魔装機神ヴェネフィルディア   作:深雪ソーマ

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第三十話 夜明け前の祠

 東外縁へ出た時、王都の空気はまだ夜の側に残っていた。

 

 空のないラ・ギアスでも、朝が近いことくらいはわかる。灯りの白さが少し薄くなり、街の奥で眠りきれない気配が動き始める。だが今夜の別働隊にとっては、そんな変化を味わっている余裕はなかった。

 

 夜明け前に揃わなければならない。

 

 祭祀路で捕らえた男が口にした、その曖昧な一言が、ずっと頭の隅に残っている。

 

「東って、やっぱりこっちよね」

 

 先を行くエリシアが、外縁の石道を見回しながら言った。

 

 東側は南や西よりもさらに静かだった。古い祠や石碑は点々と残っているが、人が寄る空気がない。忘れられた礼式の残り香だけが、道の端に薄く溜まっている感じだった。

 

 レオンが地図を畳みながら答える。

 

「祠跡はこの先だ。表の祠は崩れてる。問題は下に残ってる方だな」

 

「半地下の小部屋、だったか」

 

 水湊が聞くと、アッシュが短く頷いた。

 

「規模は大きくない。だが、隠すにはちょうどいい」

 

 まったく嬉しくない条件だった。

 

 足元の影で、ナインが小さくあくびをした。

 

『眠いのに、嫌な感じだけははっきりしてる』

 

「便利なんだか不便なんだか」

 

『どっちもだよ』

 

 それもそうかもしれない。

 

 祠跡は、東外縁の小さな崖地の下にあった。

 

 地上に残っているのは、半ば崩れた石祠と、その周囲を囲っていたらしい低い石垣だけだ。けれど、その背後にある斜面の下へ回ると、暗い口が見える。石段が二十段ほど、地の中へ落ちている。

 

 入口の脇には古い灯台の跡があり、その足元に新しい土の削れがあった。

 

「最近、人が入ってるな」

 

 レオンがしゃがみ込んで土を見た。

 

「しかも一人二人じゃない」

 

 アッシュが周囲へ視線を走らせる。

 

「見張りは?」

 

 兵が短く首を振った。

 

「この場にはいません」

 

 それを聞いても、安心はできなかった。見張りがいないのは、終わったからか、あるいは中へ引っ込んだからか、そのどちらかだ。

 

 水湊は石段の前で立ち止まり、ゆっくり息を吸った。

 

 ある。

 

 これまでとは少し違う。

 綻びの気配も、楔のざらつきも、たしかにある。だがそれより先に、古い木箱か何かを動かした後の、空っぽの重さみたいなものが残っていた。

 

「……箱、ここを通ったな」

 

 思わずそう漏らすと、エリシアが横目で見る。

 

「わかるの?」

 

「はっきり見えるわけじゃない。でも、そんな感じがする」

 

 教授がそこで少しだけ眉を上げた。

 

「封印庫跡から持ち出されたものと関係がある、かもしれんな」

 

「かも、じゃなくて、そう考えた方が自然でしょ」

 

 エリシアが言う。

 

「夜明け前までに何かを揃える、東の祠、祭祀路の箱。ここまで来て別件の方が気持ち悪いわよ」

 

 その通りだった。

 

 アッシュが短く決める。

 

「降りる。レオン、先。エリシアは後衛。水湊とリシュアは中央。教授はその後ろだ」

 

 石段は狭い。二人並ぶには少しきついくらいだった。下から吹き上がってくる空気は冷たいが、乾いてはいない。むしろ、長く閉ざされていた小部屋へ人が出入りして、古い澱みがかき回されたような匂いがする。

 

 段を下りきると、そこは小さな前室になっていた。

 

 左右の壁には供物台のような石棚があり、正面の低い扉の先にもう一部屋ある。問題は、その前室の床に、黒い砂のようなものが散っていることだった。

 

「楔の残りか」

 

 リシュアがしゃがみ込む。

 

「いえ……粉に近いですね」

 

「撒いたのか」

 

 水湊が聞くと、リシュアは指先に術式糸を絡め、少しだけ掬い上げた。

 

「たぶん。印を描くための補助材かもしれません」

 

 アッシュが正面の扉へ目を向ける。

 

「本命はその先だな」

 

 水湊も同じだった。

 

 前室の嫌な感じは薄い。だが扉の向こうは違う。小さく、狭く、でも明らかに空気の密度が違っている。

 

『いるね』

 

 ナインが言う。

 

「人か?」

 

『人だけじゃない』

 

 その返答で、背筋が冷える。

 

 アッシュは一拍だけ考え、すぐに動いた。

 

