【造られた妖精の少年】は、異能学園で“魔”を滅ぼす――ⅩⅢ 現代群像戦線 作:神野あさぎ
不意に、辻が地面に膝をついた。
「どうした!?」
「だ、ダメ……っ」
焦燥と恐怖が混ざった声。
「どうしたんだよ、辻!」
風悪が焦りをにじませた瞬間――。
「……怖いんだろ」
宮中の低い声が、空気を裂いた。
「え……?」
「“魔”のいる世界だ。当然だろう」
宮中の言葉に、風悪はハッと息をのむ。
辻の恐怖。それは目の前の敵への怯えではない。自分自身への恐れだ。
“魔”に飲まれることを、彼は極端に恐れている。
「先生は……悪人じゃない……」
辻がかすれた声で言う。その顔は苦痛に歪み、両手で頭を抱えていた。
宮中は、黒いマスクの下でわずかに笑った。
「オレは“悪魔”だぞ」
その言葉は冗談ではなく、どこか寂しげだった。
冷えた風が、訓練場を吹き抜ける。
「悪魔……?」
風悪は困惑した。教師の口から出た“悪魔”という言葉。理解が追いつかない。
「遠慮はするな」
宮中が静かに言う。
それは挑発ではなく、まるで“解き放て”という合図のようだった。
その瞬間、辻の身体から風が溢れ出した。
地面の砂が蠢き、風の渦が巻き上がる。
顔を上げた辻の瞳が、赤く光っていた。その唇に浮かぶのは、いつもの哀しげな表情ではない。冷たく、凍えるような微笑だ。
「辻……?」
風悪が名を呼んだ瞬間、辻は地を蹴った。
砂の舞う訓練場に、張りつめた空気が走る。
辻が低く息を吐く。その瞳が一瞬、冷たく光を宿す。
「……行く」
風が爆ぜ、砂を巻き上げる。
辻の身体が流線のように駆け出し、風がその身を包み込んでいく。
腕が変形する。指先が鋭く尖り、爪が風を纏って伸びていく――まるで、風そのものが刃となるように。
「斬る!」
咆哮と共に、一閃。
辻の爪が音を裂き、宮中へと迫った。
だが――。
ガギィン!
金属が鳴り、火花が散った。
宮中はその攻撃を軽く受け止めていた。片手で構えた大口径の銃。その銃身を刃のように使い、辻の斬撃を受け流したのだ。
「……!」
衝撃に弾かれ、辻の身体が砂を滑るように転がる。
「辻ッ!」
風悪が駆け出す。辻のもとへ――そう思った瞬間。
パンッ!
乾いた銃声が響いた。
胸を焼くような衝撃。
風悪の身体が一瞬宙を舞い、地に叩きつけられた。
「ッ……!」
息が詰まる。視界が白くかすむ。
胸の奥がズキリと痛むが、血は出ていない。
「安心しろ。実弾じゃない。痛いだろうがな」
宮中は銃口を下ろさず、淡々と告げた。片手で構えたその銃口からは、まだ白煙が立ちのぼっている。その黒い瞳には、微塵の迷いもなかった。
「……先生……」
風悪が苦しげに呟く。
その間にも辻は再び立ち上がり、宮中の背後へと回り込んでいた。
風が鳴る。空気が震える。
爪が閃き、背後から飛びかかる。
だが――宮中は振り返らない。
「二人で来い」
短く、それだけを言い放つ。
振り向くことなく銃を横に払う。まるで刀のように。
その一撃で、辻の身体が再び吹き飛ばされる。
「辻ッ!」
風悪が叫んだ。
地に倒れながら、辻は息を荒げ、震える声を上げる。
「だって……だって、悪人なら……誰も困らないから……!」
その言葉は、焦りと、長い間閉じ込めてきたものの混ざった悲痛な声だった。
風悪には、その意味が理解できなかった。
ただ――胸の奥が痛んだ。
「……なんのことか分かんないけど!」
風悪は歯を食いしばり、地を蹴る。
風が爆ぜる。疾風のように宮中の横をすり抜け、辻のもとへと飛び込む。
辻が驚いた顔を上げた、その瞬間。
ゴツン!
