自分の利益しか考えてないくせにその自覚が一切ない、善良なる一市民気取りの見るにたえない醜悪にして無能な必然的貧乏人どもが崇め奉る、良心的な値段が売りの、したがって味はお察しの底辺ファミリーレストランで渡辺と食事をしたり、適当に街をぶらついてキラキラしていることだけが取り柄の虚飾に満ちたまるで女という性を表象して皮肉っているかのようなハイセンスなブティックを冷やかしたりした翌朝のことだった。
いつもならSHRの開始ぎりぎりに教室に現れる村田が、二分ほど早く姿を見せた。
珍しいこともあるものだな、という無機的な視線と、もう来たのかよ、クソが、てめぇのしみったれたキモい顔なんか一分一秒でも見ていたくねぇんだよ、死ね、童貞ハゲジジイが、という有機的な視線を半々くらいの割合で浴びつつ村田は、平然とした顔で歩を進め、我関せずといった様子でつんとした鼻先を窓外に向けている渡辺の横に立った。
「ええと、
村田が差し出したのは、おそらくは白っぽい犬のキャラクターが描かれているシャープペンシルだった。
緩慢な動作で嫌そうに振り向いた渡辺は、
「!?」
瞠目して驚愕の色を浮かべ、反射的にという感じに、前のほうの席から振り返って観察していた僕に、問いかけるような視線を寄越した。その内容は〈これ盗まれたはずのシャーペンなんだけど、どういうこと?〉だろうか。
首を左右に小さく揺すって答えると、ようやく渡辺は村田の手から、その手に触れないようにということか、こわごわというような慎重な手付きでシャープペンシルを受け取った。後でアルコールタイプのウェットティッシュで消毒しなきゃ、とでも考えていそうな何とも複雑な顔で渡辺は礼を述べ、
「どこにあったんですか?」
聞かれた村田の横顔、美少女と会話が成立するのがうれしいのか、その頬がだらしなく緩む。
「ええ、文芸部の部室に落ちていたそうです。ええ、昨日の放課後に文芸部の生徒が届けてくれたんです」
教室の生きた首たちが一斉に藤原のほうに向き直る中、「えっ」と渡辺が零したのがかすかに聞こえた。
渡辺は、恐縮そうに、あるいは場都合が悪そうに肩を縮める相変わらずキモいオカマルックの藤原を見ると、再び僕に目ですがってきた。
──藤原君が犯人ってこと?
──さぁ? どうだろう?
というように首をかしげて返答した。
「あ、藤原く──藤原さんじゃないですよ」村田は慌てるようにそう言い足した。「B組の
今井──垢抜ける気がなさそうなノッポの眼鏡っ娘のモサい姿が脳裏に浮かぶ。一年生のころは同じクラスだった。時折、微熱まじりの視線を送られてきていた記憶があるくらいで、授業以外で話したことはない。
と、肌に視線を感じた。
まさか今井の呪いか生き霊か、なんて思ったりはしないけど、不快ではある。その原因を窺うと、佐々木綾海だった。ただ、性的な温度はなく、訝しむような、不審そうな目をしていた。けれど、すぐに逸らされたから思い違いと言われれば否定はできない。
壁掛け時計の針は、SHRの時刻を回ろうとしている。
さてさて、新手掛かりを受けて渡辺はどうするのかな──僕はおもしろい展開を期待していた。
そして、その期待は裏切られなかった。
渡辺は一時間目が終わるなり僕の下にやって来て、
「一緒に来て」
と余裕のなさそうな硬い表情で一方的に告げると、大胆にも、盛りの付いたティーンエイジャーどもの前で僕の手首をぐいと掴み、急展開に呆けている藤原の下に連行した。
「藤原君、話があるから付いてきて」
渡辺の口調は有無を言わさぬ断定的なものだった。
僕は確信した。藤原を問い質そうというのだ。きっと渡辺は、一時間目の間中、事件のことを考えていたに違いない。そうして、どういうロジックを組み立てたか知らないが、藤原の嫌疑が十分と結論付けた。感情が昂って、いても立ってもいられなくなり、かといって一人で強姦犯と対峙する勇気はなく、ここ二日でぐっと距離が縮まった──と渡辺は思っている──僕を、僕の意思を無視して都合良く盾にすることにした。
と、こんなところだろう。明らかに冷静さを欠いた判断だ。仮に藤原が犯人だったとしても、もう少し慎重に動くべきだろう。
