魔装機神ヴェネフィルディア   作:深雪ソーマ

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第二十八話 見られている側

 旧神殿跡を離れたのは、夜がいちばん深くなった頃だった。

 

 割れた台座はそのままにはできず、王城術官が急ぎで仮封鎖を施した。神像の足元に散った黒い残滓も、拾える分は拾い集める。慎重すぎるくらい慎重だったが、それでも誰一人、やりすぎだとは言わなかった。

 

 あの場にあったものは、そういう類だった。

 

 帰路の空気は重かった。

 

 任務そのものは成功している。通り道の芯を壊し、旧神殿跡で揃えられかけていた座標も潰した。けれど、終わったという感じは薄い。むしろ、向こうにとって“やられた”のが今夜だったのだろうと思うと、これからが嫌だった。

 

 前を歩くアッシュも、後ろを気にしているレオンも、いつも以上に無駄口がない。エリシアでさえ、さっきまでの軽口が引っ込んでいる。

 

『静かだね』

 

 ナインが影の中で言う。

 

「静かな方がいい時もある」

 

『でも、今はちょっと違う』

 

 その通りだった。

 

 第三祭祀路へ戻る途中、水湊は二度ほど足を止めかけた。

 

 綻びの気配ではない。

 誰かの視線でもない。

 ただ、道の先にうっすらと“待たれている”感じがある。

 

 嫌な勘だ。だが、最近はそういうものほど外れない。

 

「アッシュ」

 

 小さく呼ぶと、前を行く背中が止まった。

 

「何だ」

 

「この先、少し変だ」

 

 アッシュは振り向かないまま、短く言う。

 

「綻びか」

 

「違う。たぶん人だ」

 

 その一言で、周囲の動きが変わる。

 

 レオンが即座に壁際へ寄り、エリシアも兵へ手信号を送った。リシュアは術式板を抱え直し、教授はそれ以上前に出ない位置へ下がる。

 

「人数は」

 

 アッシュの問いに、水湊は目を閉じ、通路の先へ意識を伸ばす。

 

 はっきりとは見えない。だが、空気の重なりがある。

 

「三……いや、四かもしれない」

 

「祭祀路の先に?」

 

「たぶん曲がり角の先」

 

 レオンが低く言う。

 

「待ち伏せだな」

 

「向こうも露骨になってきたわね」

 

 エリシアの声は低かったが、妙に落ち着いていた。こういう時、彼女は強い。

 

 アッシュは一拍だけ考え、それから決めた。

 

「水湊とリシュアは後ろ。教授は中央。エリシア、右。レオンは左から回れ」

 

「了解」

 

 動きが早い。

 

 ついこの前まで暫定編成だの別働隊だのと言っていたのに、こういう時のまとまりはもう出来上がりつつある。

 

 曲がり角へ近づく。

 

 水湊は息を浅くした。胸の奥の灯は静かなままだ。ヴェネフィスはこういう“人の気配”にはあまり口を挟まないらしい。

 

 代わりに、ナインの声が低くなる。

 

『来る』

 

 次の瞬間だった。

 

 曲がり角の先から、短い光が走る。

 

「伏せて!」

 

 エリシアの声とほとんど同時に、水湊は身を低くした。光は頭上の石壁を削り、乾いた破片が散る。

 

 魔術だ。

 しかも殺しに来ている。

 

 アッシュが前へ出る。

 

「前だ! 押し返す!」

 

 レオンはすでに左側の壁を蹴って走っていた。正面から受けず、横へ回るつもりらしい。エリシアも光の術を短く返し、敵の顔を上げさせないように撃ち込む。

 

 水湊は曲がり角の先を覗き込んだ。

 

 いた。

 

 黒っぽい外套を着た男が三人。もう一人は通路の奥、後衛に下がっている。軍装ではない。王城の術官でもない。顔を隠してはいないが、逆にそこへ意味がないという顔だ。

 

 使い捨て。

 そんな言葉が頭をよぎる。

 

「狙いは足止めか」

 

 水湊が言うと、リシュアが顔をしかめる。

 

「あるいは回収阻止でしょうね」

 

 祭祀路から持ち出した残滓、神殿跡の記録、そして今の別働隊そのもの。向こうからすれば、潰せるならどれでもいいのかもしれない。

 

 正面の男の一人が、また短い光を放つ。

 

 だが今度はアッシュが剣で弾いた。狭い通路で真正面から受け止めるその姿に、やはりこの人は前衛なのだと妙に納得する。

 

「エリシア!」

 

「わかってる!」

 

 彼女の光が今度は足元を払うように走り、男の一人がバランスを崩す。

 

 そこへレオンが横から滑り込んだ。

 

 速い。

 

 短剣の一撃は深くない。だが、相手の姿勢を崩すには十分だった。

 

「っ!」

 

 男が声を漏らし、後ろの二人が一瞬だけ視線を動かす。

 

「水湊!」

 

 アッシュの声が飛ぶ。

 

 そこまで来れば、何を求められているかはわかる。

 

 正面突破ではない。

 この狭さでヴェネフィルディアの全身を出す必要もない。

 欲しいのは一瞬だ。

 

「同調《シンク》――局所接続」

 

 白銀の光輪が開く。

 

 ヴェネフィルディアの右腕部だけが曲がり角の手前へ現れ、その指先が石床を一度だけ弾く。

 

