魔装機神ヴェネフィルディア   作:深雪ソーマ

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第二話 異邦の操者

 閉じかけていた裂け目が、もう一度、音もなく開いた。

 

 先ほどまでの亀裂とは明らかに違う。細く浅い傷ではない。空間そのものが、そこだけごっそりと抉り取られたような、歪んだ穴だった。青白い光が奥で脈打ち、そのたびに周囲の岩肌がびりびりと震える。

 

 街道の三人が、一斉に顔色を変えた。

 

「まだ出るの……!?」

 

 赤銅色の髪の女魔術師が、半歩だけ後ずさる。杖の先に集まっていた光は消えていない。だが、いま向けるべき先が水湊ではなくなったことくらいは、彼女自身も理解しているらしい。

 

 ナインが影の中で低く唸るように気配を震わせた。

 

『さっきのより重い。位相の密度が違う』

 

 同時に、水湊の胸の奥へ冷たい圧が落ちてきた。

 

 鋭い。深い。けれど、焦りはない。

 

 ヴェネフィスの意志だ。

 

 退けば裂け目が広がる。

 

 ここで止めろ。

 

 それだけで十分だった。

 

 裂け目の奥から現れたのは、これまでの魔物より一回り大きい異形だった。四足ではない。上半身だけが人型に近く、下半身は獣のように太い。両腕は異様に長く、指の先端が半透明に揺らいでいる。顔にあたる部分には目も鼻もなく、縦に走る亀裂だけが青く光っていた。

 

 そして出てきた瞬間、そいつは何も迷わず街道の三人へ向き直った。

 

「まずい!」

 

 叫ぶより先に、ヴェネフィルディアが前へ出る。

 

 踏み込んだ感触はあった。だが足で走ったわけではない。自分と敵の間にあったはずの距離が、どこかで折れて縮む。空間が噛み合い、目の前に敵がいた。

 

 水湊は右手を握る。

 

 白銀の指先に、剣の重みが伝わる。

 

 裂界剣《スプリットセイバー》。

 

 振り抜くより早く、異形の長腕がこちらへ薙ぎ払われた。透明な爪の先が、空気を裂いてくる。受ければ危ない。直感ではなく、機体の内側を流れる感覚がそう告げていた。

 

「シフト!」

 

 ヴェネフィルディアの視界が一瞬だけ白く抜ける。

 

 次の瞬間には、さっきまでいた位置から半歩ずれた場所に機体が滑っていた。長腕は残像だけを断ち、岩肌を深く抉る。

 

 そのまま剣を振り上げる。

 

 だが異形も速かった。身を捻り、裂界剣の軌道を紙一重で外す。その背後で、街道の女魔術師がようやく叫んだ。

 

「そっちへ寄せる! 二人とも右から抑えて!」

 

 人影が散る。

 

 水湊は一瞬だけ驚いた。こちらが見知らぬ魔装機だろうと、相手はもう戦う方を優先している。少なくとも、この場で内輪揉めをするほど愚かではないらしい。

 

『助かるね』

 

 ナインが言う。

 

「あとでちゃんと礼は言う!」

 

 返しながら、水湊は左肩の感覚へ意識を向けた。界穿弾《ピアスミサイル》。だが、ただ撃つだけではたぶん浅い。相手は位相の揺らぎに馴染んでいる。

 

 胸の奥へ、再び意味が落ちる。

 

 門を挟め。

 

 短い促しだった。

 

 水湊は息を呑む。考えるより先に、動きが繋がった。異形の正面ではなく、その斜め後方。そこへごく小さな光輪がひとつだけ開く。

 

「界穿弾――!」

 

 肩部から放たれた誘導弾が、その門へ吸い込まれた。次の瞬間、敵の背後で再出現した弾頭が、ほとんど零距離で炸裂する。

 

 異形の身体が揺らぐ。

 

