書いたり消したりしたら一万二千字と、分割したのにまた長くなってきてしまってます(汗)
第三話 スポーツ大会
一
六月の第二土曜日、朝のグラウンドに芝刈り機の唸りが響く。刈ったばかりの草の青い匂いが、白線の引かれたピッチの上に残っていた。
毎年恒例の春のスポーツ大会。今年の競技はサッカー、騎手課程と厩務員課程の合同開催。両課程は寮の建屋を共有し、食堂も同じ。普段から廊下や食堂で顔を合わせる仲間たちが、こうしてグラウンドに横一線で並ぶ機会は、年に数えるほどしかない。
参加者は、騎手課程一年から三年まで全員で二十五名、厩務員課程は一月生と四月生から十九名。総勢四十四人を四チームに分けて競い合う。恒例として各チームのキャプテンは騎手課程の二年生から選抜され、三年生は最後のサッカーを後輩のキャプテンの下で楽しみ、一年生は来年の自分を思いながら走る。二週間前に今年のキャプテンは神谷颯真、川越勇矢、相良流玲、多々桜子の四名と発表され、チーム分けはキャプテンがくじを引いて決定された。それから今日まで、夕方の自由時間に三回の作戦会議とチーム練習が組みこまれた。
颯真の赤チームは守備の中心にサッカー経験者で厩務員課程の一月生・大村。来月卒業予定で、身体は大きく経験者らしい器用さがある。吉田は四月生で、まだ少し緊張の抜けない若手。三年生の朝倉先輩は去年颯真と同じチームでプレイしていて、今年は颯真がキャプテンになったことを面白がっている。一年生の中島はサッカー経験ほぼゼロを正直に申告してきた。残りは騎手課程の同期と一、三年生が一名ずつ、厩務員四月生三名となった。練習では経験者が教えながらパス回しとフォーメーションを固定して役割の確認をした。大村が「経験者も少ないし色々詰め込んでも動けなくなる」とのアドバイスから颯真は「どう動けば気持ちいいか」を聞いて回って全員の配置を決めた。
「キャプテンのやり方、俺は好きだな」と大村は笑っていた。
他のキャプテン達も、それぞれの色がある。
勇矢の青チームは、効率重視。指示は短く、無駄なし、メンバーは自分の役割を正確に把握して練習も短時間で帰る。流玲の黄チームは、フィジカル、テクニカル確認と座学で毎回三時間以上と練習時間延長を注意された。それでもホワイトボードも引っ張り出してフォーメーション戦術の講義をしてきたという。桜子さんの白チームは、指示に合わせてとにかく走った。毎回消費カロリーも考えたお菓子の差し入れ付きらしく、烈が「俺たち、もしかして馬車馬?」とぼそっと言ったが、誰も答えなかったらしい。
颯真はストレッチをしながら横目で流玲を観察していた。流玲はメモ帳を広げて、まだ何か書き加えている。
「流玲なにしてるの?」
「最終調整です。4-3-3か4-2-3-1か、迷っていて」
「迷ってる?え、もう本番だよ」
「本番だからこそ、対戦相手も見据えた最終確認を・・・・・・」
颯真は黙って頷いた。流玲の指は止まらない。
桜子さんが向こうから歩いてくる。ベリーショートに小さなリボン、頬には化粧の薄い艶。
「あたし、今日メディア用に写真撮るから」
「メディア? マスコミの取材は来てないですよ?」
「あたしの将来のメディア用ね。今のあたしを記録しておくの」
遠くから「うおおぉぉ!」という声と共に、烈が汗だくで突っ込んできた。なぜ朝から汗だくなのか、誰も尋ねない。
「俺、今日は得点王取るぞ!」
「烈くん、まだ試合始まってないですよ」
「準備運動だ!」
九時、グラウンドに四十四人が四つの色に分かれて並ぶ。それぞれのチームの中、腕章をつけた小柄な姿が一つずつ。赤、青、黄、白。颯真の腕に押されたゴム印のような感触の腕章は、思っていたより重い。
颯真がそれをつけている間、勇矢は黙ったまま手早く青を巻き、流玲は黄色を見て「色彩心理学的にこの色は集中力と知性を……」と一人で何か呟き始め、桜子さんは白を巻いたまま近にくにいた烈に「ちょっと、撮ってもらっていい?」と私物のデジカメで撮影を頼んでいた。
