【造られた妖精の少年】は、異能学園で“魔”を滅ぼす――ⅩⅢ 現代群像戦線 作:神野あさぎ
宿泊研修地・風ヶ森。
夜が、ゆっくりと森を包み込んでいく。
虫の声、遠くで鳴る水のせせらぎ。そのすべてが、眠りを誘うはずの音だった。
宿の玄関先。
「四月さん?」
背後から
黒髪をなびかせて近づく彼女の顔には、少しの不安が浮かんでいる。
「……すぐ、戻る」
短く、冷たく。それだけを言い残す。
四月の声は、風の音に掻き消されそうなほど淡かった。
彼女は“
黒八はその背を見送りながら、胸の奥に妙なざわつきを覚えた。
嫌な風が吹いている。
一方その頃。
男子の更衣室では、
体操服を脱ぎながら、
「風悪って、それ……頭、洗えんの?」
夜騎士が笑いながら言う。
「洗えるよ! 翅が邪魔だけどな」
風悪が苦笑して答えると、今度は
「なあ、二階堂。そのチョーカー、外さないのか?」
「え? ああ……これ?」
二階堂は指で黒いチョーカーをなぞる。どこか、言葉を濁した。
その会話を、こっそり覗いていた女子組の三人が耳にしていた。
更衣室の戸口の影に身を潜め、こそこそと様子を伺っている。
「ねえねえ、今の聞いた? 風悪って頭に翅あるのに髪洗えるんだって!」
妃がひそひそと興奮気味に言う。
「愛主、声!」
三井野が慌てて口に指を立てた。
だが、七乃はいつもの明るさを失っていた。二階堂のチョーカーを見つめたまま、瞳から光が消えている。
「七乃さん?」
三井野が不安そうに声をかける。
七乃はゆっくりと立ち上がり、目を伏せたまま言った。
「私が……愚かでした。戻りましょう」
短い言葉。だが、そこに何かの決意のような重さがあった。
三井野は咄嗟に妃の腕を引く。
「愛主も行こう!」
「そそ、こういうのは普通逆でしょ?」
妃は笑顔を見せながらも、どこか浮ついていた。
「ダメだよ!」
三井野が制すと、妃は両手を上げて肩をすくめた。
「分かってるって」
「ほんとかな?」
三井野が突っ込んだその瞬間だった。
“音”がした。
遠く、風を裂くようなざらついた音。
誰よりも先に反応したのは夜騎士だった。
「……今の、聞こえたか?」
空気が、変わる。
夜騎士の表情が一瞬にして引き締まる。
「どうした、凶?」
風悪が問う。
「外が──騒がしい」
彼の声に、全員の動きが止まった。
次の瞬間、宿の外でガラスが割れるような音が響いた。
風が荒れ、ざわざわと木々が悲鳴を上げる。
窓の向こう。闇の中で、無数の赤い目が光っていた。
森が、蠢いている。
宿の周囲に、無数の魔物が出現していた。そのどれもが、“魔”に侵された獣たちだ。
咆哮。
風悪たちの胸の奥まで響くような低い唸りが、森の闇を満たした。
宿の灯が、ひとつ、ふたつと消えていく。風が逆流し、空気が凍りついた。
黒八が息を呑み、口元を押さえる。
七乃は祈るように手を組んだ。
二階堂のチョーカーが、かすかに震えた。
そして──夜の静寂が、完全に破られた。
“風が騒ぐ夜”が始まったのだ。
おびただしい数の魔物が、宿をめがけて駆けてくる。その轟音は地鳴りのようで、森全体が唸っているかのようだった。
夜騎士は、いち早く異変を察知して外へ飛び出した。
「これ……全部、“魔”の影響か?」
風悪が息を呑む。
「中には、昼間の大人しいタイプも混じってる」
王位が光の剣を握りしめ、使命感を宿した瞳で答える。
「行くぞ!」
夜騎士が声を張る。
その瞬間、空気が裂けた。
夜騎士の身体から青黒い影が溢れ、鎌の形を取る。王位の剣が眩い光を帯び、夜を照らす。二人は息を合わせ、襲い来る魔物を次々と切り伏せた。
しかし、一頭の魔物が彼らの死角から抜け、宿へと突進する。
その窓越しに映るのは、黒八の姿。
風悪は即座に風を巻き起こし、壁のような障壁を作り出した。砂と枝葉が舞い、衝撃波が空気を震わせる。
「風悪君!」
黒八の声が宿の中から響いた。
