代わりに、覇黒は自分の手で、"走る"回路の扉を開けました。
1-3、残り十四分。
覚醒モードは、今日、ゼロ。
——では、何で戦うのか。
一次選考、最終戦、決着です。
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※ブルーロックの二次創作です
※前話を未読の方は第1〜7話からどうぞ
俺の足が、芝を踏んだ。
一歩目が、重かった。
二歩目は、もっと重かった。
三歩目で、体のどこかで、何かの鍵が、小さく、回った気がした。
鍵が回った音は、気のせいだったかもしれない。
だが、四歩目は——三歩目より、ほんの少しだけ、軽かった。
(——あ、これ、自分の足か)
俺は、胸の奥でだけ、短く呟いた。
覚醒中の一歩は、軽い。
軽すぎて、自分の足が芝に触れている感覚が、ほとんどない。
車に乗せられている感覚に近い。
誰かが運転席にいて、俺は助手席で窓の外を見ているだけ。
今の一歩は、重かった。
重いが、自分の足だった。
自分の足で、自分の意志で、芝を蹴っている感覚が、久しぶりに、戻っていた。
(——こっちのほうが、たぶん、俺だな)
(——覚醒中のあれは、俺じゃねぇ)
(——あれは、俺を運転してる、別の何かだ)
俺は、走りながら、胸の奥でだけ、もう一度、呟いた。
(——今日は、俺が運転してる)
◇ ◇ ◇
潔が、俺の斜め後ろから、ついてきていた。
潔は、俺に並ぼうとしなかった。
並ばずに、ずっと、斜め後ろ、半歩下がった位置で、走っていた。
その位置取りが、潔らしかった。
兄貴肌なくせに、前に出たがらない。
前に出るのは俺だと、潔は今、決めているらしかった。
(——お前、今日、兄貴ぶるのやめたのか)
(——結構、いいじゃねぇか)
右サイドから、成早が走り込んできた。
左サイドから、千切が、逆サイドに抜けていった。
中央少し後ろで、蜂楽が、ゆっくり歩いていた。
蜂楽は、走らなかった。
走らないくせに、蜂楽は、いつも、ボールが落ちてくる場所に、歩いていた。
(——お前、絵で見たんじゃなく、単に、歩き方が上手いだけじゃねぇか)
五十嵐が、ペナルティエリアの手前で、跳ねていた。
跳ねながら、一度だけ、俺の方を見た。
「覇黒——どこに出すんだよォ!」
五十嵐が、裏返っていない声で、叫んだ。
俺は、答えなかった。
答えるエネルギーが、まだ、勿体なかった。
代わりに、右足を、止めた。
止めた瞬間、ボールが、俺の足元に、来ていた。
誰が出した、とか、考えていなかった。
たぶん、潔だった。
潔は、さっきの位置取りから、無言で、俺の足元に、ボールを流していた。
流したボールが、俺の足元に、ちょうど来た。
潔は、何も言わなかった。
何も言わずに、俺の左に、回り込んだ。
◇ ◇ ◇
鰐間が、俺の正面に立った。
立ったのは、たぶん、鰐間にとって珍しい選択だった。
鰐間は、普段、正面には立たない。
鰐間は、いつも、走りながら、肩でぶつける選手だった。
その鰐間が、止まって、俺の正面に立った。
立った理由は、鰐間の細い目の中に、あった。
さっきまでは「潰す」の目だった。
その前は「興味」の目だった。
今は——
また、「興味」の目に戻っていた。
いや、戻っていたのではなく、さっきの「興味」より、もう一段、奥に行っていた。
奥に行った「興味」の目は、笑っているように見えた。
細い目が、ほんの少しだけ、弧を描いていた。
「——走るんかい」
鰐間が、低い声で、そう言った。
俺は、答えなかった。
答えずに、右足で、ボールを、ちょっとだけ、左に転がした。
三センチ。
鰐間の体が、三センチ、俺の左に、動いた。
動いた瞬間、俺は、ボールを、ヒールで、右後ろに流した。
後ろに流した先に、潔はいなかった。
潔は、俺の左に回り込んでいた。
