【造られた妖精の少年】は、異能学園で“魔”を滅ぼす――ⅩⅢ 現代群像戦線   作:神野あさぎ

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第三十九話 赦されざる音 (後編)

 ──アリーナが、揺れていた。

 

 仮想結界〈A.R.E.N.A.(アリーナ)〉の光壁が軋み、青黒い影が地を這う。

 その中心で、夜騎士(よぎし)凶が立っていた。

 身体中から漏れ出す影装の粒子が、まるで生き物のように蠢いている。

 

「……凶、やめろ!」

 

 風悪(ふうお)の叫びも届かない。

 反響定位によって世界を“音”で感じる夜騎士の意識は、

 今や音そのものに呑まれていた。

 

 轟く。

 揺れる。

 空気が軋み、光が歪む。

 暴走という名の衝動が、アリーナの結界を押し広げていく。

 

 観戦していた生徒たちは、端末越しにその光景を見つめていた。

 黒八(くろや)空が両手を握りしめる。

 

四月(しづき)さん……止めないんですか!?」

 

 隣で二階堂秋枷が声を張る。

 

「暴走してるのに! このままじゃ……!」

 

 だが、監督席に立つ少女――四月レンは、

 腕を組んだまま一歩も動かなかった。

 左腕のアームカバーの下で、静かに電流が走る。

 

「……信じているぞ」

 

 それだけを呟き、視線を逸らさなかった。

 冷静でも、無関心でもない。

 この戦いを、最後まで“彼らの意思”で終わらせるためだった。

 

 *

 

 ──医療棟。

 

 白いカーテンの向こうで、モニターの光が揺れている。

 三井野燦は包帯の巻かれた腕を抱え、

 画面の中で繰り広げられる決闘を見つめていた。

 

 風悪、王位、一ノ瀬、そして夜騎士。

 

「お願い……」

 

 声にならない祈りが、唇から零れた。

 隣のベッドでは辻颭が静かに息を吐く。

 辻もカーテンの影から画面を見つめ、

 ただ拳を握ることしかできなかった。

 

「大丈夫……あいつらは、負けない」

 

 そう言いながらも、妃の瞳は揺れていた。

 画面の中、アリーナが光に呑まれていく。

 まるで夜が地上に降りてきたかのようだった。

 

 *

 

「──っ、くそっ!」

 

 アリーナ中央で、風悪が後退する。

 夜騎士の影が鞭のように走り、空間を裂いた。

 

「影装……完全に制御を失ってる」

 

 王位が冷静に分析する。

 光の剣を構え、風悪の横に立った。

 

 

 風の流れが変わる。

 風悪の羽が再び光を宿し、アリーナ全体に風圧が走った。

 

 青黒い影が奔る。

 夜騎士凶の動きはもはや獣そのものだった。

 彼の視界には、海豚悪天(いるか あくてん)しか映っていない。

 

「悪天ァァァ!!」

 

 怒号がアリーナ全域に反響する。

 それは言葉というより、魂の咆哮だった。

 反響定位によって音が世界を形づくり、

 その音が今は怒りに塗り替えられていた。

 

 夜騎士の影装が変化する。

 尾、爪、鱗のような黒影が身体を覆い、

 地を蹴る度に床が軋む。

 

 海豚悪天はそれを冷めた目で見つめていた。

 

「良いね、そのまま壊れちゃえ」

 

 不敵な笑みを浮かべながら、軽やかに後退する。

 

 影が一閃。

 衝撃波が巻き上がり、アリーナの壁が裂けた。

 暴走した夜騎士の影が、海豚の頬を掠める。

 それだけで、鋭い切り傷が走った。

 

「危ないなぁ、ほんと。……でもそれが見たかったんだ」

 

 海豚は笑いながら指を鳴らした。

 音波が広がり、アリーナの床が振動する。

 反響の波が夜騎士の定位をさらに狂わせていく。

 

「くっ……!」

 

 風悪は風でその振動を受け流そうとした。

 けれど夜騎士の耳は、すでに音の洪水に沈んでいた。

 彼の世界は、“怒り”という名の音で満ちていた。

 

「凶!落ち着け!」

 

 風悪の声も、届かない。

 

 影が暴走し、まるで意思を持つように荒れ狂う。

 その全てが、海豚悪天へと殺到していた。

 

「──風悪」

 

 静かに、王位が言った。

 

 風悪は頷く。

 翅が一瞬、光を帯び、アリーナ全体に突風が広がる。

 

「風が……」

 

 四月レンが監督席で息を呑む。

 風が音を乱す。

 それは、夜騎士凶の反響定位――彼の“目”を奪う行為だった。

 

 音を乱され、方向を見失った夜騎士の影が一瞬だけ止まる。

 

「今だ、王位!」

 

 風悪の声が風に乗って響く。

 王位は光の剣を構え、音の乱流の中を駆け抜けた。

 死角――夜騎士の左側から。

 

