魔装機神ヴェネフィルディア   作:深雪ソーマ

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第三話 ラングランの巡察隊

 街道へ上がるまでのあいだ、エリシアたちは一度も気を抜かなかった。

 

 裂け目が閉じたあとも、三人は周囲を警戒しながら移動している。足運びには無駄がなく、互いの立ち位置も近すぎず遠すぎず一定だった。水湊にとっては初めて見るラ・ギアスの軍人だったが、少なくとも現場慣れしていることだけはすぐにわかった。

 

 もっとも、彼らの警戒対象は魔物だけではない。

 

 その視線のかなりの割合が、ヴェネフィルディアへ向けられていた。

 

 当然だろう、と水湊も思う。

 

 見知らぬ魔装機神級の機体に、見知らぬ名前の男。しかも異邦人を名乗り、所属もない。これで無条件に歓迎されるなら、その方がよほど不安だ。

 

『見られてるね』

 

 ナインが影の中で囁く。

 

「わかってる」

 

『あの赤い髪の女、かなり気が強い』

 

「さっきので十分わかったよ」

 

 念話だけで返しながら、水湊はヴェネフィルディアの歩調を少し落とした。

 

 巨大な機体が本気で歩けば、それだけで周囲を威圧してしまう。いまはそういう場面ではない。敵意がないことを示すなら、動きはできるだけ静かであるべきだ。

 

 白銀の魔装機神は、街道の端を抑えるように歩いている。剣はすでに収め、背部フレームも閉じ気味にしていた。それでも十分に異質だ。通りすがりの誰が見ても、ラングランの標準機ではないとわかるだろう。

 

 先導していたエリシアが、一度だけ振り返った。

 

「その機体、ちゃんと制御できてるのね」

 

 警戒を崩さない口調だったが、そこにほんの少しだけ本音が混じっていた。驚きだ。あるいは感心か。

 

 水湊は少し考えてから答える。

 

「たぶん、なんとか」

 

「たぶん?」

 

「俺もいま、さっき初めて乗ったところだから」

 

 エリシアの足がぴたりと止まった。

 

 後ろの二人も止まる。沈黙が数秒流れたあと、彼女はゆっくりと眉を寄せた。

 

「……冗談を言ってる?」

 

「言ってない」

 

「その魔装機神級の機体に?」

 

「そうなるな」

 

 エリシアは頭痛でもこらえるように額へ指を当てた。

 

「あなた、本当に事情聴取だけで済むと思わないで」

 

「だろうな」

 

 そこは素直に認めるしかない。

 

 嘘をつく選択肢もあるにはあった。だが、下手に誤魔化したところで、すぐに綻びる。だったら最初から怪しさを自覚したうえで、最低限の誠実さだけは示しておいた方が、まだましだろう。

 

 エリシアは深く息を吐いたあと、歩みを再開した。

 

「先に言っておくけど、私はまだあなたを信用してない。機体についてはなおさらよ」

 

「わかってる」

 

「でも、あの場で逃げなかったことと、裂け目を閉じるために協力したことは見てた」

 

 それだけ言って、彼女は正面へ向き直る。

 

「だから、まずは拠点まで来てもらう。そこで改めて話を聞く。それまでは妙な真似をしないで」

 

「了解」

 

 返事をすると、エリシアはほんのわずかに肩の力を抜いた。

 

 それを見て、水湊も少しだけ安堵する。

 

 完全に敵扱い、というところまではいっていないらしい。もちろん、だからといって安全圏に入ったわけでもないが。

 

 街道を進むにつれ、ラ・ギアスの景色が少しずつ近くなる。

 

 頭上の岩盤はどこまでも高く、ところどころに光る鉱脈が走っていた。足元の石畳は日本の舗装路より粗いが、その分しっかりしている。道の脇には淡い光を放つ植物が植えられ、遠くの建物群へ柔らかな明かりを落としていた。

 

 地下世界、という印象は変わらない。だが陰気ではない。むしろ空の代わりに天井があることを除けば、一つの国として普通に成り立っているのだとわかる景色だった。

 

「……変な感じだな」

 

