【造られた妖精の少年】は、異能学園で“魔”を滅ぼす――ⅩⅢ 現代群像戦線 作:神野あさぎ
──風が、鳴いていた。
夜の森を吹き抜ける風は、まるで誰かの声のようだった。悲しみと怒り、そして何かを訴える囁きが、ざわめくように耳をくすぐる。
いつもの──ではない。
闇に包まれた、金属の響きが満ちる場所だった。
「ここは……電車?」
目を覚ました瞬間、風悪は息を呑んだ。
視界の先には、無人の車内。薄暗い蛍光灯がチカチカと瞬き、線路の音だけが規則正しく鳴り響いている。
「どこへ向かってるんだ、これ……?」
「どこでもない」
声がした。
誰もいないはずの空間で、確かに“誰か”の声が響いた。
次の瞬間、目の前の座席に、影が形を成す。
黒い髪。黒い瞳。黒い爪に黒いチョーカー。全身を闇に染めたような少年──。
だが、その頭には、風悪と同じ“透明な翅”が生えていた。
黒い妖精。
その言葉が、風悪の頭に浮かぶ。
一瞬、時間が止まったように静まり返る。
「は? いつの間に!?」
風悪が叫ぶ。
黒い妖精は、座席に寝そべったまま片手で頬杖をつき、薄く笑った。
「此処、ずっと同じところを周っている」
「は?」
「それよりお前──人工妖精とは言え、もう少し“妖精”である自覚を持て」
淡々とした声音。言っている意味が理解できず、風悪はぽかんと口を開けた。
「じ……人工妖精? なんだそれ」
「
黒い妖精は、ゆっくりと体を起こす。そして、人差し指で風悪を指した。
「だから、もっと──」
そこで言葉を止め、何かを思い直したように息を吐いた。
「いや、いい。『ここ』では大人しくしておくんだった」
「だから! 何を言ってるのか説明しろ!」
風悪の声が電車に響く。
だが、その響きがやけに遠く感じられた。まるで、現実そのものが薄膜一枚で隔てられているような、不快な感覚。
黒い妖精は小さく笑う。
「
「……“基”?」
「そう。お前を作るための素体。昔から、人間の感情が動く瞬間を見るのが好きでね。“向こう”では色々やったもんだ」
“向こう”という言葉に、風悪の胸がざわついた。
「“向こう”ってどこだよ」
「でも“ここ”には“魔”がいる。……オレの出番は、あまりない」
黒い妖精は視線を落とし、どこか遠くを見つめていた。車内を走る光がその横顔をかすめるたび、翅が黒く反射する。
話が通じない。風悪は苛立ちながらも、彼の言葉の中から答えを探そうとしていた。
「ちゃんと説明しろって言ってるだろ」
黒い妖精は笑い、電車の窓を指で軽く叩いた。
「まあ……あんなもんだよな。さて、次はどうなることやら」
再び、風悪へと向き直る。その瞳に、深い闇が映っていた。
「──期待している」
その言葉と共に、黒い妖精の姿がかき消えた。
風悪は思わず手を伸ばす。だが、その手は虚空を掴むだけ。
次の瞬間、視界が反転した。
「わっ!」
バタン、と鈍い音。
風悪はベッドの下に転がり落ちていた。
「……夢、か」
額の汗を拭いながら、息を吐く。胸の奥に残る妙な感覚が消えない。
夢オチかと思えば、物理的にもベッドから落ちていた。自分でも苦笑しながら、風悪は天井を見上げる。
ただの夢とは思えない。けれど確かに──あの黒い妖精の言葉は、現実に刻み込まれていた。
人工妖精。“基”になった存在。“ここ”には“魔”がいる。
謎の断片が、頭の中をぐるぐると回る。
「……オレは、一体……何なんだ」
夜明け前の微かな風が、カーテンを揺らした。その風だけが、彼の独白を聞いていた。
完全に目が覚めた。
朝の光がカーテンの隙間から差し込み、鳥の声が遠くで鳴いている。
宿泊研修、最終日。
風悪は額の汗を拭いながら、深く息を吐いた。
「……変な夢だった」
