「15分の怪物」   作:熊々

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第一話から書き直しております。ぜひ第一話からお読みください。
すでに読んでいただいている方はスルーしてください

前話、絵心の館内放送で告げられた次戦相手——チームV。
現時点での総合ランキング1位。
凪誠士郎、御影玲王、剣城斬鉄が所属する、ブルーロック最強のチーム。

覇黒の覚醒は最大十五分。
できれば使わずに済ませたい——その願いは、たぶん叶わない。


第四話 格上、初対峙

朝の寮ロビーは思ったよりも明るかった。

 

カーテンが半端に開いていて朝日が斜めに差し込んでいる。

時刻はまだ六時半。試合は午前十時。

俺は寝間着のままスリッパでロビーまで降りてきていた。

 

自販機の前に立つ。スポーツドリンクのボタンを押す。

ガコ、と音がしてペットボトルが落ちてくる。

 

立ち上がった瞬間、視界の隅に人影がいた。

 

——いつから、そこにいた。

 

俺は半目のまま隣を見た。

背の高い痩せた男だった。寝癖がそのままの銀色の髪。目が半分閉じている。寝起きそのものの顔だ。

そいつは無言で小銭を入れて、炭酸水のボタンを押した。

ガコ、と同じ音がした。

 

「めんど」

 

ぽつりとそいつが呟いた。

 

「ん?」

「自販機。かがむのめんど」

 

俺は半目のまま、そいつのほうを見た。

そいつは半目のまま俺を見返した。

お互い半目同士。

 

(——こいつ)

 

胸の奥でだけ呟く。

(こいつ、たぶん俺と同類。いや——本物のだるさだ)

 

「サッカー、めんど」

「ん」

「だろ」

「うん」

 

会話はそれだけだった。

そいつは炭酸水を取り出してキャップを開けて一口飲んだ。

飲んでから「うっす」と短く息を吐いた。

それからスリッパを引きずるようにエレベーターのほうへ歩いていった。

 

俺はその背中をぼんやり見送った。

名乗らない。

俺も聞かない。

ただすれ違っただけ。

 

エレベーターの扉が閉まる音がした。

ロビーが静かになった。

 

俺はペットボトルのキャップを開けて一口飲んだ。

冷たい。

(——たぶん、そのうちまた会うな、あいつ)

胸の奥でそう呟いた。

理由はない。ただそんな気がした。

 

◇ ◇ ◇

 

午前十時。

ピッチに出る。

正面に整列している相手チームを見て俺は欠伸を噛み殺した。

 

——チームV。

現時点での総合一位。

 

整列している十一人の動きが、明らかに、揃っていた。

正確に言うと「揃えるための号令」を誰も出していないのに勝手に揃っている。

背筋の角度。視線の高さ。足の位置。全部が無駄なく置かれている。

昨日までの相手とは違う。チームZみたいに「個の集まり」じゃない。

(——統率されてんな、これ)

俺は内心で呟いた。

 

中央。

さっきの男がいた。

寝癖の銀髪。半分閉じた目。

炭酸水を飲んでいた、あいつだ。

こいつ、こっち側のチームだったか。

 

その隣。

体格のいい整った顔の男。

背筋が伸びて顎を上げてこちらを上から見下ろすような立ち方をしている。

俺は初対面だがそれだけで分かる。

(——王様タイプだ、こっちは)

 

そして奥。

——でかい。

背が高くて肩幅が広い。腕の太さが他の選手と違う。

顔つきも穏やかじゃない。眉間に皺が寄っていて整列しているだけで威圧感がある。

(——あいつ、フィジカルやばそうだな)

 

整列のすれ違いざま。

さっきの自販機の男と一瞬、目が合った。

そいつは半目のまま俺を見て、それから口を小さく開いた。

 

「……お前、さっきの」

「うん」

「自販機」

「うん」

 

それだけ。

そいつはすぐに視線を外した。

横で王様タイプの男が、俺を見て眉を上げた。

(……こいつが噂の——)

