その日のうちに、水湊の扱いは二転三転した。
最初は巡察隊預かり。次に拠点内での保護下監視。そこへベルトラン教授の進言が入り、さらにヴェネフィルディアの反応が決定打になって、最終的には――王城での直接確認、という形に落ち着いた。
言葉だけ聞けば格上げだが、実際はそう単純でもない。
要するに、現場の手に余ったのだ。
「納得はしたくないけど、まあ、そうなるわよね」
仮の待機室として宛がわれた石造りの小部屋で、エリシアが腕を組んだまま言った。
部屋は質素だが清潔だった。窓は高い位置に小さく一つ。椅子が二つに机が一つ。壁沿いには簡易の結界杭が立っていて、露骨ではないが監視下であることはよくわかる。
水湊は椅子に座ったまま、ようやく落ち着いて息を吐いていた。
戦闘のあとすぐにここへ通され、最低限の確認だけ受けてから、いまは次の命令待ちだ。身体の芯に残っていた重さは少し引いたが、まだ完全には抜けていない。
ナインは足元の影に潜ったり出たりを繰り返している。落ち着きがないようにも見えるが、気配を探っているだけだとわかるので、水湊はあえて何も言わなかった。
「王城って、そんなに大ごとなのか」
「あなた、自分が何を連れてるのかわかってる?」
エリシアの返しは即答だった。
「所属不明の異邦人。見たこともない魔装機神級機。しかも高位精霊の器かもしれない。これで地方駐屯地だけで抱え込めると思う方がおかしいわ」
「だろうな……」
そこは否定のしようがない。
水湊自身、まだ全部を理解しているわけではない。だが、理解していないから軽い、という話でもないのだろう。この世界では、魔装機や精霊との関係それ自体が重い意味を持つ。そこへ“王国製ではない魔装機神級機”まで乗ってくれば、そりゃ中枢に話が飛ぶ。
エリシアは壁に背を預けたまま、少しだけ表情を緩めた。
「ただ、最悪ではないわよ」
「最悪って?」
「牢に放り込まれて、機体を封印される方」
さらりと言われて、水湊は嫌な顔をした。
「笑えないな」
「笑ってない」
たしかにそうだった。エリシアは一切笑っていない。
「現時点でそうなっていないのは、あなたが街道と市場で実際に戦って、しかも裂け目の閉鎖までやったからよ。何も見せてなかったら、もっと強引に扱われてた」
それもまた、もっともだった。
戦果がある。目撃もある。助けられた住民もいる。だからこそ、完全な敵認定を避けられている。逆に言えば、それだけで信用に足るわけではない。
『まだ“使える危険物”扱いだね』
ナインが頭の中でぼそりと言う。
「言い方」
『でも合ってるでしょ』
合っているのが困る。
水湊は椅子に深く座り直した。部屋の外には兵士の気配がある。監視は緩くない。とはいえ、いまのところ手荒なことをされる様子もない。たぶんアッシュとベルトラン教授の判断が効いているのだろう。
そのアッシュは、いまは別室で報告の取りまとめをしているらしい。市場の被害確認もまだ終わっていないし、こちらに構いきりにもなれないのだろう。
「そういえば」
エリシアがふと視線を上げた。
「ヴェネフィルディアは、あのまま格納区画でおとなしくしてるのね」
「たぶん」
「たぶん、ってあなたね……」
「いや、完全に別物ってわけじゃないけど、ずっと視界を共有してるわけじゃないんだよ。必要なら感応はできる。でも、常時べったり繋がってる感じでもない」
言いながら、自分でもその感覚を探る。
白銀機は近い。意識を向ければ、格納区画の中央に静かに立っている輪郭が、薄い存在感として胸の奥へ返ってくる。遠くはない。だが手を伸ばして触れるほど近くもない。
その距離感が、逆に妙に生々しかった。
機械を置いてきた、のではない。
意志を持つ何かが、別室で静かに待っている。
そういう感覚だ。
そしてそのさらに奥に、冷たい灯が沈んでいる。
ヴェネフィス。
水湊が意識を向けると、深い水の底みたいな感触がわずかに揺れた。
言葉はない。
ただ、静かに見ている。
『機嫌は悪くなさそう』
ナインが言う。
「わかるのか?」
『なんとなくね。怒ってたら、もっと重い』
そういうものか、と水湊は納得しかけて、すぐにやめた。ナインとヴェネフィスの感覚差は、まだ自分にもはっきり掴めていない。
エリシアが机の上の書類束を指先で叩く。
「ひとつ聞いていい?」
「どうぞ」
「あなた、王城で何を言うつもり?」
その問いには、さすがにすぐ答えられなかった。
王城。つまり王国中枢だ。拠点での事情聴取とは重みが違う。相手が誰になるのかもわからない。軍の上層か、王城付きの術者か、それとももっと別の立場の人間か。
