 アッシュの声は低い。

 

 つまり、向こうも手探りだということだ。

 最初から完成した術式で押してきているわけではない。古い場所を使い、綻びを寄せ、何度も試しながら前へ進んでいる。

 

「少しは救いがあるわね」

 

 エリシアがぼそりと言う。

 

「完璧な相手じゃないって意味では」

 

「同感だ」

 

 レオンも珍しくすぐに返した。

 

 分岐を右へ取る。

 

 そこから先は、空気がさらに変わった。

 

 祭祀路の石壁が少しずつ広がり、通路そのものが丸みを帯びていく。人工の通路でありながら、どこか自然洞窟に寄っているような形だ。昔の神殿へ向かう道だからなのか、あるいはもっと古い空間に後から道を通したのか。

 

 やがて前方に、低い天井の広間が見えた。

 

 旧神殿跡だった。

 

 完全な建物の形は残っていない。柱の半分が折れ、祭壇らしき段差も崩れている。だが中心がどこだったかは、いまでもひと目でわかった。

 

 中央に、円形の台座がある。

 

 その周囲の床へ、白い粉のようなものが細く撒かれていた。等間隔ではない。だが意図のない散り方でもない。いくつもの線が交わり、中央へ向かって寄っている。

 

「……これ、昨日の輪とは違うな」

 

 水湊が言うと、リシュアも頷いた。

 

「楔ではなく、術式線です。即席の祭場を組んだように見えます」

 

 ベルトラン教授が、ゆっくりと周囲を見回す。

 

「祭祀路、封印庫跡、旧工房区画。ばらばらだったものが、ここで繋がるか」

 

 その時、水湊の目に、祭壇の奥の壁が映った。

 

 正面は崩れている。だが、その奥にもう一段、小さな祠のような空間がある。その前に、黒いものが立っていた。

 

「……人か?」

 

 エリシアが小さく言う。

 

 全員が身を固くする。

 

 だが、水湊はすぐに首を横に振った。

 

「違う。像だ」

 

 近づくと、それは人の形をした石像だった。顔は削れ、腕も片方しか残っていない。古い神像か守護像か。けれど、その足元にだけ新しい痕があった。

 

 黒い粉。

 割れた楔の欠片。

 それに、円環状の細い金属片。

 

 水湊の背筋が冷える。

 

「ここで組んでたのか」

 

 アッシュが低く言う。

 

「何をだ」

 

「通路の試作品、ってとこかしらね」

 

 セレニアが追いついてきて、足元の痕を見下ろした。

 

「封印庫跡で抜かれていた“境界安定具”の代わりを、ここで雑に再現しようとした形跡に見える」

 

「できるのか、そんなこと」

 

 水湊が聞くと、教授が苦い顔をした。

 

「できておるなら、もっとひどいことになっておるよ」

 

 その返しに、少しだけ救われる。

 

 つまり、まだ完成はしていない。

 向こうもまだ途中だ。

 

 だが、その希望はすぐに別の不穏さに押し流された。

 

 中央の円形台座。

 白い粉で引かれた即席の線。

 神像の足元の黒い残滓。

 そして、そのすべてが、旧工房区画からの綻びの流れと噛み合っている。

 

 偶然ではない。

 ここが中心だ。

 

『水湊』

 

 ナインの声がいつもより低い。

 

『真ん中、もう少しで噛み合う』

 

 その言葉と同時に、胸の奥がざらついた。

 

 台座の中央。

 見た目には何もない。

 だが、そこだけ空間の厚みが違う。

 

「……あるな」

 

 思わず漏れる。

 

 アッシュが横に並ぶ。

 

「何が見える」

 

「穴じゃない。まだ」

 

 水湊は台座を見つめたまま答えた。

 

「でも、座標だけ先に揃えようとしてる感じがある」

 

「座標、か」

 

 レオンが低く繰り返した。

 

「門を開く前に、行き先だけ定めるみたいなものか」

 

「そんな感じだ」

 

 その表現はかなり近かった。

 

 門そのものではない。

 通路の完成でもない。

 ただ、“どこへ通すか”だけはもう定めようとしている。

 

 そこへ、強い意志が胸の奥へ落ちてきた。

 

 壊せ。

 

 ヴェネフィスだった。

 

 水湊は一瞬だけ目を見開く。

 

 断て、ではない。

 壊せ。

 

 それだけ、この場が危ういということだろう。

 

「アッシュ」

 

「言え」

 

「ここ、切るんじゃ足りない」

 

 水湊は台座を指す。

 

「中心そのものを壊す」

 

 エリシアがすぐに反応した。

 

「大丈夫なの?」

 

「大丈夫じゃないかもしれない。でも、これ残したらまずい」

 

