【造られた妖精の少年】は、異能学園で“魔”を滅ぼす――ⅩⅢ 現代群像戦線 作:神野あさぎ
薄暗い空間に、ひとりの女が立っていた。
白衣の裾を引きずり、静かに壁を見つめている。
その瞳には、金色の輪のような紋。
名は――
壁には、何枚もの写真が貼られていた。
その中で、四月レンの写真だけが赤いバツで塗りつぶされている。
「“
久遠の声は静かだった。
けれど、その奥には焦りと渇望が混ざっている。
「やつさえいなければ、我々は還ることが出来る」
彼女にとって、“堕ちる”ことは敗北ではない。
“還る”――それが、一条会の教義だった。
二十五年前の異能暴走事件《紅ノ災禍》。
それは、異能者の力が暴走し、都市一つを焼き尽くした惨劇。
その後に形成された再生信仰団体こそが〈一条会〉である。
「祈りは熱、熱は魔、魔は力」
「ひとすじの理性を保ち、深淵を覗け」
「魔を恐れず、己を試せ」
久遠の周囲に、信者たちの声が反響する。
祈りというより、呪詛。
だが久遠の顔は恍惚としていた。
「……それでも、まだ足りない」
久遠は唇を噛み、焦燥を隠さず呟く。
いくら試しても、“真の魔堕ち”は実現しなかった。
理性を保ったまま堕ちる――それを成し遂げた信者はいない。
「どうして……」
その時、空気が揺れた。
暗闇の奥から、靴音がひとつ、またひとつと響いてくる。
黒い髪、黒い額縁の眼鏡、黒い爪の少年。
その顔は無表情。
久遠の金の瞳が動く。
「……あなたは?」
六澄は答えない。
ただ、無機質な声で言葉を落とした。
「風だ」
「……何?」
「足りないのは“風”だ」
六澄は壁に貼られた風悪の写真へ歩み寄る。
一歩ごとに、靴音が静かな室内に響いた。
「外の世界の者は“魔”の影響を受けない。なら、外の世界の者を使えばいい」
久遠の眉が動く。
「外の世界……? 影響を受けない……?」
「この世界の者ではそのほとんどが暴走する。
なら影響を受けない外の世界のものの因子を取り込むんだ」
久遠は息を呑む。
その意味を理解するのに、時間はかからなかった。
「つまり――」
六澄は最後の一歩を踏み出し、風悪の写真に指を置く。
「この風を、取り込む」
空気が震えた。
風もないのに、部屋の中の紙がひらりと舞う。
久遠はその光景を見て、口元を歪めた。
「……なるほど。風を堕としましょう」
六澄は何も返さず、ただ無言でその場を離れた。
背後で久遠の声が微かに響く。
「祈りは熱、熱は魔、魔は力……」
その祈りが終わるころ、室内の明かりがひとつ、またひとつと落ちていった。
* * *
北乃ムラサキの件から、一夜が明けた。
学園はどこか重たい空気に包まれていた。
生徒たちが持っていた“道具”はすべて回収された。
鏡も櫛も、紙刀も、願い札も――残らず、封印処分。
だが、生徒たちの間には不満と不安がまだ残っていた。
「でもこれで一安心……だよね?」
三井野が怯えたように言う。
「大丈夫ですよ、きっと」
黒八が優しく答えた。
「大元を何とかしないと、根本的な解決にはなってないけどね」
辻が淡々と確信を突いた。
風悪は机に肘をつきながら、深く息を吐く。
「一条会……か」
* * *
朝礼。
ホームルームの時間。
黒いマスクの教師――
その声はいつも通り静かで、しかし張り詰めている。
「合宿での封印結界を、今日はここで試す」
教室にざわめきが広がる。
「気づいているとは思うが、生徒間で“道具”が蔓延した。
このままでは、良くないものがやってくる」
「群集熱」
王位が低く呟いた。
「そうだ。
普段、学園には最低限の結界が張ってある。
今回はその補強も兼ねて、再展開を行う」
“群集熱”――人々の感情が熱として場に滞留する現象。
祭り、災害、戦、祈り……強い思いが集まった場所では、
空気そのものが記憶のように震え、時に“夢”や“音”として再生する。
今まさに、生徒たちの祈りと願いが、
その“群集熱”を再び呼び覚まそうとしていた。
宮中が静かに頷き、短く言う。
「これより作業に入る。各自、役割を果たせ」
* * *
昼下がりの校庭。
校舎を囲むように、生徒たちが配置についた。
山の分室で行った結界儀式を、今度は学園全域で再現する。
中央――結界核の位置に、王位が立つ。
「起動」
王位が剣を突き立て、光が走る。
刃先から放たれた波紋が地を這い、白い線となって校舎を囲った。
その周囲で風悪が両手を広げる。
「風の軌道、通す」
淡い風が王位の結界をなぞるように巡り、流れを安定させていく。
空気の“歪み”を抑える繊細な制御。
一ノ瀬が菌糸を放ち、光の結界点を固定する。
『ここ、繋ぐ』
菌糸が淡く光り、地面に縫い留めるように結び目を作った。
鳩絵が筆を走らせ、願いの残滓を絵に変えて封じる。
紙面の上で揺れる色が、そのまま札となって結界の“目”を塞ぐ。
「絵にして閉じれば、見えない熱も逃げない……っと」
七乃は精霊を呼び出し、全体の流れを整える。
淡い光の蝶が飛び、風悪と王位の結界線を優しく撫でた。
二階堂、黒八、辻は各結界点を巡回し、札を貼り直す。
「このあたり、波が不安定だね」
「了解です」
良からぬ“気配”を探るのは、三井野と夜騎士。
二人の感覚が交差し、微細な音と気流を捉える。
「異常なし……今のところは」
後方では、六澄・
指示を出すのは宮中、全体の統括は四月レン。
「封印層、整ったぞ」
「よし。安定化処理に入れ」
再び、光が走る。
風、菌糸、剣、精霊、絵――それぞれの異能が一つの環へと繋がっていく。
重なり合った力が共鳴し、校舎全体を包む透明な膜が形成された。
それはまるで、淡い息吹のように光りながら脈打っていた。
* * *
「はー……終わったあ」
鳩絵が筆を放り出し、肩で息をつく。
「これで収まると良いのだけど」
妃が眉をひそめながら言った。
王位は剣を抜き、刃の光を見つめた。
「……一時的には、な」
風悪は空を見上げた。
校舎の屋根の上で、風鈴が一つだけ鳴る。
それはまるで――嵐の前の静けさのようだった。