お疲れ、穴突かれガール   作:虫野律

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「どうぞ」

 

 僕は平成文学同好会(仮)──旧音楽室の防音扉を開けて言った。

 促された渡辺は、机や椅子が雑然と並ぶ室内をきょときょとと物珍しそうに見回し、顔をしかめた。そこかしこに(ほこり)が溜まっているからだろう。彼女は物言いたげな眼差しを寄越し、しかし僕が涼しい顔で肩をすくめると、諦めた、あるいはあきれたように小さく息をつき、比較的マシな清潔地帯を見定めるようにしてそろりと足を踏み入れた。

 第二理科室渡辺乃愛強姦事件の翌日、その昼休みだった。僕と渡辺は旧音楽室を訪れた。捜査に先立ってまずは昼食がてら情報を整理しようというのだ。人目のないここは捜査会議にはうってつけ、そう思っての選択だったんだけど、渡辺は不満げだ。潔癖の気があるのだろう。

 ま、どうでもいいんだけど。

 僕が適当な椅子に腰を下ろすと、渡辺は机を挟んだ差し向かいに着いた。

 すると彼女は、改めて驚かされたというような口ぶりで、

 

「平成文学同好会だっけ? そんなのがあったなんて全然知らなかったわ」

 

「一人の時間が邪魔されるのが嫌で秘密にしてるからね。ここに来る時は見つからないように細心の注意を払ってて、尾行とかにも気を配ってるんだ。先生たちだって誰も気付いてないよ」

 

「え?」渡辺は目をぱちくりさせた。「先生も?」

 

「うん」

 

「それならさっきの鍵は何なのよ」

 

「たまたま拾った。で、合鍵を作ってから、元鍵だけをこっそり職員室の床に置いといた」

 

「そんなことしてたんだ」渡辺は呆気に取られたように言い、「──ってことは、わたしだけが佐藤君の秘密を知ってるのね」と、ちょっとうれしそうに口元を綻ばせた。

 

「そうなるね」

 

 と、これも嘘。平成文学同好会の存在を知っている人間は渡辺を抜かすと二人いる。一人は言わずと知れた赤萩陽菜子女史。

 そしてもう一人は、親愛ならざるクラスメイト、二年A組の(もり)将暉(まさき)という見掛け倒しヤンキーな男子生徒だ。

 星影学園は高校野球にもそれなりに力を入れているのだけれど、森は野球のスポーツ特待生だった。三十年に一人の本格派左腕ながら打棒のほうも一級品との触れ込みで入学してきたらしい。

 甲子園出場、そしてプロ、果てはメジャーリーガー輩出実績さえも期待される森には、しかし厄介なサボり癖があった。監督の目を盗んでは練習を抜け出し、旧音楽室の先の非常口の向こう側、非常階段の天辺で煙草を吹かすのだ。

 非常階段には屋根や壁はなく錆びついた簡素な欄干があるだけで人目を忍ぶには向いていないと思うのだけど、森が言うことにはそれがいいらしかった。欄干に寄りかかり、すぐ隣の校舎の一階にある職員室を見下ろしながら吸う煙草が格別なのだと彼は語っていた。僕も人のことは言えないけど、なかなかいい趣味をしているみたいだった。

 そんな森に平成文学同好会がバレたのは、一年生の秋のこと、僕が旧音楽室に入るところを非常口の小窓越しに見られてしまったからだった。

 星影学園随一のイケメンにして何を考えているかわからない謎ぼっち、つまりは僕が、使われていない特別教室に一人こそこそと入っていった──何かおもしろいこと、もっと言えば後ろめたいことでもやっているのかと勘繰った森は、翌日、男子トイレにて僕の隣の小便器の前に立ち、おもむろに一物を取り出しながら、不敵ぶった口調で声を掛けてきた。

 

「よう、元気か?」

 

「何?」僕はいつもの調子で答えた。

 

「相変わらずつれねぇな」

 

 と微苦笑した森とは、去年も同じクラスだった。彼は勢い良く小便を放ちながら言った。

 

