だが、覚醒モードの代償は、必ず翌日に請求書を送ってきます。
一次選考・最終戦。
対戦相手はチームW、鰐間淳壱。
今日の覇黒は——走れません。
覚醒が出せない日、"二割引"の身体で、彼はどう戦うのか。
※ブルーロックの二次創作です
※前話を未読の方は第1〜5話からどうぞ
天井が、遠い。
目を開けて最初にそう思った。
普段より、たぶん三十センチくらい遠い。
天井までの距離は昨日と変わっていないはずだから、遠いと感じる側が壊れているんだろう。
俺は、壊れている側だった。
手を、上げてみた。
上がらなかった。
正確には、上がったのだが、肩の筋肉が油の切れた蝶番みたいな音を立てた気がした。
音は実際には鳴っていない。
ただ、俺の頭の中で、そう聞こえた。
(——借金のある日だ)
胸の奥でだけ、呟いた。
覚醒モードのあと、体は必ず翌日に請求書を送ってくる。
昨日使った分のエネルギーを、倍にして持ってくる。
前世の死にゲーにもあった。ボス戦で体力を削り切ったあとの帰り道、ザコにやられて死ぬパターン。
俺のいまの体は、たぶんそのザコにやられる側の体だ。
カーテンの隙間から、光が一本だけ落ちていた。
朝だった。
廊下の向こうで、足音が近づいてきていた。
複数。
全力疾走ではない。
だが、誰かがわざと音を立てて歩いている。
(——はぁ)
俺はまだ布団の中で、目だけを天井に向けたまま、長く息を吐いた。
◇ ◇ ◇
「覇黒ォ! 起きろって!」
扉を叩いたのは、たぶん五十嵐だった。
拳じゃなかった。掌だった。
拳で叩かないあたりが、あいつらしい遠慮の仕方だった。
「飯、行くぞ!」
雷市の声が、扉の向こうから飛んできた。
こっちは拳だった。
扉が、ドン、と一度鳴った。
「……」
俺は返事をしなかった。
返事をするエネルギーが、まだ戻ってきていなかった。
「おい、生きてんのかあいつ」
我牙丸の低い声。
我牙丸は、こういうとき一番後ろに立っているくせに、声だけは前に出てくる。
「生きてる」
短い返し。國神だ。
「……扉、開けるぞ」
潔の声だった。
扉の外で、誰かが他の誰かを止めた気配がした。
たぶん五十嵐を止めた。潔は勝手に開けるタイプじゃない。
「覇黒、入るぞ」
潔はもう一度、俺の返事を待たずに、待つ素振りを見せてから扉を開けた。
俺は天井を見たまま、片手だけを上げて応えた。
手はやはり、半分しか上がらなかった。
潔が部屋の中に入ってきた。
その後ろから、五十嵐と雷市が覗き込んだ。
「うわ、死んでるじゃん」
「生きてるって言っただろ」
「生きてる、の顔じゃねぇだろコレ」
五十嵐と國神の短いやり取りを、俺は寝たまま聞いていた。
潔が、ベッドの脇に立った。
腕を組んで、俺を見下ろした。
見下ろすというより、観察している目だった。
昨日、試合のあとにベンチで隣に座って、何も言わずにドリンクのキャップだけ閉めた潔とは、少し違う目だった。
「……動けねぇのか」
潔が言った。
俺は目だけで、潔を見た。
(——どう見ても動けねぇだろ、この姿)
内心でそう返してから、口を開いた。
「……二割」
言った。
言ったら、喉が乾いていることに気づいた。
「二割?」
潔が眉を寄せた。
「……二割引」
俺は、そう付け足した。
ちょっとふざけた言い方に聞こえたかもしれない。
だが、そう言うのが一番正確な気がした。