後ろにいたのは——蜂楽だった。
蜂楽は、歩いていた。
歩いていたが、歩いている位置が、絶妙だった。
歩いている位置に、俺のヒールパスが、ちょうど、落ちた。
蜂楽は、歩きながら、右足を振った。
振った右足が、ボールを、左サイドに流した。
左サイドに——
千切が、いた。
千切は、普段、寡黙だった。
だが、スピードだけは、喋らなくても喋った。
千切は、ボールを受けた瞬間、もう最前線にいた。
最前線で、横を向いた。
横には、成早がいた。
いや、成早は、もう、ペナルティエリアに入っていた。
千切が、クロスを上げた。
上げたクロスは、高くなかった。
低くもなかった。
真ん中でもなかった。
ちょうど、鰐間のチームのキーパーが、手を出しにくい、変な高さだった。
成早が、ペナルティエリアの中で、跳ねた。
跳ねた成早の頭に、千切のクロスが、当たった。
当たっただけだった。
叩いたんじゃなく、当てただけ。
だがそれで、十分だった。
ボールは、キーパーの手をすり抜けて、ゴールネットに、吸い込まれた。
2-3。
◇ ◇ ◇
「——ッ、俺だぜぇ!」
成早が、裏返った声で叫んだ。
五十嵐が、成早の後ろで、両腕を上げた。
我牙丸が、最終ラインから、低く、「……よし」と呟いた。
雷市は、何も言わなかった。
雷市は、両手を膝についたまま、息を整えていた。
伊右衛門は、ゴール前で、無言のまま、姿勢を低くしていた。
久遠は——少し下がった位置で、糸目のまま、俺を見ていた。
潔が、俺の横を通るとき、短く言った。
「覇黒」
「ん」
「二割じゃねぇな、今」
「……三割」
俺は、半目のまま、そう返した。
潔が、一秒、俺を見た。
見てから、短く、息を吐いた。
その息は、笑いじゃなかった。
何かを、諦めた息だった。
(——お前、いま、俺のこと諦めたろ)
(——諦めたの、うれしい)
潔は、それ以上何も言わずに、中央に戻っていった。
◇ ◇ ◇
電光掲示板。
2-3。
残り、九分。
俺の体は、三割、まで上がっていた。
いや、上がっていたというより、さっきの一連のパスで、三割の場所に、自分で到達した、という感じだった。
勝手に起きた覚醒じゃない。
自分で、レバーを、少しずつ、押し上げた感覚だった。
(——なるほど)
俺は、胸の奥でだけ、呟いた。
(——覚醒なしで、三割、は、出せるんだな、俺)
それは、今日、初めて気付いたことだった。
前世の死にゲーで言うなら、レベル上げの画面で、1上がった感覚。
上がったのが、レベル1から2じゃなくて、たぶん、レベル2から3、くらいの、地味な上がり方だった。
だが、上がった。
上がったことに、気付けた。
(——気付けたのは、今日が、覚醒、来なかったからか)
(——借金、取り立てに来た日に、レベル上げの入口が、見えたか)
俺は、短く息を吐いた。
(——ラスボス前にレベル上げしねぇとダメなんだよ、クソゲーは)
(——俺、ようやく、その画面に、たどり着いたらしいな)
◇ ◇ ◇
鰐間のエンジンは、まだ、落ちなかった。
落ちるどころか、1点返された直後に、もう一段、上がった。
鰐間は、自分の最終ラインから、またドリブルで、上がってきた。
今度は、中盤のブルドーザー二台が、鰐間を先に行かせて、後ろから支えた。
ブルドーザー編成が、変わっていた。
残り、七分。
鰐間が、中央を突破してきた。
雷市が、正面で止めた。
雷市は、止めながら、半分だけ、弾かれた。
弾かれた雷市の横を、鰐間は、通り抜けなかった。
通り抜けずに、ワンタッチで、外に流した。
外のブルドーザー二台目が、それを、拾った。
拾ったブルドーザー二台目は、ペナルティエリアに向かって、ドリブルした。
俺は、走った。
走った。
走ったというより、体の奥で、レバーを、もう一つ、押し上げた。
