【造られた妖精の少年】は、異能学園で“魔”を滅ぼす――ⅩⅢ 現代群像戦線 作:神野あさぎ
──風の音がする。
それは囁くようでいて、誰かの呼吸のようでもあった。
まぶたの裏に、やわらかな光が差し込む。
けれど、それは朝日ではない。
世界の外側から流れ込む、“始まりの光”だった。
そこは――何もない場所だった。
空も地もない。
ただ、白と黒の境界がゆらゆらと混ざり合い、空間の輪郭すら曖昧な“無”の世界。
風悪はゆっくりと立ち上がり、周囲を見回した。
「……ここは、どこだ」
その声に、空気が微かに震える。
すると、遠くで誰かが笑った。
「また会えたな」
懐かしい声だった。
耳の奥で響くその声に、風悪は息を詰める。
――夢の中で何度も見た、黒い妖精。
透明な翅を持ち、黒い光を纏った存在。
その姿が、霧の向こうからゆっくりと現れる。
あの電車の夢で、あの教室で、いつも遠くから彼を見ていた“誰か”。
「お前……黒い妖精……」
「そうだな。だが、“向こう”での名で呼ぶなら――ラウロス、だ」
黒い妖精は、穏やかに笑った。
その微笑みはどこか人間的で、同時に底知れぬものを孕んでいた。
「お前が……“創造者”なのか」
「ああ。
この世界を作ったのは
風悪は黙り込む。
胸の奥で何かがざわめく。
怒りでも恐怖でもない。
ただ、得体の知れない“懐かしさ”があった。
「お前については、“外の奴ら”が勝手に手を加えた」
「……“外の奴ら”?」
「“外の世界”ではな――神を殺すには、“人”をやめなければならなんだ」
ラウロスは手を広げ、軽く笑った。
その声には冗談のような軽さと、背筋を冷やすような真実味があった。
「何を言って……」
風悪の言葉は途中で途切れた。
ラウロスの瞳が、やわらかくも鋭く光を宿す。
「まあ、“向こう”の話は今はどうでもいい。
話すべきは“ここ”のことだ。
――俺を基に作られた改造体、それがお前だ。
そして俺は、一ノ瀬をそそのかして“繋げ”、お前をこの世界へ呼んだ」
「……そそのかした? お前……!」
風悪が一歩踏み出した瞬間、足元の空間が波紋のように揺れた。
“地面”という概念がなくても、確かに世界が震えた。
ラウロスは一歩も動かず、ただ静かに見つめていた。
その瞳はどこか哀しげで、けれど興味を隠そうともしなかった。
「怒っていい。
それでいい。
――お前の“感情”が動くのを見るのは、何より楽しい」
沈黙。
風悪の胸の奥で、熱が静かに燃え上がる。
(……一ノ瀬は、そそのかされて……オレを……?)
怒りが言葉になるよりも先に、ラウロスは微笑んだ。
そして、彼の額へと指先を伸ばす。
「お前がここに“呼ばれた”理由――知りたいか?」
その言葉に、風悪は息を呑んだ。
空気が震え、世界が再び光を帯び始める。
ラウロスの瞳が、どこか懐かしげに細められた。
白と黒の光が絡み合い、視界が反転する。
風悪の身体が浮かび上がり、記憶が渦のように流れ込む。
――外の世界。
風悪が“生まれた”場所へ。
* * *
外の世界――拾参(じゅうさん)の国、〈妖精の国〉。
それは、妖精たちが静かに息づく、穏やかで美しい国だった。
風は澄み、水は歌い、空はいつも透き通っていた。
人間が侵攻してくるまでは。
ある時、その平和は唐突に崩れた。
一人の妖精が、人間たちに囁いたのだ。
――“妖精には、願いを叶える力がある”と。
その言葉は毒だった。
欲に飢えた人々は、次々に森を焼き、妖精たちを捕らえた。
願いの力を奪い、手に入れようとしたのだ。
そして、妖精をそそのかした“黒い妖精”こそ、ラウロスだった。
彼は人間に協力し、妖精たちを裏切った。
だが、それは信念ではなく――純粋な“興味”だった。
人の心が壊れていく様が見たかった。
愛が恐怖に変わる瞬間を、この目で観測したかった。
それが、彼にとっての“美”だった。
やがて、人間はさらなる愚行に手を伸ばした。
人を“妖精”へと改造し、神々に抗う兵器を造ろうとしたのだ。
ラウロスはその計画に加担した。
彼の提供した“妖精の核”によって、
人間の魂は分解され、再構成される――
それが、人工妖精の始まりだった。
しかし、その行いはやがて神の怒りを買った。
ラウロスは世界の理から追放され、
光と闇の狭間――“世界の外”へと放逐された。
彼は一人きりだった。
何もない虚無の中で、ただ“人の感情”という現象だけを恋い焦がれた。
そして、彼は願った。
――自らの手で、もう一度、世界を作りたい。
その願いに応じて、彼の中の“妖精の力”が反応した。
本来、妖精だけが行使できる願いの力――それは確かに本物だった。
ラウロスはそれを使い、ひとつの新しい世界を作り出した。
彼が望んだのは、終わりのない観測。
人の心が変化し続ける“舞台”だった。
だから彼は、その世界に“魔”を置いた。
恐怖と欲望、怒りと憎しみ――
それらを増幅する装置として、“魔”を舞台装置に設定したのだ。
そして、彼は考え始める。
――あの時、自分が造りかけた“人工妖精”を、こちらに呼べないだろうか。
かつて自分が壊した存在を、この世界に引きずり込み、
もう一度、その“心”を観察してみたかった。
ラウロスは微笑んだ。
それは神の真似事をする者の笑みだった。
「そうだ……弄んでやろう。
あの妖精を、この世界で」
風悪の視界が歪む。
血のような黒い光が流れ、記憶の底に沈んでいく。
――そこに映ったのは、
ラウロスが、虚空に手を伸ばし、
“何か”をこちら側へ呼び寄せる光景だった。
その“何か”――それが、風悪。