「お前、旧音楽室で何してたんだ?」

 

 聞けば、見ていたという。何であんな所に、と更に問えば、懐から煙草の箱をちらりと見せてきた。隠そうという気はないのか、ばっちいしさぁ、とあきれつつも誤魔化せないことを悟った僕は、授業そっちのけで人けのない体育館裏に場所を変えてもらい、

 

「一本、貰っていい?」と煙草を要求した。「くれたら教えてあげる」

 

 森は驚いたような顔付きになったけれど、すぐにその顔色を引っ込め、悪そうに口の端を歪めた。

 

「何だ、お前もこっち側だったんかよ」しかしその瞳には、無邪気そうな色が浮かんでいた。「ほら」

 

 そう言って煙草の箱を差し出してきた森に、僕はすかさずスマホのレンズを向け、間髪を容れずにシャッターを切った。

 

「は?」

 

 呆けて目をしばたたいた森に、渡辺にしたのと同じような説明をし、そして脅した。

 

「煙草を吸ってることを学校や世間にバラされたくなかったら、平文同のことは黙ってて」

 

「──いやお前、どんだけぼっちでいたいんだよ」我に返った森の口ぶりは、あきれ果てたと言わんばかりだった。「言うなっつーなら、そんなことしなくても別に言わねぇよ」

 

 と、発覚の経緯はこんな感じ。

 無論、制裁のない口約束など信用しない僕のスマートフォンには、煙草を手にニヤつく森の写真がしっかりと残っている。

 だから僕は、情報漏洩の(おそれ)のなさそうな渡辺にも鞭を見せつけ、丁寧に釘を刺す、ぐりぐりと。

 

「言い触らしたりしないでね。もちろん家族や親しい友人でも例外じゃない。もしそんなことしたら、例の証言もしないし、捜査の協力もやめるから」

 

 渡辺はいつぞやの森と同じような顔になり、

 

「本当に一人が好きなのね……」

 

 やはり同じようなことをつぶやいた。

 

 

 

 

 

 

 昨日のお礼と称して渡辺が僕に作ってきた弁当の包みをほどくと、冷凍食品とか彩り野菜とかが入っていて、見た目も内容も普通としか言えないもの──毒や違法薬物、あるいは体液が仕込まれている可能性を否定し切れず嘔吐(えず)きにも似た生理的嫌悪感がうっすらと込み上げてくるごく一般的な手作り()弁当だった。

 

「どうかな。佐藤君の口に合えばいいんだけど」

「うん、普通にいいんじゃない? 普通で」

「何か引っ掛かる言い方なんだけど」

「気にしすぎじゃない? おいしいよ、食品メーカーの技術が詰まった冷凍ハンバーグ」

「一から作れってこと? もっと手の込んだものを朝からせっせっと拵えろと?」

「まさか! 今日日愛妻弁当でもそれは絶滅危惧種でしょうよ」

「佐藤君は彼女とかはいるの?」

「いないよ。一人が好きだし。女の影なんてないでしょ?」

「うん、いつも一人ってイメージしかない──それなら気になる子もいないの?」

「いないねぇ。人間として興味深いと思う人ならたまにいるけどね」

「何それ。何目線なのよ」

「鳥──あるいは鶏」

「トリ?」

「──の唐揚げが食べたいな、次は。あと、もう少し量が欲しい。具体的には倍くらい」

「聞かれる前から当たり前のようにリクエストしてくるのね。というか、痩せてるのに結構食べるのね」

「健全な男子高校生だからね。材料費くらいは出すよ。嫌なら別にいいけど」

「嫌とは言ってないわよ」

 

 というようなたわいもない会話が途切れると、僕は本題に入ろうと口を切った。

 

「ぼちぼち始めようか。まずは、渡辺さんが現場の第二理科室を訪れた経緯と犯人が現れてから逃げ去るまでの一部始終を教えて。なるべく具体的に、かつ細大洩らさずね」

 

 渡辺の面差し、それから体に緊張が走ったのが見て取れた。積極的に思い出したいことではないのだろうけど、しかし彼女は、ぎこちなくではあっても確かにうなずき、語りはじめた。