最初キャプテンが発表された時、烈が「俺じゃないのかよ!」と腕を振り上げると、教官が「閃牙、お前は司令塔タイプじゃない。チームの暴れ役で頼む」と返した。烈が「暴れ役、それいい!」と即座に納得する。烈が桜子さんのチームに振り分けられた時、寮の食堂で「どうなるのか想像もつかない」と先輩たちが笑っていたのを颯真も覚えている。今日のための布陣は、二週間前のあの瞬間から始まっていた。
桜子さんが烈の肩を叩く。「あたしの言うこと聞きなよ」
「おう!」
「絶対だからね」
「任せとけ!」
颯真の周りにもチームメイトが集まってきた。
「神谷、本番だな」
「大村さん、二週間お世話になりました」
「これからだろ。本番でこそ、こき使ってくれ」
朝倉先輩が横から白い歯を覗かせる。
「神谷、お前去年は俺のチームだったよな。今年は俺がお前のチームの一兵卒、ってことになるな」
「先輩を一兵卒扱いはできないですよ」
「いいよ、キャプテンなんだから。しっかり指示してくれ、頼むぜ!」
颯真は少し赤くなる。三年生に指示を出す立場というのは、二週間ミーティングを重ねてもまだ慣れない。
中島が緊張した顔で隣に立つ。
「先輩、今日、よろしくお願いします」
「中島も、二週間ありがとう。普段通りでいいから」
「はい!頑張ります!」
流玲は円陣を組んだ候補生たちに先程のメモを広げており、全員の顔がじわじわと困惑に染まっている。桜子さんはチームで記念撮影、勇矢は無言で自分のチームに一礼している。
なぜか笑みがこぼれる。全員、らしい。
二
午前は総当りの予選リーグとなり、試合は二十分ハーフ・延長なしの四十分。上位二チームが午後は決勝戦、下位二チームが三位決定戦をフルタイムで競う事となる。
第一、二試合は応援観戦で行われ、以降は同時に二面並行で試合が進む。
その第一試合、颯真の赤チーム対勇矢の青チーム。颯真の脇腹に冷たい汗が一筋流れた。
「えっと、二週間色々話してきたけど、今日が本番です。よろしくお願いします」
いつもと変わらない颯真にメンバーの口元から少しだけ緊張が抜ける。
「事前の作戦の通り、大村さんに守備の中心を、朝倉先輩に右サイドをお願いします。僕は中盤あたりにいて、流れを見てカットボールを上げます。中島は、左サイド、無理せず、相手にプレッシャーを掛けるのと見えたものを声に出して欲しい」
大村が「了解」、朝倉が「あいよ」、中島が「はい!」と返す。颯真の戦略は単純。流れを読んで、ボールが来そうな場所に身体を置く。馬の走るリズムを読むのと、似ている。違うのはボールに感情がないこと。代わりに、選手たちには感情がある。
勇矢の青チームは、開始から組織的だ。きれいな三角形のパス。勇矢自身は中盤の少し下、ボールに触る回数は少ない。指示の声を出さない。視線とジェスチャーだけ。動きは少ない。なのに、青チーム全体が勇矢を中心に回っていた。
(捕まえるのが難しい)
前半、ボール支配で押される。防戦しているだけで十分以上の時間が過ぎていた。大村さんが大きな身体で前に立ち、跳ね返す。颯真は自分の身体を、ボールの来る場所へ少しずつズラしていく。
チャンスは唐突に。青チームの選手がパスを繋ごうとした瞬間、颯真の足が一歩出る。読みが当たる。ボールが足元に来る。
「中島!」
振り向きざまに中島の方へ送る。中島が長い脚で受けて即座に逆サイドへパス。朝倉先輩が押し上げつつ敵を引きつけ、真ん中をフリーで上がってきた大村にパス。シュートがネットを揺らす。
大村が両手を上げてハイタッチ。颯真を見て笑う。
「キャプテン、あれ見えてた?」
「なんとなく」
「センスあるねえ~、サッカーでもやってけるんじゃない?」
颯真は赤くなった。サッカーで褒められたのは初めてだった。
しかし青チームはそこから立て直してくる。勇矢の指示が変わったのが見える。それまで一定だったパスのテンポが、揺らぎ読みにくくなる。
前半終了間際、青チームが同点ゴール。ハーフタイムに勇矢と視線が交わるが互いに何も言わない。試合は続く。
