【造られた妖精の少年】は、異能学園で“魔”を滅ぼす――ⅩⅢ 現代群像戦線 作:神野あさぎ
中学時代の話、
王位富は、今日も目を閉じたまま廊下を歩いていた。
白い指先で手すりをなぞり、風の流れと足音だけで人の気配を読む。
彼のまわりには、薄いざわめきがいつも漂っていた。
「目を閉じて生活してるって」
「なんか家が呪われてるとか」
「見たら呪われるって?」
「でもよく生活できるね」
興味半分、怖れ半分。
囁きは空気の埃みたいに、勝手に積もる。
「気配で人とかがわかるって」
「ちょっと気味悪くない?」
王位は気にしない。
ただ静かに、風の向きを確かめるように席につく。
「えー、オレはかっこいいと思うけどな。達人みたいで!」
明るく割って入った声が、ざわめきを断ち切った。
青黒い髪の少年――
この頃の彼は、まだ左眼を前髪で隠していない。
そのひと言で、教室の空気はあっけなく転がる。
「
女子たちは頬を染め、変な噂は潮のように引いていった。
「事情とか聞かないの?」
「なんで?」
王位の当然の疑問に、鯱氷は肩を竦める。
「話したいときに話してくれればいい。嫌なら黙っていればいい」
「そう……」
声音は冷静、表情は穏やか。
奇妙な均衡を保った少年だ、と王位は思う。
「案外他人のことに興味ない?」
「そんなことないと思うけど、分からん!」
「え?」
拍子抜けする正直さに、王位は思わず笑った。
「でも、達人みたいってのは、ちょっと……」
「え?良いと思ったんだけど!?」
かみ合っているような、いないような会話。
それがきっかけで、鯱氷はよく王位に絡むようになった。
二人の距離は、風に押される雲みたいに自然に近づいていく。
その様子を、隅の席からじっと見ている眼差しがあった。
「何、あいつ……」
そして、胸の内でははっきりと思った。
(気持ち悪い)
*
ある日の教室帰り。並んで歩きながら、王位が問う。
「なんでそんなに、お人好しできるというかなんというか」
「お人好し? オレが?」
鯱氷は笑い、続ける。
「だって普通浮いてるやつに声掛けないよ」
「オレは別に気にしないけどな」
風が廊下を抜け、制服の裾を鳴らす。
「まあ、姉さんの影響かもな」
「お姉さん?」
「そ、年の離れた姉がいてさ、
羨望と敬意と、強い意志。
その匂いが、言葉の端に宿る。
王位は目を閉じたまま、その温度を感じる。
「誰かの為にチカラは振るいなさいって教えられた。そんな感じ」
*
帰り道。
横断歩道の赤信号で立ち止まり、鯱氷がふと漏らす。
「あんま、帰りたくねー」
「どうしたん?」
「いやさ、家ギスギスしてんの」
「なんで?」
鯱氷は淡々と話す。
「小4の時に選ばれし子どもたち居たじゃん?」
「ああ、ⅩⅢに入るための特別訓練を受ける子供たちってやつ?」
「それ」
――この国には“ⅩⅢ<サーティーン”>と呼ばれる制裁機構がある。
選抜された子どもは、栄誉と引き換えに国へ差し出され、過酷な訓練を受ける。
危険と名誉、莫大な報酬。
テレビが映す“英雄”の眩しさは、多くの家庭に夢と圧力を同時に届けた。
「世間体を気にする父親が、なぜうちが選ばれなかったんだって、なってるってわけ」
鯱氷は肩で息をしない。
淡々と、事実だけを置く。
「なるほど……ってっきり、支払われるお金が手に入らなくて、家の誰かが何か言ってんのかと」
「そこまでじゃない!」
思わず否定する声に、王位は口元を緩める。
「まあ、ボクの方も少し残念がられたよ」
「やっぱ、どこもそうなのか」
憧れは甘い。だからこそ、後味も残る。
「凶は将来、ⅩⅢ目指してたりする?」
「まあ、一応」
信号が青に変わる。二人は歩き出す。
「高校を卒業したら訓練校に入って、入隊試験受ける予定」
鯱氷はまっすぐに言って、少しだけ照れ隠しを混ぜる。
「給料いいしね」
「やっぱ金じゃん!」
王位のツッコミに、鯱氷は肩をすくめる。
「金は大事だろ? 命より重い時もある」
「そうかもだけど!」
何気ないやり取り。穏やかな日々。
風の見えない道標に従うように、二人は並んで帰った。
この頃にはもう、王位は鯱氷凶と「友達」になっていた。
そんなふたりの影を、遠くから見つめるもうひとつの影があった。
海豚悪天。
彼にとって、王位富と鯱氷凶は理解し難い存在だった。
他人のために動くこと。
誰かを信じること。
手を差し伸べること。
――それらすべてが、滑稽に見えた。
鯱氷凶の“善性”が、どうしようもなく気持ち悪かった。
だから、ある日、海豚は決めた。
壊してやろう、と。
そして鯱氷凶は、彼に目をつけられた。
*
ある日、海王中学の放課後。
王位富は、一人教室に呼び出された。
教室の中央には、海豚悪天がいた。
その隣に、魚ノ目憂、
いずれも教師から「要注意」とされる面々だった。