昨日の俺を十割とすれば、今日の俺は、そこから二割安くなっている、じゃなくて、そこの二割しかない。
バーゲンセール札が貼られた、割引商品の俺。
潔は、一秒、俺の顔を見た。
それから、短く笑った。
笑うと言うより、息が漏れた。
「……食え」
潔は言った。
「だから、動けねぇんだ——」
「食わないから、動けねぇんだ」
潔は俺の言い訳を最後まで待たなかった。
ベッドの下に落ちていた俺のジャージを拾い、枕元に置いた。
それだけ置いて、踵を返した。
「五分後、食堂」
潔は振り返らずにそう言って、出ていった。
扉が閉まった。
(——あいつ、たまに兄貴っぽいな)
俺は内心でだけ短く呟いた。
(——兄貴がいたことねぇから、知らねぇけど)
◇ ◇ ◇
食堂は、普段より静かだった。
普段も静かといえば静かだが、今朝のそれは種類が違う静かさだった。
みんな食っていた。
みんな、ちゃんと噛んで、飲み込んで、次を口に運んでいた。
いつもならくだらない軽口が飛び交うテーブルで、今朝は誰も軽口を叩かなかった。
ただ、それぞれのトレーの上で、音だけがしていた。
(——一次選考、最終戦の朝か)
俺は列に並んでトレーを受け取った。
受け取ったはずのトレーが、両手に重かった。
昨日まで感じなかった重さだった。
ご飯と、味噌汁と、焼き魚と、卵。
それだけの重さが、今日の俺には石を載せたような重さだった。
潔たちのテーブルに、俺は腰を下ろした。
腰を下ろすというより、沈み込んだ。
椅子の背もたれに後頭部を預けた。
正面に潔。
斜め前に五十嵐。
隣に雷市。
テーブルの端に蜂楽。
蜂楽は食っていなかった。
蜂楽はスケッチブックを開いて、食堂の天井を描いていた。
(——なんで天井)
「覇黒、ちゃんと食えよ!」
雷市が俺の方を向いて、怒鳴るわけでもなく、ただ声を押し出した。
雷市は普段怒鳴る男だが、こういうとき怒鳴らないやつでもあるらしい。
「……食う」
俺はそう言って、箸を取った。
箸も、昨日より重かった。
「今日の覇黒、マジで二割じゃん……」
「うるせぇ」
「怒る元気はあんのかよ!」
五十嵐が笑った。
五十嵐は、場が重くなるとふざけるタイプだった。
そのふざけ方が、今朝は少しだけ助かった。
俺は、卵だけ先に口に入れた。
噛むと、噛む音が自分の頭の中にだけ大きく響いた。
体の中の水が、少しだけ戻ってきた気がした。
潔は、それを見ていた。
見ていたが、何も言わなかった。
ただ、自分の焼き魚の骨を、黙って外していた。
◇ ◇ ◇
廊下を歩いていたら、前から来た。
凪だった。
凪はジャージを半分しか着ていなかった。
上のファスナーが下の方まで開いていて、中のシャツがよれていた。
あの顔で半目のまま歩いているので、寝起きか、寝ていないのか、どっちなのかも分からなかった。
すれ違う直前、凪が俺の横で立ち止まった。
俺も、止まらされた。
「……」
凪は何も言わなかった。
半目のまま、俺を上から下まで、一度だけ見た。
「……昨日の」
凪の口が、開いた。
「昨日の、面白かった」
凪は、そう言った。
言い終わってから、ちょっとだけ自分の口の端を指で触った。
言ったこと自体が、自分でも意外だった、みたいな触り方だった。
俺は、半目のまま凪を見返した。
「あ、そ」
それしか返さなかった。
返せなかった。
喋るエネルギーが、まだ足りなかった。
凪は、一秒そのままだった。
それから、うっすら笑った。