三割から、三割五分、くらいに。
ブルドーザー二台目の斜め後ろから、追いついた。
追いついた瞬間、ブルドーザー二台目は、俺の存在に気付かなかった。
気付かないまま、シュートの姿勢に入った。
俺は、ブルドーザー二台目の、軸足の横に、スライディングで、足だけ、入れた。
腕も肩もぶつけなかった。
足だけ。
ブルドーザー二台目の軸足が、俺の足を、踏まなかった。
踏まずに、俺の足を避けた。
避けた瞬間、シュートの姿勢が、崩れた。
ボールは、ゴールの上を、大きく、越えていった。
レフリーのホイッスルは、鳴らなかった。
俺は、芝に寝転がったまま、半目のまま、空を見上げた。
(——危なかった)
胸の奥でだけ、呟いた。
(——今のスライディング、ミスったら、俺、退場だったな)
◇ ◇ ◇
伊右衛門が、俺の腕を引っ張って、起こした。
伊右衛門は、何も言わなかった。
引っ張って、起こして、そのまま、自分のポジションに戻っていった。
引っ張る力は、強かった。
強かったが、優しかった。
(——お前、そういう立ち回り、本当に、上手いな、伊右衛門)
(——お前、無言キャラの中で、一番、分かりやすいぞ)
ゴールキックから、試合が、再開した。
残り、五分。
◇ ◇ ◇
ボールは、潔の足元に、落ちた。
潔は、それを、すぐに、俺に出した。
俺は、受けた瞬間、もう走っていた。
右サイドに、流した。
右サイドには、成早が、走っていた。
成早は、受けたと思ったが、受けずに、縦に抜けた。
縦に抜けた成早の足元を、ボールが、すり抜けて、そのまま前に、転がった。
ボールは——
五十嵐の、足元に、落ちた。
(——五十嵐か)
俺は、半目のまま、走りながら、胸の奥で、呟いた。
(——行け、イガグリ)
五十嵐は、ボールを、前に、運んだ。
運んだが、鰐間のチームのDFが、正面に立った。
でかいDFだった。
五十嵐より、頭一つ、でかかった。
五十嵐は、ドリブルが、上手くなかった。
上手くなかったが、諦めるのだけは、下手だった。
五十嵐は、DFの正面で、止まった。
止まって、ボールを、俺に、戻した。
戻したボールが、俺の足元に、来た。
俺は、もう、ペナルティエリアの、手前、少し左にいた。
潔は、右にいた。
蜂楽は、左の奥にいた。
千切は、右サイドに、張っていた。
成早は、DFラインを、裏で狙っていた。
五十嵐は、俺の目の前で、ちょっと疲れた顔をして、また走り始めた。
雷市が、遠くで、叫んだ。
「覇黒——いけぇッ!」
雷市の声が、俺の耳に、いつもより、少しだけ、軽く響いた。
◇ ◇ ◇
俺は、右足を、振った。
ロングシュートじゃなかった。
ループでもなかった。
昨日の、股抜きでもなかった。
ただの、ミドルシュートだった。
右足のインステップで、叩いた。
強めの、低い、地を這うような、まっすぐなシュート。
コースは、ゴール左下。
DFの足の間を、ちょうど抜ける、低い位置。
覚醒中に出せるシュートじゃなかった。
覚醒中のシュートは、もっと、誰にも止められない角度に飛ぶ。
今のは、止められるかもしれない角度のシュートだった。
普通の選手なら、外すかもしれない、地味な角度のシュートだった。
だが——
俺は、たぶん、その「普通」の角度を、「普通」に、決められるレベルに、いた。
今日、はじめて、その自覚が、あった。
ボールは、DFの足の間を、抜けた。
キーパーは、飛んだ。
キーパーの手は、ボールに、指先だけ、触れた。
触れただけだった。
ボールは、ゴールネットに、吸い込まれた。
3-3。
◇ ◇ ◇
ネットが、揺れた。
揺れた瞬間、ピッチが、一秒、静かになった。
チームZも、チームWも、一秒、動きを止めた。
それから——
雷市が、吠えた。
「うおォォォォォォ!」
雷市の声が、スタジアムの天井まで、届いた気がした。
