捕らえた二人は、そのまま王城へ引き渡された。
祭祀路から戻った頃には、もう夜もだいぶ更けていた。けれど王城の中だけは、そういう時間の感覚が少し薄い。灯りは落ちず、廊下のどこかで常に人が動いている。大きな出来事があればなおさらだ。
水湊が保護区画へ戻る前に回されたのは、術官区画の脇にある小さな詰所だった。
尋問室というほど物々しくはないが、雑談をするための部屋でもない。石壁の狭い部屋に机が一つ、椅子が三つ、あとは灯りだけ。外から鍵をかけられる音が、やけに響く場所だった。
「おまえは中まで入らなくていい」
アッシュがそう言った時、水湊は少しだけ肩の力を抜いた。
「助かる」
「ただし、離れるな」
「それはわかってる」
理由も察せる。
捕らえた連中が黒い楔や綻びと関わっているなら、こちらの感応やヴェネフィルディアの反応が役に立つかもしれない。尋問そのものに加わる必要はないが、近くには置いておきたい。そういうことだろう。
部屋の外の壁に背を預けると、足元の影でナインが小さく丸くなった。
『眠い』
「おまえ、こういう時だけ正直だな」
『だって眠いんだもん』
「俺も眠いよ」
『でも帰れない』
「帰れないな」
それだけ言って、二人とも少し黙る。
扉の向こうからは、ぼそぼそと低い声が聞こえる。誰が何を言っているかまでは拾えない。けれど、怒鳴り声の類が混じっていないだけ、まだましだった。
やがて、一度だけ短い悲鳴が上がった。
水湊は眉を寄せる。
『……嫌だね』
「ああ」
こういうのは、好きになれそうになかった。
それからどれくらい経ったのか、自分でもよくわからない。灯りの白さだけでは時間が測りにくい。
扉が開いたのは、アッシュではなくレオンだった。
「入れ」
短い。
その顔を見た瞬間、あまりいい結果ではないのだとわかった。
部屋の中には、アッシュとエリシア、それにセレニアがいた。捕らえた男は一人だけ、机の向こうに座らされている。顔色は悪く、片腕は布で巻かれていた。
もう一人は、いなかった。
「死んだのか」
思わずそう聞くと、セレニアが表情を変えずに答えた。
「自分で舌を噛んだわ。術式で止める前に」
部屋の空気がひどく乾いて感じられた。
水湊は机の向こうの男を見た。目は生きている。だが強がりの類は薄い。怖がっているわけでもなく、諦めているわけでもなく、ただ消耗している顔だった。
「こっちはまだ生きてる」
エリシアが言う。
「生きてるけど、知ってることは多くないわね」
レオンが壁際に立ったまま補足する。
「名前は偽名。雇い主の顔も知らん。連絡は札片だけ。指示された場所へ行って、指示されたものを打ち、あとは散れ。それだけだ」
「末端か」
「だろうな」
アッシュは椅子に座ったまま、水湊へ視線を向けた。
「だが一つだけ、妙な証言がある」
「何だ」
「“夜明け前に揃わなければ駄目だ”と、繰り返し言われていたそうだ」
その一言で、胸のどこかがわずかにざらついた。
夜明け前。
何が。
どこで。
水湊が黙っていると、机の向こうの男がかすれた声で言った。
「俺たちは……運ぶだけだ」
それが、この男の最初のまともな言葉だったらしい。
「何を運ぶ」
アッシュがすぐに聞く。
男は少しだけ首を振る。
「知らねえ。箱だ。黒い布で巻かれたやつを、祭祀路に下ろしたことはある」
水湊の目が細くなる。
封印庫跡の右奥。
床に残っていた保管具の跡。
持ち出された箱。
あれと繋がる話かもしれない。
「どこから来た箱だ」
今度はレオンが問う。
「知らねえ……受け取っただけだ。南外縁の倉で……」
「倉の場所は」
「細かくは知らねえ。地図なんか持たされねえから」
嘘か本当かはわからない。だが、この男が本当に末端なら、そこまで教えられていない可能性は十分ある。