笑いと言うには、笑いの三割くらいしか顔の筋肉が動いていなかった。
「でも、今日のお前」
「……」
「弱そう」
凪は短くそう言って、俺の肩を軽く叩いた。
叩かれた肩が、昨日のスパイクが当たった脛より重かった。
「知ってる」
俺は言った。
凪は笑い損なったみたいな顔をして、そのまま歩いていった。
歩いていく凪の背中を、俺は半目のまま見ていた。
(——あいつ、今の、からかいに来たのか)
(——からかいに来る元気、凪にあんのか)
(——あったら困る)
俺は廊下を、潔たちの背中に向かってまた歩き始めた。
歩き始めたら、凪に叩かれた肩が、少しだけ軽くなっていた。
(——ふざけんな)
◇ ◇ ◇
ロッカールームの前面に、大きなモニターが吊られていた。
絵心は、そこにはいなかった。
映像だけが流れていた。
チームWの試合映像。
昨日までのランキング戦のダイジェストだった。
ボールを持つやつが、一人、画面の中央でずっとドリブルしていた。
周囲のDFが倒されていくのではなく、弾かれていく映像だった。
ドリブルというより、ブルドーザーが道を作っているような映像だった。
「……でけぇ」
我牙丸が、画面を見て呟いた。
我牙丸が「でけぇ」と言うとき、それは相当でけぇときだ。
鰐間、と画面の下にテロップが出ていた。
(——鰐間、な)
俺は、モニターの正面の椅子に座って、脚を投げ出していた。
椅子の背もたれに後頭部を預けて、天井を見ていた。
映像は視界の下半分でだけ流していた。
「覇黒、お前ちゃんと見てんのか!」
雷市が俺の肩を叩いた。
「……見てる」
「目、閉じてんじゃねぇか!」
「目、閉じても見える」
「は?」
「……聞こえるから、音で分かる」
俺は、実際に音で分かっていた。
踏み込みの音、倒れ方の音、ボールが弾く音。
目で見なくても、映像の中の鰐間がどう走っているかはだいたい分かった。
(——でかい、重い、速い、上手くはない)
「……覇黒」
斜め向かいから、潔が言った。
「今日、覚醒できんのか」
潔が直球で聞いてきた。
俺はうっすら目を開けて、潔を見た。
潔の目が、真剣だった。
あいつ、こういうことを聞くのが本当に下手なくせに、聞かずにいられない目をしていた。
「……たぶん、無理」
俺は言った。
言ってから、自分で「言った」と思った。
潔たちに、覚醒の話を、自分から明言したのは初めてだった。
潔の眉が、一瞬だけ上がった。
雷市が「は?」と口を開けた。
五十嵐が「えっ、じゃあ、じゃあ今日どうすんだよ」と声をひっくり返した。
我牙丸が画面から視線を外して、俺を見た。
伊右衛門は、いつも通り無言で、ただ俺のほうに顔を向けた。
久遠は——糸目のまま、モニターを見ているふりをして、耳だけこっちに向けていた。
蜂楽が、スケッチブックの鉛筆を止めた。
止めたが、何も言わなかった。
ただ、俺のほうにちらりと視線を寄越して、また鉛筆を動かし始めた。
俺は、長く息を吐いた。
「……無理だから、頼む」
言った。
言ってから、(——なんだこの台詞)と自分で思った。
「覇黒——」
「今日は俺、二割引」
俺は、また同じ言葉を使った。
「今日は、お前らの試合にしてくれ」
そう言って、目を閉じた。
ロッカールームが、静かになった。
一秒。二秒。
潔が息を吸う音が聞こえた。
それから、潔が言った。
「……分かった」
短かった。