「え? わ、わたし? な、何で?」当惑する藤原に、
「いいから早く立って」渡辺は、声を荒らげてこそいないものの、苛立たしげに命じた。
何が何だかわからない、そういう顔のまま藤原は立ち上がった。
そうして藤原を連れ出して向かったのは、二つ上の四階の廊下。普通教室がなく、よく使われる特別教室も少ないため人通りもほとんどなく、したがって修羅場──秘密裁判にはもってこいの場所と言えた。
「わたしのシャーペンを盗んだのはあなただったのね」
やっぱり渡辺の中では確固とした結論が出てるみたいだ。そう思わせる揺るぎない物言いだった。
困惑し切った顔の藤原は、まったくもって似合っていないロングボブの黒髪を揺らして僕を見た。「ねぇ、佐藤君、これはどういうこと?」と聞いてくる。渡辺のただならぬ様子から彼女では話にならないと判断したのかもしれない。
それが癇に障ったのだろう、渡辺は
「とぼけないで! あなたがわたしを犯すためにシャーペンを盗んだんでしょ!」
語勢鋭く断じた。おびえていたはずが、今の渡辺はいかりに支配されているみたいだった。その様は、頭に血が上っているヒトの見本として展示したいくらいだ。あるいは、相手がカースト最下層を這うことしかできない弱々しい障害者だから強気に出られているのかもしれないけれど。
「犯す?!」藤原は頓狂な声を上げて目を白黒させた。「渡辺さん、ちょっと落ち着いて。本当に何があったの?」
僕はいかり狂う少女と藤原の間に割って入るように前に出て、「僕が話すから乃愛は少し黙ってて」と彼女を押しとどめ、掻いつまんで事情を説明した。
藤原は、やっと自分の置かれた状況が呑み込めた、というような合点の顔で何度か細かくうなずき、「つまり渡辺さんは、わたしが強姦の犯人で、シャーペンが文芸部の部室から見つかったのは、盗み出したわたしが不注意で落とし、運悪く今井さんに拾われてしまったからだと考えてるわけね」
「そうよ」
渡辺はいかりに染まった顔のまま鼻息荒く首肯した。人形めいた美少女のそういう顔は、一般に、非常に威圧的で恐ろしいことだろう。
藤原はひるんだ様子ながらも、やはり芯は弱くないのか、しっかりと反駁する。
「わ、わたしなわけない。わたしの心は女の子なんだよ? 渡辺さんのことは魅力的な女の子だと思ってるけど、それはあくまで同性としての憧れのようなものであって、性的な対象と思ったことは一度もないよ」
あるいは女性目線で渡辺を哀れんでいるのかもしれない、穏やかに教え諭すようでもあった。
「そんなのわからないじゃない」渡辺もすぐさま反論する。「心は外からは見えないもの。診断書だって詐病を使えば入手できるわ。それも強姦の容疑圏外に逃れるためだったとすれば整合するわ」
「そんな簡単にいくわけないよ」藤原の声には明確なあきれが含まれていた。「医者だって馬鹿じゃないんだからそれくらい見抜くよ」
その、ある意味舐めたような態度にイラッと来たのか、渡辺は言下に切り捨てた。「動機なんてどうでもいいわ! だったらあなた以外に犯人はいないと状況が示しているのはどういうこと?! あなたが犯人なのよ! それ以外ありえないわ!」
文芸部は平成文学同好会(仮)と違って正式な部活だけど、小説というコンテンツの衰退の影響で部員は二人しかおらず、顧問の類いもいない。活動時以外は部室は施錠され、その鍵は職員室で管理されている。鍵を使いたいときは借りなければならず、その事実は貸出記録として残る。加えて部室は三階にあり窓からの侵入も困難となれば、部員か職員くらいしか室内に鍵を落とすことはできない。共犯動機条件を満たす者が存在しない以上、単独の犯行のはずであり、職員は制服条件により除外される。もう一人の部員の今井は女の体だから実行は不可能。一方、陰茎のある藤原ならば当然、可能であり、新制服も怪しまれることなく購入できる。つまり、強姦犯は藤原で確定する──渡辺はまくし立てるようにそういう推理を披露した。
一見、理屈が通っているように思えるけれど、詰責されている当の藤原にはそのロジックの穴が見えているみたいだった。