口は動かなかった。だが目の色だけが値踏みしていた。

 

ホイッスル。

試合が始まった。

 

◇ ◇ ◇

 

最初の十秒で分かった。

こいつら、全員が上手い。

 

ボールが回る。

チームZの選手たちが追いかける。

追いかけるが——届かない。

パスのスピードが速い。一拍ごとに角度が変わる。誰がどこに走るか全部決まっているみたいに動く。

國神が剥がされる。久遠が間に合わない。雷市が「走れ! チームで囲め、諦めんな!」と叫ぶ。声がかすれる。

我牙丸が舌打ちしながら体を寄せに行き、成早が「速ぇ、けど追える」と呟いてサイドを駆ける。伊右衛門は黙ってコースを切る。

 

その中央に、あの自販機の男がいた。

 

ボールが自然にこいつのところに集まってくる。

味方が回す。それが必ず一回はあいつを経由する。

あいつはトラップに見える動きをしない。

ボールが足元に来た瞬間にもう次のパスが出ている。

 

(——吸い付いてる)

 

俺は半目で見た。

(こいつ、ボールの方が懐いてる)

 

味方の王様タイプの男が叫んだ。

 

「凪、こっち!」

 

ナギ。

ああ、それがあいつの名前か。

昨日の絵心の放送で聞いた名前だ。「凪誠士郎」。

 

凪と呼ばれた男はちらりとそっちを見て、それからボールを軽くアウトサイドで転がした。

王様タイプの男の足元に綺麗に入る。

王様タイプの男はそれをそのまま縦に運んだ。

速い。だが派手じゃない。当然のような速さ。

 

開始十五分。

凪がペナルティエリア手前でボールを受けた。

國神と久遠が二人がかりで寄る。

凪の表情は変わらない。半目のまま。

口がほんの少し動いた。

 

「めんど」

 

その一言と同時に。

凪の右足が動いた。

動いた、と認識した時にはもう國神が逆を取られていた。

さらに次の動作で久遠の重心も外れていた。

凪は走っていない。

歩幅を変えただけだ。

歩幅と上半身の傾きだけで二人を抜いた。

 

そして無造作にシュート。

無造作なのにキーパーが反応できない。

ゴール左隅。

 

ネットが揺れた。

 

0-1。

 

凪は走って戻らなかった。

ゆっくり歩いて戻った。

 

(——本物だ)

 

俺は内心で短く呟いた。

(こいつは獣じゃない。天才だ)

 

馬狼のときとは違う。

馬狼は「飢え」で殴り抜くタイプだった。

凪は——たぶん、最初から全部見えている。

見えているから走る必要がない。

見えているから走る理由が「めんど」しかない。

 

俺の隣で潔が静かに呟いた。

 

「……化学反応じゃなくて——」

「ん?」

「天才か」

 

潔の目が凪を追っていた。

昨日の試合で馬狼を見たときと同じ目だ。

ただし、昨日よりも少し冷たい目。

(こいつもな、)

俺は内心で呟いた。

(——お前もちゃんと感じ取ってるな)

 

俺はピッチの中央でそのまま立っていた。

動かない。

(条件、揃いつつあるな)

(——でもまだだ)

(まだ、サボれる)

 

◇ ◇ ◇

 

しばらくして王様タイプの男が、わざわざ俺の近くを通った。

 

ボールは反対サイドにある。

こいつがここに来る理由はない。

それなのにわざわざ通った。

 

「お前」

 

低い、よく通る声だった。

 

「お前、噂の覇黒か?」

 

俺は半目で見上げた。

(あー、王様、来たか)

 

「うん」

「ふーん」

 

そいつは俺の頭から足の先までゆっくり眺めた。

そして口角を片方だけ上げた。

 

「俺の凪より目立つなよ、お前ごときが」

 

(——出た、王様セリフ)

俺は内心で苦笑した。

(しかも「俺の凪」って所有権主張だ。重ぇな、こいつ)

 

「あー」

「あー、じゃねぇだろ」

「ごめん。眠くて」

「は?」

 