短くて、でも、噛み締めた言い方だった。
「じゃあ、二割分は出せ」
潔は続けた。
「二割でいい。その二割、今日はどこに出すか、お前が決めろ」
俺は、目を閉じたまま、短くうなずいた。
(——こいつ、ホント切り替え早ぇな)
(——昨日もそうだった)
(——こいつ、本当に兄貴肌だな)
(——兄貴、いたことねぇけど)
蜂楽が、鉛筆を止めた音がした。
スケッチブックを持ち上げて、紙を一枚破いた音もした。
「千歳」
蜂楽が、こちらへ紙を差し出した。
俺はうっすら目を開けて、紙を見た。
鉛筆で、適当に描かれた、ピッチの図だった。
選手の位置が、丸でいくつか描かれていた。
丸の中に、名前は書かれていなかった。
ただ、一つだけ、二重丸になっている場所があった。
俺の位置、じゃなかった。
それは、ピッチの中央、少し後ろ寄り。
いわゆる、司令塔の位置だった。
「千歳、今日はここ」
蜂楽は言った。
「走らなくていい。見てるだけでいい」
俺は、その二重丸を、一秒だけ見た。
それから、短く笑った。
笑ったら、昨日の脛の痛みが、少しだけ薄まった気がした。
「……蜂楽、お前、絵、上手くねぇな」
「そ?」
「でも、そこ、当たりだ」
蜂楽は、首を傾げた。
首を傾げたままで、スケッチブックを自分の膝に戻した。
◇ ◇ ◇
ロッカーのドアが開いた。
絵心が入ってきたわけじゃなかった。
試合開始を告げるスタッフだった。
無言で一度だけロッカーを見回して、無言でドアを閉めた。
雷市が立ち上がった。
「お前ら!」
雷市が、胸を張った。
「まとまるぞ!」
雷市の声が、いつもより少しだけ小さかった。
小さかったが、耳にはまっすぐ届いた。
「——覇黒が、今日、二割らしい」
雷市は、そう言った。
言ってから、周囲を見回した。
「——じゃあ、八割は俺らだ!」
雷市の声が、少しだけ跳ねた。
我牙丸が「うるせぇ」と短く言った。
五十嵐が「やってやるぜぇ!」と裏返った声を出した。
成早が「俺に出してくれりゃ、問題ねぇから」と自分のロッカーを閉めた。
千切は、黙って首を一度だけ縦に振った。
國神は、ペットボトルのキャップを締めて、俺の横を通るとき、俺の肩に一度だけ触れた。
触れただけだった。
触れて、そのまま廊下へ出ていった。
(——國神、お前、そういうの上手くなってきたな)
潔が、最後にロッカーを閉めた。
閉める音が、いつもより小さかった。
「覇黒」
潔が、振り返って言った。
「二割、どこに出す」
俺は、椅子から立ち上がった。
立ち上がるのに、三秒かかった。
三秒かけて、立ち上がった。
「——目と、足首」
言った。
潔が、一秒、俺を見た。
「分かった」
潔は、それだけ言って、出ていった。
◇ ◇ ◇
ピッチに出ると、風が吹いていた。
昨日は降りそうで降らなかった雨が、今日は降っていた。
細い霧みたいな雨だった。
ジャージの肩が、じんわり濡れた。
整列の位置に歩いていくと、向こう側のチームWも整列していた。
中央に、でかいのが一人、立っていた。
鰐間だった。
画面で見たより、たぶん一回り、でかかった。
肩幅が、普通の選手の一・五倍くらいあった。
首が、あまり見えなかった。首が太すぎて、肩と一体化していた。
目が、細かった。
細い目で、こっちの列を、左端から右端までゆっくり見渡した。
そして、俺のところで止まった。
止まって、一秒、見た。
(——あ?)