 思わず漏らすと、横を歩いていた部下の一人が怪訝そうにこちらを見る。短髪で、槍を背負った若い男だ。

 

「変、とは?」

 

「いや、その……地下なのに街が普通に広がってるのが」

 

 男は一瞬だけ口を噤み、それからますます不審そうな顔になった。

 

「本当に異邦人なんだな」

 

「だからそう言ってるだろ」

 

「そこが一番怪しいんだよ」

 

 ごもっともだった。

 

 言い返せずにいると、今度はもう一人の部下――細身で眼鏡をかけた女が、少しだけ苦笑した。

 

「でも、見た感じは嘘をついてるようには見えませんね」

 

「見た感じで判断するな、ルーミア」

 

 エリシアがすぐに釘を刺す。ルーミアと呼ばれた女は「失礼」と小さく肩をすくめた。

 

 どうやらこの三人の関係は、思っていたより堅苦しくないらしい。巡察中だから緊張感はあるが、普段から多少の会話はするのだろう。

 

 その空気に、水湊も少しだけ息をつけた。

 

 ただし、胸の奥の冷たい灯だけは消えない。

 

 ヴェネフィスの存在だ。

 

 言葉ではない。会話でもない。けれど、ヴェネフィルディアの奥で、静かな意志がずっとこちらを見ている。干渉してくるわけではなく、ただ見ている。

 

 試している、と言った方が近いのかもしれない。

 

「……なあ」

 

 歩きながら、水湊はエリシアへ声をかけた。

 

「さっきの裂け目、あれは普通にあるものなのか」

 

「普通なわけないでしょ」

 

 即答だった。

 

「最近、似たような報告は増えてる。でも、今日みたいに街道のすぐ脇で連続発生するのは異常よ」

 

 そこで彼女はわずかに視線を細めた。

 

「そして、その異常の中心に、所属不明の魔装機神級機と異邦人がいる」

 

「疑われるのは当然、か」

 

「当然ね」

 

 そこも否定はできない。

 

 神様転移です、精霊に呼ばれました、さっき初めて機体を得ました――そんな説明をまともに受け取る者がいるとは思えない。少なくとも、いまこの場でそれを言えば、信頼より先に危険人物として扱われるだろう。

 

『全部は言わない方がいいね』

 

 ナインが言う。

 

「俺もそう思う」

 

『でも何も言わないのも無理。面倒だなあ』

 

「他人事みたいに言うなって」

 

『半分は他人事だし』

 

 相変わらずで、少しだけ笑いそうになる。

 

 だがその直後、胸の奥の意志がわずかに揺れた。

 

 警戒だ。

 

 ヴェネフィスが、ではない。ヴェネフィルディア自身の、機体の側の反応に近い。白銀の装甲のどこかが、見えない風を受けたようにごく小さく震えている。

 

 水湊は足を止めかけた。

 

「……待って」

 

 エリシアがすぐに杖を上げる。

 

「何?」

 

「何か、来る」

 

 言いながら、水湊は周囲へ意識を広げた。空間そのものではない。もっと浅い、魔力の流れに近いざわつきだ。街道の先。こちらへ近づいてくる複数の反応。

 

 人だ。

 

 魔物ではない。

 

 ほどなくして、石畳の向こうから重い足音が響き始める。現れたのは、二機の魔装機と十名ほどの兵士だった。巡察隊の応援か、それとも報告を受けて来た別働隊か。

 

 先頭の魔装機は濃紺の装甲を持つ中量級機で、いかにも軍用然とした雰囲気がある。こちらを認めた瞬間、速度を落としながらも明確な警戒姿勢を取った。

 

 そして通信が飛んでくる。

 

「巡察隊エリシア、状況を報告しろ。未確認大型反応と所属不明機を捕捉した」

 

 男の声だった。硬いが、感情を抑えすぎてもいない。現場指揮官の声に近い。

 

 エリシアが一歩前へ出る。

 

「こちらエリシア。裂け目からの敵性存在三体、および大型一体を確認。撃破済み。裂け目は閉鎖しました」

 

「閉鎖した?」

 

「ええ」

 

 そこで彼女は一瞬だけ、水湊とヴェネフィルディアへ視線を向けた。

 