「……変に誤魔化さない方がいいとは思ってる」
「へえ」
「ただ、全部そのまま言っても通るとは思ってない」
「そこはまともなのね」
「一応な」
エリシアは少しだけ口元を緩めた。
「なら、あまり余計な脚色はしないことね。異邦人だとか、神だとか、高位精霊だとか、その時点で十分に重い。そこで下手に話を盛ったら、たぶん本当に終わるわよ」
「盛るつもりはないよ……」
『十分変な人生だからね』
ナインのつぶやきは無視した。
部屋の外で足音が止まる。扉が軽く叩かれ、ほどなくしてアッシュが入ってきた。相変わらず隙の少ない顔をしているが、さすがに少しだけ疲れているようにも見える。
「待たせた」
「そっちは片付いたのか」
「市場の方はな。裂け目の再発兆候は今のところない。住民の避難も済んだ。君の件だけが残っている」
最後の一言だけ、少しだけ棘があった。
アッシュは水湊の向かいに立ち、簡潔に告げる。
「移送が決まった。今夜のうちに王城外縁の軍用区画まで入る。君も同行だ」
「今夜?」
「明日に回せば余計な噂が広がる。市場であれだけやった以上、もう街の中では相当話題になっているはずだ。なら、動けるうちに動かした方が早い」
合理的だ。情緒はないが、よくわかる。
「ヴェネフィルディアは?」
「そこが問題だった」
アッシュはそこで少しだけ眉を寄せた。
「普通なら重警備の格納搬送だ。だが、あの機体に不用意に手を出すのは避けたい。ベルトラン教授の見立てでも、無理に王国式の封鎖をかけるより、操者側の処理に任せた方が安全らしい」
水湊は少しだけ目を細める。
「つまり?」
「おとなしくできるなら、君に任せる」
それはかなり大きな譲歩だった。
水湊は短く息を吐き、胸の奥の冷たい灯へ意識を向ける。沈黙。静かな圧。だが拒否はない。
むしろ――ひとつの感覚が返ってくる。
還せ。
短い。だが明確だった。
「……送還できる」
水湊がそう言うと、エリシアがぴくりと眉を動かし、アッシュの目が細くなる。
「さっき街道で使った、あの送還か?」
「たぶん同じ理屈だ。次元の狭間へ戻す」
「たぶん、が多いな」
「仕方ないだろ。本当に今日が初日なんだよ」
アッシュは数秒だけこちらを見ていたが、やがて小さく頷いた。
「いい。では、いまここで証明してもらおう」
そう来ると思った。
水湊は立ち上がる。ナインが影から這い出し、その足元へ寄った。
『やるの?』
「やるしかないだろ」
『失敗したら面倒だね』
「縁起でもないな」
部屋を出ると、兵士たちが自然と道を開けた。再び格納区画へ戻る。さっきより人が増えている。王城行きが決まったことで、最終確認に来た者たちもいるのだろう。整備兵、術者、記録係。皆が皆、好奇と警戒を隠そうともしていない。
その中央に、ヴェネフィルディアは静かに立っていた。
灯りの下で見る白銀装甲は、街道や市場で見た時よりもさらに異質だった。格納区画という“管理される空間”に置かれることで、逆に管理の外にある機体だと際立って見える。
水湊が一歩近づくと、胸の奥の灯がわずかに鳴った。
短い圧。
示せ。
ヴェネフィスだ。
水湊はヴェネフィルディアの正面に立ち、ゆっくりと息を整える。
周囲の視線が集まる。
息を呑む気配。
結界杭の微かな振動。
失敗はしたくない。だが、ここでためらえばもっとまずい。
水湊は右手を開いた。
「送還《リコール》」
言葉は短い。
けれど、その瞬間、ヴェネフィルディアの周囲の空間が薄く揺らいだ。装甲の輪郭がわずかにぶれ、背部フレームの周囲に淡い円環がいくつも浮かぶ。それは魔法陣というより、開きかけた門の断片だった。
次の瞬間、白銀の機体が少しだけ“沈む”。
地面へではない。
その場の位相から、半歩下のどこかへ。
ざわめきが上がる。
だが誰も止められない。ヴェネフィルディアの輪郭は光に溶けるのではなく、水面へ沈む月の影みたいに、静かに薄れていった。最後に双眸の燐光だけが一度揺れ、ふっと消える。
跡には、何も残らなかった。
格納区画が水を打ったように静まり返る。
数秒遅れて、誰かが息を吐く音がした。
「……消えた」
若い技師のつぶやきだった。
ベルトラン教授が、珍しく少しだけ声を低くする。
「消えたのではない。戻ったのだろう」
彼の目は、水湊から逸れなかった。
「そうだね、久遠水湊君」
水湊は頷いた。
「次元の狭間に待機する。必要なら、また呼べる」
それだけで、周囲の反応がもう一段重くなる。
未確認機体が消えたことへの安堵と、好きな時に再び現せるという事実への警戒。その両方だ。
アッシュが短く息を吐く。
「……想像以上だったな」
「信じたくはなかったが、これで疑いようもない」