我牙丸が、拳を、腰の位置で、握った。
五十嵐が、両手を頭の上に乗せた。
乗せたまま、芝に、へたり込んだ。
成早が、「俺も走った!」と誰にともなく叫んだ。
千切が、珍しく、両手を、合わせた。
蜂楽が、口を、開けたまま、少し、笑った。
國神は、ベンチ横で、立ち上がって、拳を握っていた。
伊右衛門は——無言のまま、俺に向かって、頭を、ほんの少しだけ、下げた。
久遠は、糸目のまま、俺を、見ていた。
糸目の奥が、いつもより、少しだけ、光っていた。
潔が、走ってきた。
走ってきた潔は、俺の前で、止まった。
止まって、俺の肩を、強く、叩いた。
「覇黒——」
潔の声が、震えていた。
震えていたが、潔は、それを隠さなかった。
「覇黒、お前——」
潔は、そこで、言葉を切った。
切った潔に、俺は、半目のまま、短く、返した。
「……うん」
「は?」
「うんって、言った」
「……」
潔は、一秒、俺を見た。
それから、何かを諦めたように、短く笑った。
短く笑って、それから、もう一度、俺の肩を、叩いた。
◇ ◇ ◇
電光掲示板。
3-3。
残り、四分。
鰐間が、中央で、俺のほうを、見ていた。
鰐間の目は、もう、「潰す」でも「興味」でもなかった。
細い目の奥が、うっすらと、笑っていた。
笑っているというより、何か、納得した顔だった。
鰐間の口が、動いた。
「……悪くねぇな」
低い声だった。
俺は、半目のまま、鰐間を、見た。
見たまま、答えなかった。
鰐間は、それ以上、何も言わずに、自分の最終ラインに、戻っていった。
戻っていく鰐間の背中は、さっきより、少しだけ、小さく見えた。
いや、小さく見えたというより、俺の目が、普通の大きさで鰐間を捉えられるようになっただけだった。
覚醒中、全てが巨大に見えるあの視界じゃない。
俺の、普段の視界。
普段の視界の中で、鰐間は、普段の大きさだった。
(——鰐間)
俺は、胸の奥でだけ、呟いた。
(——お前、でかいけど、見えてる範囲、狭いよな)
(——俺、普段、もっと狭かったけど、今日、ちょっとだけ、広がった気がする)
◇ ◇ ◇
残りの四分は、どちらも、得点を、動かせなかった。
鰐間は、もう一度、正面から突っ込んできた。
今度は、我牙丸と伊右衛門が、二人で、受け止めた。
受け止めたが、止めきれなかった。
止めきれないところを、雷市が、前に、膝から入って、ボールを、外に出した。
雷市は、膝を、痛めた。
痛めたが、立ち上がった。
(——雷市、お前、怒鳴るだけのやつじゃ、なかったな)
(——お前、怒鳴らないほうが、ちょっと、強い)
そのあと、チームZも、二度、攻めた。
一度目は、潔のシュートが、キーパーに止められた。
二度目は、成早のクロスに、誰も合わなかった。
ホイッスルが、鳴った。
試合終了だった。
3-3。
引き分け、だった。
◇ ◇ ◇
ピッチが、また、一秒だけ、静かになった。
引き分けは、ブルーロックでは、勝ちでも負けでもない、微妙な結果だった。
勝ちじゃないから、誰も、派手には喜べない。
負けじゃないから、脱落は、たぶん、ない。
たぶん、という保留が付いた状態で、試合が、終わった。
俺は、ピッチの中央に、立っていた。
立っていたが、立っているのが、だんだん、しんどくなった。
膝が、ゆっくり、抜けた。
(——はいはい)
胸の奥でだけ、呟いた。
(——借金、今日の利息も、あったか)
芝に、腰から、落ちた。
昨日と、同じ姿勢だった。
仰向け。
空を、見上げた。
今日の空は、雨が、止んでいた。
細い霧雨は、試合の、どこかの時点で、消えていた。
(——いつ、止んだんだろうな、雨)
胸の奥でだけ、短く呟いた。
覚醒中なら、雨が止んだ瞬間を、スローモーションで、覚えていたはずだった。
今日の俺は、覚えていなかった。