王様の眉がぴくりと動いた。

(おっと、地雷踏んだか)

 

「……舐めてんのか、お前」

「ごめんって。本当に眠い」

「殺すぞ」

 

低く、はっきりと言った。

冗談で言っていない目だった。

本気で「俺の凪」より目立つ奴は許さない、というオーラを背中から漂わせている男だった。

 

俺はもう一度欠伸を噛み殺した。

 

「玲王、行くぞ」

 

ピッチの向こうから凪の声が聞こえた。

半目のまま、めんどくさそうに、こっちを見ずに呼んだ。

玲王。

ああ、こいつが「玲王」か。

どっちでもいい。

 

玲王は俺をもう一度睨んでから踵を返した。

背中越しに低くつぶやいた。

 

「——次お前のところにボール出させねぇからな」

「うん」

「うんじゃねぇんだよ」

 

玲王は走って戻った。

走り方も綺麗だった。腹立つくらい綺麗な走り方だった。

 

◇ ◇ ◇

 

その三分後。

 

二点目は——凪じゃなかった。

玲王だった。

 

凪が中盤でボールを浮かせた。

浮かせて、後ろ向きに、ヒールでアウトサイドへ流した。

ボールが綺麗な弧を描いて玲王の足元に落ちる。

玲王は走り込みながらダイレクトでボレー。

キーパーは反応すらできなかった。

 

ネットが揺れた。

 

0-2。

 

玲王が両手を広げて凪のほうを見た。

凪は半目のまま親指だけ立てた。

それから「めんど」と呟いてセンターサークルに戻った。

 

雷市が頭を抱えている。

國神が拳を握って唇を噛んでいる。

千切が短く息を吐いて立ち止まっている。

我牙丸が「ふざけやがって」と低く吐き捨て、五十嵐が「いやいや二点くらいすぐ返るって、なぁ!」と空回り気味に声を上げる。誰も応じない。それでも口角は上がっている。

潔だけが相変わらず凪と玲王の間をじっと観察していた。

 

俺は——空を見上げた。

今日の空は雲が少なくて妙に高い。

(——なんで今日に限って高いんだよ)

 

胸の奥で短く呟く。

 

二点ビハインド。後半に入れば残り時間はもう十五分前後。

「本気で殺しに来る格上」も二人いる。凪と玲王。

(三重条件、達成寸前)

 

(——使いたくねぇんだけどな)

 

ロビーで会ったときの凪の半目。「サッカー、めんど」の一言。

あいつは全力じゃない。それでこの差だ。

背筋の奥でちりっと焦げる感じがした。

ボス部屋の扉を開けたときの感じ。

(——条件、揃った)

 

◇ ◇ ◇

 

前半終了の笛が鳴った。

0-2のままハーフタイム。

 

ベンチに戻る道すがら、俺は一度だけ振り返った。

凪が反対側のベンチに歩いて戻っていた。

半目のまま、誰とも目を合わせず、めんどくさそうに歩いている。

(——あいつ、まだ五割も出してねぇぞ多分)

 

ベンチに座る。

雷市が珍しく黙っていた。國神も黙っていた。久遠も黙っていた。

潔だけが立ったまま雷市を見ていた。

 

「——後半」

潔が短く言った。

「あの凪ってヤツ、俺がつく」

「お前、玲王はどうする」

「玲王は——」

 

潔が言葉を切って、俺のほうを見た。

俺は壁にもたれて目を瞑っていた。

 

「玲王、覇黒に頼みたい」

「は?」

 

俺は薄目を開けた。

 

「あいつ、お前のこと挑発してたろ」

「うん」

「だったらお前のところに執着する。引きつけといてくれ」

「……あー」

「やる気出さなくていい。ただ立っててくれ」

「……それなら」

 

俺はうなずいた。

潔が短く息を吐いた。

(——お前、ほんと頭冷えてんな)

俺は内心で呟いた。

(こいつのこういうとこ、嫌いじゃない)

 

◇ ◇ ◇

 