 

 

 

 

 

 

「あれ? ……ない」

 

 そうつぶやいた渡辺乃愛の視線は、布製のペンケースにそそがれていた。

 六時間目が終わり、帰り支度をしている時のことだった。お気に入りのシャープペンシルが失くなっていたのだ。それには一世紀以上も前から全世界の女子の人気を博している白い犬のキャラクターが描かれており、駅前の雑貨屋で見つけたものだった。特別珍しいものではなく、したがってプレミアが付いているわけでもなかったが、渡辺の目にはそのデザインがきらきらと輝いて映じた。キャラものということで普通のシャープペンシルよりは値が張ったが、所詮はシャーペン、お小遣いの少ない彼女でも買うに躊躇する値段ではなかった。

 どっかに紛れこんじゃったのかな。

 渡辺はそう思って机やスクールバッグの中を検めた。

 けれど、見つからない。

 顔を上げて息をつくと、目の端に、取り巻きと談笑する佐々木綾海が映った。華やかなアイドルみたいな容貌に似ず──あるいは似合い──女の悪いところを煮詰めたようなどす黒い性格の彼女は、多くのことで自分の上をいく渡辺を目の敵にしている。貧困母子家庭のくせに、と見下している女が自分より上というのは耐えがたい屈辱なのだろう。それはわかるが、こちらとしては迷惑以外の何物でもない。

 ふと、ある可能性が脳裏をよぎった──自分を嫌うクラスの女子の誰かが嫌がらせにどこかに隠したのだろうか。

 ……いや、そんなはずはない。

 というのも、以前やられたことがあり──犯人はわからずじまいだったが──それ以来警戒を怠ったことはないからだ。今日もそうだ、二年A組の六時間目は体育──体育館でバスケ──だったのだけれど、誰よりも遅く教室を出て、誰よりも早く教室に戻ってきた。そして、体育を休んだ女子はいなかった。渡辺のいぬ間に、というのは、だから不可能なはずだ。かといって、授業の合間の休憩時間や昼休みにもごく短時間しか席を外していなかったし、そもそも教室には原則的に人目がある。やはり、盗まれたというのは考えにくい。

 それなら、自分の不注意でどこかに落としたのだろう。

 記憶をたどると、五時間目に第二理科室で行われた生物基礎の授業の時には確かにあった。間違いなく使っている。証拠は坂書を書き写したノートだ。そして、六時間目はバスケだから文房具には触れてすらいない。

 とすると、生物基礎の授業が終わって片付けをしている時か、第二理科室から教室に戻る時に落としてしまったのだろう。

 薄毛がトレードマークの担任の村田が教室に入ってきた。そのままぬるりとSHRを始め、ぼそぼそと覇気のない口調で何事かを述べると、放課を告げた。落とし物を渡してくる気色はなく──ということは拾われていないか、そのまま()られてしまったか、あるいは届けられていたとしても渡辺のものだとは思われていないか──逃げるように教室を出ていってしまった。

 しかし不幸中の幸いなことに、今週は掃除当番ではない。

 よし、と渡辺は決めた。すぐに職員室へ行って落とし物入れの箱を確認し、届けられていないようなら鍵を借りて第二理科室へ捜しに行こう。

 

 

 

 

 

 

「──のシャーペン?」

 

 職員室を訪ねて村田に尋ねると、不得要領(ふとくようりょう)めいた顔で聞き返された。

 

「はい。届けられていませんか?」

 

「少し待ってて」

 

 渡辺と二人のときは敬語でなくなる村田は、そう言って席を立つと、奥の壁際にある落とし物入れの箱を抱えて戻ってきた。デスクに置き、渡辺に確認するように促す。

 箱の中を見ると、横合いから、

 

「ある?」

 

