赤萩との馴れ初めを語ろうと思う。
といっても、手短に終わらせるから安心してほしい。
星影学園は一学年に四クラスあるんだけど、学年の教師は基本的には持ち上がりで各クラス又は教科を担任又は担当する。
僕は一年生の時もAクラスだった。そして去年の赤萩は、担任は受け持っていなかったが、今年と同じく学年の英語を担当していた。
赤萩が僕のことを意識していることにはすぐに気付いた。
あれは一年前の今ごろのこと。
小テストの最中、僕はふと視線を感じた。顔を上げると目が合った、教卓横のパイプ椅子に膝を斜めに揃えて姿勢良く座り、かすかな笑みを口元に漂わせて僕を見つめていた赤萩と。
すると彼女は瞬時、息を呑んだような顔になり、次の瞬間には視線を逸らしていた。じわじわと頬の赤みを濃くしながら。
僕は直感した。
あの女、僕の眉目に見とれてたな、と。そして、たぶんすでに惚れてるな、と。
一目惚れされたり、
いつもなら、不意に幽霊を見てしまったときのように──残念ながらそんなオカルト体験はないけれど──気付かなかったふりをしてやり過ごすのだけど、この時の僕は違った。
──教師を籠絡できたらいろいろと便利そう。
というひらめきが降ってきたのだ。
早速そういう目で赤萩を査定してみれば、
そうして僕は、赤萩を抱いたわけだ。
彼女は概ね僕の目論見どおりの利益をもたらした。すなわち、実家が太くて金離れが良く、僕の顔面にベタ惚れしているおかげで基本的には従順で、動物的利己主義の最大公約数つまりは倫理観に縛られるほど愚かでもなく、おまけに床上手でもあり、とても満足のいく使用感だった。
けれど、誤算もあった。
そう、赤萩陽菜子はメンヘラであったのだ──
「寂しかったぁ……」
ひしと抱きついてきた赤萩が、涙の面影の残る甘じょっぱい声で吐息まじりにそう囁いた。
渡辺を送ったその足で赤萩のマンションにやって来た僕は、手を引かれ、リビングに連れ込まれた。そして、ワルツでも踊るかのように手を繋いだままくるりと身を反転させたメンヘラ教師に捕獲された──という次第である。
機嫌を損ねられても面倒なだけだから、僕も赤萩の細い腰に左手を添え、右手では彼女の頭を、髪を梳くようにして撫でてやりながら、
「大丈夫だよ、何もなかったから」
と報告してやる。
と、赤萩の体から緊張が抜けていくのを感じた。
けれどそれも悩み苦しむことにかけては天才的なメンヘラ様を癒やすには不十分、彼女は不安と
「渡辺さんと仲良さそうに相合い傘してたって」
「成り行き上仕方なく、だよ。他意はない」
「好きになっちゃったんじゃない? 樹生君のことだからもうエッチしちゃったよね。わかるよ、渡辺さん、すっっっごくかわいいもんね。気持ち良かった? 気持ち良かったよね。若くてかわいい女の子だもんね、わたしなんか敵わないよね」と、そこで赤萩の声に涙がにじみ出した。「樹生君っ、嫌だよっ、別れたくないっ、何でもするからっ、わたしを捨てないでっ」
僕の話ちゃんと聞いてたぁあ? と喉まで出るくらい話が噛み合ってない。マジはぁやれやれ。
「そんなことするわけないでしょ。僕が好きなのは陽菜子だけだよ」
まぁ嘘なんだけど。
「だってぇ、だってぇ~、あの女狐泥棒猫ぉ~、よぉっく考えたら一年生のころから樹生君のことメスい目で見てたんだもんっ」
狐なのか猫なのか、その記憶は本当に存在するのか否か、わかりようもない僕には、正攻法を諦めて自虐的諧謔作戦に切り替えることしかできない。
「あれくらいのルックスなんて別にどうってことないよ。陽菜子のほうがタイプだし、胸もある。何なら本気で女装した僕のほうがずっと美人だしね」
赤萩はちょっとクスッとした。
「樹生君ってナルシストだよね」その声は明るさを取り戻していて、「それに、ふふ、おっぱい星人」おかしみを噛みしめるようなニュアンスさえあった。
今さっきまで泣きべそをかいていたのにこれとは、赤萩の情緒は乱気流のごとし──ともあれ、悪い流れではない。このままなだめすかして食事を作らせよう。昼から何も食べていなくて空腹なのだ。
僕はこっそりと唇を舐め、その企みを実行に移そうと口を開く。
だがしかし、だ。
夜の密室にメンヘラと二人きり、このシチュエーションで食事をするだけですむはずがないのは、洋の東だろうと西だろうと変わらない真理に違いないとほとんど確信しているところの僕は今、ベッドに横たわって赤萩ご自慢の天然Fカップを弄ぶともなく弄びながら、
Fカップぐらいで自慢されてもなぁ、まぁでも、豊胸しないでこの美巨乳なら大学で言うところの難関私文くらいの希少価値はあるかも──あ、陽菜子の実際の学歴と同じじゃん、すご、
とか何とかあまりにもくだらないことを考え、と同時に彼女のお喋りに付き合ってもいた。いわゆるピロートークというやつなのだけれど、艶っぽい雰囲気はコンドームと一緒にゴミ箱に捨ててしまったみたいで、ここにはなかった。
「でね、わたし、今日の六時間目はB組の英語だったんだけど、またレインさんだけ授業に付いてこれてなかったみたいで──」
レインというのは、二年B組の
陽菜子はその愚痴を垂れているのだ。謎に耳聡い彼女のお喋りはぼっち街道を邁進する僕にとって貴重な情報源ではあるものの、これは外れかな。ここまで聞いた情報はすべて既知だった。
とはいえ、口は挟まない。なぜって、挟んでも止まらないから。
「ねぇ樹生君、レインさんのあの噂って本当なのかな」
ふいとシリアスな声色に変わったと思ったら、そんなことを聞いてきた。
「さぁ、僕にはわからないよ」
というのには嘘が含まれている。
竹内にはこういう噂──疑惑がある。
曰く、竹内は悪い男に入れ揚げている。
曰く、はたまた違法薬物に手を出している。
曰く、その資金を集めるために売春を繰り返している。
曰く、それどころか、文字どおり何でもありの何でも屋を秘密裏に営業している。
曰く、何でも屋レインはすでに何人か人を殺害している。
この中には真実もあった。
具体的には〈金のために何でも屋をやっている〉というところ。僕は、たまたまその取引現場を目撃したことがあった。ただ、何でもするといっても相手を選ばないお手頃価格の売春がメインらしいから、だいぶん大きな尾ひれが付いてしまっている。また、それ以外のこと、例えば動機などは少なくとも僕にとっては未確認であり未確定だった。いわば、シュレーディンガーのレインである。
閑話休題。
そのことを陽菜子に明かさないのは説明の労力に値するリターンがないからだ。竹内がどうなろうと知ったことじゃないけど、だから説明が面倒なら何も言わない。庇いもしないし、邪魔もしない。
「樹生君、友達いないもんねぇ~」
赤萩はそう言ってころころと笑った──乳肉が震え、そのせいで僕は彼女の乳首をつまみ損ねた。
ムッとした。
というわけじゃないけれど、何となくその尖りを中指で弾いた。
「ひゃんっ」とも「はあんっ」とも聞こえる奇妙な鳴き声が上がった。
たぶん演技だろうな、と疑う僕は、瞼を閉じ、程なくして眠りに落ちるのだった。