俺は、半目のまま、鰐間の目線を受け止めた。
受け止めたが、体はまだ二割引だった。
今、この目線に殺気の二割でも混ざっていたら、正直、俺は立っていられなかったかもしれない。
だが、鰐間の目には、殺気はなかった。
あったのは——
興味。
それだった。
鰐間は、俺を一秒見て、それから視線を外した。
視線を外しながら、口だけが動いた。
「……昨日の、あれか」
低い声だった。
聞こえるような、聞こえないような声だった。
だが、俺の耳には、確かに届いた。
届いたのは、その声の奥にあった含みのほうだった。
——昨日の、あれか。
——あれで、今日も出てきたのか。
——へぇ。
俺は、返事をしなかった。
返事をするエネルギーは、ピッチで使うために、温存しておく必要があった。
ただ、半目のまま、鰐間の視線を一秒、追い返した。
それだけだった。
鰐間は、もう俺を見なかった。
ただ、ピッチの中央に向けて、ゆっくり歩き出した。
ブルドーザーが、エンジンをかけ始めた、そういう歩き方だった。
(——今日は、こっちにエンジンがねぇんだ、悪いな)
(——だから、八割のほう、頼むぜ)
俺は、視線だけをチームZの列に流した。
雷市が拳を握っていた。
我牙丸が肩を回していた。
五十嵐が、足踏みしていた。
成早が、軽く跳ねていた。
千切が、無表情のままスパイクの紐を確認していた。
國神が、胸に手を当てていた。
伊右衛門が、無言だった。
久遠が——糸目のまま、鰐間のほうを見ていた。
蜂楽が、空を一度見上げた。
潔が、俺を見ていた。
潔の目が、一度だけ、俺にうなずいた。
俺は、うなずき返さなかった。
代わりに、半目のまま、ほんの少しだけ、口の端を上げた。
それで、潔には伝わったらしかった。
潔も、口の端を、一度だけ上げた。
レフリーが、中央に歩いてきた。
◇ ◇ ◇
ホイッスルが鳴った。
ボールが、中央で転がった。
最初に触れたのは、潔だった。
潔は下げた。
千切にも成早にも出さず、後ろの國神に戻した。
國神はそれを左右に振った。
俺は、ピッチの中央少し後ろに立っていた。
蜂楽の描いた二重丸の位置に、ちゃんと立っていた。
立っていただけだった。
前の方で雷市が怒鳴った。
右で成早が走った。
左で千切が走った。
我牙丸は最終ラインで構えていた。
伊右衛門は、我牙丸の横で、無言で構えていた。
俺は、走らなかった。
走る代わりに、見ていた。
——目。
——足首。
目で、全員の位置を、一秒ごとに更新していた。
足首で、自分の重心を、ほんの少しだけ、動かしていた。
動かすと、俺の影が、ピッチの芝の上で、ほんの少しだけ、動いた。
その影の動きを、潔が視界の端で見ていた。
潔は、その影の向きに合わせて、ボールを出す方向を変えた。
俺は、ボールを受けなかった。
受けなかったのに、ゲームは、動いていた。
俺の影が、ゲームを動かしていた。
たぶん、傍から見たら、俺は今日、ずっとサボっているように見えるだろう。
ピッチの中央で、ぼーっと立って、ほとんど歩きもしない。
昨日の試合の後遺症で動けないやつが、立ち位置だけ守って休んでいる。
それだけに見えるはずだった。
(——それでいい)
俺は、胸の奥でだけ呟いた。
(——今日は、それでいい)
(——今日の俺は、二割引だ)
(——二割の俺で、どこまで行けるか、ちょっと見てやる)
鰐間が、ボールを持った。
最終ラインで持った。
中盤まで、ドリブルで、そのまま上がってきた。
誰にも止められなかった。
國神が寄せたが、肩で弾かれた。
雷市が体を入れたが、押し返された。
我牙丸が、最後の壁のつもりで、正面に立った。
鰐間が、我牙丸のほうへ、正面から突っ込んだ。
ぶつかる直前、俺は——
影を、少しだけ、右に動かした。
足首で、ほんの五センチ、体重を右に移した。
それだけだった。
だが、俺の影の右への動きを、国神が視界の端で拾った。
國神は、それを合図にして、我牙丸の右側から、横に走り込んだ。
