【造られた妖精の少年】は、異能学園で“魔”を滅ぼす――ⅩⅢ 現代群像戦線   作:神野あさぎ

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第六十六話 朝の食卓、霧の中で

 翌朝。

 山の分室の食堂には、いつになく明るい匂いが満ちていた。

 昨日の騒動が嘘のように、湯気と香ばしい匂いが立ちのぼっている。

 ――まずは目の前の「朝ごはん」という名の試練を乗り越えねばならない。

 

「なんだろうな。昨日まで意味深な展開してなかった?」

 

 風悪(ふうお)がため息まじりに言う。

 

「しょうがないだろ!」

「そうそう、これ以上は手の打ちようもない」

 

 夜騎士(よぎし)と王位が同時に返した。

 息ぴったり。まるで最初からコンビのようだ。

 

「それに、腹が減っては戦はできぬって言うし」

 王位がぴしゃりと締める。

 

 分室の外では、朝霧がまだ山肌を包んでいた。

 焚き火台の上では鍋がことことと鳴り、白い湯気がゆらゆらと空へ昇っていく。

 合宿のルールはシンプル――自炊。

 それだけにして、この班にとっては最難関の任務でもあった。

 

 *

 

「凶って料理できるんだね」

 

 秋枷が米を研ぎながら、淡々とした声で感心する。

 

「母子家庭だし? 自炊くらいするんだよ」

 

 夜騎士は軽く笑い、包丁を滑らせた。

 その手つきは驚くほど慣れていて、

 リズムよく――シャク、トン、シャク。

 切られた野菜が美しく並んでいく。

 

「凶君……」

 

 三井野が小さく呟いた。

 その声は湯気にまぎれて消えそうにかすれている。

 風悪がすかさず茶化すように言った。

 

「おい、顔赤いぞ」

「ち、ちが……!」

 

 三井野の頬はさらに赤く染まり、鍋の湯よりも熱そうだった。

 

 一方の黒八(くろや)は淡々と下味をつけ、味見も正確。

 料理に関してだけは、異様な集中力を発揮していた。

 

「繊細すぎる味覚って、こういうとき便利だね。」

 誰かが感心して呟くと、黒八はほんの少し照れ笑いを見せた。

 

 *

 

 問題は、別のところにあった。

 

「ぎゃあああ焦げた!」

「それ、油と水の順番逆ですわーっ!」

「レシピ……じゃなくて短冊、見てたんだけど……」

 

 五戸(いつと)このしろ、妃愛主、鳩絵(はとえ)かじか――この三人だ。

 焦がす・こぼす・煙を上げる。まさに料理三重苦。

 指示を出しても分量が理解できず、

 誰かが火を止めれば、別の誰かが再点火。

 ――地獄絵図とは、まさにこのこと。

 

「だぁあああもう! いいんだよ! 現代なめんな!

 自炊できなくても生きてけるんだよ!」

 

 五戸が叫びながら、おたまを高々と掲げた。

 妃と鳩絵も、なぜか力強くうなずいている。

 

「……なんか可哀想」

 

 王位がぼそりと言った。

 その顔には哀れみと、ほんの少しの優しさが混じっていた。

 

 妃は心の中で泣き、

 鳩絵はこっそりスケッチブックに“焦げ鍋”を描いてごまかし、

 五戸は「誰が哀れだ!」と叫びながら焦げた鍋を抱えていた。

 

 ――朝の霧よりも濃い煙が、分室の天井を覆っていた。

 

 *

 

 その横で、七乃と二階堂は小さな鍋を囲んでいた。

 七乃が丁寧にだしを取り、秋枷が具材を刻む。

 その姿はまるで、どこにでもある家庭の朝のようだった。

 

秋枷(あきかせ)君の作るものでしたら、わたくし何でもおいしくいただけますわ!」

 

 七乃の声は明るく、少し上ずっている。

 二階堂は照れ隠しのように小さく笑った。

 

「ありがとう。……焦がさないようにね」

「は、はいっ!」

 

 ふたりの小さな世界だけ、穏やかだった。

 

 *

 

 食堂に香りが広がり、誰かの腹の音が鳴る。

 朝の光が窓から差し込み、鍋の中の湯気が虹を描いた。

 

 四月(しづき)六澄(むすみ)、辻は静かにそれを眺めていた。

 彼らは朝食を取らず、端末と資料を前に黙々と作業を続けている。

 その姿に、風悪がぼそりと呟いた。

 

「お前ら、食べないのか?」

 

「小食……食べ過ぎると無理」

 辻は気分悪そうに答えた。

 

「……自分は必要ない」

 六澄は無表情のまま、淡々と返す。

 

 四月は小さくため息をつき、笑いもせずに言った。

 

「管理された物しか、口に出来ないんだよ。

 でも、匂いは――悪くない」

 

 その言葉に、風悪は少しだけ笑った。

 淡々としたやり取りが、どこか懐かしい日常を思い出させた。

 

 *

 

 こうして、合宿の朝は穏やかに過ぎていった。

 皿の上には少し焦げた焼き魚、焦がしバターの香り、そして笑い声。

 それぞれの思惑と不安は胸の奥に沈んだまま。

 けれど、今だけは――

 誰もが“仲間”として、ひとつのテーブルを囲んでいた。

 

 山の空気が、少し甘く感じられた。

 

 *

 

 昼過ぎ。

 分室の門前に二台のバスが並ぶ。

 荷物を積み込みながら、生徒たちはそれぞれの空を見上げていた。

 

「帰ったら……また授業かぁ」

「宿題あるよね、地味に」

「なかったことにしようぜ」

 

 笑いが起きる。

 

 風悪は最後に荷物を置き、ふと振り返った。

 結界杭の跡、風鈴の鳴った枝、まだ薄く残る風の匂い。

 すべてが、昨日より少しだけ“静か”だった。

 

 夜騎士が隣に立つ。

「どうした、風悪」

 

「……風が、穏やかになった気がして」

 

「お前のせいかもな」

 

「え?」

 

「風ってのは、持ち主の気分に似るんだよ」

 夜騎士はそれだけ言って、先に歩き出した。

 

 風悪は目を細め、山の上に流れる雲を見送った。

 翅が淡く光り、風がやさしく鳴る。

 

 ――それは、“嵐の終わり”の音だった。

 

 バスのドアが閉まり、エンジンの音が山に溶けていく。

 夏の合宿は、こうして幕を閉じた。

 

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