【造られた妖精の少年】は、異能学園で“魔”を滅ぼす――ⅩⅢ 現代群像戦線   作:神野あさぎ

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第十章・風、囁く日
第百四話 風、囁く朝


 神無月。

 

 体育祭から二日が経った。

 切ノ札(きりのふだ)学園は穏やかな日常を取り戻し、校内には勝利の余韻がまだ漂っていた。

 だが――その中で、ひとつだけ変わらない教室があった。

 

 一年B組。

 今も白い結界に包まれ、封印は解かれていない。

 

 * * *

 

 特別対策部室――今のA組仮教室。

 勝利の浮ついた空気とは裏腹に、部屋にはどこか沈んだ影が漂っていた。

 

「勝ったけど……B組の戦いも見たかったな」

 

 辻がぽつりと呟いた。

 彼の声は、誰もが心の奥にしまい込んでいた感情を引き出すようだった。

 

 妃が小さく息を吐く。

 

東風(こち)……」

 

 名を呼ぶ声は、かすれて震えていた。

 

 風悪(ふうお)は机の上のペンを指先で回しながら、黙っていた。

 目を閉じると、あの夢の中の声が蘇る。

 

 ――一人、お忘れですか?

 

(誰を……?)

 

 心の奥に、ざらついた風が通り抜けた。

 

 * * *

 

 朝の光が校舎の窓を透かして差し込む。

 その光の中に、ひとりの少女の姿があった。

 

 北乃ムラサキ。

 

 白いカーディガンを羽織り、黒髪に混じる紫のメッシュが風に揺れる。

 長い休学を経て、ようやく今日、登校の日を迎えた。

 

「……戻ってきたんだ、私」

 

 胸の奥で小さく呟く。

 その声には、かすかな決意が混じっていた。

 

 北乃ムラサキ――

 かつて“一条会”に利用され、“群集熱事件”に巻き込まれた少女。

 意識を失い、長い間眠り続けていた彼女は、ようやく学園へと戻ってきたのだ。

 

 だが、足を踏み入れた校内の空気は、どこか異質だった。

 廊下を歩いても、談笑の声も足音も聞こえない。

 まるで、校舎全体が“息を潜めている”ようだった。

 

 昇降口の掲示板に、目を留める。

 そこには、無機質な赤文字で記されていた。

 

 ――【一年B組・封鎖区域】

 

 その瞬間、彼女の表情が凍りつく。

 

(……嘘)

 

 足が震えた。

 信じられないまま、彼女は廊下を駆け出す。

 靴音が響くたび、心臓の鼓動が強まっていった。

 

 ――教室の前に立つ。

 

 白い膜が、彼女の視界を覆った。

 柔らかく、しかし確かな力で拒むような“壁”。

 中の景色は霞のように歪み、机や椅子が、まるで時を止められたように凍りついている。

 壁面を覆う封印結界が、淡い光を放ちながら脈打っていた。

 

「……そんな、うそ……」

 

 その声は掠れ、涙に滲んだ。

 かつて群集熱事件で見た“消えていく光”の記憶がよみがえる。

 廃校を利用した育成校、泣き叫ぶ子どもたち。

 その中心で、彼女は何もできず立ち尽くしていた――。

 

「どうして……」

 

 手を伸ばした指先に、冷たい風が触れた。

 その瞬間――耳の奥に、微かな声が響く。

 

『……たすけて、ムラサキ……』

 

 風が吹いた。

 結界の膜が波紋のように揺れ、花びらのような光片がふわりと舞い上がる。

 

「……いるの? みんな、そこに……?」

 

 ムラサキは両手を胸に当て、祈るように目を閉じた。

 静寂の中で、確かに感じた。

 ――封印の向こうに、まだ“心”が息づいている。

 

 そして、彼女の祈りに呼応するように、

 結界の光が、わずかに脈を打った。

 

 まるで、眠っていた何かが“息を吹き返した”かのように。

 

 ⅩⅢ(サーティーン)監視棟。

 夜の静寂を切り裂くように、甲高い警報音が鳴り響いた。

 

 モニターの波形が急上昇。

 画面いっぱいに、紅いグラフが跳ね上がる。

 

 宮中(みやうち)潤が振り向きざまに叫んだ。

 

「封印値、急上昇! 誰かが“内側”に干渉している!」

 

 その声に、管制室がざわめく。

 各端末に警告ウィンドウが次々と展開され、モニターの光が不気味に揺れた。

 

 四月(しづき)レンは一歩前へ出て、静かに端末を操作する。

 指先が迷いなく走り、次の瞬間、彼女の唇がわずかに動いた。

 

「名前は――北乃ムラサキ」

 

 彼女の瞳が、淡く光る画面を映す。

 

「封印外の唯一のB組生存者」

 

 四月の声は冷静だった。

 だがその瞳の奥には、かすかな興味と警戒が混ざっていた。

 

 宮中は歯を食いしばる。

 

「くそ……まさか、封印の外側から干渉できるとは!」

 

 その瞬間、モニターの中央に新たな波形が現れた。

 青と白の線が重なり合い、まるで鼓動のように脈動している。

 

 ――“B組封印エリア:感情波、再起動”。

 

 四月が低く呟いた。

 

「……始まった、か」

 

 * * *

 

 風が校舎を吹き抜けた。

 封印教室の前に立つ北乃ムラサキの髪が、静かに舞い上がる。

 

 頬をなぞる風は冷たく、それでいてどこか優しい。

 彼女は両の拳を握りしめ、泣きそうな笑みを浮かべた。

 

「――みんなを、取り戻す」

 

 その一言が、結界の光に触れた瞬間。

 白い膜が呼吸するように脈打ち、光の粒が波のように走る。

 風の流れが変わる。

 世界が、再び“風”に囁き始めていた。

 

 * * *

 

 静かな足音。

 背後から、ひとつの影が近づく。

 

 北乃が振り返ると、そこに立っていたのは――六澄(むすみ)わかしだった。

 黒髪を整え、眼鏡の奥で冷たい光が揺れている。

 

「ⅩⅢの封印局長が動いた。

 中には“群集熱の核”もいる」

 

 淡々とした声。

 まるでそれが世間話でもあるかのように。

 

 北乃は目を見開いた。

 

「あなたは……?」

 

「自分のことなんてどうでもいい」

 

 六澄は首を傾け、かすかに口角を上げた。

 

「それより、助けたくはないか?」

 

 その問いに、北乃は言葉を失う。

 胸の奥で何かが疼く。

 

「……どうすれば……」

 

 彼女の声は震えていた。

 六澄はその問いに、静かに微笑んだ。

 

「“群集熱”が配っていた道具――あの武器を集めればいい」

 

「武器……」

 

「そうすれば、封印は“内側”から開く。

 それを望むなら、止めはしない」

 

 それだけ言うと、六澄は踵を返し、歩き出した。

 闇の中へ溶けていく背中。

 振り返ることは一度もなかった。

 

 北乃はその場に立ち尽くし、唇を噛む。

 

「……武器……」

 

 脳裏に、あの日の記憶が蘇る。

 “群集熱”が配っていた、魂を吸い上げる武具。

 それは破壊の象徴であり、同時に“願い”の結晶でもあった。

 

 彼女の瞳に、決意の光が宿る。

 

「……それがあれば……きっと、みんなを――」

 

 封印の風が、再び彼女の頬を撫でた。

 まるで「行け」と囁くように。

 

 北乃ムラサキは一歩を踏み出す。

 かつての友たちを取り戻すために。

 

 ――その足音が、封印の鼓動と重なっていった。

 

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