【造られた妖精の少年】は、異能学園で“魔”を滅ぼす――ⅩⅢ 現代群像戦線 作:神野あさぎ
翌朝、山は深い霧に包まれていた。
夜の雨が上がり、結界の灯籠は水滴をまとって光っている。
蝉の声が遠く、まるで霧の外側から響いているようだった。
「昨日の夜より静かだね」
翅の根に微かなざらつき――空気が正しく回っていない。
「湿気で風が重い。昨日の封印が湿気を吸ってる」
風悪の声に、
「
四月レンはすでに現場を見ていた。
封印札は夜露を吸い、わずかに滲んでいた。
だが、問題はその“にじみ方”だった。
墨の線が自然に薄まるのではなく――
まるで、何かに吸われて“食われている”。
「……これは湿気じゃない」
四月が小さく呟く。
「符の内側に、異能の波形が残ってる」
「誰のですか?」
「昨日の残響。……“声”の主」
四月は端末に表示された波形を見せた。
規則的な律動、だが途中で不自然に乱れている。
まるで“囁き声”が音として刻まれたような、波のゆらぎ。
その頃、実技班は結界の再設置作業に入っていた。
王位は結界核の“芯”を担当し、風悪と連携して風路の調整を行う。
「昨日より流れが鈍い。
無理に押すと結界が裂ける」
「わかってる」
風悪が息を整え、翅を一度だけ大きく震わせる。
その瞬間、風が一気に吹き抜け――
森の奥から、低い音が響いた。
カラン。
風鈴が鳴ったような音。だが、近くには何も吊るされていない。
「……いまの、どこから?」
妃愛主が眉をひそめた。
黒八が辺りを見回す。
「音、反響してないです。空間そのものが鳴ってる?」
王位は剣を抜いた。
「風悪、止め。一度、風を閉じて」
風悪は即座に風を収束させたが、
音は止まらなかった。
空気の底――
封印の中心で、“風の鳴き声”が蠢いていた。
四月と宮中が現場へ駆けつける。
四月は端末の波形を再確認し、目を細めた。
「やっぱり。これは“夢”の波だ。
現実の音じゃない。
群集熱に残った夢の残響が、結界に侵食してる」
「つまり、祭りで撒かれた“願い札”の波が、ここまで届いてるってことか」
王位の言葉に、四月は無言で頷いた。
「封じ切れなかった……ってこと?」
三井野が不安げに言う。
「違う。これは“呼び水”。
誰かが、もう一度“群集”を作ろうとしている」
その瞬間、風鈴の音が二度、三度と重なった。
だが、それは逆方向――音が外から“戻ってくる”。
黒八が耳を押さえる。
「逆鳴り……風が、戻ってきてます」
四月は風鈴寺の方角を見た。
「まだ“終わってない”んだ。あの夜の群集熱は」
風は止まった。
だが、音だけが残っていた。
まるで風そのものが意識を持ち、呼吸しているように。
――チリン。
結界杭の一本が、音もなく折れた。
風鈴のような響きと共に、光の筋がふっと消える。
「やばい、結界が逆流してる!」
王位が即座に剣と符を展開する。
青白い光が地面に走り、杭の残滓を押さえ込む。
妃が短く叫ぶ。
「群集熱の波形が強まってる! “願いの音”がまた集まり始めた!」
「再燃――!」宮中の声が重なる。
「“絵”で押さえる! 風の流れ、かじかに見せて!」
「了解!」風悪が翅を震わせた。
淡い光が風の軌跡を浮かび上がらせる。
その線を追うように、鳩絵は筆を走らせた。
紙面の上で、線が風鈴の形を描き出す。
「“鳴りを還せ”!」
鳩絵の絵から、かすかな風が流れ出した。
現実の空気と混ざり、封印の裂け目を塞ぐ。
音が低く沈み、やがて静かに消えた。
……だが、完全には止まっていない。
風悪の翅が再び震えた。
「風が、まだ揺れてる」
夜騎士が目を細める。
「お前の風が“反応”してるのか?」
風悪は答えなかった。
代わりに、胸の奥の熱がひとつ脈を打つ。
風が、自分の中で誰かを探すように回っている。
――“還ってこい”。
声とも風ともつかない響きが、耳の奥で弾けた。
その瞬間、周囲の風鈴が一斉に鳴った。
音の波が山全体を包み、光の粒が宙に舞い上がる。
三井野が顔を上げる。
「……共鳴波、収束! 結界、安定しました!」
王位が剣を収め、息を吐いた。
「ふぅ……間に合ったか」
風悪はゆっくりと手を開いた。
指先に、微かな光の欠片。
それは風鈴の舌のように揺れ、やがて溶けて消えた。
「風悪君、それ……」黒八が小さく声をかける。
「“声”の残り。まだ、ほんの少しだけ残ってる」
風悪は空を見上げた。
霧の切れ間から、淡い青空がのぞいている。
「また……来るかもしれない」
宮中は短く頷き、腕時計を見た。
「群集熱は封じた。だが“音”の残響までは消えない。
忘れるな――封印とは、終わりではなく“始まり”だ」
その言葉に、誰も返さなかった。
風鈴がひとつ、逆鳴りする。
それは、静かな夜明けの合図のようでもあり、
新しい風の目覚めのようでもあった。
夜。
分室の屋上では、風悪と夜騎士が残っていた。
吹き返す風が熱を帯び、遠雷が響く。
台風が近づいている。
「また“風”がざわついてるのか」
「うん。でも……今は怖くない」
風悪は微笑んだ。
「みんながいる。
今は、自分で止められる気がする」
「ならいい」
夜騎士は手すりにもたれながら、空を見上げた。
「風は、誰かの声を運ぶ。
でも、お前の風は――お前の意志で吹かせ」
風が二人の間を通り抜け、
遠くで、風鈴寺の鈴棚が一瞬だけ鳴り返した。
音が“空へ戻る”。
それは、まだ残る群集熱の“証”だった。