【造られた妖精の少年】は、異能学園で“魔”を滅ぼす――ⅩⅢ 現代群像戦線 作:神野あさぎ
──アリーナが、揺れていた。
仮想結界〈
その中心で、
身体中から漏れ出す影装の粒子が、まるで生き物のように蠢いている。
「……凶、やめろ!」
反響定位によって世界を“音”で感じる夜騎士の意識は、
今や音そのものに呑まれていた。
轟く。
揺れる。
空気が軋み、光が歪む。
暴走という名の衝動が、アリーナの結界を押し広げていく。
観戦していた生徒たちは、端末越しにその光景を見つめていた。
「
隣で二階堂秋枷が声を張る。
「暴走してるのに! このままじゃ……!」
だが、監督席に立つ少女――四月レンは、
腕を組んだまま一歩も動かなかった。
左腕のアームカバーの下で、静かに電流が走る。
「……信じているぞ」
それだけを呟き、視線を逸らさなかった。
冷静でも、無関心でもない。
この戦いを、最後まで“彼らの意思”で終わらせるためだった。
*
──医療棟。
白いカーテンの向こうで、モニターの光が揺れている。
三井野燦は包帯の巻かれた腕を抱え、
画面の中で繰り広げられる決闘を見つめていた。
風悪、王位、一ノ瀬、そして夜騎士。
「お願い……」
声にならない祈りが、唇から零れた。
隣のベッドでは辻颭が静かに息を吐く。
辻もカーテンの影から画面を見つめ、
ただ拳を握ることしかできなかった。
「大丈夫……あいつらは、負けない」
そう言いながらも、妃の瞳は揺れていた。
画面の中、アリーナが光に呑まれていく。
まるで夜が地上に降りてきたかのようだった。
*
「──っ、くそっ!」
アリーナ中央で、風悪が後退する。
夜騎士の影が鞭のように走り、空間を裂いた。
「影装……完全に制御を失ってる」
王位が冷静に分析する。
光の剣を構え、風悪の横に立った。
風の流れが変わる。
風悪の羽が再び光を宿し、アリーナ全体に風圧が走った。
青黒い影が奔る。
夜騎士凶の動きはもはや獣そのものだった。
彼の視界には、
「悪天ァァァ!!」
怒号がアリーナ全域に反響する。
それは言葉というより、魂の咆哮だった。
反響定位によって音が世界を形づくり、
その音が今は怒りに塗り替えられていた。
夜騎士の影装が変化する。
尾、爪、鱗のような黒影が身体を覆い、
地を蹴る度に床が軋む。
海豚悪天はそれを冷めた目で見つめていた。
「良いね、そのまま壊れちゃえ」
不敵な笑みを浮かべながら、軽やかに後退する。
影が一閃。
衝撃波が巻き上がり、アリーナの壁が裂けた。
暴走した夜騎士の影が、海豚の頬を掠める。
それだけで、鋭い切り傷が走った。
「危ないなぁ、ほんと。……でもそれが見たかったんだ」
海豚は笑いながら指を鳴らした。
音波が広がり、アリーナの床が振動する。
反響の波が夜騎士の定位をさらに狂わせていく。
「くっ……!」
風悪は風でその振動を受け流そうとした。
けれど夜騎士の耳は、すでに音の洪水に沈んでいた。
彼の世界は、“怒り”という名の音で満ちていた。
「凶!落ち着け!」
風悪の声も、届かない。
影が暴走し、まるで意思を持つように荒れ狂う。
その全てが、海豚悪天へと殺到していた。
「──風悪」
静かに、王位が言った。
風悪は頷く。
翅が一瞬、光を帯び、アリーナ全体に突風が広がる。
「風が……」
四月レンが監督席で息を呑む。
風が音を乱す。
それは、夜騎士凶の反響定位――彼の“目”を奪う行為だった。
音を乱され、方向を見失った夜騎士の影が一瞬だけ止まる。
「今だ、王位!」
風悪の声が風に乗って響く。
王位は光の剣を構え、音の乱流の中を駆け抜けた。
死角――夜騎士の左側から。
「ごめん、凶」
王位の一閃が影を断ち切る。