 轟音ではない。

 だが、通路そのものが短く震えた。

 

 敵の足元が揺れ、前にいた二人が同時に体勢を崩す。

 

「それで十分だ!」

 

 アッシュが踏み込み、剣の柄で一人の顎を打つ。エリシアの光が二人目の腕を払う。レオンは後衛へ一気に距離を詰めた。

 

 戦闘は長く続かなかった。

 

 四人とも、正面から死ぬまで戦うつもりではなかったらしい。一人が倒れた時点で、後衛の男が何かを床へ投げた。

 

「下がって!」

 

 リシュアが叫ぶ。

 

 床で弾けたのは煙ではなく、黒い粉だった。さっき旧神殿跡で見た残滓に似ている。けれど楔ほど濃くはない。即席の撹乱札だろう。

 

 視界が一瞬だけ濁る。

 

 その隙に、後衛の男が壁際の割れ目へ飛び込んだ。

 

「逃がすか!」

 

 レオンが追いかけかけて、アッシュが制する。

 

「追うな!」

 

「しかし――」

 

「罠だ」

 

 その一声で、レオンは止まった。

 

 煙のような黒い粉はすぐに薄れた。だが、追い込むためではなく、引き離すために使ったのは明らかだった。

 

 残ったのは、気を失った一人と、腕を押さえてうずくまるもう一人。あと二人は逃げた。

 

 エリシアが息を吐く。

 

「最悪じゃないけど、最高でもないわね」

 

「十分だ」

 

 アッシュは倒れた男の懐を探りながら言う。

 

「生きたのが二人いれば口は割れる」

 

「そう簡単に割れるかしら」

 

「割らせる」

 

 その短さに、無駄な感情はなかった。

 

 水湊は局所接続を解き、散らばった黒い粉の跡を見下ろした。

 

 綻びを作る楔とは違う。

 だが、同じ手の内から出てきた匂いがする。

 

「向こう、もう隠す気がないな」

 

 思わず言うと、リシュアが小さく頷いた。

 

「少なくとも、私たちを見逃すつもりはなくなったようですね」

 

 教授が通路の壁を見回す。

 

「旧神殿跡を潰された以上、こちらが邪魔だと認識したのだろう」

 

 それは納得できた。

 

 今までは場所を荒らし、綻びを育て、楔を打つ。こちらがどこまで気づくかを見ている段階だった。だが今日は違う。祭祀路で待ち伏せし、帰り道まで狙ってきた。

 

 それはつまり、別働隊そのものが敵の視界に入ったということだ。

 

『見られてるね』

 

 ナインが言う。

 

「ああ」

 

『嫌だね』

 

「同感」

 

 短く答えると、ナインは少しだけ黙った。

 

『でも、向こうも焦ってるよ』

 

「どうしてそう思う」

 

『丁寧じゃないから。もっと隠せたはずなのに、出てきた』

 

 その言葉は妙に刺さった。

 

 たしかにそうだ。

 

 祭祀路の石板をこじるのも雑だった。旧神殿跡の祭場も粗い。帰り道の待ち伏せも、成功すれば大きいが、失敗した時の痕跡を消しきれていない。

 

 向こうは向こうで、急いでいる。

 

「……急がされてるのかもしれないな」

 

 水湊がぽつりと言うと、エリシアが顔を向けた。

 

「誰に?」

 

「そこまではわからない。でも、末端だけが焦ってる感じじゃない」

 

 アッシュは答えなかったが、否定もしなかった。

 

 倒れた男の懐から出てきたのは、削られた札片と、短い記録紙だけだった。記録紙には走り書きで、地名の頭文字のようなものが並んでいる。

 

 第三祭祀路。

 封印庫跡。

 西監視線。

 

 そして最後の一つだけ、まだ見覚えのない文字があった。

 

「“東祠”……?」

 

 リシュアが読み上げる。

 

「東の祠堂か、祠跡か」

 

「そんな場所があるのか」

 

 水湊が聞くと、レオンがすぐに答えた。

 

「王都東外縁に小さな祠跡が点在してる。だが、主な祭路からは外れてるはずだ」

 

「“はず”ね」

 

 エリシアが眉を寄せる。

 

「嫌な言い方」

 

「嫌な予感しかしないからな」

 

 水湊も同意するしかなかった。

 

 南を押さえられた。

 なら、次は東へ手を伸ばすかもしれない。

 それが陽動なのか、本命の切り替えなのかはまだわからない。

 

 アッシュが最後に言う。

 

「王城へ戻る。生きている二人は引き渡す。東外縁の確認はその後だ」

 

「休ませる気ないわね」

 

 エリシアが言うと、アッシュは一瞥だけ返した。

 

「休んでいる間に動かれたらもっと面倒だ」

 

「正論なのが腹立つのよ」

 

 その返しに、少しだけ場がゆるむ。

 

 けれど、それも長くは続かなかった。

 

 帰路についた別働隊の足取りは早い。祭祀路の空気はさっきよりさらに冷え、石壁の影が妙に濃く見えた。

 

 もう綻びを追うだけではない。

 向こうもこちらを見始めている。

 

 その事実は、水湊の胸のどこかを静かに重くした。

 

 別働隊はもう、王城の裏手で火を消すだけの集まりじゃない。

 敵にとっても、無視できない相手になり始めている。

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