【造られた妖精の少年】は、異能学園で“魔”を滅ぼす――ⅩⅢ 現代群像戦線   作:神野あさぎ

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第二十七話 赤い手紙

「これは……いったい……」

 

 風悪(ふうお)は声を失っていた。

 壁に浮かぶ赤い文字――血のように濃く、しかし乾いて鈍く光っている。

 

『きょうくんへ、ぼくも、かんかされちゃったよ!』

 

(きょうくんへ……きょう……か)

 

 風悪は胸の奥でその名を繰り返した。

 “きょう”――夜騎士(よぎし)凶。彼のことしか思い浮かばない。

 

 風悪はすぐにスマートフォンを取り出し、その文字を写真におさめた。

 文字の線は震え、滲み、どこか苦悶にも似た歪みを帯びている。

 

「風悪君、どうでした?」

 

 少し離れた場所で待っていた黒八(くろや)空が声をかける。

 風悪は写真を見せ、低く答えた。

 

「きょうって……凶のことかな?」

「彼にも伝えましょう!」

 

 黒八の提案に頷き、風悪は夜騎士へと写真を送信した。

 

 ◇

 

 ──同刻、夜騎士宅。

 

 夜騎士凶は自室で机に向かっていた。

 静かな部屋に、ペンの走る音だけが響いている。

 彼の右眼には淡い光が宿っていたが、左眼は前髪の下で沈黙していた。

 その眼は、中学の頃の戦闘で傷を負い、二度と光を取り戻すことはなかった。

 

 スマートフォンが震えた。

 画面に表示された名前は――風悪。

 添付された写真を開いた瞬間、夜騎士の表情が固まった。

 

 見覚えのある筆跡。

 震える指先が、無意識にその名を呟く。

 

「……海豚悪天《いるか あくてん》……」

 

 彼の脳裏に、中学時代の記憶が蘇る。

 海王《かいおう》中学――そこには、夜騎士、王位、妃、そして三井野がいた。

 海豚悪天もまた、その同級生のひとりだった。

 

 高校進学を機に道は分かれた。

 彼は別の学校へと進み、この切ノ札(きりのふだ)学園にはいないはず。

 なのに、なぜ――この学園の壁に、あの筆跡が。

 

 夜騎士は眉を寄せ、スマートフォンを握りしめた。

 

「……侵入した、のか?」

 

 だが、わざわざ他校の生徒が危険を冒してまで残した理由が分からない。

 挑発か、あるいは何かの警告か。

 答えのないまま、夜騎士は長く息を吐いた。

 

 ◇

 

 ──翌日。

 

 昨日の“赤い文字”の件は、すでに学園中の話題になっていた。

 休み時間のたびに、誰もが噂を交わす。

「血で書いたらしい」「呪いじゃないか」――そんな声が廊下に広がる。

 

 七乃朝夏は心配そうに二階堂秋枷(あきかせ)を見つめていた。

 彼女の視線に気づいた二階堂は、微笑んで「大丈夫だよ」と短く返す。

 その声は穏やかだったが、どこか無理をしているようにも聞こえた。

 

 教室の後方では、風悪、夜騎士、王位が小声で話していた。

 

「凶、昨日の……」

「ああ、多分オレ宛だ」

 

 夜騎士は風悪の言葉を遮り、低く答えた。

 視線は机の上の一点に落ちている。

 

「あの文字、海豚悪天のだよね」

 

 王位が静かに続けた。

 

「いるか、あくてん?」

 

 風悪は聞き慣れない名を繰り返す。

 

「同じ海王中学だった奴。高校は別だ。

 わざわざ書きに来たってことは……挑発、だろうな」

 

 夜騎士の声には、警戒と怒りが滲んでいた。

 

「この、“かんかされた”ってのは?」

 

 風悪が問うと、王位がゆっくりと口を開いた。

 

「多分だけど、“魔”に感化された、じゃないか?」

 

 目を閉じたままの王位の声が、静かに教室に落ちる。

 

 この世界の人間は、誰もが“魔”の影響を受ける可能性を持っている。

 しかし、暴徒と化して暴れる者ばかりではない。

 理性を保ち、静かに、しかし確実に“魔”の意思を遂行する者もいる。

 

 海豚悪天――それはまさに後者だった。

 理性を残したまま、冷酷に標的を追い詰める“異常な正気”の持ち主。

 

「また……か。本当に厄介だ」

 

 夜騎士が低く呟く。

 その声には、怒りよりも哀しみに近い色が混じっていた。

 

 窓の外では、曇天の雲が風に流れていく。

 黒八空はそんな三人を、心配そうに見つめていた。

 

 その瞳には、微かな不安と、何かを予感するような光が宿っていた。

 

 ◇

 

 小休憩の時間。

 教室のざわめきが一瞬ゆるむ。

 その中で――

 

「風悪君、ちょっといいかな?」

 

 三井野(さん)の声が、控えめに響いた。

 風悪は首を傾げながらも立ち上がり、彼女と一緒に廊下へ出る。

 

「三井野、どうした?」

「風悪君、凶君と仲良さげだから……言っておこうかと思って」

「?」

 

 三井野の表情はどこか沈んでいた。

 言葉を探すように小さく息を吸い込み、話し始める。

 

「私、中学の後半だけ、凶君と王位君と同じ海王中学に行ってたの」

 

 その声には、少しの緊張と躊躇いが混じっていた。

 彼女は窓際に視線を向ける。

 午後の光が差し込んで、頬に柔らかな影を作っていた。

 

「私が来た時にはもう、事件は起こった後だったの」

「事件?」

 

 風悪が問い返す。

 三井野は一瞬、言葉を選ぶように沈黙した後、ゆっくりと続けた。

 

「転校してきた私は、詳しくは知らないの。

 でも、海豚悪天って人とひと悶着あったって聞いた」

 

「海豚悪天!」

 

 風悪の目が見開かれる。

 今朝、王位の口から出た名が頭をよぎった。

 

「そう、文字の……」

 

 三井野が小さく頷き、続けた。

 

「凶君も王位君も大変な目に遭ったって聞いた。

 凶君が左眼を隠しているのも、その時の……らしい」

 

 声がかすかに震えていた。

 風悪は黙ってその言葉を受け止める。

 窓の外で風が木々を揺らし、光が一瞬翳った。

 

「そっか、教えてくれてありがとう」

「う、うん」

 

 三井野は短く返し、胸の前で指を絡めた。

 何かを言いかけて、言葉を飲み込むように俯く。

 

「私の異能は戦闘系じゃないから……

 私の分も、力になってあげて」

 

 その声には、祈りにも似た響きがあった。

 そう言い残すと、三井野はくるりと背を向け、教室へと戻ろうとする。

 

「三井野……」

 

 風悪が小さく呼び止めた。

 

「どうして、そこまで……」

 

 ふとした疑問が口をついて出る。

 三井野が振り返り、目を泳がせる。

 

「あ、いや、これは!」

 

 慌てて手を振り、顔がみるみる赤くなる。

 

「深い意味はない! 深い意味はないから!」

 

 その必死な声に、風悪は思わず苦笑した。

 わざとらしく視線を逸らし、ぽつりと呟く。

 

「あの顔立ちだもんな……」

 

 その一言に、三井野の頬がさらに真っ赤に染まった。

 

 胸の奥に隠していた気持ちが、風の音に混じって消えていく。

 彼女はそっと背を向け、教室へ戻っていった。

 

 ──風悪はその背中を静かに見送った。

 あの赤い文字の謎と、夜騎士の過去。

 どちらも、まだ風の向こうに隠されたままだった。

 

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