 教授が中央台座へ視線を据えたまま、静かに言う。

 

「やるしかあるまいな」

 

「術式固定、入れます」

 

 リシュアが前へ出る。

 

「外周は私たちが押さえる」

 

 エリシアとレオンも位置を取る。アッシュは水湊のすぐ後ろに立った。

 

 もう迷う時間はない。

 

 水湊は円形台座の正面に立ち、右手を開いた。

 

「同調《シンク》――中位接続」

 

 白銀の光輪が静かに開く。

 

 ヴェネフィルディアの上半身と背部フレームの一部が、旧神殿跡の広間へ半ばだけ現れる。石床が低く震え、白い粉の線がわずかに揺れた。

 

 水湊は白銀の腕を、台座の中央へ向ける。

 

 切るのではない。

 押さえるのでもない。

 今度は、本当に壊す。

 

 見えない座標の噛み合わせへ、横から白銀の指先を差し込む。合わせようとしている継ぎ目を、先に砕く。

 

 次の瞬間、広間の空気が大きくきしんだ。

 

 白い粉の線が一斉に浮き、黒い残滓が巻き上がる。神像の足元から、黒い靄が噴きかけた。

 

「来るぞ!」

 

 アッシュの声と同時に、エリシアの光が走る。レオンが神像の前へ回り込み、這い上がる影を斬り払う。リシュアの術式糸が広間の床を走り、外周を固定した。

 

 水湊は歯を食いしばる。

 

 重い。

 今まででいちばん重い。

 

 綻びの輪を断つのとは違う。これは、向こうが揃えかけた“通り道の芯”そのものへ手を入れている。

 

『まだ!』

 

 ナインが叫ぶ。

 

『真ん中だけじゃない、下に繋がってる!』

 

「見えてる!」

 

 たしかにそうだった。

 

 台座の中心だけ壊しても、その下へ伸びている細い筋が残る。これを折らなければ、また別の場所で繋ぎ直される。

 

 ヴェネフィスの意志がもう一度落ちる。

 

 深く。

 

 水湊は息を詰め、白銀の腕をもう一段だけ沈めた。

 

 そこは、ラ・ギアスの石床ではなかった。

 もっと薄い、もっと不安定な層だ。

 触れた瞬間、ぞっとするほど遠い感覚が返ってくる。

 

 でも、踏み込む。

 

「――ここだ!」

 

 白銀の指先が、見えない芯を横から打つ。

 

 ひび割れたような音が、広間いっぱいに響いた。

 

 台座の中央が割れる。白い粉の線が一斉に黒ずみ、神像の足元の残滓も崩れた。噴きかけていた靄は、その場で形を保てずに散る。

 

 その直後、広間そのものが一度だけ大きく揺れた。

 

「下がる!」

 

 アッシュの声に押されるように、全員が一歩引く。

 

 だが崩落は起きなかった。

 揺れは一度で止まり、その後は急速に静まっていく。

 

 やがて、旧神殿跡には乾いた静けさだけが残った。

 

 誰もすぐには口を開かなかった。

 

 最初に息を吐いたのはエリシアだった。

 

「……今の、心臓に悪いってレベルじゃないんだけど」

 

「毎回更新されるな」

 

 水湊が言うと、彼女は本気で睨んだ。

 

「笑いごとじゃないわよ」

 

「笑ってない」

 

「顔がちょっと笑ってるの」

 

 そこへ、レオンが神像の足元を蹴って黒い欠片を裏返した。

 

 もう嫌な反応はない。

 ただの汚れた残骸に見える。

 

「成功、か」

 

 その問いに、リシュアが術式板を確認して頷く。

 

「中心反応、消えました。下への筋も切れています」

 

 教授がようやく肩の力を抜いた。

 

「ひとまずは、な」

 

 その言い方は慎重だったが、間違ってはいないだろう。

 

 ここを壊した。

 けれど、向こうがこれで諦めるわけではない。

 

 水湊は中位接続を解きながら、割れた台座を見つめた。

 

 通り道の芯。

 試作の祭場。

 旧神殿跡で揃えられかけていた座標。

 

 敵の狙いは、もうかなりはっきりしている。

 

 何かを越境させようとしている。

 それも、偶然できた裂け目に乗るのではなく、ラ・ギアス側で“通せる形”を作って。

 

 胸の奥の冷たい灯が、ゆっくり静まっていく。

 

 ヴェネフィスはもう何も言わない。

 けれど、さっきの“壊せ”だけで十分だった。

 

 水湊は小さく息を吐く。

 

 この戦いは、裂け目を閉じるだけでは終わらない。

 向こうが作ろうとしている“道”そのものを、先回りして潰さなければならない。

 

 そしてその先には、たぶんまだ、もっと大きな本体がある。

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