街道へ上がるまでのあいだ、エリシアたちは一度も気を抜かなかった。
裂け目が閉じたあとも、三人は周囲を警戒しながら移動している。足運びには無駄がなく、互いの立ち位置も近すぎず遠すぎず一定だった。水湊にとっては初めて見るラ・ギアスの軍人だったが、少なくとも現場慣れしていることだけはすぐにわかった。
もっとも、彼らの警戒対象は魔物だけではない。
その視線のかなりの割合が、ヴェネフィルディアへ向けられていた。
当然だろう、と水湊も思う。
見知らぬ魔装機神級の機体に、見知らぬ名前の男。しかも異邦人を名乗り、所属もない。これで無条件に歓迎されるなら、その方がよほど不安だ。
『見られてるね』
ナインが影の中で囁く。
「わかってる」
『あの赤い髪の女、かなり気が強い』
「さっきので十分わかったよ」
念話だけで返しながら、水湊はヴェネフィルディアの歩調を少し落とした。
巨大な機体が本気で歩けば、それだけで周囲を威圧してしまう。いまはそういう場面ではない。敵意がないことを示すなら、動きはできるだけ静かであるべきだ。
白銀の魔装機神は、街道の端を抑えるように歩いている。剣はすでに収め、背部フレームも閉じ気味にしていた。それでも十分に異質だ。通りすがりの誰が見ても、ラングランの標準機ではないとわかるだろう。
先導していたエリシアが、一度だけ振り返った。
「その機体、ちゃんと制御できてるのね」
警戒を崩さない口調だったが、そこにほんの少しだけ本音が混じっていた。驚きだ。あるいは感心か。
水湊は少し考えてから答える。
「たぶん、なんとか」
「たぶん?」
「俺もいま、さっき初めて乗ったところだから」
エリシアの足がぴたりと止まった。
後ろの二人も止まる。沈黙が数秒流れたあと、彼女はゆっくりと眉を寄せた。
「……冗談を言ってる?」
「言ってない」
「その魔装機神級の機体に?」
「そうなるな」
エリシアは頭痛でもこらえるように額へ指を当てた。
「あなた、本当に事情聴取だけで済むと思わないで」
「だろうな」
そこは素直に認めるしかない。
嘘をつく選択肢もあるにはあった。だが、下手に誤魔化したところで、すぐに綻びる。だったら最初から怪しさを自覚したうえで、最低限の誠実さだけは示しておいた方が、まだましだろう。
エリシアは深く息を吐いたあと、歩みを再開した。
「先に言っておくけど、私はまだあなたを信用してない。機体についてはなおさらよ」
「わかってる」
「でも、あの場で逃げなかったことと、裂け目を閉じるために協力したことは見てた」
それだけ言って、彼女は正面へ向き直る。
「だから、まずは拠点まで来てもらう。そこで改めて話を聞く。それまでは妙な真似をしないで」
「了解」
返事をすると、エリシアはほんのわずかに肩の力を抜いた。
それを見て、水湊も少しだけ安堵する。
完全に敵扱い、というところまではいっていないらしい。もちろん、だからといって安全圏に入ったわけでもないが。
街道を進むにつれ、ラ・ギアスの景色が少しずつ近くなる。
頭上の岩盤はどこまでも高く、ところどころに光る鉱脈が走っていた。足元の石畳は日本の舗装路より粗いが、その分しっかりしている。道の脇には淡い光を放つ植物が植えられ、遠くの建物群へ柔らかな明かりを落としていた。
地下世界、という印象は変わらない。だが陰気ではない。むしろ空の代わりに天井があることを除けば、一つの国として普通に成り立っているのだとわかる景色だった。
「……変な感じだな」
思わず漏らすと、横を歩いていた部下の一人が怪訝そうにこちらを見る。短髪で、槍を背負った若い男だ。
「変、とは?」
「いや、その……地下なのに街が普通に広がってるのが」
男は一瞬だけ口を噤み、それからますます不審そうな顔になった。
「本当に異邦人なんだな」
「だからそう言ってるだろ」
「そこが一番怪しいんだよ」
ごもっともだった。
言い返せずにいると、今度はもう一人の部下――細身で眼鏡をかけた女が、少しだけ苦笑した。
「でも、見た感じは嘘をついてるようには見えませんね」
「見た感じで判断するな、ルーミア」
エリシアがすぐに釘を刺す。ルーミアと呼ばれた女は「失礼」と小さく肩をすくめた。
どうやらこの三人の関係は、思っていたより堅苦しくないらしい。巡察中だから緊張感はあるが、普段から多少の会話はするのだろう。
その空気に、水湊も少しだけ息をつけた。
ただし、胸の奥の冷たい灯だけは消えない。
ヴェネフィスの存在だ。
言葉ではない。会話でもない。けれど、ヴェネフィルディアの奥で、静かな意志がずっとこちらを見ている。干渉してくるわけではなく、ただ見ている。
試している、と言った方が近いのかもしれない。