 と吐息が掛かりかねない距離で聞かれ、ぎょっとしてぞっとして危うく悲鳴を上げるところだった渡辺は、さりげなく後ずさりつつ、かぶりを振った。

 目的を告げて鍵を借りると、名残惜しそうにしている村田に本当に形だけの礼を述べ、そそくさと職員室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 職員室から二年A組の教室、そして第二理科室へ向かうには、中庭をぐるりと迂回するように建てられた校舎の中を通らなければならない。つまり、長い一本道と言って差し支えない。ゆえに、疲れるには疲れるけれど、行ったり来たりといった手間は掛からない。

 渡辺は教室から第二理科室へのルートを、シャープペンシルが落ちていないか目を凝らしながらなぞったが、見つからなかった。

 ということは、第二理科室にあるはず。

 そう願いつつその引き戸に鍵を差し込もうとして、

 

「あれ? 開いてる……」

 

 ドア枠との間に隙間があり、施錠されていないことに気付いた。

 誰かいるのかしら? それとも六時間目に使ったクラス、二年D組が鍵を閉め忘れた? ──この時はその程度のことしか思わなかった。渡辺はそんな自分が恨めしくてならない。

 ノックしてみた。

 

「……」

 

 待てども応答はない。閉め忘れか、と断じて渡辺は戸を引いた。

 ガラガラと散文的な音が立ち、その余韻が耳から消えぬうちに足を踏み入れた。

 と、その次の瞬間だった。

 

 ──バチッ。

 

 そんな耳障りな音が鳴り、と同時に焼けるような痛みが首筋に走った。途端に体の制御が利かなくなり、おざなりにしか掃除されていないであろう汚らしい床にくずおれた。

 ビリビリと体が痺れていた。

 うつ伏せに倒れ伏したまま、かろうじて眼球だけを動かして仰ぎ見ると、新調してからそれほど経っていないことが窺えるきれいな制服に身を包んだ二年生の男子──否、不審者が立っていた。

 背格好とネクタイの色から二年生の男子と判断しかけたけれど、ステレオタイプな銀行強盗が被るような目出し帽に競泳用ゴーグルを着用しているため顔がわからず、確定させられないのだ。

 その不審者は、黒いニトリル手袋をした手にスタンガンらしき無骨な物体を持っていた。間違いない、あれでやられたのだ。

 そして渡辺は、不審者の股間が激しく屹立し、スラックスを押し上げて歪めているのに気付いた。

 思わず息を呑む。

 渡辺の心は、いよいよ恐怖に支配された。心臓が早鐘を打つ音が、うるさいくらいに強く体全体に響いている。

 不審者の目的は明らかだった。

 レイプだ。レイプしかない。自分はこれからレイプされるのだ。

 

「や、や……て……」

 

 渡辺は必死に声を出そうとするが、痺れのせいか恐怖のせいか、声帯と舌が上手く動かない。涙で視界がにじみ出す。

 苦悶しているうちにガムテープ──あらかじめ量を減らしてポケットに入れられるようにしていたようだった──で口を塞がれ、手首も縛られてしまった。

 次第に痺れが抜けてきていたけれど、渡辺は涙を浮かべて震えるばかりだった。抵抗どころか、()めつけることさえ敵わない。恐怖に体を固く縛りつけられていたのだ──渡辺の脳裏では、忌まわしき記憶が延々と、そして走馬灯のように再生されつづけていたという。

 それを見て取ったのか、不審者はスタンガンを見せつけ、

 

「おとなしくしてろ、そうすれば殺さない」

 

 と、嘘か(まこと)か、そう脅しつけるのみで、足を縛ったり、更に電撃を食らわせたりはしなかった──その声は無理に作ったような、ざらざらとした響きで聞き覚えなどあるはずもなく、不審者の正体を推測することは(あた)わない。

 不審者は渡辺を抱えて四人掛けの生徒用実験台に乗せると、逸るような手付きでブレザーとブラウスを開いた。

 ブラジャーを強引に上にずらされる。羞恥に顔を背ける渡辺のことなどお構いなしに、不審者の手がその乳房を鷲掴みにした。押し潰さんばかりの力で揉まれ、渡辺は痛みに顔をしかめた。

 次いで、プリーツスカートをまくり上げられた。荒い息遣いが聞こえる。

 ショーツを剥ぎ取られ、蒸れていた陰部が空気に冷やされる独特の感覚がしたかと思えば、とうとう膝を割られた。

 どうして、と思う。

 どうしてわたしばかりが何度もこんな目に遭わなければならないの。

 嘆かずにはいられなかった。

 またあの苦痛を味わわなければならないの? またあの屈辱に涙しなければならないの?