「扉を開ける。水湊、見える範囲で拾え。無理に踏み込むな」

 

「了解」

 

 レオンが扉の脇へ寄り、エリシアも光を溜める。リシュアの術式糸が床を這い、前室の外縁を軽く固めた。

 

 ごり、と鈍い音を立てて扉が開く。

 

 中は、祠というより地下の祭室だった。

 

 広さは旧神殿跡の半分もない。中央に低い台座が一つ、その向こうに壁龕がある。だが目を引くのは、そのどちらでもなかった。

 

 台座の上に、黒い布で巻かれた細長い箱が置かれている。

 

 水湊は思わず息を呑んだ。

 

「……あれか」

 

 封印庫跡の右奥に残っていた箱の痕。

 祭祀路で聞いた“運んだ箱”。

 たぶん、間違いない。

 

 そして、その箱を囲むように、床に細い術式線が組まれている。

 

 黒い楔はない。代わりに、白と黒の粉で引かれた線が、台座の下で輪を描いていた。旧神殿跡で見たものより粗いが、意図ははっきりしている。

 

 箱を中心に、通り道を組もうとしている。

 

「まだ終わってない……」

 

 水湊が低く言う。

 

 その直後だった。

 

 壁龕の陰から人影が動いた。

 

 黒い外套を羽織った男が二人。さらに、その後ろに女が一人立っている。三人とも王城式でも軍式でもない装いだ。顔を隠してはいない。だが、その顔の半分以上が疲労と焦りで削れているように見えた。

 

「来るのが早いな」

 

 男の一人が言った。

 

 初めてだった。

 

 向こうから、まともに言葉を投げてきたのは。

 

 アッシュの声が低くなる。

 

「下がれ。その箱を置いてな」

 

 だが男は笑わなかった。脅しにも怯まない。ただ、心底うんざりしたように息を吐く。

 

「置いて帰れば済むなら、とっくにそうしてる」

 

 その言い方に、水湊は少しだけ目を細めた。

 

 末端の手駒とは違う。

 少なくとも、自分が何をしているかはわかっている顔だ。

 

 後ろの女が、箱へ片手を触れたまま言う。

 

「あと少しだったのに」

 

 その声は落ち着いていたが、穏やかではない。焦りを押し殺している種類の冷たさだ。

 

 エリシアが小さく舌打ちする。

 

「喋る余裕あるのね」

 

「余裕じゃない」

 

 女がすぐに返した。

 

「遅れただけよ」

 

 その一言で、水湊の胸の奥がわずかにざらつく。

 

 やはり向こうは急いでいる。

 しかも、それを隠す気がない。

 

 レオンが一歩前へ出る。

 

「箱の中身は何だ」

 

 男は答えない。だが女の視線が一瞬だけ箱へ落ちた。

 

 それだけで十分だった。

 

 重要なのは箱そのものであり、中身だ。

 

「運ぶだけの連中を何人捨てた?」

 

 アッシュの問いにも、返事はなかった。

 

 代わりに、床の術式線がふっと薄く光る。

 

「下がって!」

 

 水湊は反射的に叫んでいた。

 

 同時に、台座の周囲から黒い靄が立ち上がる。影だ。旧神殿跡や祭祀路で見たものと似ているが、もっと細く、鋭い。

 

 エリシアの光が走る。レオンが左の男へ踏み込み、アッシュは正面を抑えた。

 

 水湊の目は箱から離れなかった。

 

 あれが中心だ。

 術式線は未完成だが、箱を起点に綻びを“合わせよう”としている。

 ここで動かされたらまずい。

 

「同調《シンク》――局所接続!」

 

 白銀の光輪が開き、ヴェネフィルディアの右腕部だけが前へ出る。

 

 水湊は台座の縁へ白銀の指先を突き立てた。狙うのは箱ではない。その下の輪だ。箱を支えるための見えない綻びの筋を、先に止める。

 

 空気がきしむ。

 

 女の顔が初めてわずかに変わった。

 

「……っ」

 

 そこまでか、と思う。

 

 つまり向こうにとっても、水湊の干渉は無視できないのだ。

 

「そいつを止めなさい!」

 

 女が鋭く言うと、後ろの男が札を投げた。黒い粉が散り、視界が一瞬だけ濁る。

 

 だが今度はリシュアが早かった。

 

「その手は二度目ですよ!」

 

 術式糸が扇状に広がり、粉の流れそのものを押し返す。視界が完全に潰れる前に、エリシアの光が台座の右側を薙いだ。

 

 男の一人が肩を押さえて崩れる。

 

 レオンがもう一人へ回り込み、壁際へ追い込んだ。

 

