魔装機神ヴェネフィルディア   作:深雪ソーマ

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第八話 王が問う二つのこと

 フェイルロード王は、しばらく水湊を見ていた。

 

 その視線は重い。だが威圧するための重さではなかった。相手を押し潰すのではなく、まっすぐ見て、その中身を量ろうとする視線だ。

 

 水湊は無意識に背筋を伸ばしていた。

 

 王城の応接室は静かだった。側近らしき人間が数人、少し離れた位置に控えている。セレニアは壁際に下がり、いつでも口を挟めるようでいて、いまは完全に沈黙していた。

 

 ここでは、王だけが話す。

 

 そういう空気ができていた。

 

「先に言っておく」

 

 フェイルロード王が静かに口を開く。

 

「余は、おまえの話を最初から全て信じるつもりはない」

 

 率直だった。

 

 だが、水湊にはむしろ助かった。中途半端に優しくされるより、その方がよほど構えやすい。

 

「はい」

 

「だが同時に、目の前で起きたことまで否定するつもりもない。市場区画で裂け目が閉じたことも、未知の機体が現れたことも、そこに高位精霊らしき気配が宿ることも、すでに複数の目が見ている」

 

 王はそこで一度区切った。

 

「ゆえに、まずは二つだけ問う」

 

 室内の空気が、さらに静まる。

 

 水湊は小さく息を整えた。

 

「一つ目」

 

 王の声は穏やかだった。

 

 けれど、その穏やかさの底に揺るがないものがある。

 

「おまえは、ラングランの敵か」

 

 短い問いだった。

 

 だが、その短さで十分だった。

 

 出自でもない。

 神のことでもない。

 ヴェネフィルディアの構造でもない。

 

 王が最初に確かめるのは、そこなのだ。

 

 水湊は少しだけ目を伏せた。

 

 頭の中では、いくつかの答え方が浮かぶ。丁寧に言い繕うこともできる。敵意はありません、友好的です、この国に害をなす意図はありません――言葉を重ねることはできる。

 

 だが、それでは駄目だと思った。

 

 ここで必要なのは、きれいな答弁ではない。

 

 王はたぶん、そういうものを聞きたいわけではない。

 

 胸の奥に冷たい灯が沈んでいる。

 静かな海の底みたいな感触。

 ヴェネフィスは何も言わない。

 だが、ただ沈黙しているだけでもない。

 

 見ている。

 

 答えを。

 

 水湊は顔を上げた。

 

「違います」

 

 声は、自分で思っていたよりはっきり出た。

 

「少なくとも、俺はこの国を害するために来たわけじゃない。敵になるつもりもない」

 

 王は黙って聞いている。

 

 水湊は続けた。

 

「ただ、俺はこの世界の人間じゃない。だから、まだ何をどう受け取られるかも、どこまで信用されるかもわかってない。そういう意味では、不安定な存在だとは思います」

 

 そこで一度息をつく。

 

「でも、敵かって聞かれたなら、違うと答えます」

 

 王の表情は変わらない。

 

 しかし、それでいい気がした。

 

 変に感情を見せられるより、この静けさの方がまだましだ。

 

 しばらく沈黙が続く。

 

 やがてフェイルロード王は、ごく小さく頷いた。

 

「よい」

 

 それが肯定なのか、ただ“答えは受け取った”という意味なのかはわからない。だが少なくとも、いまの返答だけで話を切るつもりはないらしい。

 

「二つ目」

 

 王の視線が、わずかに鋭くなった。

 

「おまえは、その力を何のために使う」

 

 今度の問いは、一つ目よりもさらに深かった。

 

 水湊は思わず息を呑む。

 

 その力。

 つまり、ヴェネフィルディアの力。

 ヴェネフィスの力。

 あるいは、空間属性と精霊感応を含めた、自分がこの世界で持つことになった全部のこと。

 

 何のために使うのか。

 

 それはつまり、これからどう生きるつもりなのかを問われているのと同じだった。

 

 即答はできなかった。

 

 戦うため。

 生き延びるため。

 仲間を守るため。

 世界を渡るため。

 

 どれも間違いではない。だが、どれか一つを切り取ると、途端に薄くなる。

 

 水湊は視線を少しだけ落とした。

 

 王の前だというのに、不思議と焦りはなかった。

 代わりに、胸の奥にあるものをひとつずつ確かめるような感覚があった。

 

 神の前でラ・ギアスを選んだこと。

 ナインが生まれたこと。

 ヴェネフィスに“辿り着け”と告げられたこと。

 市場で、守らなければと思ったこと。

 

 そして、ラ・ギアスはたぶん始まりにすぎないのだという予感。

 

「……まだ、全部は決まってません」

 

 水湊はゆっくり言った。

 

「来たばかりで、この世界のことも、俺自身が何をどこまでできるのかも、正直わかってない」

 