 どうして。

 わたしが何をしたというのよ。ただ普通に生きていただけなのに。どうして。どうして! どうして!!

 誰か助けて! 助けてよ……お願いだから……。

 しかし、世界は弱者にはほほえまない。現実は変わらない。

 不審者がベルトを緩めスラックスを下着ごと(もも)の半ばまで下ろすと、異様なほど反り返った男根が姿を現した。

 不審者はスラックスのポケットからコンドームを一枚取り出し、装着しようとする。しかし、よほど興奮しているのか手が震えて上手くいかないようだった。

 渡辺の目にはそれが奇妙な光景に見えた。強姦犯が避妊? そういうものだろうか、と。

 たしかに証拠を残さないためには必要なことだろう。スタンガンやガムテープを用意していたことからも周到に計画された犯行だと推測できるから平仄(ひょうそく)は合うけれども、違和感は拭えなかった。

 あの男はそんなことしなかった。獣欲のままに幼い渡辺を裂いた。

 その記憶との齟齬が違和感の原因かもしれなかったが、手間取りながらも準備を完了した不審者が、熱く燃え盛る先端を膣口に宛てがうに至り、些細な疑問など一瞬で雲散霧消(うんさんむしょう)した。

 ただ恐怖だけがあった。

 間もなく股ぐらの肉扉をめりめりとこじ開けられる感触があり、痛みと膨満感、そして嫌悪感が下腹部を占領した。

 渡辺が目を閉じ、光を、音を、においを、感触を意識の外に追いやって世界に蓋をし、努めて感情を押し殺しその心を守ろうとするのと、不審者が快楽を貪らんと無慈悲な前後運動を始めるのとは同時だった。

 

 

 

 

 

 

「──それから少しして、閉じていた瞼が意図せず緩んだところであなたと目が合った」渡辺は、ふぅ、とメランコリーを押し出すように息をつくと、「後は知ってのとおりよ」と言って供述を締めくくった。

 

「お疲れ──」

 

 穴突かれガール、という無駄に語呂のいい戯れ言が頭に浮かんだ僕は、笑いを噛み殺すのに少し苦労した。

 そんなことなんて知る由もない渡辺は、真剣な面持ちで尋ねてくる。

 

「何かわかったことはある?」

 

「わかったと言えばそうだけど、とりあえずホワイダニットから確認していこうか。いったん前情報なしに、要は先入観なしに心当たりを考えてみてほしいんだ」

 

「ホワイダニットというのは、Why done it? ──なぜ犯行に及んだか? ってことよね?」

 

「そうそう。渡辺さんを強姦する動機のある人物がいれば容疑者候補になるでしょ? 思い当たる節はない?」

 

「そんなのわからないわよ」渡辺は困ったように言った。「そりゃあわたしに劣情を催してる男もいるでしょうけど、だからって普通はあんなことしないわ」

 

「まぁね──てか、動機を男の獣欲に限定してるみたいだけど、根拠はあるの?」

 

「強姦の動機というと、普通は肉欲を満たしたいというのだと思うのだけど」

 

「そうとも限らないよ。もちろん単純な肉欲の場合もあるけど、征服欲や嗜虐欲が核にある場合もあるし、怨恨や嫌悪感情、愛憎相半ばする執着心を動機とすることもある──ということは、女の犯人もありえるってことだ。例えば、渡辺さんを蛇蝎視してる女子が、渡辺さんを傷付けるために男子を焚きつけて事に及ばせた、みたいなね」

 

 渡辺はいっそう悩ましげに眉間の皺を深くし、

 