 それでも、女だけは箱のそばから離れない。

 

「水湊!」

 

 アッシュの声が飛ぶ。

 

「箱を持っていかれるな!」

 

「わかってる!」

 

 局所接続のままでは足りない。

 けれど中位接続をこの狭さで使えば、部屋そのものがもたないかもしれない。

 

 迷った瞬間、胸の奥へ意志が落ちた。

 

 箱ではない。

 

 ヴェネフィスだった。

 

 水湊は息を呑む。

 

 そうか。狙うのは箱じゃない。向こうが箱を動かせる形を作っている、その下の“合わせ”の方だ。

 

「リシュア! 台座の左下、固定できるか!」

 

「左下?」

 

 彼女は術式板を見て、すぐに顔を上げた。

 

「そこが噛み合いの始点ですね!」

 

「そこだけ押さえて!」

 

「やります!」

 

 術式糸が床を走り、台座の左下へ絡みつく。

 

 その瞬間、白銀の指先を台座の縁から少しだけずらす。箱の真下ではなく、輪の起点へ横から差し込む。

 

 ぶつり、と小さな音がした。

 

 術式線の一角が黒ずみ、台座の下で回っていた綻びが一度だけ大きく揺れる。

 

「いま!」

 

 エリシアの光が、箱の前の床を正確に打ち抜いた。

 

 線が切れる。

 

 女が初めて、本気の舌打ちをした。

 

「下がるわよ!」

 

 命令は速かった。

 

 男二人のうち一人はレオンに抑え込まれたが、もう一人はその場に黒い布を投げつけ、女と一緒に壁龕の奥の割れ目へ飛び込んだ。

 

「逃がすか!」

 

 レオンが動きかけて、アッシュが止める。

 

「追うな! 箱を確保する!」

 

 その判断は正しい。

 

 ここで追って散れば、箱を持ち逃げされるか、別の綻びを起こされる。

 

 レオンも一瞬で切り替え、捕らえた男の腕をねじり上げたまま壁へ叩きつけた。

 

 祠の小部屋に、急な静けさが落ちる。

 

 水湊は局所接続を解かず、台座の前に立ったまま息を整えた。まだ安心はできない。術式線は切れたが、箱そのものに残っている気配が消えたわけではない。

 

「……止まったか」

 

 アッシュが低く言う。

 

 リシュアが術式板を見つめたまま頷いた。

 

「はい。少なくとも、いまは」

 

 その言い方が現実的だった。

 

 完全に終わったわけではない。

 ただ、“運ばれる直前”は止めた。

 それだけでも大きい。

 

 エリシアが息をつく。

 

「あと少し、って本当にあと少しだったのね」

 

「みたいだな」

 

 水湊も小さく頷く。

 

 箱を前にして、胸の奥の冷たい灯が静かに揺れている。嫌っている。だが、それだけではない。ヴェネフィスはあの箱の中身を、かなり明確に警戒している気がした。

 

『触るの、やめた方がいい』

 

 ナインが言う。

 

「そう見えるか」

 

『うん。まだ開けない方がいい』

 

 それは水湊も同感だった。

 

 箱は黒い布に包まれ、その下に細い金具が渡されている。見た目だけなら大げさな保管具だ。だが、その周囲の空気だけが妙に硬い。

 

 教授が祠へ着いたのは、そこから少し遅れてだった。入口の狭さのせいで、後方支援のまま待機していたらしい。

 

 箱を見るなり、さすがに表情が変わった。

 

「……なるほどな」

 

「何かわかるのか」

 

 アッシュが聞くと、教授はすぐには頷かなかった。

 

「確信はまだない。だが、封印庫跡で失われていた類のものと無関係とは思えん」

 

 水湊は箱から目を離さずに言う。

 

「向こうはこれを運びたかったんだな」

 

「たぶんな」

 

 アッシュの声は低い。

 

「そして、夜明け前に“揃える”必要があった」

 

 そこまで来れば、だいぶ輪郭が見えてくる。

 

 綻びを作り、輪を組み、祭祀路で通路を試し、旧神殿跡で座標を揃え、最後に箱を運ぶ。

 全部が一本に繋がっている。

 

 何を通すのか。

 あるいは、何を呼ぶのか。

 

 まだ答えは出ていない。けれど、少なくとも向こうの手順は見えた。

 

 水湊はようやく局所接続を解き、小さく息を吐いた。

 

 箱は回収するしかない。

 捕らえた一人も引き渡さなければならない。

 そして何より、この箱の中身を知らなければ、次に何が起きるか読めない。

 

 王城の仕事は、また一段増えそうだった。

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