【造られた妖精の少年】は、異能学園で“魔”を滅ぼす――ⅩⅢ 現代群像戦線   作:神野あさぎ

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第五十五話 夏風の余韻

 午前監察医療棟。

 

 朝の光は薄く、消毒液の匂いだけが白い廊下に残っていた。

 ⅩⅢ(サーティーン)本部・監察医療棟。

 観察窓の向こうで、東風心地(こち ここち)はベッドの上に起き上がり、膝の上で両手を組んでいる。

 視線は伏せたまま、何かを思い出そうとしては、すぐに手放すようにまた沈む。

 

 観測端末を操作する四月(しづき)レンの指が止まった。

 波形が静かに縮み、ひとつの線が画面から消える。

 

「……確認。〈-02y〉、完全消滅。波形ごと“存在が抜け落ちた”」

 

 隣で宮中(みやうち)潤が腕を組み、短く息を吐く。

 

「静かすぎる静けさは、だいたい嵐の前だ」

 

「配布の痕跡は残らず。……記憶も曖昧化。『声』についての証言は断片的か」

 

 四月は端末に追記を打ち、視線だけで隔離室を示した。

 

 面談の間、東風は謝罪を口にしなかった。

 ただ、何度か小さく首を振り、目を伏せた。

 自分の中で何が起きたのか、掴みきれないのだ。

 

 宮中は立ち上がる。

 

「経過観察はここで終了だ。授業復帰を許可する」

 

 扉が開く。

 東風は礼をし、言葉にならない息をひとつ残して廊下へと消えた。

 

 

 四月は画面を閉じた指先を、しばし宙に留める。

 

(消えた――いや、“無かったことにされた”)

 

 

 正午の美術準備室。

 

 美術準備室には紙の匂いと絵具の気配がする。

 鳩絵(はとえ)かじかが台紙を広げ、回収品を一つずつ並べていく。

 

「タイトル、『#013《断魂剪(だんこんのはさみ)》』……っと」

 

 昨夜の東風心地が持っていた大鋏だ。

 

 五戸(いつと)このしろが横でラベリングを剥がし、透明ケースの背に貼る。

 

「#010《小さな棘》、#011《鳴く刃》、#012《糸口》……はい、次」

「搬送。」

 

 六澄(むすみ)わかしが無表情でケースを抱え、棚へ運ぶ。

 

 ふいに、ファイルが一冊、微かに震えた。

 机の上で、紙の端が「さら」と鳴る。

 

「……まだ残ってる」

 

 鳩絵は眉を寄せ、上描きを入れた。

 輪郭へ、輪郭を重ねる。

 塗り重ねた線が錠の形になり、震えは止む。

 

「封印、強度上げ完了」

 

 

 放課後の教室。

 

 午後の教室は、夏の光で少し白い。

 窓際の影が揺れ、誰かの笑い声が遠くで弾む。

 

 黒八(くろや)空はノートを閉じて、軽く手を上げた。

 

「“影のサポート係”、しばらく私が続けます。危なくなったときだけ、お願いしますね、太陽さん」

 

 胸元に手を添え、小さく祈るように微笑む。

 

 辻は椅子から立ち、背中を伸ばす。

 

「オレ、鍛錬し直す。暴走もしない。……もう、あの時みたいにはならない」

 

 風悪(ふうお)と目が合い、互いに小さく頷いた。

 

 妃愛主(あいす)はドアの陰で一度だけ立ち止まり、教室を見渡す。

 深呼吸。

 それから、何事もなかったみたいに席へ戻った。

 三井野(さん)が「おかえり」と笑って手を振る。

 妃も同じ笑顔を作って座る。

 口に出さない「ただいま」が、机の上で静かに交差した。

 

「ギフトカードまだ?」

 

 五戸の一言に、教室のあちこちでくすくす笑いが弾ける。

 

「活躍したんだから! ちゃんとよこしなさいよ?」

 

 と五戸はすかさず畳みかけ、さらに笑いが広がった。

 

「申請中だ」王位は相変わらずの調子で短く返す。

 

 開け放たれた窓から入る夏の風が、黒板のチョークの粉をふわりと揺らした。

 空気が、少し軽くなる。

 

 

 夕暮れの屋上。

 

 夕陽がコンクリートに長い影を落としていた。屋上の柵にもたれ、風悪は空を見上げる。

 

「……時々、風が勝手に動く。でも、今は……怖くない」

 

 翅がかすかに光り、頬を撫でる風は柔らかい。

 

 夜騎士(よぎし)は隣に立ち、手すりを軽く叩く。

 

「お前は“使われる側”じゃない。風はお前のもんだ」

 

 それだけを言って、目を細めた。

 声は、いつものぶっきらぼうさを保ったまま、少しだけ優しい。

 

 遠くで部活の掛け声。夏の気配が街に沈んでいく。

 風悪は目を閉じ、呼吸を合わせた。戻ってきた風は、もう乱れない。

 

(還ってくる。――ちゃんと、ここに)

 

 ──観測室。

 

 夜。観測室のモニタ群は海のように青く、端末のカーソルが小さな灯台のように揺れている。

 四月は記録を締めた。

 

「L-13――休眠状態継続。-02y――消滅。配布経路は“夢経由の媒介”仮説を保留」

 

 打ち込む指は正確で、迷いがない。

 

「今日は、もう終わりだ」

 

 宮中が椅子の背に体を預け、マスクの奥で小さく息を吐く。

 

 四月は『送信』のキーを押し、画面の光を眺めた。

 

 窓の外で、風が一度だけ鳴った。

 ――その音は、どこか懐かしい。

 

 

 その夜、風悪は夢を見た。

 走る電車。揺れる蛍光灯。

 窓の外、街の灯が点々と後ろへ流れる。

 シートの向かいに、黒い妖精が座っている。

 透明な翅、静かな微笑。ラウロス。

 

「また近くで見られなくて残念だ」

 

 何気ない口調で、それだけを言う。

 足を組み、楽しそうに目を細める。

 

 車輪の音が遠ざかる。

 風悪が瞬きをした瞬間、窓ごと景色がふっと切り替わり――

 

 朝だった。

 蝉の声。カーテンの隙間から差し込む夏の光。

 風は部屋の隅で丸まり、静かに息をしている。

 

(……行こう)

 

 風悪は起き上がる。

 今日の風は、いい予感がした。

 

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