「わたしのことが気に食わないって子ならたくさんいるわ。わたし、女子から嫌われてるから──だからそういう観点で容疑者を絞るのは難しいと思う」

 

「流石に嫌われてる自覚はあるんだね」

 

「それはね」と渡辺は事もなげに肯定し、「でも、だからって程度の低い子たちに合わせて自分を曲げるつもりなんてないわ。そんなの正しくないもの。そこまでしてそんな子たちと仲良くしたいとも思わないし」

 

「性格的にも潔癖なんだね」

 

 渡辺は不愉快そうな顔色を、押しとどめようとしているのか露骨にではないものの、見せた。「自業自得だって言いたいの?」

 

「いいや、責めてるわけじゃない。生きづらそうだなって思っただけだよ。そもそも、まだ何が原因かわかってないしね」

 

「……そう」渡辺は肩の力を抜くようにして小さく答え、「執着心というのは、元カレとか元夫がストーカー化して、ということよね?」

 

 僕がうなずくと、

 

「昨日も言ったけれど、恋愛経験はないわ」

 

「だから違うって? でも、告白されたことは少なくないんでしょ?」

 

「まぁそうだけど、最近はストーカーの気配はなかったから、やっぱり違うんじゃないかしら?」

 

「前まではあったの?」

 

「あったような、なかったような」渡辺は煮え切らない受け答え。「証拠があるわけじゃないから断言はできないけれど、何となくそんな気配を感じていたのは事実よ」

 

「ふむ」と鼻息で答えて僕は、質問を重ねる。「じゃあセフレは? それもいたことない?」

 

 渡辺は虚を衝かれたように目を点にし、次いでその美貌に心外そうな色がじんわりと浮かび上がってきた。

 

「わたしはそういうことはしない。それとも、そんなはしたない女に見えるの?」

 

 その口調には明確な険があった。入学から一年と少し、クラスメイトとして見てきた限りでは、多少ツンツンしたところはあっても、ここまでおこりっぽくはなかったはずだ。事件のストレスによるところが大きいのだろう。

 僕はなだめるように、

 

「どちらかと言わなくても貞操観念が堅そうに見えるね。真面目すぎて浮気されそうなくらいだ。

 けど、印象で推理するわけにはいかないから一つ一つ確認してるんだよ」

 

「……ごめんなさい」渡辺にも本来の自分ではない自覚があるのだろう、素直に引き下がり、「そうよね、当て推量で犯人を捕まえるわけにはいかないものね」自分に言い聞かせるようでもあった。

 

「……どうしたの? そんなに見つめて」

 

 僕に観察されているのに気付いたらしき渡辺が、怪訝そうに聞いてきた。

 

「そろそろいったん休憩にしない?」僕は言った。疲れたでしょ、と言外に添えて。

 

「……本当に優しいのね。わかったわ、そうさせてもら──」しかし渡辺はそこで言葉を切った。「いえ、やっぱり続けましょう。気持ちはありがたいけれど、早く解決したいし、わたしは大丈夫だから」

 

「あ、そ」どちらでもいい僕は、当然食い下がらない。「じゃ、次はハウダニット──どのようにしてなしたか、という観点から考えていこうか」

 

「これはHow done it? ね。ということは、Who done it?(フーダニット) という用語もあるんでしょうね」

 

「うん。でも犯人当ては犯行方法からの限定と不可分だから、実際には一緒に行うことになる」

 

 渡辺が神妙そうに顎を引くと、僕は始めた。

 

「犯人は二年生の男子の新しい制服を着ていたわけだけど、制服を購入できるのは通常、生徒に限られる。また、二年生用の青いネクタイの購入は二年生の男子に限られる。仮にほかの学年の生徒が青いネクタイを購入しようとしたり職員が制服一式を購入しようとしたりすると悪目立ちして周囲の記憶に残るだろうし、購入記録も残る。そんな状況で新制服を使った事件があったとなると間違いなく疑われる。変装トリックと言うにはあまりにも穴が大きすぎるんだ。だから、単独犯にしろ共犯にしろ二年生の男子は確定でいいと思う」

 