「……なあ」
歩きながら、水湊はエリシアへ声をかけた。
「さっきの裂け目、あれは普通にあるものなのか」
「普通なわけないでしょ」
即答だった。
「最近、似たような報告は増えてる。でも、今日みたいに街道のすぐ脇で連続発生するのは異常よ」
そこで彼女はわずかに視線を細めた。
「そして、その異常の中心に、所属不明の魔装機神級機と異邦人がいる」
「疑われるのは当然、か」
「当然ね」
そこも否定はできない。
神様転移です、精霊に呼ばれました、さっき初めて機体を得ました――そんな説明をまともに受け取る者がいるとは思えない。少なくとも、いまこの場でそれを言えば、信頼より先に危険人物として扱われるだろう。
『全部は言わない方がいいね』
ナインが言う。
「俺もそう思う」
『でも何も言わないのも無理。面倒だなあ』
「他人事みたいに言うなって」
『半分は他人事だし』
相変わらずで、少しだけ笑いそうになる。
だがその直後、胸の奥の意志がわずかに揺れた。
警戒だ。
ヴェネフィスが、ではない。ヴェネフィルディア自身の、機体の側の反応に近い。白銀の装甲のどこかが、見えない風を受けたようにごく小さく震えている。
水湊は足を止めかけた。
「……待って」
エリシアがすぐに杖を上げる。
「何?」
「何か、来る」
言いながら、水湊は周囲へ意識を広げた。空間そのものではない。もっと浅い、魔力の流れに近いざわつきだ。街道の先。こちらへ近づいてくる複数の反応。
人だ。
魔物ではない。
ほどなくして、石畳の向こうから重い足音が響き始める。現れたのは、二機の魔装機と十名ほどの兵士だった。巡察隊の応援か、それとも報告を受けて来た別働隊か。
先頭の魔装機は濃紺の装甲を持つ中量級機で、いかにも軍用然とした雰囲気がある。こちらを認めた瞬間、速度を落としながらも明確な警戒姿勢を取った。
そして通信が飛んでくる。
「巡察隊エリシア、状況を報告しろ。未確認大型反応と所属不明機を捕捉した」
男の声だった。硬いが、感情を抑えすぎてもいない。現場指揮官の声に近い。
エリシアが一歩前へ出る。
「こちらエリシア。裂け目からの敵性存在三体、および大型一体を確認。撃破済み。裂け目は閉鎖しました」
「閉鎖した?」
「ええ」
そこで彼女は一瞬だけ、水湊とヴェネフィルディアへ視線を向けた。
「そこの所属不明機の協力によって」
通信の向こうで、短い沈黙があった。
続いて、濃紺の魔装機がさらに近づき、その操者と思しき男が外部スピーカー越しに低く告げる。
「所属不明機へ通告する。こちらはラングラン軍だ。武装を解除し、その場で待機しろ」
緊張が走る。
ヴェネフィルディアは黙したままだ。だが水湊には、その沈黙の奥に薄い反発があるのがわかった。命令されて従うための機体ではない。そういう性質が、ただ存在感として伝わってくる。
水湊は小さく息を吐いた。
ここで意地を張る意味はない。
ゆっくりとヴェネフィルディアを停止させ、剣を完全に収める。背部フレームの展開も閉じ、両腕をわずかに広げて敵意がないと示した。
「従う。こっちに戦う意思はない」
外部出力した声は、自分で思っていたより落ち着いていた。
濃紺の魔装機が数歩手前で止まる。そこから男の声が続いた。
「操者名を名乗れ」
「久遠水湊」
「所属は」
「ない」
「……ふざけているのか?」
無理もない反応だった。
水湊が答えようとした、そのときだった。
胸の奥へ、ひとつの感覚が滑り込んでくる。
冷たい。鋭い。だがさっきまでのヴェネフィスとは少し違う。もっと古く、もっと乾いた感覚だ。機体の外から、こちらの存在を“測っている”何か。
水湊は思わず顔を上げた。
濃紺の魔装機、その背後。さらに少し離れた位置に、もう一機いた。
先ほどまでは気づかなかった。いや、気配を消していたのか。濃い緑の装甲に包まれた細身の魔装機が、いつの間にか街道脇へ立っている。武装は抜いていない。だが、こちらを見ている。
その視線は明らかに他と違った。
警戒ではない。
好奇でもない。
見極めようとする目だ。
『面倒なのが来たね』
ナインの声が低くなる。
「知ってる相手か?」
『知らない。でも、あれはたぶん、わりと偉いか、わりと厄介か、その両方』
どちらにせよ歓迎すべき相手ではなさそうだ。
やがて、緑の魔装機の外部スピーカーから声が響く。若くも老いてもいない、中性的な声音だった。
「所属不明、か。それにしては、ずいぶん機体との馴染みがいい」
水湊は答えない。
向こうも無理に急かさず、少しだけ間を置いてから続ける。
「裂け目を閉じた手際も悪くない。少なくとも、偶然初めて乗った動きではないように見えるが?」
鋭い。