「渡辺さんの言い分はわかったけど、それは間違ってるよ。わたしは犯人の条件に合致しないから」
「往生際が悪いわよ。いい加減認めなさい」渡辺も
「認めるも何もわたしは何もしてないもの」藤原は小さく吐息を洩らすと、「犯人は今年度から新しくなった男子の制服を着てたんでしょ?」
「だから何よ」渡辺はブスッとした口調。
「わたしは新デザインの制服は女子のものしか持ってない。だから犯人じゃないわ」
え、という小さな声を渡辺は零した。その可能性は念頭になかったらしい。けれど、ぐっと拳を握って、
「そ、そんなのわからないじゃない!」
反論を諦めないのは、今更引っ込みがつかなくなっているからかもしれない。
「偽装工作のためにこっそり購入していたのよ!」
「ああいうのはお店に購入記録が残るものだよ。受け渡しの時には学校の職員もその内容を確認しているはずだし、どう考えても密かに購入するのは無理だよ」対照的に藤原は、どこまでも冷静だった。
と、ここで授業開始のチャイムが鳴った。
けど、誰もこの場を動こうとはしない。
「じゃ、じゃあ」渡辺は自身の推理を補完する方法を探すように黒目を泳がせ、「──そうよ! レインよ!」
「レイン?」「竹内さんのこと?」
藤原と僕の問いが重なった。
「ええ」と等分にうなずいてみせて渡辺は言う。「何でも屋の彼女に制服の調達を依頼したのよ。それを使って犯行に及んだ。それなら条件はクリアするでしょ」
本末転倒──真相を解明することより藤原が犯人の条件に適うように理屈を拵えることのほうが目的になってきているみたいだった。
たしかに竹内ならば、二年生にも懇意にしている客はいるだろうからその人物から予備の制服を借り受けて依頼人に貸し渡すことは不可能ではなさそうに思えるけど、現実的に考えたらそれはないだろうね。
「何でよ?!」渡辺は僕にまで噛みついてきた。
「だって、あの竹内光雨だよ?」僕は言う。「彼女が報酬次第で違法行為も厭わない危険人物だってのは、何でも屋としての彼女を知ってる人からすれば周知の事実だ。そんな危ない女から『理由は言えないんだけど、ちょっと制服貸してくんない?』って頼まれて首を縦に振る馬鹿はいないよ。知らぬ間に重大犯罪の片棒を担がされたら人生が終わりかねないし、下手をするとその制服から自分の体毛とかが零れ落ちて主犯にされることもありうる。実際、今回みたいな不同意性行等罪だと、仮に運良く不同意性行等致死傷罪に至らなかったとしても実行行為が認められたら原則的に死刑だ。単なる売春とは訳が違う。
では、竹内さんが誰かから制服を盗むのはどうかというと、それだと普通に被害届を出されて事が公になり、彼女に嫌疑が向けられることもあるだろう。これから強姦ないし強姦殺人をしようという依頼人の足を引っ張ることにもなるかもしれないし、ひいては何でも屋の評判を落としてしまう。彼女もああ見えて悪賢いところがあるから、そんなリスクは取らないはずだ。
無論、購入するのもリスクマネジメントの観点から採りえない。
だから、竹内さんが制服を入手する手段なんてないんだよ」
「で、でも売春のお客さんから行為の隙を衝いて盗んだなら、お客さんは竹内さんが盗った可能性にすぐに思い至るだろうから、芋づる式に売春が発覚するのを恐れて被害届は出さないんじゃないの」
「逆だよ。考えてもみなよ。その客にとって一番最悪なのは、今言ったとおり重大犯罪の共犯者とみなされることだ。であれば、自分が故意に制服を渡したのではなく純然たる被害者であると証明するために被害届を出すはずなんだ。客が相手だろうと、やっぱり竹内さんには盗めない」
渡辺は反論を呑むようにぐぐっと唇を歪めたけれど、まだ藤原犯人説に拘泥するつもりなのか、溺れ苦しんでいるようにも見える表情で口を開いた。
「それなら青いネクタイは星影学園のものによく似た市販品だったのよ! 新しい制服に偽装するために犯人はそれを締めていた! なぜなら犯人は新しい制服を持っていなくて、そんなふうにミスリードできたなら容疑圏外に逃れられるから! わたしたちはまんまとその罠に嵌まり、旧デザインの制服を新デザインのものだと思い込んでしまったのよ!」