後半、青チームが先制。赤チームが追いつく。最後の数分、勇矢が決定的なチャンスを作るが、その瞬間、大村と朝倉先輩がゴール前に間に合う。
二対二の引き分け。
ホイッスルが鳴った時、颯真の喉は焼けていた。フィールドを走り回っていたので、走る距離は練習とは段違いだ。勇矢が近づいてくる。
「引き分けだな」
「うん。勇矢のチーム、強い」
「お前のチームも、お前が思ってるより強い」
勇矢はそれだけ言って自分のチームに戻った。
三
第二試合、流玲の黄チーム対桜子さんの白チーム。
颯真と勇矢は休憩がてらフェンス際で並んで観戦する。
流玲の黄チームは試合開始から動きが異様だった。二週間で三回繰り返してきた末の、本番直前の最終確認。
「流玲、頑張ったみたいだね」
「ああ」
「勇矢はどうみる?」
勇矢はしばらく試合を見て、それから言う。
「……あいつのチームは、選手が考えすぎている」
その通りだった。黄チームの選手たちはボールが来るたびに一瞬、考える。流玲の戦術通りに動こうとする。だがサッカーは考える時間が一瞬遅れる毎に、相手に主導権を渡すスポーツだ。
白チームは対照的に動きが速い。烈が前線で猪突猛進、桜子さんが中盤で「烈、右!」「戻って!」「違う!挟んで!」と叫び続ける。烈もチームメイトも「了解!」と叫び返しながら走り回る。二週間のミーティングの結晶が「声出し制御」だったのが、ありありと見える。
無秩序のように見えて、桜子さんが完全にチームの動きを操っていた。
(全員が桜子さんのコントロールで動いてる)
颯真は素直に感心した。一年の終わりに「状況を俯瞰する視点」と評された才能が、サッカーでも形になっている。
試合は四対一で白の圧勝。烈が三点、残り一点は厩務員候補生のシュート。流玲の一点は本人のフリーキックで、理論通りに正確に決めた一発だった。
戻ってきた流玲は肩を落としている。
「……戦術が機能しなかった」
「でも最後のフリーキック、すごかったよ」
「あれは個人技です」
「個人技も技術じゃん」
流玲は颯真を見て、それから少し笑った。
「次があるなら、戦術はもっとシンプルにします」
「次もあるよ」
「あ、そうでした」
颯真は笑う。流玲はサラブレッド名鑑よりずっと真剣な顔で、もう一度メモ帳を開き直した。
第三試合からは二面同時に試合が進む。颯真の赤チーム対桜子さんの白チーム。
桜子さんは予測通り司令塔として操ってきた。だが颯真は桜子さんが指示を出す瞬間を読む。「右!」と桜子さんが叫ぶ前、桜子さんの目線で分かる。颯真は事前に右側へ身体を置いておく。烈が来た時には、すでに迎え撃つ位置にいる。
桜子さんが途中で気づいて、声を出さずに名前だけで烈を動かそうとしたが烈には伝わらない。「次どこ!」「左!」「了解!」
颯真だけでなく大村も指示された先に回り込み、攻撃を潰す。
それでも烈が個人技で一点、桜子さんがアシストで二点目に絡む活躍を見せたが、颯真のチームが終始押し気味に試合を行う。颯真は二点をアシスト、中島も後半に大村に絶妙なパスを通した。ぎこちないが意味のある動きを見せて、そのアシストで三点目のゴールネットを揺らし三対二で赤チームの勝利。
「あたしの指示、聞いて対処してたでしょ」
「うん、ごめん」
「いい。次は聞かれても大丈夫な指示の出し方をするから」
「対応が早い」
「あたしを誰だと思ってるの?コメンテーター志望よ。現場力ってやつね」
桜子さんはそれだけ言って、悔しがっている烈の背中を一発叩きに行った。
同時に行われた第四試合は勇矢の青チーム対流玲の黄チーム。結果だけ見れば五対一で青チームの圧勝だった。ただ前半に五点を取られた後半から、流玲はメモ帳を閉じてチームメイトに頭を下げてなにかを伝えていた。チームもそれまでと全く違うサッカーを始めると徐々に動きが良くなりピッチを支配し始め、後半十分には一点を返しここからと勢いづいたが、いかんせん時間が足りなかった。
