「15分の怪物」   作:熊々

8 / 9
前話、覇黒は覚醒の入口を叩きましたが、今日は開きませんでした。
代わりに、覇黒は自分の手で、"走る"回路の扉を開けました。

1-3、残り十四分。
覚醒モードは、今日、ゼロ。
——では、何で戦うのか。

一次選考、最終戦、決着です。

----
※ブルーロックの二次創作です
※前話を未読の方は第1〜7話からどうぞ


俺の、時計

俺の足が、芝を踏んだ。

 

一歩目が、重かった。

二歩目は、もっと重かった。

三歩目で、体のどこかで、何かの鍵が、小さく、回った気がした。

鍵が回った音は、気のせいだったかもしれない。

だが、四歩目は——三歩目より、ほんの少しだけ、軽かった。

 

(——あ、これ、自分の足か)

 

俺は、胸の奥でだけ、短く呟いた。

 

覚醒中の一歩は、軽い。

軽すぎて、自分の足が芝に触れている感覚が、ほとんどない。

車に乗せられている感覚に近い。

誰かが運転席にいて、俺は助手席で窓の外を見ているだけ。

 

今の一歩は、重かった。

重いが、自分の足だった。

自分の足で、自分の意志で、芝を蹴っている感覚が、久しぶりに、戻っていた。

 

(——こっちのほうが、たぶん、俺だな)

(——覚醒中のあれは、俺じゃねぇ)

(——あれは、俺を運転してる、別の何かだ)

 

俺は、走りながら、胸の奥でだけ、もう一度、呟いた。

 

(——今日は、俺が運転してる)

 

◇ ◇ ◇

 

潔が、俺の斜め後ろから、ついてきていた。

 

潔は、俺に並ぼうとしなかった。

並ばずに、ずっと、斜め後ろ、半歩下がった位置で、走っていた。

その位置取りが、潔らしかった。

兄貴肌なくせに、前に出たがらない。

前に出るのは俺だと、潔は今、決めているらしかった。

(——お前、今日、兄貴ぶるのやめたのか)

(——結構、いいじゃねぇか)

 

右サイドから、成早が走り込んできた。

左サイドから、千切が、逆サイドに抜けていった。

中央少し後ろで、蜂楽が、ゆっくり歩いていた。

蜂楽は、走らなかった。

走らないくせに、蜂楽は、いつも、ボールが落ちてくる場所に、歩いていた。

(——お前、絵で見たんじゃなく、単に、歩き方が上手いだけじゃねぇか)

 

五十嵐が、ペナルティエリアの手前で、跳ねていた。

跳ねながら、一度だけ、俺の方を見た。

 

「覇黒——どこに出すんだよォ!」

 

五十嵐が、裏返っていない声で、叫んだ。

 

俺は、答えなかった。

答えるエネルギーが、まだ、勿体なかった。

代わりに、右足を、止めた。

止めた瞬間、ボールが、俺の足元に、来ていた。

 

誰が出した、とか、考えていなかった。

たぶん、潔だった。

潔は、さっきの位置取りから、無言で、俺の足元に、ボールを流していた。

流したボールが、俺の足元に、ちょうど来た。

潔は、何も言わなかった。

何も言わずに、俺の左に、回り込んだ。

 

◇ ◇ ◇

 

鰐間が、俺の正面に立った。

 

立ったのは、たぶん、鰐間にとって珍しい選択だった。

鰐間は、普段、正面には立たない。

鰐間は、いつも、走りながら、肩でぶつける選手だった。

その鰐間が、止まって、俺の正面に立った。

 

立った理由は、鰐間の細い目の中に、あった。

さっきまでは「潰す」の目だった。

その前は「興味」の目だった。

今は——

 

また、「興味」の目に戻っていた。

 

いや、戻っていたのではなく、さっきの「興味」より、もう一段、奥に行っていた。

奥に行った「興味」の目は、笑っているように見えた。

細い目が、ほんの少しだけ、弧を描いていた。

 

「——走るんかい」

 

鰐間が、低い声で、そう言った。

 

俺は、答えなかった。

答えずに、右足で、ボールを、ちょっとだけ、左に転がした。

三センチ。

 

鰐間の体が、三センチ、俺の左に、動いた。

 

動いた瞬間、俺は、ボールを、ヒールで、右後ろに流した。

 

後ろに流した先に、潔はいなかった。

潔は、俺の左に回り込んでいた。

後ろにいたのは——蜂楽だった。

 