「そうね、わたしも同じ意見よ」

 

「現時点で判明している規則と前提条件から演繹した結論だから、今後、新事実が出てくれば百八十度変わることもあるかもしれないけどね」

 

「もちろんわかってるわ」と物わかり良く答えてから渡辺は、「ところで」と話を転じた。「さっき言っていた、わかったこと、というのは何なの?」

 

「ああ、それはね、シャーペンについてのことだよ──失くしたっていうシャーペンはまだ見つかってないんだよね?」

 

「ええ」

 

「で、そのシャーペンは希少価値が付いてたりして高価なものでもない」

 

「そうね」

 

「しかも、佐々木綾海とかの君に敵愾心メラメラの程度の低いクラスの女子が体育の時間や休み時間に盗んだ可能性も、君が常日頃から警戒してその隙を潰していたことから極めて低いと思われる、と」

 

 僕の質問からその意図を察したらしき渡辺は、

 

「つまり佐藤君は〈強姦の犯人が、六時間目の授業を抜け出し、わたしをおびき寄せるためにシャープペンシルを盗んだ〉と言いたいのね」

 

 先んじて結論を述べた。

 

「イエス」

 

 渡辺は、「わたしもその可能性は考えていたわ」と言い、

 

「第二理科室なり廊下なりで落としたのだとしたら、六時間目に同じ動線を経て第二理科室を使った二年D組の誰かが見つけているはずだものね。ありふれたものだからそのまま自分のものにしたとも考えにくいし、となると落としたのではなく誰かが盗んだと考えるしかなくなる──こういう理屈でしょう?」

 

「イグザクトリー。

 補足するなら、以前いたかもしれないというストーカーの正体は、強姦計画を立てるにあたり渡辺さんのこと──君の性格とか、盗み出せば確実におびき出せる大切なものとかを調べていた犯人だったとも考えられるから、その点も辻褄が合う」

 

 渡辺は(ほの)かに得意そうな顔になった。

 

 けれど僕は、「ただし」と少しだけ語気を強めて注意する。

 

「僕が気になったのは、君が言っていた、『体育を休んだ女子はいなかった』という点だ──これに間違いはない?」

 

「?」渡辺は満面に疑問符を浮かべた。「もちろん、ないけれど……?」

 

「いやさ、僕が聞きたいのは、藤原亮平はどうだったかってこと」

 

「──あっ」渡辺は瞬く間を経て気付いたみたいだった。「たしかに()のことは女子に含めていなかったわ──いえ、それだけじゃなくて、そもそも犯人の候補に入れていなかった。こういうのは本当は良くないんでしょうけど、何というか、わたしたちと違って彼は曖昧な存在だから、無意識に例外だと認定していたんだと思う」

 

「そうかもとは思ってたよ」

 

 女子扱いはしないが、女子に欲情するとも思えない──こんなふうな二律背反(にりつはいはん)を無意識のうちに拵えては深く考えようともしないで忘れ去り、目先の欲望を満たし、あるいは不安を解消することだけに意識を傾けるすばらしく人間的な性質を(そな)えた考えない葦は一定数存在する。要するに、ただの草である。(いにしえ)のネットスラング風に言えば、〈草すぎて草ァw〉といったところ。僕は彼ら彼女らのことを、密かに〈植物()人間〉と分類して小馬鹿にしている。

 

「──で、藤原亮平はちゃんと体育に参加してた?」

 

 僕は尋ねた。藤原は男子の体育には参加しないから僕ら男子にはわからないことなのだ。

 渡辺は深刻そうな顔になった。それが答えだろう。

 

 果たして、「体調が優れないと言って休んでいたわ」と言う。

 

「それは珍しいことなの?」

 

「いえ、一年生の三学期ごろから休みがちになっていたはずよ。たぶん、いたたまれなくなったんでしょうね。女子の目が厳しくて、彼、体育の時はいつも針の(むしろ)だから」

 

「かといって、男子にまじるのも心が拒絶反応を起こす。だから休む以外の選択肢はなかった──ってとこか」なるほど道理だね、と僕はうなずいてみせ、「とすると、藤原さんは六時間目の間は保健室にいたってことになってるんだよね?」

