『依頼がある。本日午後四時半に体育館裏で待つ。』
というキナくさすぎて鼻がひん曲がるラブレター(笑)を何でも屋レインこと竹内光雨の靴箱に忍ばせたのが昼休みの終了間際で、只今は指定時刻の五分前。僕は、刑務所を彷彿とさせる高い塀と運動部のクソやかましいガキどもがぞくぞくと群がりつつある体育館に挟まれた薄暗い
ここを選んだことを少し後悔していると、体育館の角から人影が現れた。中肉中背を半回りだけスケールダウンしたような半小柄とでも形容すべき体型に、どぎついショッキングピンクのポイントカラーまじりのツインテール、ナチュラルメイクなんか反吐が出るぜ! と言わんばかりの病み病み地雷メイク──何でも屋レインのご到着だった。
「これはこれはぁ、誰かと思ったら星影のミステリアス・プリンス様じゃないですかぁ~。え~やばぁ。今日レイン、王子様に抱いてもらえるってことじゃぁ~ん、すごぉ~い」
鼻に掛かった甘ったるいアニメ声とわざとらしく間延びさせた話し方に鳥肌が立ちそうになり、可及的速やかにこの不快害虫を駆除しなければならぬという強い使命感が湧き上がってきた僕は、
「死んでくれない? 今すぐ、ここで」
開口一番、つい本音を洩らしてしまった。
竹内は、しかし呆気に取られるでもなく、
「え~、王子様ドSぅ~、レインもっと優しいのがいいにゃ~。ゆっくりねっとり掻き回してもらうのが好きにゃのぉ~。でもねぇ、それが依頼ならぁ~やるけどぉ、億単位で貰うよぉ~? 王子様んちって、ゆうてそこまででしょ~? ちゃんと払えるかにゃ~?」
飛んできた実弾を平然といなす変態鳩がごとき奇っ怪な対応を見せた。単に辛辣な言葉に慣れてるだけかもしれないけど。
何だかどっと疲れた僕は、これ見よがしに溜め息をつき、さっきの死ね云々がなかったかのような涼しい顔で仕切り直す。
「竹内さんは本当に何でもやってくれるの?」
「急に優男系の見た目に合った柔らかい口調になるの何なの? 温度差すごすぎて妊娠しそう」
そう言う竹内も速攻でキャラが崩れている。
「それはお互い様じゃない? あと、そんなんで妊娠するなら少子化なんか起きてないから──そんなことより質問に答えて」
「もう~、王子様冷たぁい」竹内はオーバーアクト気味に唇を尖らせた。「いつもキショダサいのの相手してるレインを労わってくれてもいいんじゃにぁ~い? てか労われや」
「これ以上遅延させるなら利用価値なしの生ゴミとみなすよ」
「うっわお、王子様は冷徹王子でしたかぁ~、これはお見それしまし──あ、待って、もうしないから行かないで、今レイン入り用なのよ、ごめんて」
僕は、
「何でもするかって質問の答えはイエス、レンタル彼女から犯罪まで何でもござれだね」
「じゃあ犯罪捜査もやってくれるんだね」
「犯罪捜査?」レインは怪訝そうに左の眉だけを上げた。「犯罪じゃなくて? どういうこと?」
「竹内さんには聞き込み捜査をしてほしいんだ。ただし、何があったかは教えない。だから、詮索しないで僕の指示したことだけを指示したとおりにやること、これが契約締結の条件になるね」
「やっぱりドSじゃん。それも独裁支配型。なかなかの地雷男だねぇ」
「王子なんだから独裁支配の一つもしないとね」
なんて軽口を叩いてやったのがよかったのか、それはもちろん定かではないけれど、
「ふふっ」と竹内は思いのほか上品に、さながらささやかな葉擦れのように失笑し、「いいよ、その条件で。レイン、Mもイケる口だからね。ただ、捜査の難易度と拘束時間によってはそれなりに掛かるけど、そっちこそその金額を呑めるの?」
「たぶんね」
僕には財布を兼ねた恋人擬きが付いてるからね、という事情はもちろん、わざわざ説明したりはしない。
「へぇ~」けれど竹内は、訳知り顔めいたニヤケ面──からの、「太ママでもいるの?」猫をも殺す好奇心で的を射てくる。