蜂楽は、歩いていた。

歩いていたが、歩いている位置が、絶妙だった。

歩いている位置に、俺のヒールパスが、ちょうど、落ちた。

 

蜂楽は、歩きながら、右足を振った。

振った右足が、ボールを、左サイドに流した。

左サイドに——

 

千切が、いた。

 

千切は、普段、寡黙だった。

だが、スピードだけは、喋らなくても喋った。

 

千切は、ボールを受けた瞬間、もう最前線にいた。

最前線で、横を向いた。

横には、成早がいた。

いや、成早は、もう、ペナルティエリアに入っていた。

 

千切が、クロスを上げた。

 

上げたクロスは、高くなかった。

低くもなかった。

真ん中でもなかった。

 

ちょうど、鰐間のチームのキーパーが、手を出しにくい、変な高さだった。

 

成早が、ペナルティエリアの中で、跳ねた。

 

跳ねた成早の頭に、千切のクロスが、当たった。

 

当たっただけだった。

叩いたんじゃなく、当てただけ。

だがそれで、十分だった。

 

ボールは、キーパーの手をすり抜けて、ゴールネットに、吸い込まれた。

 

2-3。

 

◇ ◇ ◇

 

「——ッ、俺だぜぇ!」

 

成早が、裏返った声で叫んだ。

 

五十嵐が、成早の後ろで、両腕を上げた。

我牙丸が、最終ラインから、低く、「……よし」と呟いた。

雷市は、何も言わなかった。

雷市は、両手を膝についたまま、息を整えていた。

伊右衛門は、ゴール前で、無言のまま、姿勢を低くしていた。

久遠は——少し下がった位置で、糸目のまま、俺を見ていた。

 

潔が、俺の横を通るとき、短く言った。

 

「覇黒」

「ん」

「二割じゃねぇな、今」

「……三割」

 

俺は、半目のまま、そう返した。

 

潔が、一秒、俺を見た。

見てから、短く、息を吐いた。

その息は、笑いじゃなかった。

何かを、諦めた息だった。

(——お前、いま、俺のこと諦めたろ)

(——諦めたの、うれしい)

 

潔は、それ以上何も言わずに、中央に戻っていった。

 

◇ ◇ ◇

 

電光掲示板。

 

2-3。

 

残り、九分。

 

俺の体は、三割、まで上がっていた。

いや、上がっていたというより、さっきの一連のパスで、三割の場所に、自分で到達した、という感じだった。

勝手に起きた覚醒じゃない。

自分で、レバーを、少しずつ、押し上げた感覚だった。

 

(——なるほど)

俺は、胸の奥でだけ、呟いた。

(——覚醒なしで、三割、は、出せるんだな、俺)

 

それは、今日、初めて気付いたことだった。

前世の死にゲーで言うなら、レベル上げの画面で、1上がった感覚。

上がったのが、レベル1から2じゃなくて、たぶん、レベル2から3、くらいの、地味な上がり方だった。

だが、上がった。

上がったことに、気付けた。

 

(——気付けたのは、今日が、覚醒、来なかったからか)

(——借金、取り立てに来た日に、レベル上げの入口が、見えたか)

 

俺は、短く息を吐いた。

 

(——ラスボス前にレベル上げしねぇとダメなんだよ、クソゲーは)

(——俺、ようやく、その画面に、たどり着いたらしいな)

 

◇ ◇ ◇

 

鰐間のエンジンは、まだ、落ちなかった。

 

落ちるどころか、1点返された直後に、もう一段、上がった。

鰐間は、自分の最終ラインから、またドリブルで、上がってきた。

今度は、中盤のブルドーザー二台が、鰐間を先に行かせて、後ろから支えた。

ブルドーザー編成が、変わっていた。

 

残り、七分。

 

鰐間が、中央を突破してきた。

雷市が、正面で止めた。

雷市は、止めながら、半分だけ、弾かれた。

弾かれた雷市の横を、鰐間は、通り抜けなかった。

通り抜けずに、ワンタッチで、外に流した。

外のブルドーザー二台目が、それを、拾った。

 

拾ったブルドーザー二台目は、ペナルティエリアに向かって、ドリブルした。

 

俺は、走った。

 

走った。

走ったというより、体の奥で、レバーを、もう一つ、押し上げた。

三割から、三割五分、くらいに。

 