鰐間が我牙丸に肩をぶつけた瞬間、國神が鰐間の右足に、足の裏を引っかけた。
鰐間はバランスを崩した。
ボールが、鰐間の足元から、ほんの三十センチだけ、右に流れた。
その三十センチに、千切が突っ込んだ。
千切はそれをかっさらった。
俺の影は、もう次の動きに入っていた。
足首が、今度は、左に五センチ。
千切は、その左への動きを拾った。
拾って、そのまま左サイドに流した。
左サイドには、成早はいなかった。
成早は、逆サイドに走っていた。
代わりに、蜂楽がいた。
いつの間にか、蜂楽が、左サイドの最前線に、一人で立っていた。
(——お前、なんでそこにいるんだよ)
(——絵で見たのかよ)
蜂楽が、ワンタッチで、中央に戻した。
戻した先に、雷市がいた。
雷市は、ヘディングで叩いた。
ボールは、キーパーの真正面に飛んだ。
キーパーが、弾いた。
弾いた先に、五十嵐が、走り込んでいた。
「——やってやるぜぇ!」
五十嵐が、裏返った声で、蹴った。
ボールは、ゴールネットに、吸い込まれた。
◇ ◇ ◇
1-0。
電光掲示板が、そう表示した。
チームZのスタンドの、見えない誰かが、声を上げた気がした。
ピッチの上でも、雷市が吠えた。
我牙丸が拳を天に突き上げた。
成早が「俺、走ったのに!」と逆サイドから怒鳴った。
千切が、珍しく口の端を少し上げた。
蜂楽が、無表情のまま、スケッチブックを——いや、スケッチブックはベンチに置いてきていた。代わりに、ジャージの袖で、自分の鼻を一度だけ拭った。
國神は、静かに胸に手を当てた。
伊右衛門は、無言のまま、中央に戻ってきた。
久遠は——糸目のまま、俺のほうを見ていた。
潔が、俺の隣を通るとき、短く言った。
「覇黒」
「ん」
「二割、効いてる」
潔はそれだけ言って、中央に戻っていった。
俺は、ピッチの中央少し後ろに立ったまま、短く息を吐いた。
(——八割、いけるじゃねぇか、お前ら)
鰐間は、中央で、俺のほうを見ていた。
さっきの「興味」の目が、少しだけ、別の温度になっていた。
鰐間の口が、動いた。
「……お前、走ってねぇな」
低い声だった。
さっきより、少し近くに届いた。
俺は、半目のまま、鰐間を見た。
「……」
俺は、返事をしなかった。
返事をするエネルギーが、まだ勿体なかった。
代わりに、半目のまま、鰐間に向かって、ほんの少しだけ、口の端を上げた。
鰐間の、細い目が、ほんの少しだけ、大きくなった。
「……」
鰐間は、それ以上、何も言わなかった。
言わずに、くるりと踵を返した。
踵を返して、自分の最終ラインに向かって、歩き出した。
歩き出す鰐間の肩が、さっきの整列のときより、少しだけ、盛り上がって見えた。
(——ブルドーザー、エンジン、上げたな)
俺は、胸の奥でだけ呟いた。
(——悪いな、こっちは、二割のままだ)
◇ ◇ ◇
ホイッスルが、もう一度鳴った。
試合は、まだ残り七十分、あった。
俺の二割は、まだ一割五分、残っているかもしれないし、三分くらいしか残っていないかもしれない。
それは、どこまでサボるかで決まる。
(——サボろう)
俺は、決めた。
決めてから、ほんの少しだけ、足首を、また動かした。
影が、右に、ほんの三センチ、動いた。
國神が、それを、視界の端で、拾った。
第6話、お読みいただきありがとうございました。
覇黒「今日は、お前らの試合にしてくれ」
潔「じゃあ、二割分は出せ」
走らない。取らない。喋らない。
ただ、足首の重心と視線だけで、國神・千切・蜂楽・雷市・五十嵐を動かす。
覚醒なしの司令塔——二割でチームが、初点を捥ぎ取りました。
潔「覇黒」
「二割、効いてる」
だが、鰐間のブルドーザーは、まだエンジンを上げ始めたばかり。
残り七十分、覇黒の二割はどこまで保つのか。
——そして、覚醒の条件は、今日も揃ってしまうのか。
覇黒「(——サボろう)」
次話、チームW戦・中盤〜後半。
一次選考、決着の回です。
ブクマ・評価・感想いただけると、更新の励みになります。
気が向いたら、また覗きに来てください。