同じ午前のうちに残り二試合も消化され、青チーム対白チームは三対ゼロで青チームの完封勝ち。勇矢の三角形に桜子さんの声出しコントロールが半拍ずつ遅れて噛み合わず、烈は前線で空回りを続けた。
赤チーム対黄チームは二対二で引き分け。流玲は勇矢戦の途中でメモを閉じて以降、声で繋ぐスタイルに切り替えていた。その指示に黄チームの動きが馴染んでいて、開始早々ゴールへ襲いかかってくる。出鼻を挫かれる形で先制点を許した。その後、颯真は相手の動きが固まる瞬間だけ前へ出て、前半に大村が同点ゴールを決めたが、直後にもう一点を許してハーフタイム。後半は走り込みで疲労した相手の隙を突き、朝倉先輩の押し込みが決まる。
予選結果。午後の三位決定戦は白チーム対黄チーム、決勝戦は青チーム対赤チームとなった。
四
昼食はグラウンドの隅で、各チームで弁当を広げる。栄養管理されたメニューは普段の食堂と同じだが、芝生の上に並ぶと、騎手課程と厩務員課程の量の差がいつもより目立つ。
颯真の隣で大村が眉をひそめる。
「これ、足りないでしょ」
「慣れてます」
「俺らも体重管理あるけど、お前らほどじゃない。グラム単位とかすげぇよ。なのにあれだけ走り回れるってヤバい」
「身体が小さいから、消費も少ないんですよ」
「いや、そういう問題じゃないって」
颯真は笑った。今日の運動量なら帰る前に体重を測ったら絶対減っているが、管理士はそれも見越して食事量を調整してくる。
朝倉先輩が割り込んでくる。
「神谷、お前のキャプテンシー、俺去年の俺と全然違うわ。俺なんか『お前ら走れ! 俺がパス出すから!』みたいなのしかなかったぞ」
「朝倉先輩、それは聞いてないですよ」
「だろうな。聞いたら誰もついて来ねえ」
大村が肩を揺らして笑う。ふたりは年齢も近くきやすい。
食後の休憩中、桜子さんが颯真の隣に座る。烈は離れた場所で厩務員候補生たちと相撲のような取っ組み合いをしていて、雄叫びが聞こえる。
「あたし、みんなをコントロールできてた?」
「完璧でした。途中まで・・・・・・、でも声に併せて一緒に動けばいいって気がついたら対処も簡単でした」
「だよね。」
ため息を一つついて、桜子さんは少し考えてから空を見上げた。
「あたしが騎手として伸びるとしたら、こういう方向かもしれないな」
「こういう方向?」
「自分が乗るだけじゃなくて、誰かの走りをコントロールする方の。馬を、人を、観て、環境をレースを味方につけて、声に出さず相手に意識もさせずコッチの意図する動きをさせるやり方」
「メディア誘導じゃなく?」
「メディアにいくにしても、騎手としても両方できる方が深みが出るでしょ。あ、これは打算込みで言ってる」
桜子さんは笑う。颯真も笑った。
遠くで流玲が、円陣を組みながら厩務員候補生の佐々木と一年生の浜野と何か話している。流玲が紙に書きながら、全員が頷いている。三位決定戦の作戦会議のようだ。だがチームに午前中のような困惑の表情はない。
「あの子、本気じゃん」
「流玲は、いつも本気ですよ。ただ伝えるのが少し不器用なだけで」
勇矢は一人木陰で休んでいた。颯真は桜子に一声かけると、そちらへ向かう
「隣、いい?」
「ああ」
勇矢は座ったまま、ちらりと颯真を見てから、また目を閉じた。
颯真も隣に腰を下ろし、お茶を飲む。
木陰を涼しい風が抜けていく。
葉が擦れ合う音だけが、しばらく二人の間を埋めていた。
やがて勇矢が目を開き、静かに問いかける。
「お前、本当にサッカー初めてか?」
「中学の体育以来。授業でしかやったことない。去年は朝倉先輩のチームで、走ってただけ」
「そうなのか?チームメイトがお前の動きは経験者のソレだと言っていたが・・・・・・」
「買い被りだよ。経験者の動きじゃないってのは自分が一番わかってるし。でも、ボールがどこに来るかは、なんとなく分かる」
「なるほど・・・・・・」
勇矢は何かを整理するように、しばらく目を閉じていた。
やがて静かにまぶたを開く。その目には、答えを見つけたような確信が宿っていた。
