ラングランの拠点は、街の外縁部に築かれた半地下式の駐屯施設だった。
石造りの外壁は街並みに溶け込むように低く抑えられているが、中へ入ると印象が変わる。広い搬入口、魔装機の整備用と思しき大型昇降台、魔力灯に照らされた格納区画。地上の軍港ではなく、地下世界の軍施設らしい重さがあった。
水湊がヴェネフィルディアを伴って中へ入った瞬間、その空気が目に見えて変わった。
整備兵が止まる。書類を抱えた士官が足を止める。通路を横切っていた兵士が振り返り、そのまま二度見する。
それも当然だった。
見慣れない白銀機が、巡察隊とアッシュの部隊に囲まれながら悠然と入ってきたのだ。しかも魔装機神級。それだけで騒ぎにならない方がおかしい。
「……本当に、そのまま入れるんだな」
水湊が小さく呟くと、影の中でナインが尾を揺らした。
『外で問答するよりはましって判断だろうね。中なら囲みやすいし』
「夢のないこと言うなあ」
『現実的って言って』
やり取りしている間にも、ヴェネフィルディアへ向けられる視線は増えていく。
興味。警戒。困惑。
その全部が混ざっていた。
アッシュの緑機が先導し、広めの格納区画へ進む。そこにはすでに結界らしき光が張られ、周囲を兵士が固めていた。準備が早い。いや、異常事態だからこそ、なのだろう。
「ここで一旦止まれ」
通信越しにアッシュが告げる。
水湊はヴェネフィルディアをゆっくりと中央へ進め、指定された位置で停止させた。白銀の機体が静かに立つだけで、格納区画の空気が張り詰める。
胸の奥には、冷たい灯が沈んでいた。
ヴェネフィスの意志だ。
沈黙したまま、ただ周囲を見ている。拒絶も了承もない。ただし、ヴェネフィルディアがこの場を嫌っていないことだけは、水湊にもわかった。
『怒ってはないみたいだね』
ナインが言う。
「わかるのか」
『なんとなく。水湊よりは』
そこへ格納区画の奥から、何人かの人影が足早に現れた。整備主任らしい壮年の男、文官風の痩せた女、そして白衣に近い服を着た若い技師たち。彼らは最初こそ足早だったが、ヴェネフィルディアの前まで来ると揃って速度を落とした。
そして、止まる。
水湊には、その反応が少しだけわかった。
近くで見ると、ヴェネフィルディアはやはり異質なのだ。
王国工廠製の軍用機とも、普通の精霊機とも違う。装甲の継ぎ目が薄く、構造が機械でありながら機械だけでは閉じていない。門の骨格みたいな背部フレームも、見れば見るほど“武装”より“機能”に近い。
壮年の整備主任が、低い声で言った。
「……知らん型だ」
「型番も工廠紋も見当たりません」
文官風の女が目を細める。
「本当にラングラン製ではないのね」
その言葉に、エリシアが肩をすくめた。
「街道で見た時点で、だいたいそういう結論だったわ」
アッシュはそこでようやく機体から降りてきた。二十代後半から三十代前半ほどの男だった。黒髪を後ろで束ね、軍服の着崩し方は最小限。整った顔立ちだが、優しげではない。目つきが静かすぎて、逆に油断ならない。
その男が、真っ直ぐヴェネフィルディアを見上げる。
「改めて聞こう、久遠水湊。降りられるか?」
水湊は一瞬だけ迷う。
外へ出れば、今度は生身で囲まれることになる。機体の中にいた方が心理的には楽だ。だが、ここで拒めば、それこそ監禁扱いに近づくだけだろう。
「……降りる」
言って、同調を少し緩める。
ヴェネフィルディアの胸元に薄い門が開いた。装甲が展開したのではなく、そこだけ空間がめくれて通路になる。水湊がそこから降り立つと、周囲の視線がさらに強く集まった。
異邦人。
未知の魔装機神の操者。
しかも見た目は、拍子抜けするほど普通の若い男。
その落差もまた、彼らの警戒を煽るのだろう。
水湊の足元から、白銀の小狐が音もなく現れた。
数人が息を呑む。
「ファミリア……?」
若い技師の一人が思わず漏らすと、ナインはその場にちょこんと座り、青白い目で周囲を見回した。
