魔装機神ヴェネフィルディア   作:深雪ソーマ

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第七話 王城の夜

 夜のラングランは、静かだった。

 

 正確には、静かに見えるだけで、実際には街全体が眠っているわけではない。市場区画の裂け目騒ぎで、今夜はあちこちの見張りが増え、兵の足音もいつもより多いのだろう。それでも、地下世界特有の青白い灯りの下では、喧騒さえどこか遠く沈んで聞こえた。

 

 水湊は、王城外縁区画へ向かう馬車の中で、小さく息を吐いた。

 

 軍用の移送車両、と言っても、こちらでは車輪だけの乗り物ではないらしい。石畳を滑るように進む箱型の車体には、車輪の代わりに薄い浮揚術式が組み込まれているらしく、揺れは思ったより少ない。前後を騎乗兵と魔装機が固め、上からは感知術らしき光が時おり流れていく。

 

 護送というより護衛。

 だが、自由ではない。

 

 その絶妙な距離感が、今の自分の立場をよく表していた。

 

 向かいの席にはセレニアが座っていた。灰銀の外套は脱ぎ、王城術官らしい濃紺の装束に着替えている。細身の杖は膝の横に立てかけられ、姿勢に無駄がない。横顔は整っているのに、やわらかい雰囲気はあまりない。仕事のできる人間特有の隙のなさがあった。

 

 そして隣にはエリシア。こちらは巡察後の疲れが出ているのか、座ったままでも少し肩が重そうだった。もっとも、目だけはまだ冴えていて、いつでも外に飛び出せそうな緊張を残している。

 

 ナインはというと、水湊の影に半分沈んだまま、時おり白い耳だけを覗かせていた。

 

『豪華ではないけど、思ったより扱いは悪くないね』

 

 頭の中に落ちてきた声は、いつも通り淡々としている。

 

「監禁用の檻じゃないだけ、ましってことか」

 

『比較対象が低いなあ』

 

 ナインの返しに、思わず少しだけ口元が緩む。

 

 その様子を見ていたのか、エリシアが眉を上げた。

 

「ファミリアと会話中?」

 

「まあ、そんな感じ」

 

「便利ね。こっちは隊の連中と話すにも、いちいち声に出さないといけないのに」

 

「羨ましいのか?」

 

「少しだけ」

 

 そう言ってから、彼女は小さく肩をすくめた。

 

「でも、あなたの場合は便利さより面倒の方が多そう」

 

 そこは否定できない。

 

 水湊は窓の外へ目を向けた。地下世界の街路が流れていく。石造りの建物は高すぎず、どれも地上の城塞都市とはまた違う重みがあった。軒先には光る鉱石灯が吊られ、夜でも道の輪郭ははっきりしている。ときどきすれ違う市民が、護送列に気づいて足を止める。もっとも、その視線の大半は水湊ではなく、随伴している軍の魔装機へ向けられていた。

 

 まだヴェネフィルディアは呼んでいない。送還したままだ。

 それでも胸の奥には、変わらず冷たい灯が沈んでいる。

 

 遠い。だが切れてはいない。

 

 セレニアが不意に口を開いた。

 

「久遠水湊」

 

「はい」

 

「確認だけしておくけれど、王城では今日ここまで話した以上のことを聞かれると思っておきなさい」

 

 声色は事務的だったが、単なる脅しでもなさそうだった。

 

「神のこと。異邦のこと。ヴェネフィスのこと。ヴェネフィルディアのこと。答えたくないこともあるでしょうけど、黙秘だけで押し切るのはたぶん難しいわ」

 

「……だろうな」

 

「ただし、全部を喋れと言うつもりもない」

 

 そこで彼女は、初めて水湊を正面から見た。

 

「わからないことは、わからないと答えなさい。変に理屈を繕う方が危ない」

 

 その忠告は、エリシアの言っていたこととほとんど同じだった。

 

 つまり、現時点で王城側もそこを重く見ているのだろう。未知の機体と未知の操者に対して、一番困るのは、嘘と誤魔化しで輪郭をぼやかされることだ。

 

「一応、そのつもりではいる」

 

「ならいいわ」

 

 セレニアは短く頷いて、また窓の外へ視線を戻した。

 

 しばらく沈黙が続いた。

 

 その間に、水湊は胸の奥の感覚をそっと探る。

 ヴェネフィスは相変わらず何も言わない。

 けれど、沈黙の中に拒絶はない。

 