後半開始。五分経過。

状況は変わらなかった。

 

凪は相変わらず半目で歩き、相変わらずボールが懐に集まる。

潔は食らいつく。剥がされる。もう一度食らいつく。

それでも潔の目は死んでいない。

 

玲王は宣言通り、俺の周りをうろついていた。

パスは出さない。ただ俺を視界に入れたまま回り込むように動いている。

俺は歩いていた。動かなかった。

(——お前のおかげでサボれるわ、ありがとな)

 

七分が過ぎた頃。

千切が縦に出したボールがカットされた。

カットしたのは凪だった。

凪が無造作にボールを奪って前を向いた。

 

カウンター。

 

チームZの陣形は前のめりに崩れていた。

凪はゆっくり歩きながら——歩幅だけで二人を抜いた。

そのまま俺の正面まで来た。

 

(あ、こっち来るのね)

 

凪は俺の二歩手前まで来てから、半目のまま口を開いた。

 

「……どけ」

「ん」

「めんど」

 

凪は左に切り返そうとした。

俺は——そのまま、ただ右足を半歩出した。

 

ぱす、と。

昨日と同じ、軽い音。

 

凪のボールが、俺の足の甲の上で止まっていた。

 

俺は出力を上げていない。覚醒もしていない。

ただ凪の重心と足の角度を見て、「ここに足を出せばボールはここに来る」と分かったから、置いておいただけだ。

それでも止まった。

 

凪の半目が、初めて、ほんの少しだけ開いた。

 

「……」

 

何も言わない。

だが視線が俺の足元のボールにじっと注がれている。

 

俺はボールを軽く久遠のほうへ転がした。

拾った久遠が無言で俺を見た。

昨日の馬狼戦と同じ顔。

(——分かってる、久遠。分かってるって)

 

凪はその場でじっと俺を見ていた。

半目のまま。だが半目の温度がさっきと違う。

口の動きが小さく見えた。

 

「……へぇ」

 

それだけ。

凪は背を向けて歩いて戻った。

 

その代わりに玲王が走ってきた。

 

「お前——」

 

走りながら近づいてくる。

顔が赤い。

玲王の顔が赤くなるところを初めて見た。

 

「お前、凪に何しやがった」

「止めただけ」

「止めるなって言ったろうが!」

「ごめん。本能で」

 

俺は肩をすくめた。

玲王の眉間に皺が寄った。

 

「ふざけるな」

 

低い声だった。

(——あ、こいつ、もう殺意の段階に入ってる)

 

潔が遠くから走ってきて俺の隣に並んだ。

玲王を睨んだまま、俺に短く言った。

 

「——覇黒、来るぞ」

「ん」

「あいつ、絶対に次お前のとこ来る」

「だろうな」

「お前、本気出せるか?」

「……」

 

俺は潔を見た。

潔の目はまっすぐだった。

昨日の雷市の目に少し似ていた。だがもっと冷えていた。

 

(——条件、揃ってる)

(——揃ってるんだよ、潔)

 

「出る」

「は?」

「……出るよ、もう」

 

俺は短く答えた。

潔は一瞬目を見開いてからすぐ顔を引き締めた。

 

「——頼んだ」

 

それだけ言って潔は前線に走って戻った。

 

◇ ◇ ◇

 

俺は空を見上げた。

さっきの高い空はもうなくなっていた。

雲が動いていた。

 

(——くそ、結局これか)

 

胸の奥で短く呟く。

(——使いたくねぇんだけどな)

(——ごめんな、俺)

(——またお前に運転を任せる)

 

胸の奥がしんと静まり返った。

音が遠くなる。

玲王の足音。凪のため息。雷市の叫び声。全部が薄い膜の向こうに行く。

 

次の瞬間。

音が完全に消えた。

 

◇ ◇ ◇

 

世界がスローモーションになった。

 

凪の足の角度。

玲王の重心。

潔の視線。

相手キーパーの肩の傾き。

全部が「数値」みたいに見える。

 

センターサークルでボールが回された。

凪がボールを受けた。

凪がドリブルで上がってくる。

 