『見世物じゃないんだけど』
頭の中に落ちてきた声に、水湊は咳払いでごまかす。
アッシュが視線を少しだけ細めた。
「それも、ずいぶん珍しい型だな」
「こいつはナイン。……俺のファミリアだ」
「見ればわかる。問題は、どういう経緯でそれが君にいるかだ」
もっともだった。
アッシュは一歩だけ近づき、今度は水湊を値踏みするように見る。
「質問は多いが、優先順位は決める。まず一つ目――君はどこから来た?」
水湊は少しだけ息を整えた。
どこまで言うか。
どこまでなら、言ってもまだ現実的に聞こえるか。
「……遠い場所からだ」
アッシュの眉が、ごくわずかに上がる。
「曖昧だな」
「正確に言っても、たぶん信じない」
「試してみろ」
逃がしてはくれないらしい。
水湊は観念して口を開いた。
「この世界の外から来た」
格納区画の空気が、しんと静まった。
整備主任が顔をしかめ、文官風の女が露骨に不審そうな目をする。技師たちは半信半疑だ。エリシアでさえ、やっぱりそれか、という顔をしている。
ただ一人、アッシュだけは表情を変えなかった。
「続けろ」
「詳しい理屈までは俺にもわからない。ただ、そうとしか言えない。気づいたらここにいたんじゃない。意志を持って来た」
「誰の意志で?」
「俺と……」
そこで一瞬だけ言葉に詰まる。
神、と言って通じるか。通じても、まともに扱われるか。
迷った水湊の胸の奥へ、冷たい意志がひとつ落ちる。
隠すな。
ヴェネフィスだ。
強くはない。けれど、妙に揺るぎがなかった。
「……神の導きで」
口に出した瞬間、あちこちで空気が固まるのがわかった。
当然だろう。自分でも胡散臭いと思う。
だがアッシュは短く息を吐いただけだった。
「なるほど。あり得ない話だが、君とその機体を見たあとでは、完全に切り捨てるのも難しい」
そこで彼は視線をヴェネフィルディアへ移す。
「二つ目。その機体は何だ?」
「ヴェネフィルディア」
「名前ではなく、立場を聞いている」
鋭い。
水湊は少し考えてから答えた。
「……空間の精霊機。魔装機神級の特殊機だ」
「誰の所有物だ」
その問いには、すぐに答えられなかった。
所有物、という言い方がまず違うのだ。ヴェネフィルディアは物ではある。兵器でもある。けれど、それだけではない。
胸の奥へ落ちる感覚。
言葉ではない。だが意味は十分に伝わる。
器だ。
ヴェネフィスのそれを、水湊はそのまま口にした。
「ヴェネフィスっていう高位精霊の器だ」
今度は、誰かがはっきりと息を呑んだ。
整備主任が思わず一歩前へ出る。
「高位精霊だと?」
「……少なくとも、俺はそう受け取ってる」
そこで技師の一人が堪えきれずに口を挟んだ。
「器、ということは……精霊が宿っているだけじゃなく、もっと深い依り代という意味ですか?」
「たぶん」
「たぶん、ばかりね」
エリシアが呆れたように言う。
だが水湊としても仕方がない。来たばかりで、戦ったばかりなのだ。理屈だけきれいに説明できるほど整理されているわけではない。
「わからないことまで知ってるふりはしたくない」
そう返すと、アッシュはほんの少しだけ口元を緩めた。
「それは評価できる」
褒められているのか、試されているのかは相変わらず曖昧だ。
「三つ目」
アッシュはそこで声を低くした。
「なぜ、その機体が君を選んだ?」
それが本題だった。
事情聴取でも、出自の確認でもない。
この世界にとって、本当に重要なのはそこなのだ。
魔装機が誰を選ぶか。
精霊機が誰に応じるか。
それは兵器の所有権より、ずっと重い。
水湊はしばらく黙った。
答えはある。けれど、綺麗ではない。
「……まだ、選ばれたとは言い切れない」
エリシアが眉をひそめる。だがアッシュは遮らない。
「ただ、辿り着いた。向こうが道を開いた。乗れって言われた。だから乗った」
「誰に?」
問いは短い。
水湊は胸の奥の灯を意識した。