(——覚えてないほうが、たぶん、普通だな)
(——普通、気持ちいいな、ちょっと)
◇ ◇ ◇
潔が、俺の隣に、座った。
座って、自分の、ドリンクを、飲んだ。
俺にも、一本、差し出した。
俺は、首を、少しだけ横に動かした。
受け取るエネルギーが、まだ、戻っていなかった。
潔は、無言で、俺の口の横に、ドリンクの口を、当てた。
傾けてくれた。
水が、口の中に、入ってきた。
冷たかった。
喉が、ちょっとだけ、戻った。
潔は、何も言わなかった。
俺も、何も言わなかった。
五十嵐が、芝にへたり込んだまま、「勝てた、これ、勝てたよな……?」と、誰にともなく、呟いていた。
我牙丸が、「勝ちじゃねぇ、引き分けだ」と、低く返した。
五十嵐が、「でも、負けてねぇだろ、これ……」と、また呟いた。
我牙丸は、それに、答えなかった。
答えずに、小さく、うなずいた。
(——我牙丸、お前も、うなずけるんだな、そういうとき)
雷市は、ピッチの中央で、仰向けになっていた。
膝を、両手で、押さえていた。
押さえながら、天井を、見ていた。
(——無事でいろよ、雷市)
蜂楽は、ベンチの端で、スケッチブックを、開いていた。
今、何を描いているのかは、見なかった。
(——たぶん、俺の今の顔、描かれてる)
(——描くなよ、こんな顔)
千切は、ピッチの端で、空を、見上げていた。
成早は、「俺、二アシストだぜ、二アシスト」と、誰にでもなく叫んでいた。
國神は、ベンチ横で、俺のほうを、見ていた。
國神は、俺と目が合うと、短く、うなずいた。
伊右衛門は、タオルで、頭を拭いていた。
久遠は——糸目のまま、少し離れた場所で、俺と潔を、見ていた。
糸目の奥が、何か、言いたそうな顔だった。
だが、久遠は、何も言わなかった。
◇ ◇ ◇
放送が、入った。
館内のスピーカーが、ブツッと鳴った。
ピッチ全体に、絵心の声が、落ちてきた。
「——試合、終了」
絵心の声は、いつもの、低くて短い声だった。
「——一次選考、全日程、終了」
絵心は、続けた。
「——ランキング、上位通過、以下」
絵心は、そのあと、チーム名を、読み上げ始めた。
俺は、仰向けのまま、芝の上で、それを、聞いていた。
その中に——
「——チームZ」
という声が、混じった。
ピッチの上で、チームZの誰も、声を、上げなかった。
声を上げる体力が、誰にも、残っていなかった。
ただ、五十嵐が、芝にへたり込んだまま、「……やった」と、小さく、呟いた。
その呟きは、今日、五十嵐が出した、一番、小さな声だった。
一番小さな声のくせに、一番、まっすぐ、耳に届いた。
(——やったな、五十嵐)
俺は、胸の奥でだけ、呟いた。
(——お前、諦めなかったな、ちゃんと)
◇ ◇ ◇
放送は、そこで、一度、切れなかった。
絵心の声が、続いた。
「——一名、指定する」
絵心の声は、そこだけ、少し、温度が変わった。
いつもの、短い、区切る声。
だが、区切り方が、いつもと違った。
「——チームZ、覇黒、千歳」
俺の名前が、また、呼ばれた。
昨日と、同じように。
「——第二次選考、選手集合前に、俺の部屋に来い」
絵心は、それだけ言った。
放送が、ブツッと、切れた。
◇ ◇ ◇
ピッチが、静かだった。
雷市が、仰向けから、少しだけ、上半身を、起こした。
「……覇黒、お前、また名指しかよ」と、ちょっと、呆れた顔で、言った。
我牙丸は、「マジか」と、短く言った。
五十嵐は、「マジで……?」と、口を、開けたまま、固まった。
成早は、「なんで覇黒だけ!」と、裏返った。
千切は、無言だった。
國神も、無言だった。
伊右衛門も、無言だった。
蜂楽は——スケッチブックから、顔を、上げた。
上げた顔で、俺のほうを見た。
「千歳」
蜂楽が、言った。
「絵、見た」
「……またかよ」