あまりにも鋭くて、水湊は思わず舌を巻きそうになった。戦闘の中で見せた動きだけで、そこまで察するのか。
胸の奥で、ヴェネフィルディアの沈黙がわずかに重くなる。
ナインもまた、影の底で息を潜めた。
エリシアが小さく舌打ちする気配があった。
「……アッシュ隊長。いまは拠点へ連行してからでも」
アッシュ、と呼ばれた緑の魔装機の操者は、短く笑ったようだった。
「もちろん連れていくさ。ただ、その前に少し興味が湧いただけだ」
嫌な笑い方ではない。けれど、こちらを逃がさない種類の声だった。
水湊はそこでようやく理解する。
ラ・ギアスへ来て最初に相対する人間は、ただ事情聴取をするだけの相手ではないのだ。こちらの危険性も、価値も、利用できるかどうかも、最初から見定めるつもりでいる。
異邦人として生きるとは、たぶんそういうことだ。
「……何を知りたい」
水湊がそう返すと、アッシュは少しだけ間を置いた。
「まずは単純なことからだ。君はその機体に選ばれたのか。それとも奪ったのか」
問いは短い。
だが、それだけで十分だった。
選ばれたのか、奪ったのか。
その違いひとつで、この世界の機体と操者の関係がどれだけ重いのかが、逆にはっきりと伝わってくる。
水湊は無意識に、胸の奥の冷たい灯へ意識を向けた。
ヴェネフィスの意志は相変わらず沈黙していた。助ける気はないらしい。
ただし、その沈黙は拒絶でもない。
答えろ。
そういう圧だけが、薄く残っている。
水湊はゆっくりと口を開いた。
「……選ばれた、とはまだ言えない」
その言葉に、エリシアたちがわずかに顔をしかめる。
「でも、奪ってもいない。俺が辿り着いて、向こうが応じた。それだけだ」
アッシュは答えず、しばらくこちらを見ていた。
濃紺機の操者も沈黙している。エリシアでさえ口を挟まない。街道の上に、妙に静かな間が落ちた。
やがてアッシュが、ほんの少しだけ声を緩める。
「……なるほど。少なくとも、適当な嘘を並べる手合いではなさそうだ」
褒められているわけではない。だが、最悪の反応でもなかった。
「連れていこう。詳しい話は拠点で聞く」
その一言で、周囲の兵士たちが一斉に動き出す。警戒を崩さずに隊列を組み、水湊とヴェネフィルディアを中心へ入れるように配置が変わった。
護送であり、半ば拘束でもある。
それでも水湊は、内心で少しだけ息を吐く。
少なくとも、その場で戦いにはならなかった。
『最初としては上出来じゃない?』
ナインが言う。
「基準が甘いな」
『死んでないし、機体も取られてないし』
「たしかに」
そこは否定できなかった。
隊列が再び動き出す。今度は巡察隊だけではない、よりはっきりした軍の隊列として。石畳の先に見える街は、さっきよりずっと近くなっていた。光る植物の列、その向こうの塔、重厚な石壁、地下世界に築かれた都市の輪郭。
ラ・ギアス。
その名の重みが、ようやく現実として迫ってくる。
異邦人として拾われ、魔装機神とともに囲まれたまま、いま自分はその中へ入っていくのだ。
そして胸の奥では、静かな意志が変わらず沈んでいる。
ヴェネフィスは何も言わない。
だが、その沈黙の奥にあるものを、水湊はもう少しだけ読めるようになっていた。
見ている。
試している。
そして、まだ切ってはいない。
それだけで、いまは十分だった。
やがて街の門が視界いっぱいに大きくなったところで、エリシアが横目にこちらを見る。
「歓迎はしない。でも、いまのところ追い返すつもりもない」
彼女は前を向いたまま続けた。
「だから、余計な真似はしないで。ラングランでの最初の印象が、最悪で固定されるわよ」
水湊は少し考えてから答えた。
「最初の印象は、たぶんもう十分悪いだろ」
「……それは否定しない」
珍しく、エリシアはそこで小さく笑った。
ほんのわずかだったが、それで張り詰めていた空気が少しだけ緩む。
ただし、その緩みも長くは続かなかった。
街門の上から、ひとつの鐘が鳴ったからだ。
低く、重い音だった。
しかも一度ではない。
二度、三度と続く。
隊列の空気が一変する。
「警戒鐘……?」
ルーミアが顔を上げる。濃紺機の操者が低く唸った。
そしてアッシュだけが、静かな声で言った。
「面倒だな。どうやら、今日の厄介事はまだ終わっていないらしい」
水湊も思わず街門の上を見上げる。
門の向こう側――ラングランの街の内部で、空気が揺らいだ。
遠い。だがわかる。
あれもまた、裂け目だ。
しかも今度は、街の中で開いている。
胸の奥へ、冷たい意志がひとつ落ちる。
行くか。
言葉はない。だが、水湊にはそう伝わった。
ラ・ギアスでの最初の事情聴取は、どうやら門をくぐる前から先送りにされるらしい。