「さてね」
肩をすくめておざなりにいなすと僕は、「じゃ、早速、契約内容を詰めていこうか」
「やっぱりつれにぁ~い、レイン寂し──ごめんて、帰らないで、仏も三度までは赦すんだから赦してよ~」
竹内を聞き込み捜査に使うのは、渡辺が「捜査は容疑者たちに知られないようにして進めたい」と主張したから。もしも彼らの中に犯人がいた場合、悟られると渡辺に危害を加えないとも限らない。顔を見られている僕らが直接動くとそのリスクは高いだろう、と彼女は心配していたんだけど、その虞は一般論とも合致する。そういうわけで第三者への捜査委託が選択された。
「ふうん、なるほど、だいたいわかったわ」
体育館の外壁に背中をもたせかけて腕組みをするというハードボイルドキャラ風にカッコつけたスタイルで聞いていた竹内が言った。続けて、
「確認させてもらうと、〈期限はないけどなる早で、かつ可能な限り秘密裏に、昨日の六時間目と終業から午後四時半ごろまでの藤原亮平と森将暉の所在証言を調べ、それと併せて昨日の六時間目に授業を抜け出したり不参加だったりした二年生の男子生徒をすべて調べ上げる。ただし学校自体を休んでいた者は除く。また、全生徒及び職員の中に、極刑が科せられかねない重大犯罪の共犯関係になりうるような特段の事情のある者らがいないかも調べる〉ね──この内容なら」
しかしそこで竹内は言葉を切り、悪巧みでもしてそうな感じに目を三日月の形にし、跳ねるようにして壁から身を乗り出した。
「何?」僕は訝って尋ねた。
「王子様がエッチしてくれたらぁ──」
その先は「
「変な病気移されそうだから絶対ヤダ」
で押し潰して皆まで言わせなかった。
「ホントつれないねぇ」竹内は言葉とは裏腹に残念そうでもなく苦笑まじりにそう言って、「なら、依頼料は──」
さてさてお手並み拝見。
無事契約がまとまり、高みの見物気分の僕なのだった。
といっても、竹内を信用し切ったわけじゃない。僕は僕で物陰から彼女の働きぶりを監視する心算だった。
すると竹内は、体育館裏から聞き込みに向かうでもなくその場でスマートフォンを取り出したではないか。
「何する気?」思わず僕は尋ねていた。
竹内は液晶画面から顔を上げずに、視線だけで上目遣いな一瞥をくれると、
「企業秘密だにぁ~」
などと無表情のままおどけてみせた。
意趣返しのつもりなのかな──ま、いいけど、もう推測できたから。
おそらく竹内は、売春の客から情報を集めようというのだろう。
考えてみれば、よくできたシステムだ。相手を選ばないお手頃価格の売春──なぜ市場価値の高い現役女子高生の身空でそんなことを? かえって金を払わないと肉棒にありつけない三十五オーバーなのに女子を自称する脳も羊水も腐った産廃イタババアじゃあるまいし、と不思議だったけど、これほど人脈つまり情報網を広げるのに適した商売はそうはないだろう。暗がりで情けを通わした者同士に特有の薄汚れたイカくさい信頼関係は馬鹿にはできない。竹内自身が相手の弱みになっている点もタチが悪くて芸術点が高い。
そして、人脈や情報網というのは金になる。ビジネスにもプライベートにも使える、最強のツールの一つなのは言うまでもない。
僕は竹内を見直した──なんてことはない。だってまだ僕に利益を生んでないし。僕の役に立たないなら僕にとってはすべて無価値。評価に値しない。当たり前である。
通話したりメッセージをやり取りしたりとスマートフォンを操作する地雷系半チビッチを眺めるだけの退屈にすぎる遊戯に興じること幾ばく、ようやく竹内はレアメタル──の代用品──製の武器を下ろした。
「まずは藤原亮平と森将暉についてね。結論から言うと、共に所在証言なし。
藤原亮平は六時間目の体育を体調不良を理由に休んでいるけど、教師に言われて保健室で休んでいたらしくて目撃情報はなし。
