【造られた妖精の少年】は、異能学園で“魔”を滅ぼす――ⅩⅢ 現代群像戦線 作:神野あさぎ
風が切り裂かれた。
空気が悲鳴を上げる。
「……どうして」
声を発したのは
その声は掠れ、震えていた。
左の瞳から、涙がこぼれ落ちる。
「どうして……こんなにも、虚しいんだ……」
その小さな呟きが、風悪の耳に届いた。
ほんの一瞬、辻の動きが止まる。
風悪はその隙を逃さず、風をまとって背後に回り込んだ。
そっと――辻の肩に、右手を置く。
「斬りたくないんだろ」
静かな声。だが、確信に満ちていた。
辻の肩が小刻みに震える。風が止まり、空気が重くなる。
「……斬りたくない? オレが?」
辻はかすかに笑った。けれどその声には、痛みが滲んでいた。
「さっきの猫だって、そうだろ」
風悪は絞り出すように言う。
「あれは……手元が狂っただけだ」
辻が反論する。声が掠れていた。
「じゃあ、
風悪の声が跳ねる。怒りではなく、哀しみの色を帯びていた。
「獲物が……盗られるのが、嫌で……」
そう呟いた辻の表情が、僅かに歪む。
宿泊研修の前。風悪たちとショッピングモールを歩いていた時、辻は黒八に声をかけていた――「大丈夫か」と。
その瞬間の記憶が、ふたりの間に沈黙を生む。
「じゃあ、なんで……今オレは生きてる?」
風悪の問い。その声音には、怒りでも悲しみでもない、ただ真実を求める響きがあった。
辻の喉が震える。言葉が出ない。
本気を出せば、風悪を不意に切り伏せられたはずだ。風を裂き、首を落とすことも出来た。
それでも――しなかった。
出来なかったのだ。
「辻君……」
静かに歩み寄る声。
黒八空だった。
穏やかに、けれどはっきりとした足取りで、辻の前へ進む。
「私も、生きてる」
柔らかな声に、辻の胸がざわめく。
黒八もまた、無事だった。“太陽”を宿していようと、風悪に庇われていようと、辻の爪は――彼女を裂かなかった。
「オレは……」
辻の瞳から、ぽとりと涙が零れ落ちる。
震える唇が、かすかに言葉を紡ぐ。
「オレは……斬れないんだ……」
そう言って、彼は膝をついた。肩を揺らし、嗚咽を押し殺しながら、地面を見つめる。
「辻!」
「辻君!」
風悪と黒八が駆け寄る。
しかし、その瞬間――空気が、変わった。
風が逆流した。
地面が鳴動し、黒い靄が辻の身体を包み込む。
「ッ……!」
風悪が思わず腕で顔を覆う。
目の前の辻の姿が、闇に飲み込まれていく。風が暴れ、空が唸り、地の音が掻き消える。
「やめろ、辻ッ!」
風悪が叫ぶも、届かない。
黒八の“太陽”の光が、かすかに揺らいだ。
次の瞬間――暴風が、二人を吹き飛ばした。
音も光も呑み込むほどの、真っ黒な風が世界を裂いた。
「辻!」
地面に叩きつけられながらも、風悪は声を張り上げた。
全身に痛みが走る。それでも視線だけは、暴風の中心――辻を見失わない。
黒い靄が風を伴い、渦を巻いて暴れ出す。それは風というより、もはや“刃の群れ”だった。近づくもの全てを切り裂き、削り、呑み込んでいく。
「くっ……!」
風悪は両腕を広げ、辻の周囲を回る風を奪おうとした。自分の風で、辻の暴風を押さえ込む――そう思った。
しかし次の瞬間、目に見えぬ力が彼の手を弾き飛ばす。
バチィッ。
掌に裂傷が走り、鮮血が舞う。
「鎌鼬……」
地に膝をついた黒八が、かすかに呟いた。
その言葉と同時に、靄をまとう風が周囲の木々を切り裂いていく。木片が宙を舞い、建物の壁が削がれ、空気そのものが軋んだ。
轟音。
風悪の身体が再び吹き飛び、背中から壁に叩きつけられる。息が詰まり、肺が焼ける。
それでも、目だけは閉じなかった。
黒八が――立ち上がっていた。
「黒八! 待て、危ないッ!」
風悪の制止が、風の音に掻き消された。
黒八の足元で、光の紋様が広がる。
金色の輪が彼女の影を照らし、太陽の紋章がその身に浮かび上がる。
「……太陽……!」
風悪の声が震える。
黒八――否、“太陽”が目を覚ました。
熱が溢れ出す。空気が焼け、風の流れが反転する。
上昇気流が黒い靄を押し上げ、暴風の流れが変わっていく。
辻の顔は黒く染まり、瞳は爛々と赤く光っていた。人の姿を保ちながらも、その周囲には獣のような気配が漂う。
辻が地を蹴った。
黒い靄を纏った風が足元で爆ぜ、彼の身体を天へと押し上げる。その姿はまるで、風そのものだった。
空中で、辻が風を展開する。黒い刃の群れが生まれ、渦を巻きながら加速。
上から下へ、黒八へと――まっすぐに落ちてくる。
「ッ――!」
黒八は身を翻した。
空気が切り裂かれ、辻の爪が地面を貫く。瞬間、地面が割れ、亀裂が走る。
黒八は回転する勢いのまま、片脚を高く上げた。太陽の光を宿した脚が、空を裂いて落ちる。
辻が身を沈め、風で軌道をずらす。かわした拍子に、黒い風が逆流し、黒八へと迫る。
「――甘い」
黒八が囁く。
熱が、空気を変えた。
太陽の力が呼び起こした上昇気流が、黒い風を上へと押し上げる。瞬時にして、暴風の軌道が逆転した。
今度は――熱が、下へ。
黒八の掌が静かに下を向く。降り注ぐのは光の柱。それは爆炎ではなく、天の裁きのようだった。
「――っ!!」
衝撃音が響き、地面が大きく揺れた。
熱風が爆ぜ、瓦礫が空へと舞い上がる。辻の身体が、弾き飛ばされる。
黒八は迷わなかった。地を蹴り、一瞬で距離を詰める。
炎が足にまとわりつき、脚が軌跡を描く。
ドン――。
燃える脚が、辻の胸を蹴り抜いた。
熱が走り、黒い靄が一部、煙のように剥がれ落ちる。
「……まだだ……」
辻は呻き、黒い風を再び集めようとする。
だが、その瞬間。黒八がさらに一歩踏み込み、もう一撃。
「終わりだ」
光が弾け、炎が風を喰らった。
黒い靄が一瞬で霧散する。
辻の身体がよろめき、地面へ崩れ落ちた。耳に届くのは、風の音ではなく、静かな呼吸音だけ。
黒八――否、“太陽”が見下ろす。
その眼差しには怒りも憎しみもなかった。ただ、哀しみと慈しみがあった。
「大人しくしてろ、鎌鼬」
凛とした声が響く。
その声に呼応するように、炎が立ち上がった。
太陽の炎は優しく、しかし確かに燃えていた。黒い靄だけを選び、静かに焼き尽くしていく。
辻の身体には一切の傷を残さず、闇だけが消えていった。
風が止む。熱も、音も、痛みさえも、ゆっくりと遠のいていく。
灰のような靄が空へと溶け、ただ静寂だけが残った。