お疲れ、穴突かれガール   作:虫野律

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「今日ね、残って今度のテスト作ってたら、何かおっぱいがもぞもぞしたの。こう、乳首の辺りがさわさわって」

「虫でも入ったんじゃない?」

「ピンと来て周りに視線を走らせてみたら、案の定でさ、村田健がキモい目で見てたの」

「呼び捨てはともかく、なぜにフルネーム?」

「男の子からそういうふうに見られるのはよくあることだから慣れっこになっててあんまり気にならないんだけど、あいつは無理。あいつだけはホント無理なのよ。容姿とか年齢とかじゃないんだよね。清潔感でもなくて──」

「じゃあ国語教師なんかになろうっていう高尚な精神が駄目なんだね、わかるよ」

「本当にヤバいんだから。あいつ、たまにイカくさいことがあってさ、おかしいなと思ってたんだけど、わたし気付いちゃったんだよね」

「村田健の好物が新鮮なイカだってことに?」

「あいつさ、わたしとか好みの女子と二人で会話した後によく職員トイレに行くのよ。それで、戻ってくるとにおうの。ヤバくない? 四十路(よそじ)を過ぎた男がすることじゃないでしょ。自分の体臭に鈍いのも気持ち悪いし、ホント最悪」

「早弁説はないかな」

「もう生理的に無理ってのを超えてるのよねぇ。見られるだけで全身の細胞が悲鳴を上げるっていうか、ガタガタ震えるっていうか、女の本能なんでしょうね、これは」

「電子レンジ内の食品みたいだね──村田先生の視線はマイクロ波か何かなの? ここに来て村田怪人説が飛び出すとはね、恐れ入ったよ」

「あいつ、わたしが関わらないでオーラを全力で展開してるのに全然気付かないの。普通にごはんに誘ってくるんだよ? お前には世界がどう見えてるんだってあきれたよね」

「筆者と問題作成者の気持ちを考えるのは得意なのにね」

「あのハゲ、恋愛小説読んだだけで女を知った気になってそうで哀れだよね」

「流行りのポップスを聴いただけで知った気になるのはセーフか否かが気になるところ」

「絶対彼女いたことないよ。いい年して場数踏んでない非モテ特有の異物感がすごいもん。何かね、人間の形をしたプラスチックが動いてるみたい」

「非モテバイアスと名付けよう。独身ハゲ中年バイアスでも可」

「だからね、全身の細胞がシュプレヒコールなのよ。あれが寄ってくると鳥肌を掲げてしきりに合唱するの」

「村田健反対! 非モテ撲滅! ──みたいな?」

「村田健反対! 非モテ撲滅! ──みたいに」

 

 というような戯れ言を例のメンヘラお喋り女と寝物語に交わした朧気な記憶を思い出しながら僕は、村田を最有力容疑者として捜査を進めようとしている渡辺から手作り風弁当を受け取ったところだった。

 藤原や森と法廷遊戯に興じてから少し時間が経っていて、今は昼休みだ。昨日と同様に平文同(仮)の部室こと旧音楽室で、客観的にはうれし恥ずかし青春ランチデートにも見えるかもしれない捜査会議を開催しようと訪れていた。二人きり、向かい合って座っている。

 リクエストどおりサイズアップした弁当箱の中には、同じくリクエストどおりに鶏の唐揚げが入っていたのだけど、今日はもう豚の生姜焼きの気分に変わっていた僕は、

 

「それは冷凍食品じゃないからね」

 

 と念を押すように言う渡辺に返すべきウィットに富んだ難癖が唐揚げの下にないか探すかのように、どの程度衛生的かわかったものじゃない渡辺家の箸でどの程度の出来か想像が付く見てくれの揚げられた屍肉を持ち上げるけれど、そこでは、にじみ出た油がギトギトテラテラと光っているだけだった。

 目の前に掲げた狐色の小ぶりな唐揚げの向こうに、男に肯定的な反応を期待する──あるいは強制しようとする──油のように照る女の眼差しが見え、これを弁当箱に戻したらうるさいだろうなぁ、と予感し、そのままパクッと口に放り込んだ。

 

「おいしい?」

 

 と飲み込む前から聞かれ、面倒くささが跳ね上がった。僕はろくに味わいもせずに強引に嚥下(えんか)し、

 

「おいしいよ。低所得者向けスーパーの半額唐揚げ以上、過疎化自治体の給食未満って感じで」

 

「……」渡辺は微妙な顔をした。「それは褒めてるの? 褒めてないわよね? ね?」

 