鈍い音が鳴る。
風悪が勢いのまま、辻の額に頭突きを食らわせた。
「いっ……!?」
辻が目を見開き、呆然と風悪を見つめた。
風悪は額を押さえながら、苦笑を浮かべる。
「“二人で!”やるぞ!」
その声は、風のように真っすぐで、芯の通った強さを持っていた。
空気がわずかに震える。その言葉が、辻の中の何かを――確かに揺らした。
辻は息を呑み、わずかに笑った。
「……ごめん」
風の音が静かに戻ってくる。砂が舞い、空が光を取り戻す。
宮中は、依然として余裕を崩さなかった。背を向けたまま、黒いマスクの奥に沈黙を保っている。
彼の右手がわずかに動いた。
銃がふっと掻き消える。
次の瞬間――背中越しに再び現れた。
浮遊するように、ゆらりと。その銃口が、二人へとゆっくり向けられる。
バチッ――。
火花が散り、空気が軋む。トリガーを引くことなく、銃が自ら命令を受けたように発火する。
ドンッ、ドンッ、ドンッ――!
轟音と共に光弾が走る。
風悪が風を纏い、腕を広げた。疾風の防壁を展開する。だが――。
衝撃。
銃弾が風を突き破った。風と金属の衝突が軋む。瞬く間に防壁が砕け、風悪の身体が地面に叩きつけられる。
熱を帯びた痛みが走る。息が詰まり、喉が鳴った。
辻が、ただ呆然とその姿を見つめていた。
風悪の顔が歪む。それを見た瞬間、辻の中で何かが弾けた。
奥歯を噛みしめ、拳を握りしめる。
今は試験の最中だ。一人で暴れてどうする。
“二人で”挑むんだ。風悪はそう言ったじゃないか。
自分ひとりが暴れても、何も変えられない。
辻は深く息を吸い込み、立ち上がった。
「風悪……」
声が震えていた。
「何?」
痛みをこらえながら風悪が問う。
「二人で……頑張ろう」
その一言に、風悪は口元を緩めた。
「うん」
短く、それだけを返した。
それだけで、空気が変わる。
宮中が再び指を鳴らした。
空中に浮かぶ銃が、唸るように火を噴く。
ドドドドド――ッ!
連射された弾丸を、辻の爪が風を纏って弾き返す。
金属音と共に火花が散り、風圧が巻き起こった。
これが、辻颭の異能。夜騎士と同じ“魔物”の血を継ぐ者。
風を斬り、風を裂き、風そのものを刃とする鎌鼬の末裔だ。
「行く!」
辻が前へ踏み込む。
風悪も呼応し、風を纏って加速する。
二人の足音が重なる。
銃弾が飛ぶたび、辻の爪がそれを斬り裂き、風悪の風が彼の動きを押し出す。
まるで二人の風が絡み合うように――流れが生まれた。
宮中の周囲に浮かぶ銃が、さらに増える。
その数は十を超え、風を唸らせながら構えを変えた。
「さすがに……多いな!」
「問題ない!」
辻が叫び、風悪が笑う。
砂煙の中、二人が一直線に突き進んだ。
刃風が唸り、弾丸が火花を散らす。辻が銃身を切り裂き、風悪の風が軌道を逸らす。風が舞い、光が走る。
宮中の目がわずかに細められた。
その瞬間、辻の爪が正面の銃を叩き斬った。
宮中の背後で風が爆ぜ、彼がわずかに振り返る――。
影が落ちた。
頭上から、風を裂いて急降下する影。
「上か!」
宮中が身を翻す。だが、遅い。
風悪の手が、閃光のように胸元を掠めた。
ひらりと宙を舞う、バッジ。
それが風悪の掌に落ちると同時に、宮中は構えを解いた。
静寂が戻る。
砂の音だけが、耳に残った。
「……まあ、いいだろう」
宮中が黒いマスクの下から穏やかに言った。
銃が煙のように消え、彼はゆっくりと二人の方へ向き直る。
「合格だ」
その言葉を聞いた瞬間、風悪が破顔した。
「やったな! 辻!」
笑顔のまま拳を掲げる風悪に、辻も小さく口角を上げて答える。
「……うん」
その短い返事の中に、ようやく“仲間”としての温度が宿っていた。
「にしても先生、さっきの“悪魔”って何だったんだ?」
風悪が首を傾げて問う。
宮中はマスクの奥で、ふっと笑った。
「妖精がいるんだから、悪魔がいてもいいだろう」
「……そりゃそうか」
風悪が苦笑する。
だが、宮中は続けた。
「ま、オレは――弟を守れず、少女に救われる哀れな悪魔だ」
その声は穏やかで、どこか遠い。
風が吹き抜け、彼の言葉をさらっていく。
まるでそれが、誰にも届いてはならない秘密であるかのように。
風悪と辻はただ、沈黙の中で立っていた。
風が二人の間を撫で、試験の幕が静かに閉じた。