 そこへ街道側から、鋭い魔力の槍が二本飛び込んだ。女魔術師の部下らしい二人が、左右から同時に撃ち込んだのだろう。片方は肩口へ、片方は腰へ突き刺さり、青い火花が散る。

 

「効いてる……!」

 

 女魔術師の声。

 

 だが異形は倒れない。縦に裂けた口が大きく開き、その奥で青白い光が膨れ上がった。

 

 危険だ、と水湊は理解した。

 

 次の一撃は、さっきの魔物たちとは比べものにならない。

 

「下がれ!」

 

 思わず怒鳴ったのは、街道の三人に向けてだった。

 

 女魔術師がこちらを見た一瞬のあいだに、異形の口から光が解き放たれる。砲撃というより、裂け目そのものを押しつけるような光だ。直進しているのに、周囲の景色が引き裂かれていく。

 

 咄嗟に両腕を前へ出した。

 

「位相障《フェイズシェード》!」

 

 ヴェネフィルディアの前方に、薄い膜が幾重にも走る。

 

 一枚では足りない。二枚でも足りない。膜が重なり、ずれ、少しずつ角度を変えて並ぶ。光がそれらに触れるたびに軌道が逸れ、真正面から通るはずだった破壊が、わずかにわずかに削られていく。

 

 きつい。

 

 腕が軋む。いや、機体の腕だけではない。水湊自身の骨の内側まで重く圧される。

 

 それでも、完全には抜かせない。

 

 光の流れが最後の膜を擦り、斜め上へ逸れて天井の岩盤を抉り飛ばした。轟音が一拍遅れて降ってくる。

 

 女魔術師が目を見開いていた。

 

「……防いだの」

 

 完全には防げていない。だが、通しもしなかった。

 

 水湊は大きく息を吸い、ヴェネフィルディアを前へ傾ける。異形の砲撃直後、ほんの短い隙ができている。ヴェネフィスの意志が、静かにそこを指し示した。

 

 いま。

 

 それだけで、十分だった。

 

「そこだ――!」

 

 ヴェネフィルディアが踏み込み、空間が縮む。裂界剣が振り下ろされる直前、今度は剣の軌道そのものへ小さな門が開いた。

 

 刃が一瞬消え、次の瞬間には異形の胸元すぐ前から現れる。

 

 避けきれない。

 

 白銀の一閃が、異形の中心を斜めに裂いた。

 

 普通の斬撃なら、あれほど深くは入らなかっただろう。だが裂界剣は装甲や肉を斬るのではなく、対象の位相的な繋がりそのものを断つ。異形の身体は中央からずるりとずれ、灰と青い火花になって崩れた。

 

 同時に、背後の裂け目が大きく揺れる。

 

 水湊は反射的にそちらへ向き直った。まだ閉じていない。倒しただけでは終わらないらしい。

 

 ナインの気配が増える。

 

『やるよ』

 

 白銀の小狐の残像が、足元の影から三つ、四つと分かれた。ハイ・ファミリア。小さな白い影が裂け目の周囲を囲むように散り、それぞれが薄い光を刻んでいく。

 

 座標の杭だ。

 

 意味はわかった。水湊もそれに合わせて両手を広げる。

 

 胸の奥の灯と、骨の内側の冷たさが一度に鳴る。機体の背部フレームがゆっくりと開き、その中央に薄い円環が形成される。

 

「開門《ゲート》……小規模固定!」

 

 裂け目と世界の間に、もうひとつ小さな門が噛み合った。

 

 閉じるための門だ。

 

 ナインの打った座標が裂け目の縁を縫い止め、ヴェネフィルディアの位相がそれを押さえ込む。そこへヴェネフィスの意志が重なり、世界の裂け目が少しずつ、しかし確かに狭まっていった。

 

 最後に、ぴしりと硬い音が響く。

 

 裂け目は消えた。

 

 ざらついていた空気が一気に静まる。さっきまで感じていた世界の薄さも、かなり弱くなっていた。

 

 戦いは終わったのだと、水湊はそこでようやく理解する。

 

「……はぁ」

 