「何言ってるの、売り物以上、お金取れるレベルって言ってるんだから褒めてるに決まってるじゃん」

 

「そういう顔には見えないけれど」

 

 渡辺は納得できないみたいだったけど、僕は無視して会議を始める。

 

「まずやるべきはアリバイ調べかな」

 

 窃盗推定時刻である一昨日の六時間目及び強姦時刻である同日の放課後から午後四時半ごろまでのアリバイを確かめ、いずれも立証されれば村田健は青天白日の禿頭(とくとう)となり、すなわちアブラギッシュにテカテカと輝くことだろう。

 

「で、村田先生のアリバイがなかった場合には、制服の販売店と高橋君の両親に問い合わせて購入記録と遺品の制服の数を確認する。もし両者が一致しなかったなら、いよいよ村田犯人説が現実味を帯びてくる」

 

「でもどうやって」

 

 と渡辺は言う。「また何でも屋さんにお願いするの?」

 

 あんまりお金ないんだけど──そう続きそうな口ぶりだった。

 

「僕としてはどっちでもいいけど、六時間目のアリバイ調べはそう難しくないよ」

 

 一昨日のその時間、村田は二年C組の授業をしていた。C組には僕と同中(おなちゅう)の女子生徒もいる。その彼女には以前僕にストーカーまがいの、というかそのものの性的嫌がらせをした疑いがあり、それをネタに脅せば、口止めしつつ村田が席を外した時間があったか聞き出すことも容易だろう。

 

「樹生君も苦労してきたのね」

 

 共感が込められ、しっとりとした渡辺の声に、

 

「美少女様ほどじゃないよ」

 

 とドライに応じ、

 

「あとは、購入記録と遺品の確認も難易度はそれほど高くない。共犯が考えにくいのだから女性職員に頼めばリスクは限りなくゼロに近似する。女一人口説き落とすぐらい大した手間じゃないし、ハードルは低いと言える。

 対して、放課後のアリバイ調べはなかなかに難しい。村田先生は部活の顧問をしてるわけじゃないから基本的には職員室にいるんだろうけど、そうなると職員に聞かなきゃわかりようがない。森君は村田犯人説を推してたけど、確証がない以上、現時点では有力説どまりだ。彼以外の職員が犯人である可能性もなくはない。聞き込み捜査をした相手が実は犯人でしたってオチもあるわけだ。

 乃愛はやっぱり、犯人に知られないように捜査できるならそうしたいよね?」

 

 渡辺は顎を引いた。

 

「──まぁそうだよね。でもそうなってくると、ほとんど不可能なんだよねぇ。竹内さんに依頼したところで似たり寄ったり──は過言だとしても捜査が犯人にバレるリスクはゼロにはできない。何ならすでに悟られてる可能性だってある。仮にまだセーフだったとしても、捜査範囲を拡げていけばいずれはバレる時が来る。彼女の持つ特殊な人脈はたしかに有用だけれど、犯人が特定できていない現状ではどうしても運が絡むからね」

 

 渡辺の高飛車そうな美貌が曇り、

 

「諦めて覚悟を決めるしかないっていうの」

 

 その口調には非難や反発の響きはなく、ただただ弱々しかった。

 

「まぁ端的に言えばね。万全を期すためにほかの職員と残りの生徒のアリバイも調べたほうがいいだろうし、ここは公開捜査に踏み切るべきじゃないかな」

 

 たっぷり数呼吸分の悩ましそうな沈黙があって、

 

「わかったわ」

 

 渡辺はしぶしぶといった様子で了承した。が、

 

「ただし、もしものときは樹生君が守ってね。それだけ約束して」

 

 自分都合の条件を付けてきた。

 僕は君の親でも恋人でもないんだけど。なぜ僕がそこまでしてあげなきゃいけないわけ?

 そんなふうに突き放したい自分が言葉にしようと喉をひくつかせたけれど僕は、ミステリアスキャラにふさわしいだろう無表情のまま、

 

「いいよ、縛りプレイのままじゃ捜査しにくいからね」

 

「うん、ありがと」と渡辺は安堵した笑みをたたえ、次いで、「ごめんね」と眉を集めた。

 

「気にしなくていいよ。唐揚げも作ってくれたしね」

 

 やはり僕は眉一つ動かさずに言い、唐揚げを口に運んだ。

 ……うん、普通。

 普通の、家庭的な味だ。美少女高校生の手作りという点に付加価値を感じなければ、ただの下手くそな素人料理にすぎない。

 だから、気色悪い微笑を口元に浮かべた渡辺の、

 