セレニアが静かに言う。
「もう一つ。東の文字が出たわ」
水湊はそちらを見た。
「やっぱりか」
「この男も、“次は東だ”と聞かされている。ただし場所までは知らない」
男は机の上を見たまま、かすかに唇を動かした。
「祠……って言ってた」
「東の祠、ね」
エリシアが嫌そうに呟く。
昨日、札片に残っていた文字と繋がる。
偶然ではない。
水湊は机の端に手をつき、少し考えた。
夜明け前に揃わなければ駄目。
黒い布で巻かれた箱。
祭祀路。
東の祠。
向こうは急いでいる。
しかも、手駒に細かいことは教えていない。つまり、末端がどれだけ潰れても、全体は止まらないと思っているということだ。
「まだ他にも手があるな」
ぽつりと漏らすと、アッシュが頷いた。
「そう考えるべきだろう」
部屋の空気が少し落ちる。
尋問で全部がわかるとは思っていなかった。だが、実際にそこまでしか出ないとなると、やはり面倒だ。
男はそれ以上、役立つことを言わなかった。
どこまでが本当に知らないことで、どこからが言いたくないことなのかも曖昧だ。だが、少なくとも“運ぶだけ”だったのは、たぶん本当なのだろう。
その手の人間の顔をしていた。
部屋を出ると、廊下の空気が少し冷たかった。
エリシアが小さく息を吐く。
「嫌な感じね」
「最近それしか言ってない気がする」
水湊が言うと、彼女はすぐに睨んだ。
「最近ずっと嫌なんだから仕方ないでしょ」
「それはそう」
そこで会話が終わるあたり、二人ともだいぶ疲れていたのかもしれない。
作戦室へ戻ると、今度は王都東外縁の地図が広げられていた。
南や西に比べると、人の手が入った跡が少ない。古い祠跡や石碑跡が点々と残り、そのあいだを細い道が結んでいる。主要な祭路からは外れているが、完全に無関係でもない。そういう半端さが、逆に嫌だった。
レオンが地図の一角を示す。
「東で“祠”とつく場所は三つある。だが、そのうち二つは地上で、隠すには向かん」
「残る一つは」
アッシュが聞く。
「東外縁の祠跡。半地下構造。祠そのものは崩れてるが、下に小部屋が残ってる」
水湊はその場所を見た瞬間、妙な引っかかりを覚えた。
引っかかり、というより既視感だ。
祭祀路。封印庫跡。旧神殿跡。
いままで当たってきた地点と、地図の上での置かれ方がよく似ている。
「そこだな」
思わずそう言うと、全員の視線が向く。
アッシュが短く問う。
「理由は」
「説明しにくいけど……位置がきれいすぎる」
水湊は地図の南側を指す。
「こっちの線を切られたなら、向こうは別の点で合わせ直すはずだろ。東の祠跡は、その候補として都合が良すぎる」
リシュアも地図へ寄ってきて、少し考え込む。
「東側の古い水路と、祭祀碑の位置を重ねると……たしかに交点に近いですね」
「なら決まりだ」
アッシュの声は早かった。
「夜明け前と言うなら、待っている暇はない。今から動く」
「寝る暇ないわね」
エリシアがぼやく。
「あると思ってたのか」
「思ってないけど、言いたい時もあるの」
その返しに、少しだけ場がゆるむ。
だが、ゆるんだのはそこまでだった。
水湊は地図の東外縁を見つめたまま、胸の奥へ意識を向ける。
冷たい灯は静かなままだ。
けれど、完全な沈黙ではない。
ヴェネフィスもまた、次がそこだと見ている気がした。
『また走るね』
ナインが言う。
「ああ」
『眠いけど、起きるしかないか』
「そういうことだ」
王城直轄の別働隊。
綻びを追い、楔を断ち、道になる前に潰す役目。
最初はただ巻き込まれていただけだったはずなのに、いつの間にか、向こうの手を読む側へ回っている。
そのこと自体は悪くない。
でも、楽でもなかった。