「そこの所属不明機の協力によって」

 

 通信の向こうで、短い沈黙があった。

 

 続いて、濃紺の魔装機がさらに近づき、その操者と思しき男が外部スピーカー越しに低く告げる。

 

「所属不明機へ通告する。こちらはラングラン軍だ。武装を解除し、その場で待機しろ」

 

 緊張が走る。

 

 ヴェネフィルディアは黙したままだ。だが水湊には、その沈黙の奥に薄い反発があるのがわかった。命令されて従うための機体ではない。そういう性質が、ただ存在感として伝わってくる。

 

 水湊は小さく息を吐いた。

 

 ここで意地を張る意味はない。

 

 ゆっくりとヴェネフィルディアを停止させ、剣を完全に収める。背部フレームの展開も閉じ、両腕をわずかに広げて敵意がないと示した。

 

「従う。こっちに戦う意思はない」

 

 外部出力した声は、自分で思っていたより落ち着いていた。

 

 濃紺の魔装機が数歩手前で止まる。そこから男の声が続いた。

 

「操者名を名乗れ」

 

「久遠水湊」

 

「所属は」

 

「ない」

 

「……ふざけているのか?」

 

 無理もない反応だった。

 

 水湊が答えようとした、そのときだった。

 

 胸の奥へ、ひとつの感覚が滑り込んでくる。

 

 冷たい。鋭い。だがさっきまでのヴェネフィスとは少し違う。もっと古く、もっと乾いた感覚だ。機体の外から、こちらの存在を“測っている”何か。

 

 水湊は思わず顔を上げた。

 

 濃紺の魔装機、その背後。さらに少し離れた位置に、もう一機いた。

 

 先ほどまでは気づかなかった。いや、気配を消していたのか。濃い緑の装甲に包まれた細身の魔装機が、いつの間にか街道脇へ立っている。武装は抜いていない。だが、こちらを見ている。

 

 その視線は明らかに他と違った。

 

 警戒ではない。

 好奇でもない。

 見極めようとする目だ。

 

『面倒なのが来たね』

 

 ナインの声が低くなる。

 

「知ってる相手か?」

 

『知らない。でも、あれはたぶん、わりと偉いか、わりと厄介か、その両方』

 

 どちらにせよ歓迎すべき相手ではなさそうだ。

 

 やがて、緑の魔装機の外部スピーカーから声が響く。若くも老いてもいない、中性的な声音だった。

 

「所属不明、か。それにしては、ずいぶん機体との馴染みがいい」

 

 水湊は答えない。

 

 向こうも無理に急かさず、少しだけ間を置いてから続ける。

 

「裂け目を閉じた手際も悪くない。少なくとも、偶然初めて乗った動きではないように見えるが?」

 

 鋭い。

 

 あまりにも鋭くて、水湊は思わず舌を巻きそうになった。戦闘の中で見せた動きだけで、そこまで察するのか。

 

 胸の奥で、ヴェネフィルディアの沈黙がわずかに重くなる。

 ナインもまた、影の底で息を潜めた。

 

 エリシアが小さく舌打ちする気配があった。

 

「……アッシュ隊長。いまは拠点へ連行してからでも」

 

 アッシュ、と呼ばれた緑の魔装機の操者は、短く笑ったようだった。

 

「もちろん連れていくさ。ただ、その前に少し興味が湧いただけだ」

 

 嫌な笑い方ではない。けれど、こちらを逃がさない種類の声だった。

 

 水湊はそこでようやく理解する。

 

 ラ・ギアスへ来て最初に相対する人間は、ただ事情聴取をするだけの相手ではないのだ。こちらの危険性も、価値も、利用できるかどうかも、最初から見定めるつもりでいる。

 

 異邦人として生きるとは、たぶんそういうことだ。

 

「……何を知りたい」

 

 水湊がそう返すと、アッシュは少しだけ間を置いた。

 

「まずは単純なことからだ。君はその機体に選ばれたのか。それとも奪ったのか」

 

 問いは短い。

 

 だが、それだけで十分だった。

 

 選ばれたのか、奪ったのか。

 その違いひとつで、この世界の機体と操者の関係がどれだけ重いのかが、逆にはっきりと伝わってくる。

 