「おいし?」

 

 という問いに対する、

 

「おいしいよ」

 

 という僕の答えが、真実なのか嘘に当たるのか判然としない。

 白黒二元論で語れないと渡辺みたいな潔癖人間は嫌かもしれないな、と思いつつ余計なことは言わない便宜的人間の僕は、作成者の監視の下、冷めた素人料理を口に押し込んでは噛み潰して飲み込むという単調な作業を囚人気分で黙々とこなしていき、程なくして弁当箱は空になった。

 

「いい食べっぷりだねー」

 

 と目を細めてからかう渡辺に、

 

「どういたしまして」それから、「ごちそうさま」

 

 

 

 

 

 

 時計の針は不可逆に回り、あっという間に放課後。

 星影学園が誇る──というほどにはまだ認知されていないだろうけど──美形バディーは早速、行動を開始した。

 アリバイ調べの最初の一人に選ばれたのは、B組を受け持つ妙齢の英語教師、赤萩陽菜子女史だった。

 その理由について潔癖美少女はこう説明した。

 

「なぜって、陽菜子先生は優しいし、何より女の人だし、一番犯人じゃなさそうだから。上手くいけば、捜査を手伝ってくれるかもしれないし」

 

 嘘ではないのだろうけど、最も大きな理由は、赤萩がいわゆる友達先生だからだろうと僕は直感していた。話しやすいところから攻めようという、それだけのことなのだ。

 

「何か嫌そうだね」渡辺は、僕の何も読み取れないはずの無色透明な顔色に目を留めると、どうしてかそう聞いてきた。「陽菜子先生のこと嫌いなの?」

 

「いや」考えるより先に否定が口を衝いて出ていた。「嫌いではないよ」

 

「じゃあ苦手なんだ」渡辺には確信があるようで、そう言い換えて否定を否定した。「あの人、微妙に距離が近いものね。パーソナルスペースを人の三倍くらいは必要とする樹生君には、つらい相手だよね」

 

「いいや、最低でも百倍は欲しいね」

 

「絶海の孤島か山間の限界集落にでも行かないと生きていけないじゃない」

 

「妥協はできるから大丈夫──というわけでB組に行ってみようか。今ならまだ赤萩先生も教室にいる可能性が高いよ」

 

 部活に向かう生徒や帰路に就こうとする生徒、掃除道具を手にする生徒、つまりは教室にいるクラスメイト全員から野次の目を向けられつつ、その間隙を縫うようにそそくさと進み、B組の前までやって来た。開け放たれた引き戸の所から二人揃って室内に視線をやる。

 

「いるね」と渡辺。「いるねぇ」と僕。

 

 赤萩は立ったまま教卓に手を置いてB組の女子たちと談笑していた。俗に言う恋バナというやつで、好みのタイプがどうのと盛り上がっている。赤萩は、

 

「顔はいいに越したことはないけど、最低限の清潔感さえあればわたしはいいかな」

 

 などと(うそぶ)いている。

 渡辺に目配せをし、その耳障りな黄色い声の中に割り込んだ。

 

「赤萩先生、少しいいですか」

 

 樹生君の顔ホント好きぃ、愛してるぅ~……ねぇ〈愛してる〉は? ──えへへ、ずっと一緒にいようね、約束だよ。

 というような、たった今語っていた内容と明白に矛盾するうえに、安価なホワイトチョコレートばりに甘すぎて胃もたれしそうな台詞をつい二日前に吐瀉物のごとき勢いで浴びせていた相手、つまりは僕に声を掛けられた赤萩は、場都合が悪そうにギクリと身を強張らせた。

 渡辺が訝しそうに僕と赤萩を見比べるけれど、僕らのふしだらな関係を知らなければ真情──赤萩の心情に思い至ることもないだろう。

 

「どうしたの? 佐藤君」二枚舌の赤萩は、瞬時に取り繕った。「渡辺さんまで一緒で」

 

「ここではちょっと」渡辺も口を動かす。「実は陽菜子先生にご相談したいことがありまして」

 

 愚にも付かない愛欲談議を中断された雌どもが不満を表明するかと思いきや、物珍しそうに美形バディーを見るばかりでそのような気色は見受けられない。

 

「わかりました」赤萩はうなずいた。「ごめんね」とB組女子たちにひと言やると、「どこなら安心して話せるかな?」と人のよさそうなほほえみを僕らに向けた。

 

 

 

 

 

 