「そ、そんな無茶苦茶な……」
藤原はあきれおののくように零し、助けを求めるように、ほとほと困り果てたというような情けない顔を僕に向けてきた。
ちょっと不細工すぎて直視にたえない。
視線を渡辺に移しつつ僕は、別に藤原を好ましく思ってるわけじゃないけど、もっと言えば普通にキモいと思ってるけど、その声なき声に応えて加勢する。
「あれは前の制服じゃなかったと思うよ。ブレザーはまぁまぁ違うデザインなんだから流石に間違えないって」
渡辺はムスッとした。「それこそ証拠がないでしょ。動画なりがあるわけじゃないんだから」
「ああ言えばこう言う、だね」まぁ実際の裁判もそんなものなんだけど。「──あ、思いついた。やっぱり藤原さんは犯人じゃないよ。仮に制服が新しいものじゃなかったとしてもね」
「どういうことよ」
と渡辺が不満げな一方で、藤原は救いの神にでも相見えたかのように小さな双眸をキモキモ──失礼、キラキラさせていた。
「説明の前に確認したいんだけど、今井さんがシャーペンを見つけた時のことを詳しく教えてくれない?」
尋ねられた藤原は、「詳しくっていっても、職員室で鍵を借りて部室に行ったら床に落ちてたってだけだけど。今井さんはそう言ってたよ」と怪訝を含んだニュアンス。
「その時、今井さんは一人だったってことだよね?」
「うん、わたしは掃除当番を代わってあげてて少し遅れて部室に向かったから」
「で、藤原さんが部室に現れると、今井さんは早速、『このシャーペンは藤原さんのものか』尋ねた。なぜって、シャーペンに描かれたキャラクターが女子に人気のものだったから。自分のものでないのだから状況的に藤原さんの落とし物と考えたんだ」
「うん、たしかに部室に入るとすぐにそんなふうに聞かれた」
「それに対して藤原さんは『わたしのものじゃない』と答えた。そして、『それなら部活を終えたら鍵を返すついでに職員室に届けよう』と二人は決めた。創作が捗ったからか用事があったからか、藤原さんはひと足早く帰宅し、その結果、今井さんが一人で届けることとなった」
「うん、そのとおりだよ。見ていたかのように語るね」
「であれば、藤原さんを犯人とすると不整合だよ。藤原さんが犯人なら、あなたの落とし物かと聞かれたら、『それは自分の落とし物だ』と嘘をついてシャーペンを受け取るはずでしょ?」
「あ……」という形に渡辺は口を開け、
「たしかに」と藤原は相づちを打つ。「わたしが犯人なら、そうやってシャーペンを受け取って密かに隠滅しようとする。致命傷になる証拠を放置するなんて考えられないもの」
「単純な対偶の問題だね。〈藤原亮平が犯人ならば嘘をついて隠滅する〉が真ならば〈嘘をついて隠滅していなかったならば藤原亮平は犯人ではない〉もまた真。よって、藤原さんは犯人ではありえない」
「……」渡辺はとうとう口を閉ざした。これ以上のこじつけはひねり出せないみたいだった。
一方、藤原はほっと胸を撫で下ろしていた。これにて一件落着というような雰囲気さえ醸し出している。
たしかに藤原にとってはそうかもしれないけど、僕らにとっては違う。渡辺は気合いを入れ直すようにキッと目に力を入れると、
「ということは、消去法で森君が犯人と決まるわよね?」
否定されることは想定していないだろう断定口調の問いだった。
「容疑者二人のうち一人の可能性が消えたんだから、僕らの論理的推論に誤謬がなければそうなるね」
僕が慎重な物言いで答えると、渡辺は微妙な顔になった。
「奥歯に物が挟まったような言い方ね。そんなに自分の推理に自信がないの?」
「常に自分を疑うというのは大切なことだよ」
「ふうん、お利口さんなこと」と皮肉げな言葉。
──と同時だった。
「おいおい、勝手に犯人にしないでくれよ」
最有力容疑者こと森将暉が階段の踊り場からぬるりと登場したのは。
どうやら次の論戦の相手は彼のようだった。第二ラウンド開始ってところだろうか。こりゃあ授業には顔を出せないかもしれない。別にいいけどね。