「今日、千歳、絵の中に、いなかった」
蜂楽は、そう言った。
俺は、半目のまま、蜂楽を、見た。
「……どういう意味だ」
「絵、見てても、千歳、いつも、絵の奥にいた」
「うん」
「今日、絵の手前にいた」
「……」
「奥のほうは、別の人が描いてた」
蜂楽は、それだけ言って、スケッチブックを、閉じた。
閉じた音が、小さく、ピッチに、落ちた。
(——奥のほうは、別の人、ね)
俺は、胸の奥でだけ、短く、呟いた。
(——蜂楽、お前、今日、覚醒してないこと、気付いたのか)
(——お前、本当に、絵で、見えてんのか、やっぱり)
◇ ◇ ◇
潔が、俺の、隣に、まだ、座っていた。
潔は、絵心の放送を、最後まで、黙って聞いていた。
聞いてから、俺に向かって、短く、言った。
「覇黒」
「ん」
「お前、絵心に、呼ばれるの、二回目だな」
「……そうだな」
「昨日は、『本物』って言われた」
「うん」
「今日は、部屋に呼ばれた」
「うん」
「……意味、違うと思う」
潔は、そう言った。
俺は、半目のまま、天井を、見上げていた。
天井じゃなかった。空だった。
「……違う、かもな」
俺は、短く、返した。
(——違うな、潔)
(——昨日は、ラスボスの合格だった)
(——今日は——たぶん、ラスボスからの、呼び出しだ)
◇ ◇ ◇
俺は、目を、閉じた。
閉じた視界の中で、体の奥の、覚醒モードの入口が、まだ、閉まっていた。
今日は、一度も、開かなかった入口。
朝から、ずっと、閉まったままだった入口。
だが、その入口の、少し手前に、今日、新しく、小さな扉が、一つ、できていた。
さっき、俺が、自分で開けた、「走る」回路の扉。
その扉の奥に、もう一つ、小さい扉があった。
「シュートを決める」回路の扉。
それも、今日、自分で、開けた。
(——増えたな、扉)
胸の奥でだけ、呟いた。
(——これ、全部、自分で開けた扉だ)
(——覚醒の入口とは、違う)
(——覚醒の入口は、勝手に開く)
(——俺の扉は、自分で開ける)
(——こっちのほうが、たぶん——)
俺は、そこで、胸の奥の呟きを、一度、止めた。
止めたのは、誰にも聞かせたくない言葉だったからだった。
誰にも聞かせたくないというより、まだ、自分にも、上手く、言葉になっていなかったからだった。
(——まあ、いいか)
胸の奥でだけ、短く、呟いた。
(——絵心の部屋、行くか)
(——ラスボスの居城に、呼ばれちまったし)
(——クソゲー、第二ステージ、始まるか)
俺は、目を、閉じたまま、空に向かって、小さく、口の端を、上げた。
上げた口の端を、蜂楽が、ちょっとだけ、スケッチブックに、描いた気がした。
たぶん、気のせいだった。
たぶん、そうじゃなかった。
どっちでも、よかった。
試合終了のホイッスルの残響が、俺の耳の奥で、まだ、少しだけ、鳴っていた。
第8話、お読みいただきありがとうございました。
覇黒のヒールパス→蜂楽→千切のクロス→成早のヘディングで1点返し、2-3。
ブルドーザー二台目のシュート姿勢を、覇黒のスライディング一本で崩す。
そして、残り五分、五十嵐からのリターンパスで——
覇黒の、覚醒なしの、地味なミドルシュート。
3-3。
チームZ、引き分けで一次選考突破。
覇黒「(——覚醒なしで、三割は出せるんだな、俺)」
「(——増えたな、扉)」
「(——これ、全部、自分で開けた扉だ)」
そして試合後、絵心の二度目の指名放送。
絵心「——チームZ、覇黒、千歳」
「——第二次選考、選手集合前に、俺の部屋に来い」
昨日は「本物」、今日は「呼び出し」。
意味が、違う。
次話、ラスボスの居城——絵心の部屋へ。
そして、第二次選考の扉が、開きます。
ブクマ・評価・感想いただけると、更新の励みになります。
気が向いたら、また覗きに来てください。