「ごめん、凶」

 

 王位の一閃が影を断ち切る。

 青黒い粒子が弾け、夜騎士の身体が後方へ吹き飛ぶ。

 影装が砕け、床に散る。

 

 風が止んだ。

 静寂が訪れた。

 

 四月レンが端末を閉じる。

 瞳に映るのは、倒れ伏した夜騎士と、それを支える風悪、そして王位。

 

「……やればできるじゃないか」

 

 その声には、冷静さと、確かな誇りがあった。

 

 アリーナの照明が再点灯し、

 観戦していた生徒たちが小さく息をつく。

 

 黒八空は泣きそうな声で呟いた。

 

「止まった……よかった……」

 

 だが四月だけは、まだ前を見ていた。

 視線の先――ゆっくりと立ち上がる影があった。

 

「……さて」

 

 海豚悪天が髪を払う。

 瞳の奥のダイヤ型の燐光が、異様に輝いていた。

 静寂がアリーナを包んでいた。

 先ほどまで暴風と轟音に満ちていた空間が、

 嘘のように穏やかになっている。

 

 風悪は膝をつき、肩で息をした。

 空気にはまだ、焦げたような“風の残滓”が漂っていた。

 

「……終わったのか?」

 

 王位が剣を下ろしながら問う。

 風悪は頷きかけ――その視線を周囲に巡らせた。

 

 魚ノ目憂は、地面に倒れていた。

 彼女の身体には、一ノ瀬の菌糸が絡みついている。

 黒い茨を逆に封じられ、微動だにしない。

 

「菌糸の拘束……解除はしてないな」

 

 王位が確認するように呟く。

 

 一方、海豹疎(あざらし うと)の姿は少し離れた位置にあった。

 倒れたまま、全身から小さなキノコが生えている。

 その呼吸は浅く、しかし命に別状はなかった。

 

「……一ノ瀬のおかげだな!」

 

 風悪が息を整えながら振り向くと、

 一ノ瀬さわらが静かに頷いた。

 

 スマホの画面には、短い文字。

 

『みんなを信じてた。だから、迷わなかった』

 

 その言葉に、風悪の胸が少し熱くなる。

 

 そして、最後に――。

 アリーナの一角では、鯨連座(くじら れんざ)の作り出したクジラが膨張していた。

 風悪の風がその圧力を散らし、爆発の衝撃を上空へ押し流す。

 爆煙が舞い、空気が澄む。

 爆発音が鳴り止んだとき、そこにはすでに鯨連座の姿もなかった。

 彼は風悪の風で気絶していた。

 

「三人とも、無力化……」

 

 王位が短く言った。

 

「残るは一人……」

 

 風悪が呟く。

 

 そして、その視線の先――

 海豚悪天が、静かに立ち上がっていた。

 

 破れた制服、血の滲む頬。

 それでも彼の顔には、あの不敵な笑みが戻っていた。

 

「やっぱり、凶君ばっかりズルいなぁ」

 

 海豚の足元で、床が震える。

 音の波が走るたびに、結界の光が揺れた。

 その目には、かつての少年の色はもうなかった。

 

「……風悪」

 

 王位が低く言った。

 

 風悪は頷く。

 一ノ瀬も後方で菌糸を構え、スマホを握りしめる。

 画面には短い一文。

 

『信じてる』

 

 彼女の目はまっすぐに海豚悪天を見据えていた。

 言葉はなくとも、想いは伝わる。

 仲間を信じ、守るためにここに立っている――それだけで十分だった。

 

「……そうやって信じ合ってる姿、吐き気がするよ」

 

 海豚悪天の笑みがゆっくりと歪む。

 足元から音が弾け、周囲の空気が波打った。

 

 その瞬間、アリーナ全体が低く鳴動する。

 音が、熱を帯びた。

 

「今度こそ――殺す」

 

 その声は人間のものではなかった。

 瞳の奥のダイヤ型の燐光が、紫黒に染まっていく。

 

 彼の身体を包む音波が、明確な形を持ち始めた。

 まるで“音”そのものが鎧をまとったように。

 音が刃になり、空気を切り裂く。

 

「……“魔”に、堕ちた」

 

 王位が息を呑んで言った。

 一ノ瀬が震える手でスマホを握る。

 画面に小さく浮かんだ文字。

 

『もう人間じゃない……』

 

「そんなの、わかってる」

 

 風悪は短く言い捨てた。

 翅が光を放ち、風がアリーナ全域を渦巻く。

 

 その瞬間――

 監督席の四月レンが一歩、前に出た。

 

 左腕のアームカバーから電流が漏れ、

 その瞳には淡い光が宿る。

 

「殺しは──させん」

 

 その一言が、空気を裂いた。

 雷鳴のような閃光がアリーナを包み、

 全ての音が、一瞬で消えた。

 

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