「お前のサッカーは、お前の競馬と同じだ。経験じゃなくて、感じることでやってる。経験を積んだら、もっと強くなる」
「うん」
「俺は逆だ。経験で組み立ててる。感じる方は、お前ほどじゃない」
「勇矢のサッカーも、勇矢の競馬と同じだよ。動きが少なくて、的確な場所に的確な動作を置く」
「そう見えるか」
「うん」
「そうか、悪くない」
勇矢は小さく口元を緩めると「少し休む」とだけ言って木陰で横になった。
五
午後最初の試合、三位決定戦。流玲の黄チーム対桜子さんの白チーム。
颯真と勇矢、それぞれのチームメンバーがグラウンド脇に集まって観戦する。決勝前の空気はどこか気楽で、だが次に自分たちが戦う緊張も混じっていた。
午前中とは違い、流玲の黄チームは驚くほどシンプルだった。声で繋ぎ、迷わず走る。余計な動きが消え、選手たちの足が軽い。
「流玲、さらに変えてきたね」
「ああ。午前より、ずっといい」
勇矢が短く答えた。
烈の突破で白チームが一度は追いつく。だが残り十分、流玲のフリーキックがゴール上隅へ突き刺さった。
二対一。黄チームの勝利。
試合後、流玲はメンバー一人ひとりと握手を交わしていた。颯真が近づくと、流玲は少し照れたように笑う。
「途中から戦術を削りました」
「削った?」
「理論を増やすより、皆に合わせた方が動きやすかったんです」
「うん、流玲のチーム強かったと思う」
「……最初は、一人で頭の中だけでサッカーしてました。だから勇矢くんのチームには手も足も出なかった」
「今は?」
「ちゃんと、チームのみんなと同じピッチに立ててた気がします」
流玲はそう言って、小さく笑った。
一方、四位になった白チームでは、烈が芝の上に大の字になっていた。
「俺、得点王だろ……、たぶん」
「たぶんね。頑張ったじゃん」
桜子さんが汗で濡れた烈の頭を軽く撫でる。
だが烈は、不満そうに空を睨んだままだ。
「なのに優勝できなかった」
ぽつりと零れた声は、さっきまでの勢いより少し小さい。
「一番なのに、なんで負けるんだよ」
悔しさが滲んでいた。
桜子さんは少しだけ考えてから、烈の額を指で小突く。
「サッカーって、一人で勝つ競技じゃないからでしょ」
「……俺、ちゃんと走ったぞ」
「うん。ちゃんと走ってた。だからあたしも、烈を前に出し続けられた」
烈が黙る。
桜子さんは芝に座り、烈に問いかける。
「でもさ、烈。あんたが得点王取れたの、誰のおかげだと思う?」
「俺の実力」
「半分正解。残り半分は、周りが烈を走らせたから」
烈は少しだけ目を瞬かせた。
「あたしが指示出して、他の皆が繋いで、烈が最後にぶち込んだ。今日はそういうチームだったの」
「……そっか」
「だから、烈が点取ったのはちゃんと皆の勝ちでもある。逆に負けたのも、烈一人の負けじゃない」
しばらく黙っていた烈が、ゆっくり起き上がる。
「じゃあ次は、皆ごと勝てばいいんだな」
「そういうこと」
烈の顔に、いつもの勢いが戻り始める。
「よし! 来年はどの試合でも相手より一点多く取って優勝する!」
「まず周り見なさい」
「うっせー!」
烈の叫び声に、桜子さんは楽しそうに笑った。
六
午後、最終は決勝戦。颯真の赤チーム対勇矢の青チーム。
ピッチに足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
昼を過ぎたグラウンドには、さっきまでより人が増えている。試合を終えた黄と白のメンバーがフェンス際や芝生に腰を下ろし、教官たちまで腕を組んで見守っていた。決勝戦に学校全体の視線が集まっている。
三年生たちの一団から声が飛ぶ。
「神谷ぁ~! 頑張れ~!」
「今年の三年、神谷推しだからな!」
朝倉先輩は颯真の隣で腿を伸ばしながら、その声へ大きく手を振った。
「先輩のおかげで応援多めです」
「俺は先輩風吹かしてるだけだ。お前が頑張れ」
桜子さんがデジカメを片手に近づいてくる。