机を囲むように、静かな敵意が満ちている。
「海豚、話って何?」
王位は警戒を隠さずに問う。
「いや~、よく凶君の友達やれてるなって!」
海豚は笑う。
その瞳に灯るダイヤ型の燐光は、不自然なほど輝いていた。
「鯱氷っちの方が、かっこいいから嫉妬してんのよ!」
「してない!」
魚ノ目が冗談を言い、海豚が即座に反論する。
その軽口の裏に、確かな悪意が滲んでいた。
「とにかく、ボクは嫌いなんだよね、あいつ。だから──」
海豚が指を鳴らす。
カチン、と乾いた音が響いた瞬間、魚ノ目、鯨、海豹が同時に動いた。
茨が伸び、爆音が轟き、冷気が床を走る。
教室が、たった一瞬で戦場に変わった。
王位は抵抗する暇もなかった。
腕が折られ、机が砕け、壁に叩きつけられる。
視界が滲み、痛みの感覚だけが鮮明に残った。
*
その報せを聞いた鯱氷凶は、怒りに燃えた。
友を傷つけられた。
それだけで十分だった。
「悪天! オレが気に入らないなら、直接オレをやればいいだろ!」
怒号が廊下を震わせる。
止めに入る王位の姿は痛々しかった。
左腕にはギプス。包帯越しに滲む赤が生々しい。
「凶、ボクはいいから」
「良くない!」
その声には、怒りと悲しみが混じっていた。
海豚悪天と鯱氷凶は言葉を交わす間もなく、戦いを始めた。
「やっぱり、好きになれないよ。凶君のその友だち思いなところ」
「それは、富が狙われる理由にならねえ!」
鯱氷の怒気が膨張する。
握った拳から、青黒い光が漏れた。
(“魔”にのまれたか……)
海豚は笑みを崩さないまま分析する。
鯱氷凶――彼の血には“魔物”の因子が流れていた。
そして今、“魔”の波動がその血を刺激している。
理性が溶け、瞳が濁る。
鯱氷凶は、魔物の咆哮とともに暴走した。
校舎が揺れた。
土煙が上がり、瓦礫が舞い、窓が次々と砕け散る。
他の生徒たちは悲鳴をあげ、逃げ惑った。
その中で、ただ一人、海豚だけが笑っていた。
鯱氷は海豚を追い詰め、拳を振り下ろす。
しかし、海豚はわずかな隙を突いて跳び退いた。
その背後――薬品棚が、倒れる。
轟音。
鉄とガラスの破片が舞う。
鯱氷はそれを受け止め、倒れた。
左眼のあたりに深い傷。
だが、それでも立ち上がろうとする。
その瞬間――パンッ、と麻酔銃の音が鳴った。
鯱氷凶の身体が揺らぎ、力を失う。
彼はそのまま倒れ、静寂が戻った。
*
数時間後。病棟。
ⅩⅢの医療班によって制圧された後、鯱氷凶は眠っていた。
「今は麻酔で眠っていますが、起きたらまた暴走状態に入ります」
研究医の報告は冷たかった。
“魔”によって理性を失った者は、もう戻らない。
目を覚ませば、再び暴れるだけだと。
その言葉を聞いた王位富は、黙って自分のギプスを見下ろした。
「凶がこうなったのは、海豚のせいでもあるけど、ボクのせいでもあるんだ」
右手で額を押さえる。
その下に、何かが蠢く。
(ボクのために怒ってくれた凶を救う方法──)
王位は額から“角”を生やした。
それは透明な光を帯びた一本の角。
静かにそれを掴み、――折った。
ぱきり、と硬質な音が響く。
「これを役に立ててください」
角を折った瞬間、王位の身体から力が抜けた。
角は彼の生命力と異能の源。
それでも彼は、迷わなかった。
「友達のためなら、良いよ」
その言葉に、誰も何も言えなかった。
*
後日。
鯱氷凶は病室で目を覚ました。
左眼を前髪で隠し、虚ろな天井を見上げる。
「ごめん、オレのせいで……」
「凶のせいじゃない。それに特効薬も開発されたしね」
王位が穏やかに笑った。
“角”から生成された特効薬。
魔の残滓を浄化し、暴走を鎮める薬。
「ああ……聞いた、角のこと……」
「あのままだったら殺処分だったよ、凶。ボクは嫌だね、そんな別れ方」
「でも、あの角がチカラの源だって……」
「まあ、弱体化はするけど、友達を助ける為なら安いもんじゃん?」
王位の言葉は軽やかだが、どこか遠く響いた。
鯱氷は黙って拳を握り、俯いた。
「それに普段から出してなかったから、あってもなくても困らないって言うか。凶の方が重症じゃない? 左眼……」
王位は軽く笑いながら言う。
「まあ、反響定位使えるから、それで補えるし支障はないかな」
鯱氷凶は、鯱の血を引く者。
音の反響を読み、空間を“視る”ことができた。
「鯱氷って名前通り鯱なんだ……ってか凶も達人入り?」
王位が冗談めかして言うと、鯱氷は苦笑した。
「ちなみに今回の件で、世間体気にする親が離婚した。今度から母親の旧姓になります」
軽く言い放つその口調は、以前と変わらなかった。
「だからなんで軽く言うの」
王位は目を伏せながら、呆れたように笑った。
その笑みの裏で、ふたりの間に芽生えた“絆”は、もう消えることはなかった。
――そして、この事件が、
のちの夜騎士凶と海豚悪天の“宿命”の始まりだった。