「黒八はみんなと避難を!」
風悪は叫び返す。その声は震えていたが、確かな決意があった。
風悪は風の刃を放ち、魔物を切り裂く。血煙の中、息を荒げながら次の魔物へと構え直した。
宿の中。
二階堂と七乃が窓際に立っていた。外の光と影の戦いを、固唾をのんで見守る。
「七乃さん……大丈夫かな?」
震える声で二階堂が問う。
七乃は、迷いのない瞳で彼の手を取った。
「大丈夫ですわ。何かあっても、わたくしがなんとかします!」
その目に宿る覚悟に、二階堂は言葉を失う。
「……ありがとう」
その一言に、七乃は小さく微笑んだ。
だが、外では状況が悪化していた。魔物の数は減らず、次々と宿の壁を破壊し侵入してくる。
三井野は歌の異能で魔物を鎮めようとしたが、“魔”に支配された個体には効果がない。
唄声が掻き消え、黒い影が迫る。
「燦っ!」
妃が飛び出し、三井野を庇った。
妃の異能は“洗脳”──だがそれは異性限定。この場では、ただの少女に過ぎなかった。
爪が閃く。妃の腕に、細い傷が走った。
「燦! 大丈夫!?」
妃が叫ぶ。
「私は大丈夫……愛主こそ……」
三井野が必死に支える。
「このくらい……! あたしは平気!」
妃は血を拭い、笑ってみせた。だがその声は震えていた。
その時、夜騎士が駆け込む。
青黒い鎌が弧を描き、魔物の群れを一掃する。
「凶君!」
「凶!」
「三井野! 愛主! 奥へ逃げろ!」
夜騎士の声が鋭く響く。三井野が妃の手を握り、宿の奥へと駆けた。
「っ……! どんだけ居やがる!」
夜騎士は額の汗を拭いながら、低く唸る。
外では、風悪が孤軍奮闘していた。
風が唸り、土煙が舞い上がる。地面には切り伏せられた魔物の死骸が散らばっていた。
「……数が多すぎる……」
息を切らし、風悪は立ち尽くす。
胸の奥で考えが巡る。なぜ、こんなにも魔物が。
脳裏に浮かぶのは、四月の言葉。『“魔”は誰かの中にいる』
風悪は、ひとつの答えに行き着く。
この中に、“魔”を宿す者がいる。
だが、すぐにその思考を振り払った。考えたくない。
頭を振り、風を呼ぶ。
「なんとかする!」
風悪の全身から気流が立ち上る。その風に、黒八の黒髪が揺れた。
「風悪君……」
黒八は、物陰に身を潜めながら彼を見つめていた。
避難しろと言われたのに、足が動かなかった。ただ、彼が倒れるのを見たくなかったのだ。
その瞬間──魔物が背後から襲いかかる。
「きゃ──!」
悲鳴。
風悪は反射的に振り向いた。
「黒八!?」
風が渦を巻き、彼女を包もうとする。だが一瞬、足がふらついた。体力は限界に近かった。
視界が揺れる。
黒八と目が合った。
──彼女が、笑った。
笑った、のか?
「世話の焼ける宿主様だ」
その声音は、これまでの黒八とはまるで違っていた。
落ち着き払った冷たい声。
次の瞬間、炎が爆ぜた。
ゴオッ。
轟音とともに、魔物が一瞬で燃え上がる。
黒八は微動だにしない。その背には、淡い紅の紋様が浮かんでいた。
それは太陽の紋。
風悪の胸が高鳴る。あれが“太陽”か。
「さて、全て燃やしてやりたいところだが……」
黒八は静かに言う。右手から放たれる炎は制御され、揺らめく灯火のように美しかった。
「諸々への影響を考えると、どうもな……」
冷静な声。森を焼かぬように、炎を小さく収めていく。
けれど、彼女の中に潜む力は確かに目覚めていた。
そして──
「必要はなさそうだ」
黒八が目を細めた。
風悪は顔を上げる。
森の奥。閃光が走った。
稲妻の尾が、魔物の群れをまとめて貫く。
轟音。炎と光が交差し、夜空が昼のように照らされた。
その光の中に立つのは、四月レン。
「戻るのに少しかかったが──私が来た以上、誰にも手は出させない」
その声は冷静で、だがどこまでも強かった。
王位と夜騎士が振り返る。
風悪は立ち上がり、息を呑む。
“ⅩⅢ”の名に相応しい力が、今、夜を裂いていた。