【造られた妖精の少年】は、異能学園で“魔”を滅ぼす――ⅩⅢ 現代群像戦線 作:神野あさぎ
宿泊研修の夜。
風ヶ森を包む闇はまだ深く、焦げた匂いと雷光の残滓だけが漂っていた。
無数の魔物に襲われていた一行の前に、ひとりの少女が再び降り立つ。
靴底が地を蹴る。四月は腰のポーチから、黒色のペンを五本取り出した。それを宙へ放る。
次の瞬間、ペンへと雷が走った。
放たれた五本のペンを媒介に、五つの細い“雷の爪”が形を成す。
紫電が閃き、夜気が震える。
「ペン……? を媒介に……何を──」
その横で
四月の動きは速かった。
雷の爪が、まるで意志を持つかのように魔物を切り裂いていく。誰一人として巻き込まぬよう、出力を緻密に調整しながら。
瞬く間に無数の魔物が倒れ、地面に黒い残骸を晒した。
「一人でこれを全部……しかも、息も乱してない……」
黒八が呟く。その声には驚愕と畏敬の入り混じった色があった。
四月は最後の魔物を斬り払うと、静かに地面へ降り立つ。その表情には疲れの影一つない。
「他にも湧いてるな。行ってくる」
短く言い、再び跳躍。彼女の姿は、雷光の尾を残して闇に消えた。
残されたのは、荒れた地面と血の匂い。
そこへ、黒いマスクの男が音もなく現れる。
「……悪いな。ⅩⅢの仕事が入ってな」
「先生……!」
風悪は地面に座り込み、荒い息を吐いた。
「まあ、師──四月がいる限り、もう大丈夫だ」
宮中は穏やかに言いながら、風悪の頭に手を置いた。
「つ、疲れた……もう動けねぇ……」
風悪は力なく笑い、地面に仰向けになる。
「風悪君、大丈夫ですか?」
「黒八こそ」
「私は大丈夫ですよ」
黒八は小さく笑った。そのやり取りを、宮中はただ黙って見守っていた。口元の奥で、誰にも聞こえぬ小さな溜息を漏らしながら。
そして、その様子を少し離れた場所から見つめる影があった。
明かりの届かぬ木陰に立ち、静かに二人を見ていた。その眼差しには、暗く沈んだ光が宿っている。
何かを考えている。けれど言わない。
そんな気配だけが、闇の中に滲んでいた。
やがて四月が全ての魔物を掃討し、生徒たちの安全は確保された。
破壊された建物はわずか。人的被害はゼロ。
夜が明ける前に、森を覆っていた黒雲も嘘のように晴れていた。遠くで鳥が鳴く。風が優しく吹き抜ける。
それでも、生徒たちの胸に残るのは“恐怖”ではなく──“敬意”だった。
部屋に戻った
「ごめん……」
声はかすれ、震えていた。
「なにが?」
三井野が優しく問い返す。
「庇ったの、カッコつけたかっただけかも……」
「そんなことないよ。ありがとう、愛主」
三井野の微笑みが、夜の灯のように優しく光った。
風悪はベッドの上で、窓の外を見ていた。
静かに呟く。
「風が……あったかい」
──嵐は去った。
だが、森の奥にはまだ風が渦巻いていた。誰にも見えぬ“何か”が、微かに笑ったように感じた。
さらに夜が更けていく。
森の静寂が、どこか不気味に感じられた。あれほど騒がしかったはずの夜が、今はまるで世界そのものが息を潜めているようだった。
駄目だ、眠れない。
風悪はベッドの上で寝返りを打った。
何度目を閉じても、あの戦いの光景が脳裏を過る。“魔”は誰かの中にいる──その言葉が頭から離れなかった。
考えたくない。けれど考えてしまう。
もし、本当に身近な誰かがそうだとしたら。
誰も疑いたくないのに、心が勝手に名前を探してしまう。
耐えきれずに風悪は布団を抜け出し、静かに部屋を出た。
ロビーの明かりは落とされ、薄闇の中にひとりの影があった。
無機質な姿勢でソファに座り、ただ一点を見つめていた。
「あれ……六澄?」
風悪は背後から声をかける。
「眠れないのか?」
「六澄こそ」
淡々とした会話。けれど、六澄の存在からはどこか異質な気配が漂っていた。