「写真撮るから、ちょっと決勝戦っぽい顔して」
「決勝戦っぽい顔ってなんです?」
「キリッとしてる感じ」
颯真は答えず、水を飲むふりで誤魔化したが、その瞬間にシャッター音が聞こえた。
そこへ烈が勢いよく肩を叩いてくる。
「絶対勝てよ! 勇矢の鼻明かしてやれ!」
さらに流玲が小走りでやって来て、メモを差し出した。
「勇矢くんのチーム、約十分の間隔でテンポを変えてきます。それを意識すれば対応できます」
「流玲、まだ分析してたの」
「友達を応援したいんです」
流玲は真顔だった。
「ありがとう」
颯真はメモをポケットへ押し込む。読まなくても、流玲の言葉だけで頭のどこかに感覚が残る。
ホイッスル、決勝戦が始まった。
青チームは午前と同じだった。綺麗な三角形。無駄のないパス回し。勇矢自身は大きく動かないのに、青チーム全体が勇矢を中心に回っている。
だが今度は、颯真にも見えていた。
(来る)
十分ほどで、青チームのテンポが変わる。
パス速度が半拍だけズレる。横へ逃がしていたボールが、急に縦へ入ってくる。午前中は掴めなかった変化が、今は分かる。
「右、来る!」
颯真の声に、大村が身体を寄せる。ボールが弾かれ、歓声が上がった。
大村が深い位置からロングボールを蹴り込む。白いボールが陽射しの中を高く飛んだ。
颯真が走り、胸で落とす。
足元を確認すると右足を振り抜いた。シュートはゴールを掠め、わずかに外れる。
「あぁっ……!」
フェンス際から声が漏れた。チャンスは作れる。だが届かない。
そしてまた、テンポが変わる。流玲の見立て通り、青の呼吸は十分ごとに切り替わる。
ゼロ対ゼロのまま前半終了。
ハーフタイム、全員が芝へ座り込んだ。汗でシャツが張り付き、息が熱い。
「後半、どうします?」
颯真が口を開くと、大村が笑う。
「キャプテン、そこは指示出してよ」
「指示と言うか……相談したくて」
「相談か。珍しいキャプテンだな」
颯真は少し苦笑した。
「相手はまたテンポを変えてきます。だから、こっちも固定で戦わない方がいいと思う」
全員が顔を上げる。
「皆さんが見えてる景色を、声で教えてください。誰が空いてるか、誰が疲れてるか、どこが危ないか。それを聞いて、僕が動きます」
「なるほどな。皆でお前の目になるわけか」
「そんな感じです」
「了解。見えたもん、全部叫べばいいんだな」
朝倉先輩が笑った。
「俺、昔そういうサッカーやってみたかったわ」
「やってみます!」
中島の声が少し裏返り、吉田が無言で頷いた。
自分は前に立って引っ張るタイプじゃない。
皆が見ているものを繋いで、形にする。それが、自分にできるサッカーだと思った。
後半開始。
赤チームの声が、一気に増えた。
「左空いてる!」
「キャプテン、後ろ!」
「真ん中フリー!」
「中島ナイス!」
声が飛ぶたび、颯真の身体が自然に動く。読むのではなく、受け取る。
馬との対話とは違う。だが、本質は似ていた。
相手の意志を引き出して、それに合わせる。
それを今、自分は人間相手にやっている。
後半十分。
颯真達が先制した。
右から繋いだパスが中央へ入り、最後は朝倉先輩がヘディングでボールごとゴールへ飛び込む。
ネットが揺れた。
「よっしゃあ!!」
朝倉先輩が拳を振り上げる。颯真も思わずその輪へ飛び込んだ。フェンス際の三年生たちが大騒ぎしている。
だが勇矢達も止まらない。
フリーキックに勇矢がボールを置く。
静まり返った空気の中、右足が振り抜かれた。
鋭い弾道が壁の上を越え、ゴールへ突き刺さる。
一対一。
歓声と悲鳴が入り混じった。試合の熱が、一段上がる。
残り五分。
もう足が重い。太腿が焼けるように痛み、呼吸のたび肺が熱を持つ。
それでも、見えるものがあった。
(勇矢が動く)
次で勝負を決めに来る、理屈じゃない。人の意志が流れを変える瞬間を、颯真は感じ取っていた。
颯真が大村の肩を叩く。
「中盤に下がってください。勇矢が縦に来ます」
「お、了解」
大村が下がった、その瞬間だった。