俺は歩いた。

歩いて凪の正面に立った。

凪が右に切り返そうとする。

俺は読んでいた。

凪の左足の角度がほんの少し早く動いた。それで分かる。

 

凪の足が触る前に、俺の足がボールに触っていた。

 

ぼっ、と。

ボールを掻っ攫った。

 

凪は止まった。

止まったまま俺の背中を見た。

 

俺はボールを抱えて前を向いた。

誰もついてきていない。チームVの守備陣はカウンターを警戒していなかった。

俺は走らなかった。

歩いた。歩いてペナルティエリアの外まで運んだ。

 

キーパーの重心が前にある。

飛び込もうとしている。

(——前重心、ね)

 

俺は右足のつま先で軽くボールを撫でた。

ふわり、と。

ループ。

ボールがキーパーの頭の上を越えた。

 

ネットが揺れた。

 

1-2。

 

歓声は——聞こえない。

俺の耳には何も戻ってきていない。

 

凪が振り返って俺を見ていた。

半目だ。だがさっきよりもまた少しだけ目が開いている。

口がゆっくり動いた。

 

「……へぇ」

 

二度目の「へぇ」だった。

さっきよりも声が低い。

 

玲王が叫んだ。

 

「俺の凪より目立つなって言ったろうが——!」

 

俺は答えない。

答える体力が惜しい。

覚醒中は喋らない。喋る回路にエネルギーを使わない。

(——悪いな、玲王)

(——今、お前と喋るの、もったいねぇんだ)

 

ピッチの中央へ歩いて戻る。

潔が追いついてきた。

追いついてきて口だけが動いた。

 

「——あいつ、一人で試合を変えやがった」

 

俺の耳には届いていない。

だが口の動きは見えた。

 

◇ ◇ ◇

 

二点目は早かった。

 

センターサークルから再開した瞬間、凪がまたボールを持った。

凪は俺をちらりと見た。

半目。

だがその半目には、「次、本気でやる」と書いてあった。

 

凪が前に出る。

俺は受けて立たなかった。

受けて立たずに左斜め後ろへ走った。

凪の進行方向の先に、わざと空間を作った。

凪はそこへ突っ込んできた。

突っ込んできた瞬間に俺は反転して凪の背中側に回り込み、もう一度ボールを掻っ攫った。

 

二度目の奪取。

凪は足を止めた。

止めて——口角を、ほんの少しだけ上げた。

 

「……お前」

 

凪の声が聞こえた気がした。聞こえなかったかもしれない。

 

「……面白い」

 

それだけ。

凪はもう追ってこなかった。

追わなかった、というより追えなかった。

 

俺はボールを抱えて前線まで運んだ。

潔がペナルティエリアの中で手を上げた。

俺は出さなかった。

出さずに——ペナルティエリアの外、二十五メートルから、左足を振った。

 

ロングシュート。

 

ボールは弧を描いて飛んだ。

玲王が後ろから走ってきていた。ジャンプしてヘディングで跳ね返そうとした。

だがボールの軌道は玲王の頭の上を越えた。

ぎりぎり——本当にぎりぎり、玲王の指の高さの上を越えた。

 

キーパーが手を伸ばす。

届かない。

 

ゴール右上。

 

ネットが揺れた。

 

2-2。

 

歓声が——少しだけ聞こえた。

覚醒が、終わりに近づいてきている。

 

玲王が芝の上で膝をついていた。

膝をついて、こっちを睨んでいた。

顔が真っ赤だった。

 

「——お前——」

 

絞り出すような声。

「俺の凪より——目立つな——」

 

俺は答えなかった。

ただ歩いてセンターサークルに戻った。

 

潔が走ってきて俺の横に並んだ。

潔が口を開いた。今度は声がはっきり聞こえた。

 

「——覇黒、あと何分持つ」

「……十分」

「じゃあ、決めよう」

 

潔の目が前を向いていた。

(——お前、ホント切り替え早ぇな)