エリシアは呆れたように言いながらも、どこか納得した顔をしていた。
水湊は胸の奥に残る微かな接続感を確かめる。遠くなった。だが切れてはいない。静かな海の底に沈む灯が、変わらずそこにある。
『ちゃんと戻ったね』
ナインが言う。
「戻らないと困る」
『さすがにそこは心配した』
「おまえな……」
そこへ、兵士の一人が慌ただしく駆け込んできた。
「アッシュ隊長! 王城側から使者が到着しました!」
早い。
さっき決まったばかりの話なのに、もう動いている。王城中枢がこの件をどれだけ重く見ているのか、それだけで十分伝わった。
アッシュがすぐに向き直る。
「通せ」
入ってきたのは、軍の伝令ではなかった。
濃紺の礼装に近い服を着た若い士官が二名。さらに、その後ろに灰銀の外套を羽織った女が一人。年の頃は三十前後だろうか。長い黒髪を後ろでまとめ、細身の杖を携えている。軍人というより、宮廷魔術師かそれに近い空気を持っていた。
女は格納区画へ入るなり、まず空いた中央を見て、次に水湊を見た。
「……機体は?」
アッシュが答える。
「操者判断で送還済みです」
女の眉がわずかに上がる。
「本当に?」
「この場の全員が見ています」
女は数秒だけ沈黙し、それから小さく息を吐いた。
「話が早いのは助かるけれど、厄介さまで早くなるのは困るわね」
どこかエリシアに似た物言いだった。
彼女は水湊へ向き直り、淡々と名乗る。
「私はセレニア。王城付の術官です。あなた――久遠水湊を、これより王城外縁の保護区画へ移送します」
柔らかい声なのに、有無を言わせない響きがあった。
「質問と確認は、道中ではなく到着後にまとめて行います。逃走、抵抗、無断召喚は禁じます。違反した場合は敵対行為と見なします」
丁寧だが、かなりきつい。
水湊は観念して頷いた。
「了解した」
セレニアは一度だけ水湊を見て、次に足元のナインへ視線を落とす。
白銀の小狐はじっと見返した。
「……ファミリアも同行?」
「離すと面倒だと思う」
『正解』
ナインの返事は、もちろんセレニアには聞こえていない。
だが彼女は何かを感じたのか、少しだけ目を細めた。
「わかった。問題は増えるけど、今さら一つ二つ変わらないわね」
そこでベルトラン教授が、杖代わりの細い棒を鳴らすように床へ当てた。
「セレニア殿、王城には一つだけ先に伝えておいてもらいたい」
「何をです?」
「この件は、単なる所属不明機の発見ではない」
教授の視線が、水湊へ、そしてヴェネフィルディアが消えた空間へ向けられる。
「高位精霊の器が、応じたのです」
その一言で、セレニアの表情が変わった。
冷静さは崩れない。だが、目の奥にだけはっきりと緊張が走る。
「……本気で言っているのね」
「軽々しく口にできる話でもありません」
沈黙が落ちる。
その短い沈黙のあいだに、水湊はようやく理解する。王城に呼ばれたから重要なのではない。これから行く先では、もっと大きな判断が待っているのだ。
異邦人として受け入れられるか。
危険物として隔離されるか。
あるいは――利用価値のある操者として扱われるか。
そのどれに転ぶかは、まだわからない。
セレニアが静かに言った。
「移送を急ぎます。夜明け前には到着したい」
アッシュが頷く。
「私の隊から護衛を出します」
「お願いします」
エリシアがそこで一歩前へ出た。
「私も同行します」
アッシュが横目で見る。
「巡察の後だぞ」
「最初の接触から関わっています。途中で別の顔に変えるより、そのまま連れて行った方が話が早い」
筋は通っていた。
アッシュは短く考え、それから頷く。
「許可する」
エリシアは小さく息を吐いた。安堵半分、覚悟半分という顔だった。
こうして、王城行きは決まった。
ラ・ギアスに来て、まだ一日も経っていない。
なのに水湊は、白銀の小狐を連れ、空間の魔装機神を送還し、そのまま王城の保護区画へ移されようとしている。
普通ではない。
だが、最初から普通の話ではなかった。
水湊はナインを見下ろし、小さく息を吐く。
「……忙しすぎないか」
ナインは尾を揺らした。
『退屈しないって言われてたし』
神の言葉を思い出して、水湊は苦い顔をする。
たしかに退屈はしない。
しないが、もう少し段階を踏んでほしかった。
胸の奥では、ヴェネフィスの冷たい灯が遠く沈んでいる。
静かだ。
だが、切れてはいない。
その感覚を確かめるように、水湊は握っていた手を開いた。
王城へ行く。
そこで何を問われるのか。誰と会うのか。どこまでを語るのか。まだ何一つ見えていない。
それでも、もう門は開いてしまった。
なら、進むしかない。