冷たい。静かだ。機械の沈黙とは違う、深い海の底みたいな感覚。
「ヴェネフィスに」
その答えに、格納区画の空気がまた少し変わる。
今度は単なる疑いではなかった。
警戒と、畏れと、強い関心。
高位精霊の名が持つ重さを、ここにいる者たちは知っているのだろう。
ナインが足元で小さく座り直した。
『やっと本題まで来た感じだね』
「長かったな」
『まだ入口だけど』
それも間違っていない。
アッシュは数秒だけ黙って考え込み、やがて周囲を見回した。
「検分は最低限に留める。無理に触るな」
整備主任が不満げに眉を寄せる。
「しかし隊長、機体構造の確認くらいは――」
「いま刺激して拒絶されたら面倒だ。まずは操者の証言を固める」
その判断は、水湊にとってありがたかった。ヴェネフィルディアが検査されるのは避けられないにせよ、いまこの場で解体対象みたいに扱われるのはさすがに困る。
そのときだった。
格納区画の奥から、また別の足音が近づいてくる。
今度は急いでいない。だが、周囲の兵士たちが自然と道を開けた。
現れたのは、灰色の法衣をまとった老齢の男だった。軍人ではない。だが背筋は伸び、歩き方に迷いがない。胸元には、ラングランの紋章と、もう一つ見慣れない精霊紋のような印が下がっていた。
その男は水湊ではなく、まずヴェネフィルディアを見上げた。
長い沈黙。
やがて、ほとんど呟くような声が落ちる。
「……これはまた、とんでもないものを拾ったものだ」
アッシュが軽く会釈する。
「教授。呼ばれるのが早かったですね」
「警戒鐘の後で“所属不明の魔装機神級機”と聞けば、老骨でも歩く」
教授と呼ばれた男はそこでようやく水湊へ視線を向けた。
その目は鋭かった。
だがアッシュのように値踏みするのではなく、もっと別のものを見る目だった。
観察。確認。あるいは――感応。
「君が操者か」
水湊は小さく頷く。
「久遠水湊です」
「そうか。私はベルトラン。精霊学と魔装機理論を預かっている」
名前だけ告げて、老教授は一歩近づいた。
「ひとつだけ聞こう、水湊君」
その声は静かだった。
「君は、あの機体の中に“誰”を感じている?」
単に何を見たか、ではない。
“誰”を感じているか。
その問いに、水湊は胸の奥の冷たい灯を見つめる。
静かな海。
試すような意志。
言葉にならない圧。
けれど、確かにそこにいる存在。
「……ヴェネフィス」
そう答えた瞬間だった。
白銀のヴェネフィルディアが、何の前触れもなくわずかに鳴動した。
装甲が震えたわけではない。
音が鳴ったわけでもない。
それでも、その場にいた全員が感じたはずだ。
応じた。
と。
格納区画が、水を打ったように静まる。
ベルトラン教授の目が、静かに見開かれた。
「……なるほど」
その一言だけで、何かが決定的に変わったと、水湊にもわかった。
もう、ただの所属不明機では済まない。
ただの危険人物でも済まない。
この白銀機が今の反応を見せた以上、話はもっと大きいところへ転がっていく。
教授がアッシュへ向き直る。
「隊長。この件は巡察隊だけでは抱えきれん。上へ上げる」
「でしょうね」
「王城だ」
その言葉に、エリシアでさえ無言になった。
水湊は一拍遅れて、その重みを理解する。
王城。
つまり、もうただの事情聴取では済まない。
ラ・ギアスに来てから、まだ一日も経っていない。
なのに自分はもう、王城へ呼ばれるところまで話が膨らんでいる。
『順調に面倒が大きくなってるね』
ナインの声は、妙に楽しそうだった。
「他人事だと思ってるだろ」
『半分くらいは』
その軽さが、いまは少しだけ救いだった。
胸の奥では、ヴェネフィスの灯が静かに沈んでいる。
何も言わない。
だが、もう切り離されてはいない。
その事実だけを確かめるように、水湊はヴェネフィルディアを振り返った。
白銀の魔装機神は、格納区画の中央に静かに立っている。
まるで最初から、ここへ来ることまで見越していたみたいに。