放課後も同様。藤原亮平はいつもなら所属する文芸部の活動に、もう一人の部員と共に勤しむんだけど、昨日はその部員はすぐに帰ったらしい。つまり、一人で部室にいてそれを証明する者はいない」
竹内は淡々と続ける。
「次に森将暉。
六時間目の体育は途中で二十分ほど抜けていて──っていうのは王子も知ってると思うけど、その間の目撃情報はなし。
終業から午後四時半ごろまでも同じで、SHRが終わってすぐに教室を後にして、野球部が練習を始める午後四時半から十分ほど後の四時四十分にグラウンドに現れてるけど、こっちもその間の彼の行動を証言する者はいなかった」
「ちなみに、森将暉が何をしてたか推測できてる?」
「王子が疑ってる犯行をしてなかったんなら、いつもどおりサボりじゃない? 具体的に何してたかまではわかりかねますねー」
森の喫煙は知られていないらしい。竹内の言葉に嘘がないとしたら、だけど。森の隠密能力が高いのか、竹内の調査能力が大したことないのか。
「そんなに見つめちゃって、何したの?」竹内が楽しげに聞いてくる。「えへへっ、レインが有能でついムラついてヤリたくなっちゃっ──」
「っうわけないから、早く次の報告に進んで」
「はっ、仰せのままに!」などと敬礼の真似事をする竹内に反省の色は見えないけれど、指示には従うみたいで、パッと雰囲気を切り替え、「二年生の男子で六時間目の授業を抜け出したり不参加だったりした生徒は、前出の二人以外はいなかった。もしその時間が犯行推定時刻で場所が校内、二年生の男子生徒が犯人というのなら、犯行──直接の実行行為が可能だったのはその二人だけってことになるね」
「詮索はなしにしてって言ったでしょ」
「──ふっ」と竹内は鼻で笑った。「用心深いねぇ」
「そりゃあね。金さえ積めば何でもやる人間に余計な情報は与えたくないよ」
「うん、それが正解だよ」
穏やかにそう言う竹内からは、理性的に狂っている人間にしばしば見られる、単純な達観とも違う、がらんどうな鷹揚さのようなものが感じられた。
流れ込んできた風がふわりと肌を撫でた。
すると竹内は、
「最後は共犯云々についてね」と報告に戻った。「単に友人や恋人として仲がいいというのを超えて親密だったり、致命的な弱みを握っていたり、洗脳・支配関係にあったり、というような事情は確認できなかった。極刑犯罪の共犯になりうる関係性の判定基準が
「んー、了解」
竹内は覗き込むように僕の目を見て、にっこりとした。何かと思ったら、
「どうかにぁ~?」またしても唐突な蜂蜜ボイス。「王子様におかれましてはぁ~、ご満足いただけましたかにゃ~?」
「まぁまぁかな。思ってたより悪くなかったよ。
などと答えつつ僕は、アリバイや共犯動機の有無による消去法で犯人にたどり着けることを期待して待っている渡辺は、この調査結果を聞いてどんな反応を示すだろうかと、そんなことを思う。
二つの意味でこの世で最も汚いものの一つであるところの現金通貨を渡され、わかりやすく上機嫌になった竹内に背を向けると、「毎度あり~、またご贔屓に~」というホクホクの定型句を後ろに聞きつつ僕は、旧音楽室の渡辺の下へ向かった。
渡辺は、僕が姿を現すと、まだ戸口で席に着いてもいないというのに噛みつくような、取りすがるような勢いで詰め寄ってきた。
「どうだった? 彼らにアリバイはあった?」
まぁまぁ落ち着きなよ、と手のひらでなだめ、もったいぶるでもないけれど、おもむろに適当な椅子に腰を下ろした僕に、不満げな色を浮かべ、しかし立場を思い出したのか、すぐに期待の単色に塗り潰した渡辺は、差し向かいに着くと改めて目顔で促してきた。
ので、
「藤原亮平も森将暉もアリバイはなさそうだってさ」
渡辺の胸裏に落胆が去来したのが、たちまちのうちに衰えた気勢から理解できた。