 安堵とともに、力が抜けそうになった。機体に支えられていなければ、膝をついていたかもしれない。

 

 そのとき、街道の三人のうち、赤銅色の髪の女魔術師がゆっくりと前へ出た。杖はまだ下ろしていない。だが、最初に向けていた剥き出しの敵意は薄れている。

 

「一応、助かったわ」

 

 言い方は硬いが、礼ではあるらしい。

 

 水湊はヴェネフィルディアをわずかに下がらせ、剣先を地面へ向けた。敵意がないという意思表示は、さっきと同じだ。

 

「そっちも援護してくれただろ」

 

「しなければ全員死んでたもの」

 

 女魔術師はそこで一度区切り、まっすぐこちらを見る。

 

「改めて聞くわ。あなた、何者?」

 

 当然の問いだった。

 

 水湊は短く息を吐く。嘘をつくのは簡単ではない。正直に全部を言って通じるとも思えない。けれど、さっきの戦いで少なくともひとつだけは決まっていた。

 

 逃げるのは、いまではない。

 

「久遠水湊」

 

 異質な響きの名を、今度ははっきりと告げる。

 

「異邦人だ。ここに来たばかりで、所属はない」

 

 女魔術師の眉がぴくりと動く。横にいた男の一人が露骨に怪訝そうな顔をした。

 

「そんな話を信じろと?」

 

「信じなくてもいい。ただ、敵じゃない」

 

 それだけは本当だった。

 

 女魔術師はしばらく黙って水湊を見たあと、ちらりとヴェネフィルディアへ視線を移す。その目には、警戒と同じくらい、強い興味があった。

 

「その機体、ラングランの制式じゃないわね」

 

 図星だ。

 

 水湊は答えに詰まる。知らない、と言うには、あまりにも扱えてしまった。けれど、説明できる言葉もない。

 

 その沈黙をどう取ったのか、女魔術師は小さく息をついた。

 

「……まあいいわ。ここで問答していても仕方ない」

 

 杖の先の光が消える。

 

「私はエリシア。ラングラン軍の巡察隊よ」

 

 名乗った彼女の後ろで、二人の部下もようやく構えを緩めた。

 

「あなたとその魔装機を、このまま放置はできない。来てもらうわ」

 

 連行、というより保護と監視の中間くらいの響きだった。

 

 水湊はヴェネフィルディアの操縦席の中で、ナインの気配を探る。白銀の小狐は影の底で、面白くなってきたと言わんばかりに尾をひとつ揺らした。

 

『悪くない流れだね』

 

「他人事みたいに言うなよ」

 

『だって半分は他人事じゃないし』

 

 相変わらずの返しに、少しだけ肩の力が抜ける。

 

 同時に、胸の奥へまたひとつ、静かな圧が落ちてきた。

 

 ヴェネフィスの意志だった。

 

 短い。だが今度は、試すだけではない。

 

 進め。

 

 それは命令というより、最低限の了承だった。

 

 水湊は目を閉じ、ひとつ息を整える。

 

 ラ・ギアスに落ちて最初の戦いは終わった。

 白銀の魔装機神には辿り着いた。

 けれど、ここから先が本番なのだろう。

 

 異邦人として。

 空間の精霊に試される操者として。

 そして、まだ名も立場もないまま、ラ・ギアスに足を踏み入れた者として。

 

「……わかった」

 

 誰へ向けた言葉だったのかは、自分でも少し曖昧だった。

 

 エリシアたちに向けてか。

 ヴェネフィスに向けてか。

 それとも、ようやく始まったこの世界そのものに向けてか。

 

 ただ、答えはもう返してしまった。

 

 ヴェネフィルディアは白銀の装甲を軋ませることなく、静かに身を起こす。街道の先には、光る植物と石造りの街並みが、巨大な岩盤の下に幾重にも広がっていた。

 

 ラ・ギアス。

 

 異邦人・久遠水湊の最初の居場所になる世界が、そこにあった。

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