 

「ええ、でも──」

 

「そのアリバイを証言する者がいるかは怪しい、と」

 

 僕が渡辺の言葉を引き取ると、彼女は真剣な面持ちで首肯した。

 星影学園の養護教諭は現在、育児休業を取っていて、臨時の先生も採用していない。その都度、手の空いている教師が対応することになっているみたいだけど、実態は違う。適当に話を聞いたら保健室に放り込み、生徒一人で休ませるだけだ。つまり、藤原ならば、やろうと思えば人知れずシャープペンシルを盗み出すことが可能だった。そして、性転換手術はまだなのだから肉体的にも渡辺を犯すことが可能。

 

「調べてみる価値はありそうだね」

 

 僕がそう言って一段落付けると、渡辺は切り返すように質問してきた。

 

「男子はどうだったの? 休んでる人はいた?」

 

「うん、一人だけいたよ──彼の場合、サボってたと言ったほうが適切だけどね」

 

 その言葉だけで渡辺は察した。「森君ね」

 

「うん。あの無頼気取りの半端者、野球だけは天才的だからね」

 

 森将暉は野球部の練習のみならず授業もよくサボる。が、野球部の実績が欲しい学園は、彼を咎めようとしない。それで臍を曲げられたらせっかくの広告塔がポッキリと折れてしまうかもしれないと恐れているのだ。

 

「あとはそうね……」と考えるように唇に指を当てた渡辺は、しかしすぐにその指を離した。口紅が付くのが嫌だったらしい。

 

「じゃあやらなきゃよかったのに」と言えば、「無意識だったのよ」と言う。

 

 僕は肩をすくめ、渡辺はハンカチーフで指先を拭う。

 それが終わると渡辺は、

 

「学校自体を休んでいた生徒がこっそり入ってきて、というのはやっぱりありえないわよね?」

 

 と確かめるように聞いてくる。

 

「ないだろうね」

 

「やっぱりそうよね」渡辺は納得の顔で言った。

 

 というのも、敷地を隙間なく囲む高い塀と校門をはじめすべての出入り口に立つ警備員、そしてすべての出入り口に設置された防犯カメラにより、暗々のうちに侵入してくるのが不可能だから。変装していたとしても映像として残るわけだから、検証されたら発覚する可能性が高い。そんな怪しいことをしていたとバレたら疑ってくださいと言っているようなものだ。普通はそんな杜撰な犯行計画は立てない。同じ理屈で、学園と関係のない外部の者の犯行も除外できる。

 僕は壁掛け時計に目をやった。昼休みは残り少ない。

 

「犯人の条件を整理すると」と僕はまとめに掛かる。「単独犯であれば〈六時間目に渡辺乃愛のシャープペンシルを盗むことが可能で、さらに放課後の犯行時刻にアリバイのない二年生の男子〉、共犯であれば〈二年生の男子と、その男子と結託しうる関係性の生徒又は職員との組み合わせで、そのうちの少なくとも一人がシャープペンシルを盗むことができ、強姦の実行犯たる人物に放課後のアリバイがないこと〉って感じだね──異論はある?」

 

「ないわ」

 

「よろしい。

 で、捜査方針だけど、差し当たっては藤原亮平と森将暉を中心に二年生の男子から調べていくってことでオッケー?」

 

「オッケーよ」

 

 こうして、記念すべき理由は特にない第一回目の捜査会議は閉幕となった。

 ──となるかな、と思っていたら、渡辺が意を決したような様子で口を開いた。

 

「佐藤君のこと、名前で呼んでいいかな」

 

「何だ、そんなことか。好きにしていいよ」

 

 渡辺ははにかみ笑いをたたえた。「ありがと。わたしのことも名前で呼んでいいよ」

 

「気が向いたらね」

 

「えー、冷たい」

 

 ここだけ切り取れば、まともな青春っぽいかもしれない。ぼんやりとそんなことを思った。少しだけね。

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