ブルドーザー二台目の斜め後ろから、追いついた。

 

追いついた瞬間、ブルドーザー二台目は、俺の存在に気付かなかった。

気付かないまま、シュートの姿勢に入った。

 

俺は、ブルドーザー二台目の、軸足の横に、スライディングで、足だけ、入れた。

腕も肩もぶつけなかった。

足だけ。

 

ブルドーザー二台目の軸足が、俺の足を、踏まなかった。

踏まずに、俺の足を避けた。

避けた瞬間、シュートの姿勢が、崩れた。

 

ボールは、ゴールの上を、大きく、越えていった。

 

レフリーのホイッスルは、鳴らなかった。

俺は、芝に寝転がったまま、半目のまま、空を見上げた。

 

(——危なかった)

 

胸の奥でだけ、呟いた。

 

(——今のスライディング、ミスったら、俺、退場だったな)

 

◇ ◇ ◇

 

伊右衛門が、俺の腕を引っ張って、起こした。

 

伊右衛門は、何も言わなかった。

引っ張って、起こして、そのまま、自分のポジションに戻っていった。

引っ張る力は、強かった。

強かったが、優しかった。

(——お前、そういう立ち回り、本当に、上手いな、伊右衛門)

(——お前、無言キャラの中で、一番、分かりやすいぞ)

 

ゴールキックから、試合が、再開した。

 

残り、五分。

 

◇ ◇ ◇

 

ボールは、潔の足元に、落ちた。

 

潔は、それを、すぐに、俺に出した。

 

俺は、受けた瞬間、もう走っていた。

右サイドに、流した。

右サイドには、成早が、走っていた。

成早は、受けたと思ったが、受けずに、縦に抜けた。

縦に抜けた成早の足元を、ボールが、すり抜けて、そのまま前に、転がった。

 

ボールは——

 

五十嵐の、足元に、落ちた。

 

(——五十嵐か)

 

俺は、半目のまま、走りながら、胸の奥で、呟いた。

 

(——行け、イガグリ)

 

五十嵐は、ボールを、前に、運んだ。

運んだが、鰐間のチームのDFが、正面に立った。

でかいDFだった。

五十嵐より、頭一つ、でかかった。

 

五十嵐は、ドリブルが、上手くなかった。

上手くなかったが、諦めるのだけは、下手だった。

 

五十嵐は、DFの正面で、止まった。

止まって、ボールを、俺に、戻した。

戻したボールが、俺の足元に、来た。

 

俺は、もう、ペナルティエリアの、手前、少し左にいた。

 

潔は、右にいた。

蜂楽は、左の奥にいた。

千切は、右サイドに、張っていた。

成早は、DFラインを、裏で狙っていた。

五十嵐は、俺の目の前で、ちょっと疲れた顔をして、また走り始めた。

 

雷市が、遠くで、叫んだ。

 

「覇黒——いけぇッ!」

 

雷市の声が、俺の耳に、いつもより、少しだけ、軽く響いた。

 

◇ ◇ ◇

 

俺は、右足を、振った。

 

ロングシュートじゃなかった。

ループでもなかった。

昨日の、股抜きでもなかった。

 

ただの、ミドルシュートだった。

 

右足のインステップで、叩いた。

強めの、低い、地を這うような、まっすぐなシュート。

コースは、ゴール左下。

DFの足の間を、ちょうど抜ける、低い位置。

 

覚醒中に出せるシュートじゃなかった。

覚醒中のシュートは、もっと、誰にも止められない角度に飛ぶ。

今のは、止められるかもしれない角度のシュートだった。

普通の選手なら、外すかもしれない、地味な角度のシュートだった。

 

だが——

 

俺は、たぶん、その「普通」の角度を、「普通」に、決められるレベルに、いた。

今日、はじめて、その自覚が、あった。

 

ボールは、DFの足の間を、抜けた。

キーパーは、飛んだ。

キーパーの手は、ボールに、指先だけ、触れた。

 

触れただけだった。

 

ボールは、ゴールネットに、吸い込まれた。

 

3-3。

 

◇ ◇ ◇

 

ネットが、揺れた。

 

揺れた瞬間、ピッチが、一秒、静かになった。

チームZも、チームWも、一秒、動きを止めた。

 

それから——

 

雷市が、吠えた。

 

「うおォォォォォォ!」

 