 水湊は無意識に、胸の奥の冷たい灯へ意識を向けた。

 

 ヴェネフィスの意志は相変わらず沈黙していた。助ける気はないらしい。

 ただし、その沈黙は拒絶でもない。

 

 答えろ。

 

 そういう圧だけが、薄く残っている。

 

 水湊はゆっくりと口を開いた。

 

「……選ばれた、とはまだ言えない」

 

 その言葉に、エリシアたちがわずかに顔をしかめる。

 

「でも、奪ってもいない。俺が辿り着いて、向こうが応じた。それだけだ」

 

 アッシュは答えず、しばらくこちらを見ていた。

 

 濃紺機の操者も沈黙している。エリシアでさえ口を挟まない。街道の上に、妙に静かな間が落ちた。

 

 やがてアッシュが、ほんの少しだけ声を緩める。

 

「……なるほど。少なくとも、適当な嘘を並べる手合いではなさそうだ」

 

 褒められているわけではない。だが、最悪の反応でもなかった。

 

「連れていこう。詳しい話は拠点で聞く」

 

 その一言で、周囲の兵士たちが一斉に動き出す。警戒を崩さずに隊列を組み、水湊とヴェネフィルディアを中心へ入れるように配置が変わった。

 

 護送であり、半ば拘束でもある。

 

 それでも水湊は、内心で少しだけ息を吐く。

 

 少なくとも、その場で戦いにはならなかった。

 

『最初としては上出来じゃない?』

 

 ナインが言う。

 

「基準が甘いな」

 

『死んでないし、機体も取られてないし』

 

「たしかに」

 

 そこは否定できなかった。

 

 隊列が再び動き出す。今度は巡察隊だけではない、よりはっきりした軍の隊列として。石畳の先に見える街は、さっきよりずっと近くなっていた。光る植物の列、その向こうの塔、重厚な石壁、地下世界に築かれた都市の輪郭。

 

 ラ・ギアス。

 

 その名の重みが、ようやく現実として迫ってくる。

 

 異邦人として拾われ、魔装機神とともに囲まれたまま、いま自分はその中へ入っていくのだ。

 

 そして胸の奥では、静かな意志が変わらず沈んでいる。

 

 ヴェネフィスは何も言わない。

 だが、その沈黙の奥にあるものを、水湊はもう少しだけ読めるようになっていた。

 

 見ている。

 試している。

 そして、まだ切ってはいない。

 

 それだけで、いまは十分だった。

 

 やがて街の門が視界いっぱいに大きくなったところで、エリシアが横目にこちらを見る。

 

「歓迎はしない。でも、いまのところ追い返すつもりもない」

 

 彼女は前を向いたまま続けた。

 

「だから、余計な真似はしないで。ラングランでの最初の印象が、最悪で固定されるわよ」

 

 水湊は少し考えてから答えた。

 

「最初の印象は、たぶんもう十分悪いだろ」

 

「……それは否定しない」

 

 珍しく、エリシアはそこで小さく笑った。

 

 ほんのわずかだったが、それで張り詰めていた空気が少しだけ緩む。

 

 ただし、その緩みも長くは続かなかった。

 

 街門の上から、ひとつの鐘が鳴ったからだ。

 

 低く、重い音だった。

 

 しかも一度ではない。

 二度、三度と続く。

 

 隊列の空気が一変する。

 

「警戒鐘……?」

 

 ルーミアが顔を上げる。濃紺機の操者が低く唸った。

 

 そしてアッシュだけが、静かな声で言った。

 

「面倒だな。どうやら、今日の厄介事はまだ終わっていないらしい」

 

 水湊も思わず街門の上を見上げる。

 

 門の向こう側――ラングランの街の内部で、空気が揺らいだ。

 

 遠い。だがわかる。

 あれもまた、裂け目だ。

 しかも今度は、街の中で開いている。

 

 胸の奥へ、冷たい意志がひとつ落ちる。

 

 行くか。

 

 言葉はない。だが、水湊にはそう伝わった。

 

 ラ・ギアスでの最初の事情聴取は、どうやら門をくぐる前から先送りにされるらしい。

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