 ただ静かに見ている。

 それが逆に落ち着かない。

 

『気にしてるね』

 

 ナインが言う。

 

「そりゃするだろ」

 

『精霊に見られてるのが?』

 

「王城に連れていかれてるのが」

 

『私は前者の方が気になるけど』

 

 価値観が少し違う。

 

 だが、その軽口に救われているのも事実だった。

 

 やがて移送列は街の中心部を抜け、少し高い位置に築かれた別区画へ入った。道幅が広くなり、建物の造りも明らかに変わる。街の雑多な気配が薄れ、代わりに結界の密度が増していくのが、水湊にもはっきりわかった。

 

 空気が、違う。

 

 術式が何層にも重なっている。

 警戒と保護と封鎖。

 そういう性質の結界が、区画全体を包んでいた。

 

 思わず身を起こすと、セレニアが小さく目を細める。

 

「感じるのね」

 

「……なんとなく」

 

「王城外縁の防衛結界よ。精霊機や魔装機が不用意に干渉しないよう、何重にも層を分けてある」

 

 説明としては簡潔だったが、その一言で水湊は少し納得した。

 普通の街区とは、世界そのものの厚みが違う。

 だからこそ、自分の精霊感応や空間属性が余計にひっかかるのだ。

 

 胸の奥へ、冷たい感触がひとつだけ落ちる。

 

 ヴェネフィスだ。

 

 短い。だが明確だった。

 

 硬い。

 

 それが結界への感想だと理解するまでに、一拍かかった。

 

 ナインがくすりと笑う気配がする。

 

『気に入ってはいないみたい』

 

「そりゃそうだろうな……」

 

 精霊の器であるヴェネフィルディアからすれば、こういう“閉じた壁”は居心地がいいものではないのかもしれない。

 

 移送車両が止まる。

 

 扉が開くと、外には高い石壁と、それに囲まれた広い前庭があった。王城そのものではない。だが、街の駐屯地とは明らかに格が違う。儀仗兵に近い兵が整然と並び、魔力灯の配置ひとつ取っても、見せるための秩序があった。

 

「着いたわ」

 

 セレニアが先に立ち上がる。

 

「ここから先は王城外縁の保護区画。いわば、王城に入る前の最終確認場所だと思って」

 

「中にはすぐ入れないのか」

 

「当然よ」

 

 きっぱりしていた。

 

「あなたの身元も、機体も、精霊も、何一つ確定していない。いきなり本城へ入れる方がどうかしてる」

 

 それもそうだ。

 

 水湊は車両を降り、夜気を吸い込む。こちらの空気は街中よりさらに澄んでいて、そのぶん結界の冷たさも強かった。ナインはまた影へ沈み込み、ただ尾の先だけが一瞬揺れて消える。

 

 前庭を抜け、石造りの建物へ案内される。廊下は静かで、人の気配も最小限だ。通されたのは、待機室にしては広く、会議室にしては質素な部屋だった。暖炉はないが、壁に埋め込まれた魔力灯が穏やかな熱を出している。

 

 そこでようやく、エリシアが深く息を吐いた。

 

「ここまで来れば、とりあえず街中みたいにいきなり裂け目が開くことはない、と思いたいわね」

 

「縁起でもない」

 

「今日はそれが多すぎたのよ」

 

 疲れた声だった。

 

 水湊も椅子へ腰を下ろす。さすがに今日は長かった。死んで、神に会って、ラ・ギアスへ落ちて、魔装機神へ辿り着き、戦って、街を守って、事情聴取されて、王城の外縁まで連れてこられた。密度が濃すぎて、まだ一日も経っていないのが嘘みたいだった。

 

 だが、休憩は長く続かなかった。

 

 扉が二度、控えめに叩かれる。

 

 セレニアが「どうぞ」と応じると、入ってきたのは若い文官だった。姿勢のいい男で、胸元の紋章から見るに、ただの伝令ではないらしい。

 

 彼は部屋へ入るなり、一礼して告げた。

 

「セレニア術官。上から指示です」

 

「内容は?」

 

「事情聴取の前に、先にお会いになるとのことです」

 

 セレニアの眉が、わずかに上がる。

 

「この時間に?」

 

「はい」

 

「……随分と早いわね」

 