 時刻は午後六時過ぎ。

 僕と渡辺はすっかり会議室と化した旧音楽室にて、もはや定位置となりつつある差し向かいの席に座って膝を突き合わせていた。二人きりだ。僕らの視線は机に置かれたメモ帳にそそがれている。

 調査は思いのほか順調に進み、わずか二時間余りで完了してしまった。強姦時刻の生徒のアリバイについては網羅する困難さから差し当たってのところは()くことにしたというのもあるけれど、それにしたってかなりの早さだろう。

 その要因は二つ。

 渡辺から事情を聞いた赤萩が、逡巡する間もなく、「よかったら、わたしも捜査に参加させてもらえない? 教師という立場があれば、きっと効率的に情報を集めれるわ」と教師の鏡風の態度を示したことが一つ。

 そしてもう一つが、これは本当にまったくの予想外だったんだけど、聞き込み対象の誰も彼もがすぐにつかまったこと。宗教やスピリチュアルの類いを金儲けか人心掌握ツールとしか思っていない僕でさえ、流れとかいうオカルトを信じかけたくらいにツイていたのだ。

 そうして情報が出揃ったわけだけど、窃盗推定時刻にアリバイのない時間のある生徒は藤原と森以外にはいなかった。他方、窃盗推定時刻と強姦時刻の少なくともどちらか一方にアリバイのない時間のある職員は、村田や赤萩をはじめ何人かいた。

 

「乃愛はこの中に犯人がいると思う?」僕はメモ帳に記された容疑者リスト(新)を見ながら水を向けた。

 

「動機ということなら、やっぱり村田先生しかいないと思う」

 

 渡辺はその名前の文字の辺りから視線を動かさずに答えた。長いまつ毛の瞬くその顔に表情らしい表情はなくどこか冷めた印象だけど、ぞっとするような情念も垣間見えた。

 渡辺は静かに語る。

 

「村田先生を除くと、男性は、一年生の担当でわたしとは接点がない定年退職間近の清水(しみず)先生だけだし、女性陣にわたしを痛めつける動機があるとも思えないわ。学園関係者の中に共犯になれるほど親しい間柄の人たちもいなそうだし」

 

「単独犯なら村田先生一択で、共犯は共犯動機を想定できないからありえそうにない、と」

 

「ええ。そして、犯行方法という観点を加味しても結論は同じ。村田先生以外には制服の入手手段がなさそうだもの」

 

「ってことは結局、森君の推理が最有力ということか」

 

「ええ、そうみたいね」そこでようやく渡辺はこちらに顔を向けた。「彼、偉そうに言うだけあってなかなか慧眼(けいがん)ね」

 

 その高飛車な物言いに懐かしさを覚える。事件からほんの二日しか経っていないのに人間の感覚とは不思議なものだ。

 なお、赤萩に制服の販売店と高橋の両親に問い合わせさせたが、彼の両親は遺品の内訳を確かめもせずにすべて処分してしまったらしく、購入記録と遺品の不一致という傍証を得ることはできなかった。だから、調べようと思ったらあとは警察の実況見分調書を当たるしかないのだけど、直接の関係者でもないのに見せてくれるかはわからない。

 不意に渡辺が立ち上がり、床とこすれた椅子が硬質な音を立てた。

 どうしたの、と問うのも億劫だったからぼぅと眺めていると、渡辺は窓際に歩み寄った。眼球に突き刺さるような西日が鬱陶しくて閉めていたクリーム色のドレープカーテンをめくり、差し込んでくる茜色に逆らうように外を見下ろす。その視線の先には職員用の駐車場があるはずだ──なるほど、と察した僕は、尋ねた。

 

「まだある? 村田先生の車」

 

「あるわ」

 

 渡辺は静かに答え、カーテンを閉めた。

 

「付いてきてくれるわよね?」

 

 威圧的なようでいて、その響きにはごく弱い(ピアニッシモな)おびえの旋律が含まれているように感じられた。

 

「いいよ」と僕は答えた。「守るって約束したしね」

 

 そんなつもりは(ごう)もないけれど。だから真っ赤な嘘でしかないのに、渡辺ははにかむように頬を緩めて、

 

「ありがと」

 

 馬鹿だなぁ、と僕の心の底が嗤っている。言葉に価値なんてないのに、薄っぺらい物語(フィクション)に女はすぐにすがろうとする。たとえ薄々感付いていたとしても、だ。まったくもって理解しがたく、滑稽。ゆえに、興味深い。

 僕らは旧音楽室を後にした。村田に会いに行く。

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