俺は内心で短く呟いた。

 

◇ ◇ ◇

 

残り五分。

 

俺は前線にいた。

ボールが回ってきた。

潔から受けた。受けてそのまま前を向いた。

 

凪が止めに来た。

凪はもう「めんど」と言わなかった。

半目だが、口を引き結んでいた。

(——お前、今、本気のとこちょっと出してるだろ)

 

凪が前から潰しに来る。

俺は左に切り返した。

切り返しの一瞬。

 

——後ろから、影が来た。

 

玲王だった。

全力疾走で、後ろから、俺の腰のあたりを目掛けて飛び込んできた。

スパイクの裏が見えた。

角度が悪い。

明らかに「ボールを取りに来た」動きじゃなかった。

俺の足首を、後ろから刈りに来た動きだった。

 

(——あ)

 

俺は半目のまま思った。

覚醒中なのに、避ける判断が一瞬遅れた。

覚醒中は判断は速い。だが体が「自分の感覚」と少しずれる。

そのズレが、間に合わなかった。

 

ぐしゃ、と鈍い音がした。

俺の体が宙に浮いた。

 

芝が顔の横を流れていく。

肩から落ちた。

肩から、背中から、頭の後ろまで順番に芝に叩きつけられた。

 

息が止まった。

 

◇ ◇ ◇

 

俺は芝の上に倒れていた。

仰向け。

空が見える。

さっきまで雲が動いていた空は、もう一面の灰色だった。

雨が降りそうな匂いがする。

 

体が——動かない。

 

覚醒モードはまだ続いている。視界はまだスローモーションだ。

チームVの選手たちが遠くで動いている。玲王が立ち上がって、こっちを睨んだまま吐き捨てる口の動きをしている。

凪が——なぜか凪が、半目のまま、玲王の方を見ていた。

半目の温度が冷たかった。

 

潔が走ってくるのが見えた。

口が大きく動いている。

俺の名前を叫んでいる。

だが音は届かない。

覚醒中の俺の耳は音を選ぶ。今、俺の耳は何も選んでいない。

 

(——だから、嫌なんだ)

 

胸の奥でだけ呟いた。

 

(——覚醒中に倒れると、痛みも自分の感覚なのに自分のじゃない)

 

肩が痛い。背中が痛い。頭の後ろが痛い。

痛いはずなのに、その痛みが「俺の痛み」じゃない感覚がする。

誰かが代わりに痛がっているのを、ガラス越しに見ているような感じ。

それが——たぶん、一番怖い。

 

体が動かない。

覚醒は終わっていない。あと数分は続くはずだ。

だがその覚醒の中身を、俺は今、操縦できない。

操縦席に俺がいるはずなのに、ハンドルが手元にない。

 

(——ごめんな、俺)

 

胸の奥でだけ詫びた。

 

そのとき視界の端で、誰かのスパイクが芝を蹴って走ってくるのが見えた。

誰かは——分からない。

スローモーションの中で、スパイクの底だけがやけにくっきり見えた。

スパイクの底に泥がついていた。

こちらに走ってくる。

 

味方か。

敵か。

どっちだ。

 

俺は確かめようと首を動かそうとした。

動かなかった。

首も動かなかった。

 

スパイクが近づいてくる。

 

意識が——一瞬、暗くなった。

 

最後の思考は短かった。

 

(——だりぃな)

 

そのまま、何も見えなくなった。

 




第4話、お読みいただきありがとうございました。

凪と玲王のコンビに翻弄され0-2。
三重条件達成で覚醒モード発動、3分で2点を取り戻し2-2同点。
だが、決勝点を狙う一瞬——玲王の禁じ手タックルが、覇黒を芝に倒した。

覇黒「(——だから、嫌なんだ)」
「(覚醒中に倒れると、痛みも自分の感覚なのに自分のじゃない)」

意識が一瞬、暗くなった。
視界の端で、誰かのスパイクが走ってくるのが見えた——。

次話、覇黒は立ち上がれるのか。
そして、走ってきたのは誰なのか。

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