 文官はそれには答えず、代わりに水湊へ視線を向けた。

 

「久遠水湊殿」

 

 呼び方が変わった。囚人でも兵でもなく、いちおう“殿”がついている。

 

「ご足労いただきます。これより、別室へご案内します」

 

 水湊は立ち上がりかけて、そこで違和感に気づく。

 

 別室。

 事情聴取の前に。

 しかも“お会いになる”。

 

 これ、もしかして。

 

「……誰に?」

 

 思わずそう聞くと、文官はほんの一瞬だけ間を置いた。

 

 それから、丁寧すぎる口調で答える。

 

「フェイルロード陛下です」

 

 部屋の空気が変わった。

 

 エリシアが目を見開き、セレニアでさえ表情を隠しきれない。

 水湊だけが、一拍遅れてその名前の重みを理解する。

 

 王。

 

 ラングランの王その人が、今夜この場で会うと言っている。

 

『すごいのが来たね』

 

 ナインが楽しそうに言う。

 

「今のは他人事すぎるだろ……」

 

 返した声は、思ったより乾いていた。

 

 けれど動揺している暇はない。もう呼ばれてしまっているのだ。ここで時間を稼げる立場でもない。

 

 セレニアが先に立ち、短く告げる。

 

「行くわよ。余計なことはしないで」

 

「するつもりはない」

 

「そう言う人ほど面倒を起こすの」

 

「ひどいな」

 

「いまのところ実績十分よ」

 

 それには反論しづらい。

 

 水湊は小さく息を吐き、胸の奥の冷たい灯を確かめる。

 ヴェネフィスは何も言わない。

 だが沈黙は揺るがない。

 

 行け。

 

 そういう圧だけが、静かに残っていた。

 

 案内された廊下は、さっきまでの外縁区画よりさらに静かだった。壁の装飾は増えたが、派手ではない。むしろラングランらしい重厚さが濃くなっただけで、王城だからといって過剰な華美はない。地下世界の王国らしい、石と光の落ち着いた威厳があった。

 

 曲がり角をいくつか抜け、二重の扉の前で止まる。

 

 文官が一礼し、扉の脇へ下がった。

 

 セレニアが振り返る。

 

「ここから先は、必要以上に喋らないこと。聞かれたことに、正直に答える。それだけでいい」

 

「わかった」

 

 エリシアは同行をここまでに留めるらしく、少し離れた位置で立ち止まった。

 

「……頑張って」

 

 それだけ言う。慰めにも助言にもなりきらない、でも今の彼女なりの精一杯の言葉だった。

 

 水湊は小さく頷いた。

 

 扉が開く。

 

 その先は広すぎる謁見の間ではなかった。むしろ思っていたよりずっと小さな、私的な応接室に近い空間だった。魔力灯は落ち着いた色で、中央には長机、その奥に数人の側近。豪奢ではないが、そこにいる人間の立場だけで部屋の空気が決まっている。

 

 そして、その中央に座る男がいた。

 

 若くはない。だが老いてもいない。

 金に近い淡い髪、静かな眼差し、無理に威圧しないのに、場の中心がそこだとわかる存在感。

 王冠はない。けれど、飾りがなくても誰かわかる。

 

 フェイルロード・グラン・ビルセイア。

 

 ラングランの王。

 

 水湊が立ち止まると、王はしばらくこちらを見ていた。

 探るようでもなく、値踏みするようでもない。

 ただ、静かに見ている。

 

 その沈黙のあいだに、水湊は妙に冷静になっていく。

 逃げ場はない。

 誤魔化してもたぶん無駄だ。

 なら、やるべきことは決まっている。

 

 王が口を開いた。

 

「そう身構えなくてよい、久遠水湊」

 

 声は穏やかだった。だがその穏やかさが、逆に軽いものではないとわかる。

 

「まずは顔を見て話しておきたかった。それだけだ」

 

 それが“それだけ”で済む立場ではないのだが、王自身がそう言うのなら、いまは受け取るしかない。

 

 水湊は一礼した。

 

「……はじめまして」

 

「うむ」

 

 王は小さく頷く。

 

「異邦の操者よ。今夜、余はおまえに二つだけ確かめたい」

 

 静かな言葉だった。

 

 けれど、その二つが何なのかを聞く前から、水湊の背筋は自然と伸びていた。

 

 たぶん、これが本当の意味での最初の関門だ。

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