「自分は、人間の“普通”より睡眠時間を必要としない」
表情を変えずに言う六澄。その言葉の調子が妙に硬い。
「ショートスリーパーってこと? ……いや、今の言い方、変じゃね?」
風悪は首を傾げた。今の響きは、まるで“自分は人間ではない”と暗に示すような、奇妙な冷たさを帯びていたからだ。
「今は、その認識でいい」
六澄の瞳は虚空を映したまま、どこを見ているのか分からなかった。
「しかし、今回は近くで見られなくて残念だ」
「え?」
唐突な言葉に風悪が戸惑う。
「たくさんの魔物と戦って、考えたんだろう?」
六澄は黒縁の眼鏡を指で押し上げる。その黒い瞳が、まるで奥底を覗き込むように風悪を射抜いた。
「魔物が“魔”によって暴走し、人を襲った。中には、人を襲わない大人しい個体もいた。……となれば当然、たどり着く結論はひとつだ」
風悪の胸がざわめいた。
その言葉は核心だった。
“魔”が近くにいる。そのせいで、魔物が引き寄せられ、暴走した。ならば──“魔”は、この学年の中にいる。
六澄はそれ以上言わなかった。ただ、無表情のまま立ち上がる。
「まあ……今後、どんな結論を出すのか。楽しみにしている」
そう言い残して、廊下の奥へと消えていった。
残された風悪は、ただ立ち尽くしていた。胸の奥に、得体の知れぬ冷たさが宿る。
一方、女子部屋。
寝巻のまま、妃愛主が腕を組んで待ち構えていた。
「ちょっと、あんたらどこ行ってたのよ!」
妃の声が夜の静けさを破る。
「バイトだよ、バ・イ・ト!」
五戸がどや顔で言う。鳩絵はスケッチブックを掲げ、得意げにピースサインをした。
「はあ!? 何言ってんのよ!」
妃は呆れと怒りが入り混じったような声を上げる。
「……まあ、事件に巻き込まれてないならいいけど」
すぐに安堵の表情に変わる妃。
「事件?」
「かじか、知らな~い」
「魔物がたっくさん現れて、大変だったの!」
妃が身振り手振りを交えて説明する。
五戸は腕を組み、ふっと笑った。
「そりゃ大変。でもバイトも大事なんだから。あたしたちも、”魔”関連の仕事よ」
「”魔”関連?」
「雇い主は~……さわらちゃんです!」
五戸が嬉しそうに一ノ瀬を指さした。
「え?」
妃、七乃、三井野燦、黒八空が一斉に一ノ瀬を見た。
一ノ瀬は静かにスマホの画面を見せた。そこには短いメッセージが表示されている。
『居なくてごめんなさい。でも、私は”魔”が許せない。こちらの件も見過ごせない。』
淡い光に照らされた文字。
その下に並ぶのは、幾つもの現場写真──異形の痕跡だ。
一ノ瀬の指が小さく震えていた。それでも、目の奥は静かな怒りに燃えている。
かつて、“魔”によって友を失った少女。彼女にとって、それは憎しみの対象であり、祈りのような誓いだった。
『絶対に滅ぼしてやる』
その言葉が、部屋の空気を凍らせた。
誰も、何も言えなかった。
ただ、四月レンが部屋の外から淡々と呟く。
「いいから寝ろよ、お前ら」
その声はいつも通り、無機質で冷たい。けれど、どこか優しさが滲んでいた。
廊下の窓際。
ひとり、少年が佇んでいた。
辻颭。
ガラス越しに見える夜の森は、静まり返っている。黒い影が、どこまでも続いていた。
辻は右手を窓に当て、かすかに呟く。
「あいつは善で……」
脳裏に浮かぶのは、中学時代の黒八の姿。
そして、雷を纏う四月、風を起こす風悪。
「あいつらも、同じ──」
手が震える。
胸の奥から、黒い何かがゆっくりと這い上がってくる感覚があった。
「善人……オレは、あいつらを──」
言葉の途中で、辻は目を閉じた。
それ以上、考えてはいけないと分かっている。けれど、もう“何か”が動き始めていた。
夜風が吹く。
その風だけが、彼の中に生まれた影を知っているかのようだった。