青黒い粒子が弾け、夜騎士の身体が後方へ吹き飛ぶ。
影装が砕け、床に散る。
風が止んだ。
静寂が訪れた。
四月レンが端末を閉じる。
瞳に映るのは、倒れ伏した夜騎士と、それを支える風悪、そして王位。
「……やればできるじゃないか」
その声には、冷静さと、確かな誇りがあった。
アリーナの照明が再点灯し、
観戦していた生徒たちが小さく息をつく。
黒八空は泣きそうな声で呟いた。
「止まった……よかった……」
だが四月だけは、まだ前を見ていた。
視線の先――ゆっくりと立ち上がる影があった。
「……さて」
海豚悪天が髪を払う。
瞳の奥のダイヤ型の燐光が、異様に輝いていた。
静寂がアリーナを包んでいた。
先ほどまで暴風と轟音に満ちていた空間が、
嘘のように穏やかになっている。
風悪は膝をつき、肩で息をした。
空気にはまだ、焦げたような“風の残滓”が漂っていた。
「……終わったのか?」
王位が剣を下ろしながら問う。
風悪は頷きかけ――その視線を周囲に巡らせた。
魚ノ目憂は、地面に倒れていた。
彼女の身体には、一ノ瀬の菌糸が絡みついている。
黒い茨を逆に封じられ、微動だにしない。
「菌糸の拘束……解除はしてないな」
王位が確認するように呟く。
一方、
倒れたまま、全身から小さなキノコが生えている。
その呼吸は浅く、しかし命に別状はなかった。
「……一ノ瀬のおかげだな!」
風悪が息を整えながら振り向くと、
一ノ瀬さわらが静かに頷いた。
スマホの画面には、短い文字。
『みんなを信じてた。だから、迷わなかった』
その言葉に、風悪の胸が少し熱くなる。
そして、最後に――。
アリーナの一角では、
風悪の風がその圧力を散らし、爆発の衝撃を上空へ押し流す。
爆煙が舞い、空気が澄む。
爆発音が鳴り止んだとき、そこにはすでに鯨連座の姿もなかった。
彼は風悪の風で気絶していた。
「三人とも、無力化……」
王位が短く言った。
「残るは一人……」
風悪が呟く。
そして、その視線の先――
海豚悪天が、静かに立ち上がっていた。
破れた制服、血の滲む頬。
それでも彼の顔には、あの不敵な笑みが戻っていた。
「やっぱり、凶君ばっかりズルいなぁ」
海豚の足元で、床が震える。
音の波が走るたびに、結界の光が揺れた。
その目には、かつての少年の色はもうなかった。
「……風悪」
王位が低く言った。
風悪は頷く。
一ノ瀬も後方で菌糸を構え、スマホを握りしめる。
画面には短い一文。
『信じてる』
彼女の目はまっすぐに海豚悪天を見据えていた。
言葉はなくとも、想いは伝わる。
仲間を信じ、守るためにここに立っている――それだけで十分だった。
「……そうやって信じ合ってる姿、吐き気がするよ」
海豚悪天の笑みがゆっくりと歪む。
足元から音が弾け、周囲の空気が波打った。
その瞬間、アリーナ全体が低く鳴動する。
音が、熱を帯びた。
「今度こそ――殺す」
その声は人間のものではなかった。
瞳の奥のダイヤ型の燐光が、紫黒に染まっていく。
彼の身体を包む音波が、明確な形を持ち始めた。
まるで“音”そのものが鎧をまとったように。
音が刃になり、空気を切り裂く。
「……“魔”に、堕ちた」
王位が息を呑んで言った。
一ノ瀬が震える手でスマホを握る。
画面に小さく浮かんだ文字。
『もう人間じゃない……』
「そんなの、わかってる」
風悪は短く言い捨てた。
翅が光を放ち、風がアリーナ全域を渦巻く。
その瞬間――
監督席の四月レンが一歩、前に出た。
左腕のアームカバーから電流が漏れ、
その瞳には淡い光が宿る。
「殺しは──させん」
その一言が、空気を裂いた。
雷鳴のような閃光がアリーナを包み、
全ての音が、一瞬で消えた。