 室内の誰かがわずかに息を動かした。

 王は、まだ何も言わない。

 

「でも」

 

 水湊はそこで言葉を継いだ。

 

「少なくとも、壊すためには使いたくない」

 

 それは驚くほど自然に出てきた。

 

「誰かを踏みつけるためでもないし、力があるからって好きに振り回したいわけでもない。そういうのは、たぶん違うと思う」

 

 胸の奥で、冷たい灯がほんの少しだけ揺れる。

 

 ヴェネフィスだ。

 

 肯定とも否定ともつかない。

 けれど、拒絶ではない。

 

「俺がこの力を使うとしたら、たぶん……」

 

 水湊はそこで、ようやく自分の中にあった言葉を見つける。

 

「守るためです」

 

 王の目が、わずかに細くなった。

 

「大きく出たな」

 

「そうかもしれません」

 

 苦笑いは出なかった。いまのは照れ隠しでごまかしたくない言葉だったからだ。

 

「でも、街道でも市場でも、結局そうだった。目の前に裂け目があって、誰かが巻き込まれるなら、見てるだけではたぶん無理です」

 

 水湊は自分でも驚くほど落ち着いて話していた。

 

「だから、戦うなら、守るために使いたい。少なくとも、いま言えるのはそれです」

 

 また沈黙が落ちた。

 

 長くはない。

 けれど、十分に長く感じる沈黙だった。

 

 やがてフェイルロード王は、深くも浅くもない息を一つ吐いた。

 

「……なるほど」

 

 その一言だけで、場の空気がほんの少しだけ変わる。

 

 水湊はそこで初めて、肩に力が入っていたことに気づいた。

 

 王はすぐに結論を出さなかった。代わりに、視線をセレニアの方へ向ける。

 

「術官、そちらの見立ては」

 

 セレニアは一歩進み出て、静かに答えた。

 

「虚飾は少ないかと。少なくとも、自分を大きく見せようとする答え方ではありません」

 

「教授はどう見る」

 

 今度は、部屋の壁際で控えていたベルトラン教授へ。

 

 教授は杖を軽く床に当てた。

 

「精霊の器に応じられたこと、それ自体が異常です。だが、異常と敵性は同義ではありません」

 

 そこで、彼の目がわずかに光る。

 

「そして先ほどの問いの最中、機体側の気配も荒れていない。少なくとも、完全な拒絶関係ではない」

 

 つまり、嘘をついてヴェネフィスの機嫌を損ねたわけではない、と。

 

 水湊は内心で小さく息をついた。

 

 自分ではヴェネフィスの機嫌までは測りきれないが、そういう見方をする人間もいるのだろう。

 

 フェイルロード王は、今度は少しだけ椅子へ深く座り直した。

 

「久遠水湊」

 

「はい」

 

「余は、おまえをすぐに敵と断ずるつもりはない」

 

 その言葉に、部屋の空気がかすかに揺れた。

 

 即時拘束や隔離の線が、少なくともひとつ外れたのだとわかる。

 

「ただし、無条件に受け入れるつもりもない」

 

「……でしょうね」

 

 思わず本音が漏れた。

 

 王の口元が、ほんの少しだけ動く。

 

「理解が早くて助かる」

 

 笑った、とまでは言えない。

 だが少なくとも、いまの返しは嫌われなかったらしい。

 

「よって、当面の扱いを決める」

 

 王の声が、再び静かに引き締まる。

 

「久遠水湊を、王城管理下に置く」

 

 やはりそうなるか、と水湊は思う。

 

「ただし、牢ではない。保護と監視を兼ねた扱いとする。無断での離脱、機体の無許可召喚、王国への明確な敵対行動があった場合は、即座に措置を改める」

 

 そこまでは予想通りだった。

 

 だが王は、その先を続ける。

 

「一方で、おまえには王国への協力も求める」

 

 水湊は顔を上げた。

 

「協力?」

 

「裂け目への対処だ」

 

 短い答えだった。

 

「今夜の件を見る限り、ヴェネフィルディア……そしておそらく、その背後にある高位精霊の力は、現在のラングランにとって無視できぬものだ」

 

 フェイルロード王の声には、王としての判断がそのまま出ていた。

 

「余は、ただ未知を恐れて排除するより、制御し、見極め、必要なら力を借りる方を選ぶ」

 

 それは、優しさというより決断だった。

 

 王としての。

 

「その代わり、おまえにもこの国と向き合ってもらう。異邦人であることは理由にならぬ。この地に立つ以上、おまえの選択もまた、ラングランの内側へ影響を与える」

 

 重い言葉だった。

 

 だが不思議と、嫌な重さではなかった。

 

 水湊は静かに頷く。

 

「……わかりました」

 

「よい」

 