雷市の声が、スタジアムの天井まで、届いた気がした。

我牙丸が、拳を、腰の位置で、握った。

五十嵐が、両手を頭の上に乗せた。

乗せたまま、芝に、へたり込んだ。

成早が、「俺も走った!」と誰にともなく叫んだ。

千切が、珍しく、両手を、合わせた。

蜂楽が、口を、開けたまま、少し、笑った。

國神は、ベンチ横で、立ち上がって、拳を握っていた。

伊右衛門は——無言のまま、俺に向かって、頭を、ほんの少しだけ、下げた。

久遠は、糸目のまま、俺を、見ていた。

糸目の奥が、いつもより、少しだけ、光っていた。

 

潔が、走ってきた。

 

走ってきた潔は、俺の前で、止まった。

止まって、俺の肩を、強く、叩いた。

 

「覇黒——」

 

潔の声が、震えていた。

震えていたが、潔は、それを隠さなかった。

 

「覇黒、お前——」

 

潔は、そこで、言葉を切った。

 

切った潔に、俺は、半目のまま、短く、返した。

 

「……うん」

「は?」

「うんって、言った」

「……」

 

潔は、一秒、俺を見た。

それから、何かを諦めたように、短く笑った。

短く笑って、それから、もう一度、俺の肩を、叩いた。

 

◇ ◇ ◇

 

電光掲示板。

 

3-3。

 

残り、四分。

 

鰐間が、中央で、俺のほうを、見ていた。

 

鰐間の目は、もう、「潰す」でも「興味」でもなかった。

細い目の奥が、うっすらと、笑っていた。

笑っているというより、何か、納得した顔だった。

 

鰐間の口が、動いた。

 

「……悪くねぇな」

 

低い声だった。

 

俺は、半目のまま、鰐間を、見た。

見たまま、答えなかった。

 

鰐間は、それ以上、何も言わずに、自分の最終ラインに、戻っていった。

戻っていく鰐間の背中は、さっきより、少しだけ、小さく見えた。

いや、小さく見えたというより、俺の目が、普通の大きさで鰐間を捉えられるようになっただけだった。

覚醒中、全てが巨大に見えるあの視界じゃない。

俺の、普段の視界。

普段の視界の中で、鰐間は、普段の大きさだった。

 

(——鰐間)

俺は、胸の奥でだけ、呟いた。

(——お前、でかいけど、見えてる範囲、狭いよな)

(——俺、普段、もっと狭かったけど、今日、ちょっとだけ、広がった気がする)

 

◇ ◇ ◇

 

残りの四分は、どちらも、得点を、動かせなかった。

 

鰐間は、もう一度、正面から突っ込んできた。

今度は、我牙丸と伊右衛門が、二人で、受け止めた。

受け止めたが、止めきれなかった。

止めきれないところを、雷市が、前に、膝から入って、ボールを、外に出した。

雷市は、膝を、痛めた。

痛めたが、立ち上がった。

(——雷市、お前、怒鳴るだけのやつじゃ、なかったな)

(——お前、怒鳴らないほうが、ちょっと、強い)

 

そのあと、チームZも、二度、攻めた。

一度目は、潔のシュートが、キーパーに止められた。

二度目は、成早のクロスに、誰も合わなかった。

 

ホイッスルが、鳴った。

 

試合終了だった。

 

3-3。

引き分け、だった。

 

◇ ◇ ◇

 

ピッチが、また、一秒だけ、静かになった。

 

引き分けは、ブルーロックでは、勝ちでも負けでもない、微妙な結果だった。

勝ちじゃないから、誰も、派手には喜べない。

負けじゃないから、脱落は、たぶん、ない。

たぶん、という保留が付いた状態で、試合が、終わった。

 

俺は、ピッチの中央に、立っていた。

 

立っていたが、立っているのが、だんだん、しんどくなった。

膝が、ゆっくり、抜けた。

 

(——はいはい)

胸の奥でだけ、呟いた。

(——借金、今日の利息も、あったか)

 

芝に、腰から、落ちた。

昨日と、同じ姿勢だった。

仰向け。

空を、見上げた。

 

今日の空は、雨が、止んでいた。

細い霧雨は、試合の、どこかの時点で、消えていた。

 

(——いつ、止んだんだろうな、雨)

 

胸の奥でだけ、短く呟いた。

 

覚醒中なら、雨が止んだ瞬間を、スローモーションで、覚えていたはずだった。

今日の俺は、覚えていなかった。

 

