【造られた妖精の少年】は、異能学園で“魔”を滅ぼす――ⅩⅢ 現代群像戦線 作:神野あさぎ
第五十六話 夏風と風鈴
終業式の日。
教室の空気は、真夏の熱気でゆるく歪んでいた。
開け放たれた窓からは、蝉の声と、どこか遠くで鳴る風鈴の音。
「夏休み中も規則正しく生活するように。――休み明けには合宿だ」
黒いマスクの教師・
その声にはいつもの凛とした響きがあるが、どこか穏やかだった。
教室がざわめく。
湿った熱気の中で、生徒たちの声が一気に弾けた。
「先生! 補習はどうなるんですか!」
「なしだ。代わりに――合宿で鍛える。それまでは好きに過ごせ」
宮中の答えに、教室の空気が一瞬で明るくなる。
「よっしゃああああ!! バイトして課金しまくるぞおお!!」
五戸が机を叩いて立ち上がる。
「やめとけ。どうせ全部ガチャに溶かすだろ」
王位富が淡々と突っ込む。
「ぐぬぬ……夢がないな!」
笑いが起きる。
「夏休み……か」
“外の世界”からこちらへ来て間もない。
記憶もまだ完全ではなく、
「夏休み」という言葉に実感が伴わなかった。
「風悪君、もしかして夏休みの過ごし方、わかんないですか?」
隣の席の
お人よしな黒八の中で、“教えたい欲”に火がついた。
「よーし決まりだな!」
前の席の
「人間社会の夏休み、妖精に叩き込むとしよう」
「それ、なんか怖い言い方なんだけど……」
風悪は呆れたように返した。
そのやり取りを、宮中が咳払いひとつで遮る。
「……十三部の活動についてはどうするか、気になっている者もいるだろう」
辻がすかさず手を上げる。
「はい、それ、気になります」
「必要があれば召集する。基本は本組織――“
宮中は冷静に答えた。
十三部は学園版のⅩⅢ。
つまり、彼らもこの夏は一旦“休戦”というわけだ。
教室の一番前の席では、
「
七乃朝夏が、ため息まじりに肩を落とす。
「ちょ、ちょっと待って! ってことは、あたしも女子会できないってこと!?」
妃
「……妃、何を開くつもりだったの」
三井野
「かじかは、いっぱい漫画を描いて思い出に残します!」
「はいはい、どうせ描かないんでしょ」
五戸がすかさず切り返す。
「ぐぬぬ……!」
悔しげに頬を膨らませるかじか。
そんな賑やかなやり取りが、
真夏の午後の光にきらめいていた。
蝉の声がひときわ大きく鳴く。
窓の外の空は、まるでこれから始まる物語を照らすようにまぶしい。
――それぞれの、夏休みが始まる。
蝉の声が遠くで鳴いていた。
学園を出た風悪は、門の前で立ち止まった。
湿った風が頬を撫で、頭の翅がかすかに揺れる。
夏の匂いは、どこか懐かしい――けれど、それが“どこの夏”なのかは思い出せない。
「風悪君!」
背後から黒八空の声。
手には、アイスキャンディーが二本。
いつの間にか買ってきたらしい。
「一緒に帰りましょう。……はい、これ」
「ありがとう」
受け取った瞬間、冷気が指先にしみた。
冷たい。けれど、不思議と胸の奥が温かくなる。
「ねえ、風悪君。“外の世界”って、やっぱり違うんですか?」
「……うん。なんか……もっと、重かった気がする」
「重い?」
「とても奇妙な──感覚があった」
風悪の言葉に、黒八は少し考えるような顔をした。
「じゃあ、ここは“軽い”んですね」
「……ああ、そうなのかも?」
二人は歩き出す。
坂道の先には、街と海が見えた。
屋根の上を渡る風が、いくつもの風鈴を鳴らしている。
チリン、チリン――。
澄んだ音が夏空の下で連なり、波のように広がっていった。
風悪は立ち止まり、空を見上げた。
(“風”が……笑ってる?)
彼には、音の奥でかすかに誰かの笑い声が聞こえた気がした。
懐かしいような、知らないような――そんな響き。
「風悪君?」
「いや、なんでもない」
黒八は首をかしげたが、それ以上は追及しなかった。
商店街では、店先にかき氷の旗が揺れていた。
路地の奥からは焼きとうもろこしの匂い。
どこかでラジオ体操の曲が流れている。
「……これが、“夏休み”か」
「はい! 遊び放題ですよ!」
黒八が笑う。
風悪はその笑顔を見ながら、少しだけ息を吐いた。
こうして笑える時間が、どれだけ大切なのか――
彼はまだ知らなかった。
けれど、心のどこかでわかっていた。
“いつか終わる”その瞬間まで、
この風を、焼きつけておきたいと。
チリン――。
風鈴がもう一度、鳴った。
誰のものともわからない風が、二人の間をやさしく通り抜けていった。
空は青く、どこまでも高い。
夏休みは、まだ始まったばかりだった。