 王はそこで初めて、少しだけ表情を緩めた。

 

「では、今夜はここまでだ。細部は明日以降、順を追って詰める」

 

 話は終わった――と思った、その時だった。

 

 胸の奥にあった冷たい灯が、はっきりと震えた。

 

 今までで一番強く。

 

 同時に、部屋の空気が薄く張る。

 王も、セレニアも、ベルトラン教授も、ほぼ同時に気づいたらしい。

 視線が一斉に水湊へ集まる。

 

 ヴェネフィスだ。

 

 言葉ではない。

 けれど、明確な意志が流れ込んでくる。

 

 ここにいる。

 

 それだけで、室内の誰もが息を呑んだ。

 

 王城の応接室だというのに、一瞬だけ別の深さがそこへ重なった気がした。海の底みたいな冷たさ。空間の狭間から、誰かがこの場を覗き込んでいるような圧。

 

 水湊は思わず一歩踏みしめる。

 

 ヴェネフィスが、自分の返答に応じたのか。

 それとも王を見たのか。

 理由はわからない。

 

 だが、その気配は確かにこの場へ触れた。

 

 ベルトラン教授が、震える息を押し殺すように呟く。

 

「……高位精霊の感応だ」

 

 セレニアの表情から、冷静さが一瞬だけ消えた。

 

 そして王だけが、静かにその圧を受け止めていた。

 

 恐れていないわけではない。

 けれど、王は王のまま、そこに座っている。

 

 しばらくして、冷たい圧はすうっと引いていった。

 

 まるで、確認だけ済ませて去ったみたいに。

 

 沈黙が落ちる。

 

 その沈黙を破ったのは、フェイルロード王だった。

 

「……なるほど」

 

 低い声だった。

 

「余の前で、わざわざ気配を示すか」

 

 怒っているようには聞こえなかった。むしろ、奇妙な納得が混じっている。

 

 王は水湊を見た。

 

「どうやら、おまえだけを見ているわけではなさそうだな」

 

 水湊は返答に困る。

 

 そんなこと、自分だって初めてだ。

 

「たぶん……そうです」

 

「たぶん、か」

 

 王はそこで、ほんのわずかに笑った。

 

 今度こそ確かに、笑ったのだとわかった。

 

「よい。異邦人でありながら、妙なところで正直だ」

 

 その一言で、張り詰めていた空気が少しだけ和らぐ。

 

「今夜は下がれ。久遠水湊。おまえと、その白銀機の扱いは、明日から本格的に決める」

 

 それは解放ではない。

 けれど、切り捨てでもない。

 

 水湊は深く一礼した。

 

「はい」

 

 背を向ける直前、フェイルロード王の声がもう一度だけ届く。

 

「ひとつだけ言っておこう」

 

 水湊が足を止める。

 

「この国にいる限り、おまえの力は必ず問われ続ける。守るために使うと言った言葉、忘れるな」

 

 その言葉は、命令というより確認だった。

 

 水湊は振り返らずに答える。

 

「忘れません」

 

 そして部屋を出た。

 

 扉が閉じた瞬間、ようやく肺の奥に溜まっていた息を吐き出す。

 緊張していなかったわけがない。

 むしろ今になって膝が少し軽くなる。

 

 廊下の壁際で待っていたエリシアが、すぐに顔を上げた。

 

「どうだったの」

 

「……たぶん、最悪ではなかった」

 

 それだけ言うと、エリシアはほんの少しだけ肩を落とした。

 

「なら上出来ね」

 

 セレニアはまだ部屋の中に残っている。ベルトラン教授もだ。たぶん、この後また別の話し合いが始まるのだろう。自分のいない場所で、自分とヴェネフィルディアのことがもっと具体的に決められていく。

 

 その感覚は、少しだけ不思議だった。

 

 ナインが影の中で小さく笑う。

 

『王様、思ったよりちゃんとしてたね』

 

「失礼だなおまえ」

 

『だって神のあとだよ? 比較対象が悪い』

 

 それには少しだけ納得しかけてしまった。

 

 胸の奥では、ヴェネフィスの灯がまた静かに沈んでいる。

 さっきの反応が何だったのか、まだはっきりはわからない。

 けれど少なくとも、王の前で気配を示したのは事実だ。

 

 つまり、ヴェネフィスもまた、この国と無関係ではいられないということなのだろう。

 

 水湊は廊下の先に続く灯りを見た。

 

 ラ・ギアスに来て、まだ最初の夜だ。

 それなのに、もう後戻りできないところまで来ている気がした。

 

 異邦人として。

 空間の精霊に見られる者として。

 そして、王に名を覚えられた者として。

 

 今夜はまだ終わらない。

 だが、ひとつだけはっきりしたことがある。

 

 ――この世界で生きるなら、もう逃げるだけでは済まない。

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