(——覚えてないほうが、たぶん、普通だな)

(——普通、気持ちいいな、ちょっと)

 

◇ ◇ ◇

 

潔が、俺の隣に、座った。

 

座って、自分の、ドリンクを、飲んだ。

俺にも、一本、差し出した。

 

俺は、首を、少しだけ横に動かした。

受け取るエネルギーが、まだ、戻っていなかった。

 

潔は、無言で、俺の口の横に、ドリンクの口を、当てた。

傾けてくれた。

水が、口の中に、入ってきた。

冷たかった。

喉が、ちょっとだけ、戻った。

 

潔は、何も言わなかった。

俺も、何も言わなかった。

 

五十嵐が、芝にへたり込んだまま、「勝てた、これ、勝てたよな……?」と、誰にともなく、呟いていた。

我牙丸が、「勝ちじゃねぇ、引き分けだ」と、低く返した。

五十嵐が、「でも、負けてねぇだろ、これ……」と、また呟いた。

我牙丸は、それに、答えなかった。

答えずに、小さく、うなずいた。

(——我牙丸、お前も、うなずけるんだな、そういうとき)

 

雷市は、ピッチの中央で、仰向けになっていた。

膝を、両手で、押さえていた。

押さえながら、天井を、見ていた。

(——無事でいろよ、雷市)

 

蜂楽は、ベンチの端で、スケッチブックを、開いていた。

今、何を描いているのかは、見なかった。

(——たぶん、俺の今の顔、描かれてる)

(——描くなよ、こんな顔)

 

千切は、ピッチの端で、空を、見上げていた。

成早は、「俺、二アシストだぜ、二アシスト」と、誰にでもなく叫んでいた。

國神は、ベンチ横で、俺のほうを、見ていた。

國神は、俺と目が合うと、短く、うなずいた。

伊右衛門は、タオルで、頭を拭いていた。

久遠は——糸目のまま、少し離れた場所で、俺と潔を、見ていた。

糸目の奥が、何か、言いたそうな顔だった。

だが、久遠は、何も言わなかった。

 

◇ ◇ ◇

 

放送が、入った。

 

館内のスピーカーが、ブツッと鳴った。

ピッチ全体に、絵心の声が、落ちてきた。

 

「——試合、終了」

 

絵心の声は、いつもの、低くて短い声だった。

 

「——一次選考、全日程、終了」

 

絵心は、続けた。

 

「——ランキング、上位通過、以下」

 

絵心は、そのあと、チーム名を、読み上げ始めた。

俺は、仰向けのまま、芝の上で、それを、聞いていた。

 

その中に——

 

「——チームZ」

 

という声が、混じった。

 

ピッチの上で、チームZの誰も、声を、上げなかった。

声を上げる体力が、誰にも、残っていなかった。

 

ただ、五十嵐が、芝にへたり込んだまま、「……やった」と、小さく、呟いた。

その呟きは、今日、五十嵐が出した、一番、小さな声だった。

一番小さな声のくせに、一番、まっすぐ、耳に届いた。

 

(——やったな、五十嵐)

俺は、胸の奥でだけ、呟いた。

(——お前、諦めなかったな、ちゃんと)

 

◇ ◇ ◇

 

放送は、そこで、一度、切れなかった。

 

絵心の声が、続いた。

 

「——一名、指定する」

 

絵心の声は、そこだけ、少し、温度が変わった。

いつもの、短い、区切る声。

だが、区切り方が、いつもと違った。

 

「——チームZ、覇黒、千歳」

 

俺の名前が、また、呼ばれた。

 

昨日と、同じように。

 

「——第二次選考、選手集合前に、俺の部屋に来い」

 

絵心は、それだけ言った。

 

放送が、ブツッと、切れた。

 

◇ ◇ ◇

 

ピッチが、静かだった。

 

雷市が、仰向けから、少しだけ、上半身を、起こした。

「……覇黒、お前、また名指しかよ」と、ちょっと、呆れた顔で、言った。

我牙丸は、「マジか」と、短く言った。

五十嵐は、「マジで……?」と、口を、開けたまま、固まった。

成早は、「なんで覇黒だけ!」と、裏返った。

千切は、無言だった。

國神も、無言だった。

伊右衛門も、無言だった。

蜂楽は——スケッチブックから、顔を、上げた。

上げた顔で、俺のほうを見た。

 

「千歳」

 

蜂楽が、言った。

 