勇矢への縦パス。そこへ、大村が身体を差し込む。
弾いた。
転がるボールに、颯真が飛び込んだ。
前を見ると青チームの守備が、まだ戻り切っていない。
空いたスペースへ、チームメイトが走り込む。
吉田だった。
寮では静かで、目立たない四月入学組。チーム分けまで、まともに話したこともなかった。そんな吉田が手を上げパスを主張する。
颯真は迷わず前へ流す、吉田が受ける。
一瞬だけ息を止めるように身体を固め、それから丁寧に右足を振った。
ボールが放物線を描き、ゴール隅へ吸い込まれる。
二対一、残り三分。
「うおおおおっ!!」
赤チームの歓声が爆発した。だが、まだ終わらない。
青チームは何度も攻め込んでくる。
「右!」
「下がれ!」
「キャプテン、後ろ!」
声が飛び続ける、全員が叫んでいた。
そして――、ホイッスル。
試合終了、二対一。
赤チーム、優勝。
七
ピッチの真ん中で、赤チーム全員が声を上げた。
「うおおおっ!!」
誰かが万歳し、それにつられるように全員が両手を突き上げる。だが次の瞬間には、糸が切れた様にその場へ座り込んだ。
もう立てない。
芝の青い匂いと汗の匂いが混ざり、熱を持った風が頬を撫でていく。
大村が両手で顔を覆った。
「やっべえ、感動してる」
「サッカー、本気でやったの久しぶりですか」
「いや~、高校以来。……でも、あの時より今の方が勝った気がする」
「なんでですか」
大村は空を見上げたまま笑う。
「なんでだろうな。誰かの走りを支える方が、自分が活躍するより嬉しい時があるって、今日初めて分かった」
颯真は何も言わなかった。ただ、その言葉が胸のどこかに残った。
朝倉先輩が後ろから腕を回してくる。
「神谷、お前、来年も俺呼んでくれ」
「来年はキャプテンじゃないですよ。それに先輩、いないじゃないですか」
「あ、そうか」
朝倉先輩が声を上げて笑った。
「じゃあ、結果くらいちゃんと送れよ」
「プレッシャーかけますね」
「そりゃかける。今日こんだけ走らせた責任取れ」
「理不尽だなぁ」
その言葉に、颯真は少しだけ照れた。
こうして同じグラウンドで汗だくになって走ることも、きっともうない。来年の春に、朝倉先輩達はそれぞれの厩舎へ散っていく。
そこへ吉田がやって来た。
試合の時より緊張した顔で、颯真の前に立つ。
「キャプテン、ありがとうございました。さっきのパス、僕にしか分からないタイミングで来ました」
「吉田さんが見えてる場所が、分かったから」
「見えてた、ですか。僕、自分がそこにいるって、自分でも気付いてなくて」
「それを、僕の方が先に見つけただけだとおもう」
吉田はしばらく颯真を見つめ、それから少し赤くなった。
「……騎手って、こういうこともできるんですね」
「どうかな?僕も初めてでした」
「今度、食堂でゆっくり話してもいいですか」
「ぜひ」
颯真は笑った。
明日から、食堂で目が合うたびに少し会話が増えるだろう。そんな予感がした。
中島も、おずおずと近づいてくる。
「キャプテン、楽しかったです」
「中島、後半かなり声出てたね」
「途中から必死でした」
「それで十分だよ」
中島は安心したように笑った。
その時、勇矢がこちらへ歩いてきた。
颯真は立ち上がる。
「勝った」
「お前のサッカーを、見せてもらった」
「うん。でも、勝てたのはチームのおかげ」
「お前のチームになった理由が、お前にある。そういうもんだ」
勇矢は短く言って、右手を差し出した。汗で湿った掌同士が、しっかりと握られる。
「次は、競馬で」
「うん。次は、競馬で」
八
夕方、グラウンドでは全員で片付けが始まっていた。
折り畳み椅子を運び、ゴールを動かし、白線を消す。騎手課程も厩務員課程も関係なく、一日使ったグラウンドを元に戻していく。
大村が、椅子を肩に担いだまま颯真へ近づいてきた。
「神谷、俺、来月卒業なんだよ」
「そうなんですね……」
「採用試験受かれば、そのまま中央の厩舎。本配属だ」
大村は笑う。
「だから、食堂で顔合わせるのもあと少しだな」