「ほかに怪しい生徒はいた?」気を取り直すように渡辺は尋ねてくる。
僕はかぶりを振った。「いなかった。それから共犯の線も考えにくいってさ。だから容疑者は、以前として彼ら二人だけだね」
「でも、どちらが犯人かはわからないんでしょう?」
「うん」
渡辺は溜め息をついた。その顔には濃い疲労がにじんでいて、そんな自分を慰めようとしてか、飲みさしのペットボトルの紅茶を口に運んだ。
釣られて僕も、そのペットボトル売れそうだな、なんて考えながら、自販機に寄り道して買ってきた缶コーヒーのタブを引いた。カシュッという音が立ち、甘いだけで芳醇とは程遠い安っぽい香りが漂う。口に含めば、期待を裏切らないチープな味わい。
「──さて」と僕は始める。「彼らのどちらかが犯人だとは思うけど、かといってそれを決定付ける証拠がない以上動きようもない。これからどうしようか」
渡辺は、もはや見慣れつつある困り顔になった。「どうって言われても……どうすればいいのよ」
「うーん」僕は腕組みをして視線を宙にさ迷わせ、唸った。「ヒントが少なすぎるからねぇ──乃愛は何か思い出したこととかない? どんな些細なことでもいいよ」
少しの間、記憶を確かめるそぶりを見せてから渡辺は首を左右に振った。「でも、普通に考えたら藤原君は違うんじゃない? だって彼、専門医から心は女性だって診断を受けてるんでしょ?」
「だからって強姦できないわけじゃない──まぉ藤原さんを犯人とすると、君の言うとおり動機が問題になってくるんだけど」
「彼に恨まれる筋合いはないわよ」
「嫉妬とかは? 美少女への逆恨み的な。例えば、
──わたしは望んだわけでもないのに障害を抱えて生まれ、しかも不器量なのに、渡辺乃愛ときたらわたしの欲しいものを全部持ってる。何の努力もせずに生まれながら! 羨ましい! 妬ましい!
みたいにね。人間、自分がつらいと、やっかみがちになるものだからね。特に女なら尚のことだ」
「それを言われたら否定はできないけれど、それよりは森君のほうが納得できるっていうか」
「そうかな?」僕は疑問を呈する。「森君って、結構モテるでしょ。わざわざ重罪を犯してまでレイプしなくてもそういうプレイに付き合ってくれる女の子はいるだろうし、踏みとどまりそうじゃない? 彼の場合、野球選手としての輝かしいキャリアを失うリスクもあるわけだし」
「でも、二人とも犯人じゃないってなると迷宮入りしちゃうじゃない……」渡辺の口調には不満と困惑が同居していた。
「今のまま手掛かりが増えないと、そうなるね」
「だからわたしに聞いてるっていうんでしょ? それくらいわかってるわよ」と苛立ちまじり。かと思えば、「わたしだって何とかしたいけど、わからないものはわからないのよ」悔しげだったり、「もうどうしたらいいのよ……」瞳を潤ませて泣き言を吐いたり。
やっぱりだいぶメンタルに来てるな、と思う。高踏的につんと取り澄ましたクールな仮面なんか見る影もない。
そんな渡辺の後ろの窓から見える空は、宵闇に覆われつつはあるものの、悩める美少女のご
「──よし、今日はここまでにしよう」僕は気持ち声を高くして言った。「思い詰めても駄目なときは駄目なものだしね。少し経って冷静になると見えてくるものもあるし」
「え、でも」反論の言葉は、しかし続かない。
だから僕は尋ねた。「今日は予定ないんでしょ? どっかにごはん食べに行こうよ」
「……うん?」渡辺は、何を言われたかわからないというようなボヤケ面をさらした。「今何て?」
「気分転換に行こうって誘ってんの」
「あの、ぼっちで有名な樹生君が? わたしを誘ってる?」
「だからそうだって」
渡辺はポカンと顎を落とした。
僕は机に置いていたスマートフォンを取り、その間抜け面にレンズを向けた。
──カシャッ。
とやる寸前に、惜しくも渡辺は正気に戻ってしまった。ちっ。