隣で、
「顔色悪いですよ、風悪君。夜、眠れませんでした?」
「まあ……そんな感じ」
曖昧に笑ってごまかす。けれど、胸の奥には昨夜の夢の残響がまだ生々しく残っていた。
黒い妖精の声。そして、最後に囁かれた言葉が何度も反芻される。
『“ここ”には“魔”がいる』
“魔”の存在、黒い妖精、夢の中の少女。どれもが絡まり、頭の中でほどけない糸のように揺れていた。
一体なんなんだ。
その疑問に答えは出ない。胸の奥に沈む不安を抱えたまま、風悪は食堂へ向かった。
朝食の時間。
昨夜の惨状が嘘のように、食堂は笑い声で満ちていた。
食器の音、パンの香り、日常のざわめき。それらすべてが、どこか現実感を失っているように感じる。
「黒八! 昨日のアレ、マジすごかったって!」
「え、ああ……なんか、頑張ったみたいです、私!」
黒八は照れくさそうに笑う。
「“みたい”ってなんだよ。あれ完全に別人だったぞ!」
夜騎士が笑い、
その和やかな空気の中、
俯いたまま、食器に落ちる影が濃い。誰も気づかぬように、彼の指先が微かに震えている。
また、だ。
胸の奥から、黒い感情が滲み出していた。それはもう、抑えようのないものに変わりつつあった。
『風悪君、ちょっといい?』
食堂を出たところで、彼女がスマホを片手に立っていた。
「ん? どうしたの?」
『どんな夢を見ていたの?』
「え?」
予想もしない質問に、風悪は目を瞬かせた。なぜ彼女が夢の話を知っているのか。
「……黒い妖精が出てきて、わけの分からないことを言ってきたんだよ。ほんと、意味が分からなくて」
困りながらも、風悪は正直に話した。
一ノ瀬は、じっと風悪を見つめていた。その瞳に、わずかな怒気が宿る。
――次の瞬間。
床が音を立てて、変化した。
足元に、びっしりと“キノコ”が生え広がっていく。柔らかな白光を放ちながら、瞬く間に廊下を覆いつくした。
「……え?」
風悪は息を呑む。
一ノ瀬は何も言わない。ただ、背を向けたまま立ち尽くしている。
待てよ、この光景は。
脳裏に、いつもの“夢”がよぎった。暗闇の中で、妖しく光るキノコ。あの夢の中の風景が、まるで現実に染み出したようだった。
「まさか……キミが……?」
一ノ瀬は答えない。その沈黙こそが、答えだった。
風悪の胸に冷たい予感が走る。
午前。
帰りのバスの準備が始まる。荷物を抱えた生徒たちが慌ただしく動く中、風悪のもとに
「顔が寝不足だぞ」
「……夢見が悪かった」
「夢?」
四月はわずかに眉をひそめ、興味を示すように目を細める。
風悪は一瞬、話すべきか迷った。
「……黒い妖精が出てきて、なんか訳のわからないことを──」
その言葉を聞いた瞬間、四月の表情が変わった。
「……なるほど」
「何が?」
「あ、いや。悪い。今、全部視た」
「は?」
風悪が目を丸くする。
「一ノ瀬がキレてた、か」
その言葉に、風悪の背筋が凍る。今朝のやり取りが、鮮明に蘇ったからだ。
「ああ、悪い。私は少し“過去”も視えるのでね」
「……過去視?」
四月は面倒くさそうに左腕を押さえ、アームカバーの隙間から薬の錠剤を取り出した。
「雷撃とか、あれこれ使ってるが……本来の異能は“過去視”だ。雷は特異体質の副作用みたいなもん」
風悪は言葉を失った。
「あとは本人たちに聞け」
短くそう言って、四月は踵を返す。バスの方へ歩いていくその背中に、風悪は何も言い返せなかった。
残された風悪は、ただその場に立ち尽くす。
胸の中で、複雑に絡み合った思考が渦を巻く。
黒い妖精。一ノ瀬。四月。
“魔”は誰の中にいるのか。
オレは……何者なんだ。
空気が、少しだけ冷たかった。
けれどその風は、確かに何かを告げていた。
──何かが動き出す、と。