颯真は少し寂しくなった。
二週間前まで、ほとんど知らなかった相手だ。それなのに今は、もう長く一緒にいた気がしている。
「お前、いいキャプテンだったよ。覚えとくわ」
「僕も、大村さんに助けられました。二週間、それから今日も、本当にありがとうございました」
「まぁ、また同じ厩舎で仕事することあったらよろしく頼むわ。俺の担当馬をG1に連れて行ってくれ」
大村の大きな手が肩を叩く、思わず身体がぐらつくくらい強かった。
(厩舎で、また会う)
颯真はその言葉を胸の中で繰り返した。
九月から始まる厩舎実習。学校の外へ出れば、今日みたいな出会いがまたあるのかもしれない。
寮への帰り道、勇矢が珍しく隣を歩いていた。
「サッカーで、お前のチームメイトが言ってたな。『誰かの走りを支える方が嬉しい時がある』って」
「うん」
「俺は、その感覚が分からない。自分が前に出てしか勝ってこなかった」
「でも今日、勇矢のチームは勇矢が前に出ない時間も強かった」
「あれは戦術だ。組み立てだ」
「うん。でも、それも『支える』ってことの一種じゃない?」
勇矢は少し黙った。
夕焼けの光が横顔を赤く染める。
「……分からん。でも、考えてみる」
「考えるの、勇矢らしくないね」
「黙れ」
颯真は吹き出した。
寮の玄関が見えてきた頃、建物の影から黒猫が現れる。
ミーだった。
当然みたいな顔で二人を見上げている。
勇矢がポケットからちゅーるを取り出した。
「勇矢、それいつから持ってたの」
「朝から」
「そっか~」
ミーが満足そうに喉を鳴らす。
食堂の方からは夕食の準備の音が聞こえていた。今夜はきっと、どのテーブルでもサッカーの話になる。
九
三〇二号室。
ベッドへ腰掛けながら、颯真がぽつりと呟いた。
「今日のサッカー、大変だったけど楽しかった」
「楽しかったですね」
流玲が頷く。
「学校の中だから、ってのもあるかもしれない」
「学校の中だから?」
「ダービー見てから、ずっと『学校の外』の凄さばっかり考えてた。でも今日、学校の中だからこそできる経験もあるんだって思った」
流玲は静かに耳を傾けている。
「佐和教官が前に言ってたんだ。『守られた場所だからこそできることがある』って」
「……なんだか分かる気がします」
流玲は小さく頷いた。
「外と中、両方ちゃんと使うってことですね」
「うん。それに今日、学校の『中』って思ってたより広いんだって気付いた」
「広い?」
「二年生だけじゃなくて、一年生も三年生も、厩務員課程の人たちも、皆同じ場所にいるんだなって」
「同じ食堂、同じ寮ですからね」
「うん。でも、『見えてた』のと『気付いた』のって、ちょっと違う」
「分かります、その感覚」
流玲はノートを開き、何かを書き留めた。たぶん、今の言葉だ。
「来月から、厩舎実習の準備ですね」
「うん」
「次の『外』だ」
窓の外はもう真っ暗で、昼間の歓声が嘘みたいだった。
一日走り続けた疲労が、じわりと身体に残っていた。脚は重く、肩も熱を持っている。それでも、その疲れは不思議と心地よかった。
今日、自分はずっと誰かと一緒に走っていた。
前へ出る者がいて、支える者がいて、声を掛ける者がいる。その流れを読み、繋ぎ、形にする。グラウンドで感じた感覚は、きっと競馬にも繋がっている。
誰かの走りを読むこと。
誰かの走りを支えること。
それは、人でも馬でも、変わずにそれぞれの物語へとなっていくのかもしれない。
九月から始まる厩舎実習。学校の外へ出れば、今日みたいに上手くいかないことも増えるだろう。
それでも――少し楽しみだった。
(明日から、また馬に乗る)
颯真は静かにベッドへ潜り込む。
窓の外で夜風が木々を揺らしていた。
心地よい疲労が、ゆっくりと意識を沈めていく。
颯真は小さく息を吐き、目を閉じた。
更新に時間を頂きました。
ダービーの外と学校の中、うまく表現できたでしょうか?
評価と感想をお願いいたします。
次は栗東で厩舎実習!のはず(笑)