「絵、見た」

「……またかよ」

「今日、千歳、絵の中に、いなかった」

 

蜂楽は、そう言った。

 

俺は、半目のまま、蜂楽を、見た。

 

「……どういう意味だ」

「絵、見てても、千歳、いつも、絵の奥にいた」

「うん」

「今日、絵の手前にいた」

「……」

「奥のほうは、別の人が描いてた」

 

蜂楽は、それだけ言って、スケッチブックを、閉じた。

閉じた音が、小さく、ピッチに、落ちた。

 

(——奥のほうは、別の人、ね)

 

俺は、胸の奥でだけ、短く、呟いた。

 

(——蜂楽、お前、今日、覚醒してないこと、気付いたのか)

(——お前、本当に、絵で、見えてんのか、やっぱり)

 

◇ ◇ ◇

 

潔が、俺の、隣に、まだ、座っていた。

 

潔は、絵心の放送を、最後まで、黙って聞いていた。

聞いてから、俺に向かって、短く、言った。

 

「覇黒」

「ん」

「お前、絵心に、呼ばれるの、二回目だな」

「……そうだな」

「昨日は、『本物』って言われた」

「うん」

「今日は、部屋に呼ばれた」

「うん」

「……意味、違うと思う」

 

潔は、そう言った。

 

俺は、半目のまま、天井を、見上げていた。

天井じゃなかった。空だった。

 

「……違う、かもな」

 

俺は、短く、返した。

 

(——違うな、潔)

(——昨日は、ラスボスの合格だった)

(——今日は——たぶん、ラスボスからの、呼び出しだ)

 

◇ ◇ ◇

 

俺は、目を、閉じた。

 

閉じた視界の中で、体の奥の、覚醒モードの入口が、まだ、閉まっていた。

今日は、一度も、開かなかった入口。

朝から、ずっと、閉まったままだった入口。

 

だが、その入口の、少し手前に、今日、新しく、小さな扉が、一つ、できていた。

さっき、俺が、自分で開けた、「走る」回路の扉。

その扉の奥に、もう一つ、小さい扉があった。

「シュートを決める」回路の扉。

それも、今日、自分で、開けた。

 

(——増えたな、扉)

胸の奥でだけ、呟いた。

(——これ、全部、自分で開けた扉だ)

(——覚醒の入口とは、違う)

(——覚醒の入口は、勝手に開く)

(——俺の扉は、自分で開ける)

 

(——こっちのほうが、たぶん——)

 

俺は、そこで、胸の奥の呟きを、一度、止めた。

 

止めたのは、誰にも聞かせたくない言葉だったからだった。

誰にも聞かせたくないというより、まだ、自分にも、上手く、言葉になっていなかったからだった。

 

(——まあ、いいか)

 

胸の奥でだけ、短く、呟いた。

 

(——絵心の部屋、行くか)

(——ラスボスの居城に、呼ばれちまったし)

 

(——クソゲー、第二ステージ、始まるか)

 

俺は、目を、閉じたまま、空に向かって、小さく、口の端を、上げた。

 

上げた口の端を、蜂楽が、ちょっとだけ、スケッチブックに、描いた気がした。

 

たぶん、気のせいだった。

たぶん、そうじゃなかった。

 

どっちでも、よかった。

 

試合終了のホイッスルの残響が、俺の耳の奥で、まだ、少しだけ、鳴っていた。

 




第8話、お読みいただきありがとうございました。

覇黒のヒールパス→蜂楽→千切のクロス→成早のヘディングで1点返し、2-3。
ブルドーザー二台目のシュート姿勢を、覇黒のスライディング一本で崩す。
そして、残り五分、五十嵐からのリターンパスで——

覇黒の、覚醒なしの、地味なミドルシュート。
3-3。

チームZ、引き分けで一次選考突破。

覇黒「(——覚醒なしで、三割は出せるんだな、俺)」
「(——増えたな、扉)」
「(——これ、全部、自分で開けた扉だ)」

そして試合後、絵心の二度目の指名放送。

絵心「——チームZ、覇黒、千歳」
「——第二次選考、選手集合前に、俺の部屋に来い」

昨日は「本物」、今日は「呼び出し」。
意味が、違う。

次話、ラスボスの居城——絵心の部屋へ。
そして、第二次選考の扉が、開きます。

ブクマ・評価・感想いただけると、更新の励みになります。
気が向いたら、また覗きに来てください。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。